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Thursday, 11-May-2023 01:36:28 JST
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この記事は2017年8月15日に横浜で開催されたアーリーギターの小さな学会(主催:竹内太郎)における鶴田のプレゼンテーションを元に、ホームページ向けとして加筆・修正のうえ再編集したものです。当日の聴講者の皆さんの反響を反映させつつ、発表原稿の準備に御協力頂いた方々の御意見も盛り込んであります。 うっかり忘れて発表し損ねたもの(←をひをひ)も追記してあります。
プレゼンテーションではこの音楽帖のことを初めて知る人やクレーンホームページを御存知で無い方も聴講されていると考え、あえて入手の経緯や公開・配布中であること等も軽く話しました。
● 略歴:マティアス・ホセ・マエストロ・アレグリア [ Mathias José Mestro Alegría 1766-1835 ]
生:1766年2月24日 北スペイン・バスク州のアラバ県 ビトリア=ガステイス(Vitoria-Gasteiz)
没:1835年1月7日 ペルーのリマにて(69歳)
・父ホセ・マエストロ(Jose Maestro)、母アントニア・アレグリア(Antonia Alegria)。9人兄弟の4番目で姉が3人いた。
・司祭、建築家、画家、祭壇作家、彫刻家、音楽家であった。
・マティアスは描いた祭壇画や肖像画に署名しなかった(制作の記録は多数残っているが)。
・本人の肖像画や彫像は全く残っていない。
・14歳で絵を学び始め、バスクで学位を取得したのちペルーのリマへ渡った。
・移住した年は諸説有り(1790年24歳到着説、1782年16歳出発説、なぜか1790年18歳到着説など)
・1793年に27歳で司教となった。
まずは音楽帖の全体像と扉絵を御覧ください。
2005年2月15日にペルーのハビエル・エチェコパール・モンジラルディ(Javier Echecopar Mongilardi)さんから1本のギターを譲り受けました。この音楽帖はそのギターに付属するもので、一足早く郵送していただき2005年1月28日に私(鶴田)の元に到着しました。
譲り受けたギターは1812年にホセ・ベネディト(スペイン・カディス)によって製作された6コース(12弦)ギターです。私はこのギターを修復したのち2008年にコピーモデルを製作しました。
マティアスの音楽帖の扉絵(標題紙)には良く似たギターが見てとれます。また、扉絵は建物の一部(門扉)と思われる背景にて、フルートやコントラバス、竪琴などのアンサンブルの様子が描かれています。
ギターのヘッドに絡まった弦とブリッジに結ばれた弦が12本であることが確認できます。明確に6コース12弦です。こまかい描写からみて彼はギターに深い関心と興味を持ち演奏を好んだと思われます。扉絵にフルートが描かれていることと、フルートの曲がこの音楽帖に含まれることから、マティアスはフルートも演奏したのでしょう。対してコントラバスはテールピースやブリッジが省略されており、おそらく彼はコントラバスは弾かなかったであろうと私は考えます。
補足:マティアス・マエストロという名前の「マエストロ」は父親がホセ・マエストロであったことに起因するものであって、偉大な方だったのじゃ! 巨匠ぢゃ!ということで後世に付けられたものではありません。まぁ、Fabricatore(製作者)という名前があるぐらいですからからねぇ ... 。ちなみに親子とも同じ名前「ホセ」です。マティアスのすごいところは名前負けせずに、その後実際にマエストロになった事でしょう。
補足:マティアスはなぜ南米へ渡ったのか? スペイン語のWikipedia(2017年8月14日現在)によるとマラスピナ遠征(スペイン王室が資金を出した探検隊)に随行したものとありますが、マラスピナ遠征は1789年から1791年とされており、扉絵の1786年を考えるとそれはたぶん無理。弟が先に南米にいて、その支援など経済的な理由でペルーへ渡ったものと思われます。
補足:ペルーにおいてマティアスはどのような仕事をしたのか?
