ライン

日記

エッセイ風日記です。
(読み込みに時間がかかる場合があります。少々お待ち下さい)

ポーランド日記
(ナイジェル・ケネディ/ポーランド室内管弦楽団とのリハーサル日記
:2003年11月3日ー11月6日はここをクリック

ドイツ日記
(ナイジェル・ケネディ/ベルリンフィルとのドイツ演奏旅行記
:2003年9月27日ー10月21日)はここをクリック


2012年1月30日

九州ツアーを終える。
福岡と宗像でコンサートを行った。

共演者は吉住さと子さん(声楽とテオルボ)と松崎佐奈恵さん(語り)
いつもの様に?リハーサルはなるべくせずに、即興的なアプローチを試みた。


プログラムなど詳細は次の通り。

イギリスの古い音楽

第1部:18世紀 市民のための音楽

不詳:スコットランドのリール
ヘンデル:水上の音楽よりメヌエット
シュトラウベ:ラルゴ

バイロン:アルマンド
ジェミニアーニ:感傷的なメヌエット
モーツァルト:すみれ

(第1部のアンコール:ダウランドの「ご婦人向けの素敵な小物」

第2部:イギリスのオルフェウス ダウランドとパーセルの時代

パーセル:つかの間の音楽
パーセル:シャコンヌ
パーセル:薔薇よりも甘く

ダウランド:プレリュード、パヴァーヌとガリアルド「エセックス伯のガリアルド」
ダウランド:リュートソング「彼女は許してくれようか」

(アンコール:ダウランドの「今こそ別れ)
(アンコール:パーセルの「美しい島」)

使用楽器
バロックギター:マーシャル作、パリ 1760年頃
イングリッシュギター:プレストン作、ロンドン、1770年頃
ルネサンスリュート:スプレーク作、ロンドン、1977年(ヒーバー、1580年頃)
テオルボ:ガスター作、オーストラリア、2004年(ヴェネーレ、1610年頃)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今回は(いつもとは逆に)時代を遡っていくプログラム構成を試みたが、
より古い時代がより古く、しかもリアリティを伴って感じられた。
このアイデアはまた使ってみたいと思う。
 

宗像では講習会も行う。
リュート愛好家などの個人レッスンの後、小学生たちを交えてのワークショップを行ったが、
なかなか楽しい会になったと思う。


この先もコンサートと講習会の旅は、横浜、静岡、広島、名古屋、東京と続く・・・



2012年1月22日

ソロCD「アフェットーソ」がリリースされる。 


2010年の夏にレコーディングしたディスクでだいぶ長い時間をかけて準備し、
またジャケットのデザインなどにも心を砕いた。解説はピーター・ホールマンと僕。

自分としてはそれなりに満足のいくものに仕上がったと思う。
18世紀のギター音楽に正面から向かい合った録音はこれが世界最初のものだろうし、
実際ほとんどの曲は世界初録音だ。

これからリリース記念ツアーを日本で行う。みんな来てね!






2012年1月21日

レコーディングセッションを終える。


3日間で18世紀ポルトガルの作品、声楽曲14曲、器楽曲7曲を録音した。
レイテのイングリッシュギターの小品も3曲弾いた。

今回は事前の打ち合わせもほとんど無く、また即興的なアプローチが多かったので、
気楽と言えば気楽だったが、Stuckして精神的に少し消耗する場面もあった。

・・・まあ世間では? CDレコーディングというと丹念に準備して、体調も整え、
現場ではプランに沿って思う存分に燃焼して作り上げる・・・みたいなイメージがあったりするみたいだが、
実際はちょっと違う。

例えばCD一枚録音するには、2日から3日は缶詰状態となって、
一日6時間程度、楽器を弾き続けになる。

単に弾いているだけではなくて、(イギリスの場合)録音会場の教会は夏でも寒く、
調弦には非常な正確さが要求されるし、弾いている際の雑音や椅子のきしみにも気を使う。
そして、一くさり弾くたびに、調整室のプロデューサーから、テンポが少し速くなっただの、
ドミナントの和音が少し曇っていただの、三連符が不正確だったのといったコメントが入る。

