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学会プレゼン内容:マティアス・ホセ・マエストロ音楽帖

最終更新日: Thursday, 11-May-2023 01:36:28 JST  
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(C) 2017 Makoto Tsuruda
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【1】この音楽帖を書いた人物

 

 

【2】音楽帖の体裁

 

 

 

【3】ペルーで発見されたギター曲集(3つの例)

 

 

 

【4】結論 / 鶴田の仮説

 
 ・6コースのギターのための曲集であるが作曲したものではなく「書き写された曲集」である。 
  マティアスはこの音楽帖を書いた時点でおおむね20歳ですが、音楽に関しては習得成長途中であったように見受けられます。


 ・マティアスはギターの演奏を好んだが作曲はしなかった。
  書き写しであるなら、誰が作曲したのか? スペインなどヨーロッパからペルーにやってきた人物が作曲したのか、ヒメネスのようなペルー人が作曲したのかは不明。


 ・この曲集は建築・彫刻系のスケッチブックでもあった。
  マティアスの曲集と名付けなかった理由。Libroなら本または曲集としましたが、切り取られた枚数からしてもスケッチブックの役割は大きく、
  Cuadernoなので「書き込める手帖」という意味を尊重して音楽帖と命名しました。
 


 ・マティアスの現存する自画像のひとつであろう。
  自画像や彫刻は一切存在しないとされてきましたが、この小さなドローイングの扉絵がマティアスの若かりし頃の自画像と鶴田は考えます。

 

 ・マティアスがペルーに到着したのは1785年(19歳)であった。
  1786年の元旦の日付と「リマにて」と記したことから、1785年に南米に到着し、ペルーで初めて迎える特別な新年であったのではないか。
  つまり、丁寧に描き込まれたドローイングの扉絵は若かりしマティアスにとって、新世界に到達した「記念写真」のような意味深いものであったに違いない。
 

  


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