リマ(Lima)を中心に数多くの建築物、祭壇画、礼拝堂、肖像画が制作されました。カトリックの司祭でもありエッセイスト、音楽家でもあったとされています。ペルーで最初の仕事はリマ大聖堂の塔の再建であったとされ、サント・ドミンゴ教会のファサード、また、サンフランシスコ教会やサン・ペドロ教会の祭壇画などが残されており、とりわけ現存数の多いのがファサードと祭壇と祭壇画です。リマには「マティアス・マエストロ通り」やマティアスの名を付けられた墓地などが残っています。
補足:マティアスの名を付けられた墓地
マティアス・マエストロ司祭墓地(CEMENTERIO PRESBITERO MATIAS MAESTRO / Lima 1808年)はラテンアメリカで最初に作られた公共墓地でもあり、ペルーの歴代大統領や著名人のほか一般市民まで広く埋葬されています。著名な観光地でもありますが全域に老朽化が進んでおり、現地のボランティアが管理・清掃を行っています。しかし、薄気味悪いのを逆手にとって肝試しナイトツアーが開催され人気だそうです(木・金・土:大人740円 子供370円)。上手いなぁリマ市民。
※ Googleストリートビューでリマのアンカッシュ通りからマティアス墓地の現代の様子がわかり、墓地内も閲覧できます(中央礼拝堂は移設されて現在は無い)。便利な世の中になったものです。 ドン・マティアス・マエストロ司祭の記念碑(墓地内)も建てられているのが確認できます。
この音楽帖の扉絵にはこう書かれています
QUADERNO de Musica para Guitarra
Mathias Jose Maestro
Lima 1°. de Enero 1786
・サイズ:225mm x 320mm
・現状の全枚数:17枚 34ページ、欠損13枚以上
・6コース12弦のギターが描かれている(フルートやコントラバス等を含むアンサンブル)
・扉絵:1786年1月1日 リマ にて(Eneroは1月)
・収録曲数:約50曲
・ギターを弾く若者が描かれている
過去にこの音楽帖にかかわった人々それぞれによって発表されているページ数が異なりますが、楽譜の書かれたもののみを数えたり、表紙や白紙を含まなかったりするためです。私は表紙や白紙も含めてあるがままの全ての枚数を数えました。また、糸綴じになっている根元を調べて、ナイフのようなもので切り取られたり、引きちぎられたものもありましたが、それらの合計を欠損数としました。曲数の数え方は音階練習も1曲と数えてよいものか、他にも3つで1作品と思われるようなものもありますが、フルート曲は大小ペアで16組として32曲と数えることにして、結局は「最小単位」で数えて約50曲としました。
カバーは紙です(ちなみにシフラの曲集はヴェラム/革)。全体的に汚れと摩耗等の傷み有り。普段から古書や古文書を見慣れた人なら、100年程度の経過ではないことがわかるとは思いますが。いやしかし、偽装がはびこるこの時代(笑)、古く見せかけたニセモノかもしれません。そこで、マティアス音楽帖の紙の時代を調べてみました。
先に結論からいえばレイドペーパー(Laid paper)が使われているという事実のみで18世紀以前に作られた紙、と判断できるのです。
縦横のこまかい平行線の痕で、いわば「手漉きの痕跡」です。すだれとか、巻き寿司を巻くアレです。ざるそばに敷いてあるヤツです。日本語の和紙用語でいえば、この写真の縦方向の太い糸目(いとめ)Chain-Line と横方向のこまかい筋の簀目 ( すのめ ) Laid-Line に相当します。この音楽帖の全ての紙がレイドペーパーでした。
しかし、作られた国(場所)や年代、できればメーカーまで分かれば説得力が増します。そこで「透かし文様」に注目します。レイドペーパーと透かしの確認は銅版画の鑑定にも用いられる国際的な手段です。 さきの扉絵をコントラストを上げて画像処理したのがコチラの画像です。よく見ると「王冠+盾+ユリ」の模様が見えますが、これを ウォーターマーク(Watermark):主標と呼びます。また、アルファベットで JKooL の文字が判読できますが、これをカウンターマーク(Countermark):副標と呼びます。これらを調査・照合した結果 1769年頃にオランダのアムステルダムで作られた紙であることが同定できました。当時は紙が完成してから印刷工房で刷られる(消費される)平均年月は約2年から3年。但し、輸出の場合は10年以上の大きな遅延が生じることはごく自然でした。一方 1800年頃から木材のパルプによる機械漉きが急速に発達し、レイドペーパーと透かしそのものが激減しました(絶滅したと言ってもいい)。
従って、1769年頃から1800年以前に作られた紙であること。すなわち、少なくとも200年以上前に作られた紙ということに間違いありません。
補足:ユリのマークというのは写実的なラッパの形状ではなく意匠化された紋章です。立教大学のようなミッション系の学校の校章にもよく使われています。