つまりは一種の極限状況なわけで、通常のライブとはまったく違った環境、精神状態のもとでの演奏だ。
意識はしないが、頭も身体も疲れているはずだ。

で、結局こういう際に頼りになるのは・・・自身の持っているタフな音楽性と、良い耳をもったプロデューサーだ。

タフな音楽性というのは、疲労で集中力を欠いたり指の動きが悪かったとしても発揮できる音楽性のことで、
ある意味では調子の悪いとき、疲労が溜まっているときこそ、音楽家の実力が表れると言って良いのだろう。
(もう一つ言えるのは、優れた音楽家はあまり疲労しないものだ。音楽することに無理がないからだろう)
「火事場の馬鹿力」という言葉があるが、これはいかなる意味においても音楽には当てはまらないように思う。

優れたプロデューサーと一緒のレコーディングは非常に楽になる。
ことにイギリスには良いプロデューサーが多く、助かっている。

彼らは即座に作品の内容と演奏者の意図を読み取り、短時間で必要なテイクを録る。
演奏者に気持ち良く仕事をさせることも彼らの職域で、演奏者を鼓舞したり、稀にはたしなめることも行う。
裏方だが、実際は現代の音楽業界において最も影響力のある職業かもしれない。

今回もプロデューサーは素晴らしく、気持ちの良い仕事ぶりだった。





2012年1月19日

レコーディングセッション初日。


まだ時差ぼけ気味だが、何とか集中して取り組む・・・
というか、その場になると人間はイヤでも集中するものみたいで、
伴奏のコードなど当たらず触らずの穏当なもので済ませようと思っていても、
いざセッションが始まるとディミニッシュにしようとか、9度の和音にしようとか、凝ってしまう。
・・・音楽家の性であろうか。

で、気持ち良く6コースギターを弾いていると、突然スルスルと1弦の音程が下がったかと思うと
パチンと切れてしまった。0.48のハイツイストのガットだ。

セッションは小休止、弦を替えている間、他のメンバーはティータイムだ。
ガットは短時間で安定する。
ナイロンだったら一日中下がり続けてレコーディングでは使い物にならなくなるところだ。

ガットに関してはこちらに帰国早々、ある話を聞いた。
それはしばらく前に「ガット弦製造禁止」を騒ぎ立てたイタリアのメーカーに関することなのだが・・・
そのメーカーは、(本来の)羊腸ではなく牛のガットを使っており、
なにかと問題の多いガット弦の製造よりも合成樹脂による人工ガットをより推進、広める意図をもって、
あのような一種の扇動とも見える運動を展開した・・・ということらしい。

NRIやバルドックなど他のガット弦メーカーが驚くほど冷静な態度で静観していたのは、
どうやらそういうことらしい。

真相はわからないがありそうなことにも思える・・・



2012年1月14日

昨夜、ロンドンに戻る。
案外寒くなく、天候も良く気持ちの良い週末だ。

日本ではなかなか多忙な日々を過ごした。
クリスマス前に帰国してすぐにライブがあり、講習会で弾き、
年が明けてからも、古いギター愛好家の集まりに出席したり、またレッスンも続き、
広島では2月のコンサートの打ち合わせとメディアの取材、
九州ではレクチャーとリハーサル、京都ではレクチャーコンサートを行い、
その翌々日にはロンドンだ。


楽しかったが、こうやってロンドンの自宅にもどるとなんだかエンジンがかからない。
勿論時差ぼけだし、疲労もそれなりに溜まっているだろう。

明日からはCDレコーディングの打ち合わせが始まる。
レコーディングセッションは来週、Hyperionでのポルトガル18世紀音楽だ。

今日は時差ぼけ頭での譜読みと楽器の整備だ・・・




2011年12月31日

3月のリサイタルのチラシが出来あがる。
ソロCDの発売記念コンサート。3月1日、東京の近江楽堂だ。


チラシの絵柄にはゲインズバラのLinley Sistersを使った。
オリジナルはロンドンの自宅近くのダリッジ・ギャラリーにあり、しばしば見に行く。
1772年に描かれており、モデルはバースの音楽一家リンリー家の姉妹。

左のエリザベス・リンリーはギターを手にしている。
この時代のイギリスには珍しく、ガット弦の5コース・ギターだ。

この楽器にはダブル・フレットが巻かれている。

ギターには1730年頃にはすでにシングル・フレットの使用が言及されているが、
ダブル・フレットはその後も広く使われていたらしい。

シングルフレットの長所としては音がクリヤーに鳴ることが挙げられる。
ダブルの利点は演奏の容易さと修辞的な音色が挙げられるだろう。

よく聞かれるのはシングルフレットとダブルフレットとの音量の差だが、
これは正直言ってまだよくわからない。
おそらくは明らかな音量の差があるというより、楽器の鳴り方、その響きが異なるということだろうと思う。

ダブルフレットの楽器はシングルの楽器よりも遙かにニュアンスに富む鳴り方をするので、
音楽は陰影に富み、表現の域は飛躍的に大きくなる。
従って奏者の関心は表現それ自体に向けられ、
(やみくもに)音量を出すことに興味があまりなくなる・・・ということはあるように思われる。

というわけで・・・皆さん、来年もどうぞよろしく!



