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備忘録シリーズ。
深読みパイノパイノパイ。もしくは深読みギッチョンチョンとでもいふべきか。
先日書いた自分の記事に自分で疑問が沸いてきて、
あれこれ考えているうちに あぁわからない♪ というわけで調べてみた件。
2021年7月6日に私は以下のように書いたのです。
だめだ! .... 頭の中で一日中この曲が鳴り響く ... 2021年7月6日
ラメチャンタラギッチョンチョンデパイノパイノパイ♪
パリコトバナナデフライフライフライ♪
元曲は南北戦争時代1865年の「ジョージア行進曲」
日本では添田さつき/知道による創作歌詞で大正時代のヒット曲。
詳しくは楽器仲間の奥和宏さんのブログで紹介されてます。
添田さつき:東京節(パイノパイノパイ)... フィルム映像も貴重
添田さつき:平和節 ... つまり多くの派生曲が作られた
ラメちゃん:デタラメの「ラメ」のこと。デタラメちゃん。深い意味は無い。
ギッチョ(ンチョン):一般的には囃子詞とされるが、鶴田は左利きの事だと思う。
パイ:アップルパイとかのパイ菓子のことで当時は珍しい洋食。深い意味は無い。
パリコ:フランスのパリっ子(当時日本人の憧れでライバル)。別版ではパリ講和会議
パナナ:当時は高級果物のバナナ。パナナと発音することもあった。深い意味は無い。
フライ:海老フライとかカキフライとかコロッケ。たぶんFLYに掛けたたのかも。
この翌日から歌詞のあちこちが気になり始めまして。 もしかして何らかの意味が随所にあるんじゃないかと ...
東京節(別名パイノパイノパイ)
作曲:ヘンリー・クレイ・ワーク 「ジョージア行進曲」1865年
作詞:添田さつき(本名は添田知道) 1918年
ラメちゃんったら ギッチョンチョンで パイのパイのパイ♪
パリコとバナナで フライ フライ フライ♪
東京節(別名パイノパイノパイ)のサビの部分は上記の2行で書かれています。
さて、問題の歌詞は1行目のここです、
ラメちゃんったら ギッチョンチョンで ♪
●●●ちゃんったら ■■■■ で
ネットを検索するとギッチョンチョンの意味は、まるでコピペしたように同じ説明文が頻出します。
「日本の民謡の囃子言葉(はやしことば)のように、歌の調子を整える意味のない言葉。」
しかし、私は囃子言葉ではないと思う。
というのも、
同じ曲で翌年に歌詞を変えた「平和節」にも同様のサビがあるのですが
花ちゃんったら べっぴんさんで ♪
●●●ちゃんったら ■■■■ で
※ 囃子言葉/囃子詞(はやしことば)とは?