補足:18世紀以前の紙は貴重なもので、麻や木綿の古着を裁断して原料にするほか、キャベツやタマネギ、漁網など、あらゆる繊維が再利用されていました。
・五線譜で書かれている(タブラチュアではない)。
・長い休符を備えた曲もいくつか見られる(ソロだけでなくアンサンブルも)。
・手書きの楽譜の随所に文様が書き込まれている(祭壇の纂 [さん] に見られるようなレリーフ風の文様)。
・約50の作品(スケール練習1,途中までの曲1、ギターソロとパート譜24曲、フルート向け基本と応用32曲)。
・音価のあいまいな記譜法である。
・書き間違いが多い。
つまりスケッチや下絵について。
・分類すると、建造物、祭壇、人物像(彫像用、レリーフ用)、人物像(肖像画用)、その他
・この冊子の後ろ半分はほとんど切り取られて無くなっている。
補足:スペイン語の QUADERNO は手帳やノートの意味ですが Q で始まるのは18世紀以前の古い書き方。現代では C で始まる CUADERNO と綴ります。同様に h を含む Mathias も昔の書き方であって現代では Matias と綴ります。※ マティアスがファーストネーム、ホセがセカンドネーム
補足:手書きの楽譜のなかに単旋律のものがあり、鉛筆で運指を振ってあります。※ 聴講者の皆さんから棒の線の特徴などが他の筆跡と異なるため、これはギターの先生が書いた音階練習ではないかとの御意見を頂きました。確かによく見比べると筆跡が違います。マティアスはキッチリ濃くじっくり時間をかけて書いているように見えますが、この音階の部分は棒の線が細くて玉ともつながっておらず、書き慣れた素早い筆致です。
補足:この音楽帖のうちの1枚に第二副標として IV の文字を見つけました。チェーンラインに接したカウンターマークです。18世紀以前では I V と書いて J V と読みます(シェークスピアの歴代出版物でもよく見られる古い文字遣い)。J V は ジャン・ヴィルダリー(Jean Villedary)の略語であり、いわば品質保証マークのようなものでフランスやイギリスなどの製紙工房でも見られます。オランダでもVDL社(ファン・デル・レイ社)などの例があります。
補足:扉絵に描かれているのは誰が製作したギター?
楽器の構造や装飾を含めてかなり正確に描いたと思われますが、当時マティアスが所有していたギターのひとつであることが考えられます。私が譲り受けたホセ・ベネディト(1812年)もマティアスが所有していたギターの一つであると伝わっていますが、製作年が1786年以降であることと装飾の違いが確認できます。では、他の候補は? ハビエルさんによると少なくとも1780年以降にマティアスはペルーでマテオ・ベネディトのギターを購入しているのだと。マテオはホセ・ベネディトのお父さんです。但し、その楽器は現存するかどうかも不明なので確認できません。ほかの候補としてはパヘス(当時はベネディト工房と並んで人気だった弦楽器工房)でしょう。ホセ・ベネディトの姉または妹がパヘス家へ嫁いでいたことを考えると、これら両義兄弟の一族は有力候補かもしれません。
ペルーで発見されたギター曲集(3つの例)を比較することで、この音楽帖の特徴や傾向が見えてくるのではないか。
【表:3つの曲集】
3つの共通点はペルーの伝統的な音楽を感じられる曲は見られず、ほぼ全てヨーロッパ風の音楽。
マティアス音楽帖のみがスケッチブックを兼ねている。
・マティアスの音楽帖(QUADERNO de Musica para Guitarra)
・シフラの曲集(Libro de Zifra)
・ヒメネスの作品群(Works of Pedro Ximénez)
補足:シフラ(Zifra)というのは人の名前ではなく、たんに音楽とか曲集のような意味だそうで(鶴田はずっと人名かと思っていた)。シフラの曲集については 過去のEarly Music誌に研究の掲載有り。
補足:ペドロ・ヒメネスの処女作は1814年の「アレキパの愛国行進曲」とされています。
補足:ペドロ・ヒメネスの楽譜は2004年にボリビアのトランクケースから大量に発見され、積み上げたら 86cm であったと。一部にベートーベンやフェルナンド・ソルやロッシーニの楽譜も含まれますが、オーケストラやピアノ曲、チェロやヴァイオリン向けの曲など多彩な内容。当時のヨーロッパの作曲家にもひけをとらない質の高い楽曲とされています。集計された記録を数えてみるとギター曲だけでも300曲程度あったと思われます。しかし、そのうち100曲程度は出版されているものの、その他の多数のペルーの民族音楽たとえばヤラゥィー(インディオ民謡)やパンドブレ(社交ダンス等)をモチーフにした希少なギター曲のほとんどがボリビア(スクレ)の個人蔵となったままだそうで ... 。
補足:3者いずれも良い曲が多く含まれていますが、コンサートやCD等のメディアで耳にすることは残念ながら稀です。聴講者の皆さんにはクレーンホームページでマティアス音楽帖のコーナーと楽譜無料ダウンロード可能で有る旨の案内をしておきました。
・6コースのギターのための曲集であるが作曲したものではなく「書き写された曲集」である。
マティアスはこの音楽帖を書いた時点でおおむね20歳ですが、音楽に関しては習得成長途中であったように見受けられます。
・マティアスはギターの演奏を好んだが作曲はしなかった。
書き写しであるなら、誰が作曲したのか? スペインなどヨーロッパからペルーにやってきた人物が作曲したのか、ヒメネスのようなペルー人が作曲したのかは不明。
・この曲集は建築・彫刻系のスケッチブックでもあった。
マティアスの曲集と名付けなかった理由。Libroなら本または曲集としましたが、切り取られた枚数からしてもスケッチブックの役割は大きく、
Cuadernoなので「書き込める手帖」という意味を尊重して音楽帖と命名しました。
・マティアスの現存する自画像のひとつであろう。
自画像や彫刻は一切存在しないとされてきましたが、この小さなドローイングの扉絵がマティアスの若かりし頃の自画像と鶴田は考えます。
・マティアスがペルーに到着したのは1785年(19歳)であった。
1786年の元旦の日付と「リマにて」と記したことから、1785年に南米に到着し、ペルーで初めて迎える特別な新年であったのではないか。
つまり、丁寧に描き込まれたドローイングの扉絵は若かりしマティアスにとって、新世界に到達した「記念写真」のような意味深いものであったに違いない。
補足:自画像については描いた絵に署名しなかっただけで、自画像を描かなかったわけではないと思います。画家にとって自画像は最も難しいテーマですが、昔から自画像を描かない画家はいない、というのが画壇の通念。東京芸大は昔から(現在でも)自画像が卒業制作のテーマですな。
補足:耳コピーして採譜したので演奏速度のゆらぎや三連符の読み取りの問題が生じてぎこちない楽譜になったのでは?という意見も有りました。
[ 出典 ]
◆ Mathias Jose Maestro (1766-1835) / Jesus Gonzalez De Zarate (Arabako Foru Aldundia) – 11 feb 2014 ◆Cuaderno de Música para Guitarra de Mathías José Maestro / Javier Echecopar Mongilardi (2004) ◆Libro de Zifra / Javier Echecopar Mongilardi (2005) ◆『透かし文様 主として17-18世紀』WATERMARKS / Edward Heawood,M.A. 1950 =エドワード・ヒーウッド著 久米康生、増田勝彦 訳 1987年、雄松堂出版 ISBN4-8419-0044-6 ◆Gendaiguitar No.564, 565, 566, 567, (2011) ◆ THE VIHUELA de MANO and THE SPANISH GUITAR - A DICTIONARY OF THE MAKERS OF PLUCKED AND BOWED MUSICAL INSTRUMENTS OF SPAIN (1200-2002) JOSE L. ROMANILLOS Vega & Marian Harris Winspear.2002 ◆Wikipedia(スペイン語)https://es.wikipedia.org/wiki/Mat%C3%ADas_Maestro ◆Orrego, Juan Luis El presbítero Matías Maestro Blog http://blog.pucp.edu.pe/item/25435 ◆ペルーのカトリック教会の2014年7月のブログ PERU CRISTIANO http://peru-cristiano.blogspot.jp/2014/07/el-presbitero-matias-maestro-ilustrado.html◆原田慶子さんによる記事:ラテンアメリカ最古の公共墓地、プレスビテロ・マティアス・マエストロ(記事2015/02/01)◆ハビエル・エチェコパール・モンジラルディWebsite (Javier Echecopar Mongilardi)
[ 感想 ]今回のプレゼンテーションの資料作りは参考文献も参考サイトもほぼすべてスペイン語で苦労しました。他のドイツ語、イタリア語、フランス語、なども楽器の調査でよく付き合わされる言語。英語すら苦手な鶴田には外国語で調べるための独自のコツを会得していまして、そのノウハウを駆使してなんとか理解・消化するのですが、やたらと時間がかかることが悩みです。あと、ネット上の情報は話半分と考え、なるべく印刷された公の出版物/文献を1ページづつめくって辞書を引きながら調査するほうがうまくいきます。今後は状況が変わっていくとは思いますが。
記事:2017年8月20日 弦楽器工房CRANE/アトリエ・クレーン:Luthier 鶴田 誠