民謡や座敷歌等でときどき出てきますが、アァ、コチャコリャ とか サノヨイヨイ (炭坑節)とか、他にも
ソーラン、ソーラン、ハイ、ハイ(ソーラン節)
ゴッチリ、ゴッチリ(鯛釣唄)
モマシャレ、モマシャレ(茶もみ唄)
ゴットン(筑豊の採炭唄)
あるいは三味線や太鼓のスットントン♪のような合いの手(楽器の擬音)。他にもおまじないの言葉とか。
それで、問題の東京節のギッチョンチョンですが、
●●●ちゃんったら■■■■で
の■■■■部分に合いの手や囃子詞が入るのは不自然に思えます。例えば、
ラメちゃんったらサノヨイヨイで ♪
のように意味の無い言葉が入るとかえってわざとらしいテキトー感がします。
まぁ、否定する訳ではなく、ときにこれもアリだとは思いますが ... (笑)。
おそらく ■■■■ 部分はその人の性格とか外観の特徴とかのほうがしっくりくるのです。
歌詞に登場する [この人はこんな人である] と表現するのが自然かと。例えば、
マコトちゃんったら乱暴者で♪ とか、
マコトちゃんったら貧乏人で♪ あるいは、
マコトちゃんったらクルクルパーで♪ みたいに。
従って、「ギッチョンチョン」に関する私の勝手な結論は、
ラメちゃんという人物は左利き(ギッチョ)であり、足りない後ろのフレーズに楽器の擬音(ンチョン)を重ねたのではないか。
ギッチョ(ンチョン)
21世紀の現在ではギッチョは放送禁止用語になっているようですが、
平安時代から昭和の終わりまでフツーに使われていた日本の古語です。私も子供の頃にフツーに使ってました。
東京節のパリコは1919年に締結されたパリ講和会議のことであるという説明がネット上にいくつも見られますが、これは間違いです。
複数のブログに安易なコピペが見られます。
パリコは時事(事件や事故などの出来事)を意味しているのではなく、人(人間)を指しているのだと私は思います。
注目すべきは作詞された年。
作詞:添田さつき:東京節(別名パイノパイノパイ) 1918年(大正7年)
作詞:添田さつき:平和節 1919年(大正8年)
パリ講和会議は1919年1月18日から開会されました。
日本の全権として参加した西園寺公望が愛妾や料亭・灘萬の店主を伴ったことが新聞に載りました。
それを日本中が騒いだことに便乗して作詞されたのが「平和節」だったのです。
従って、東京節が作詞された1918年の時点ではスキャンダルは発生しておらず、パリコがパリ講和会議であるわけがない。
先に作詞された東京節のパリコは、日本人の憧れでありライバル視されていたフランスのパリっ子と考えるのが妥当です。
【補足】
ちなみに東京節(別名パイノパイノパイ)のサビの2行には共通点があります。
ラメちゃんったら ギッチョンチョンで パイのパイのパイ♪ ●●●ちゃんったら ■■■■ で ▲▲▲
パリコとバナナで フライ フライ フライ♪ ●●● と ▲▲▲ で ▲▲▲
●●●の部分はラメちゃんとか花ちゃんといった「人」であり。パリっ子もまた「人」であるのです。
▲▲▲は食べ物。
つまり2行とも人と食べ物で構成されている。
あ〜〜〜〜、スッキリした。
添田さつきの歌詞はブッ飛んでいて、今聴いても楽しくて新しい。
父であり師匠でもあった添田唖蝉坊から作詞せよと言われて19歳のときに一日で書き上げたともいわれる東京節。
全体は東京の名所やグルメを紹介する簡素な曲にも見えますが、
サビの部分に関してはかなり時間をかけたのではないかと想像します ...
このサビの2行は他の歌詞とはまったく独立して、ひとかたまりで意味を成していたのではないかと。
そもそも風刺演歌(当時は歌で演説するの意)を得意とする唖蝉坊が弟子/息子に書かせた歌詞なのですから。
むしろ少しひねった比喩とか、2行全体にちゃんと意味があると考えたほうが素直かと。
パイノパイノパイにもお菓子ではなく他の意味が有り、
バナナやフライフライフライにもそれぞれ食べ物に留まらない関連や意味があるハズ ..... 深読みは続くのであつた ...
● 参考サイトとリンク集
◆ YouTube 動画:添田さつき/知道「東京節」または「パイノパイノパイ」
◆ YouTube 動画:添田さつき/知道「平和節」
◆ Wikipedia:パイノパイノパイ(東京節)
◆ 西日本新聞:民謡編<293>はやし言葉 2016/6/20 16:17
◆ 奥和宏さんのブログ:アメリカン・ルーツ・ミュージック再訪
◆ YouTube 動画:添田唖蝉坊「ああわからない」 日露戦争時代の風刺歌謡
◆ Wikipedia:添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)
あぜんぼう って ワイゼンボーン に似ている ....
記事:2021年7月15日 コロナは続くよ♪ どこまでも♪
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