2011年12月30日


先日コンサートを行ったベアータ・オルガン・スタジオのオーナーからメイル。
コンサートのお礼状のようなもので、感想などが書かれている。
オーナーは古くからの友人で気の置けない仲なので、正直な感想を貰っていると思う。

内容は褒められていて面はゆいのだが、これは僕自身の研鑽?というよりも
ダブルフレットを張った楽器のおかげだと思うので、あえて引用してみる。

今回は本当に竹内さんの進化にびっくり!
両手の動きが以前よりずっとずっと
軽やかに美しくなり、
そしてそのぶん音楽は繊細になり、ニュアンスに富み、
一瞬一瞬ちがう光が見える感じ。


この「進化」はダブルフレットを張った楽器が、
これまでよりも飛躍的に演奏が容易になったことによると思う。

このように聴衆からのフィードバックが貰えるのは有り難い。大いに勇気づけられる。



2011年12月28日

声楽の講習会にゲスト出演。今年の仕事納めだ。

いくつかのリュートソングなどを伴奏、講師演奏ではソロも弾く。
楽器はベアータのライブ(↓参照)でも使った7コースリュート。

今回は歌の伴奏が主で、数人以上の合唱も伴奏することになっていたので、
総ガット、ダブルフレットのビリつきリュートがどのように響いてくれるか興味があった。

結果はやはり満足すべきものだった。
合唱の中にあっても、Buzzを伴うリュートの音色ははっきりと聞こえる。
よく他人のリュート伴奏を聞いて(見て)いて気づくのは、
アンサンブルの中ではリュートの音が奏者に聞こえないために、奏者が力んでしまい、
かえって音がつぶれて、結果、奏者にも共演者にも聴衆にも何も聞こえない・・・みたいな事だ。

しかし、ダブルフレットのリュートは良く響くし、音は良く通る。
力む必要を感じないし、ある程度強く弾いても音はつぶれない。
奏者が限度を超えて力んでしまうと途端に音が出なくなるので、奏者にも自分のコンデションが把握しやすい。

大いに参考になった一日だった。




2011年12月25日

東京のベアータ・オルガンスタジオでコンサート。
今回のプログラムは大体こんな感じ。↓

これ以外のエクストラの曲も多く弾いた。声楽家の飛び入りゲストとリュートソングも数曲。

使用楽器はバロックギターとリュートで、どちらも総ガット。
リュートはダブルフレットだ。

ダブルフレットのリュートをコンサートで使うのは、日本では今回がほぼ初めて。
コンサートの前日まで、楽器のコンデションには心を砕いた。

強めに弾くと弦がフレットに触れてビリつく(Buzzing)セッティングにしてあったのだが、
改めて参考資料の16世紀初頭の「カピローラ・リュートブック」を読み返してみる。
・・・(第一)フレットは弦に近くする。そうするとリュートはハープの様に響き、より良くなる。
また指板の上までそのようにする・・・


なので、ちょっと思い切って、開放弦を弱く弾いた際でもビリつくくらいにナットを下げ、
また、開放弦のみならず全てのポジションでビリつくくくらいにフレット径を工夫してみた。


そうすると、響きはまさにブレイピンを使ったゴシックハープのそれだ!
どうせビリつかせるのだったら、思い切ってビリつかせる方が結果は良いようだ。

ただ、あまりにも弦高を低くしすぎるとリュートはミュートされ、響きがなくなってしまう。
目安としてはそれぞれの弦を軽く弾いた際に、はっきりとビリつくくらいがちょうど良いようだ。

またカピローラは、第1コースを低くしすぎることを戒めているので、
ビリつきは低音コースにより多く発生するように調整し、この状態で本番に臨んだ。

ベアータ・オルガン・スタジオはいわばマンションの一室で特に長い残響などがあるわけではない。
この超低弦高、ビリつき大のリュートはこの空間ではびりびりと自分の耳には聞こえた。
ちょっとマズイかな・・・と思ったほど。

しかし、聴衆には大変好評で「とても綺麗に柔らかく響いていた」との声も多く聞かれた。

特筆すべきだったのは、右手の軽いタッチにも楽器は敏感に反応してくれ、
左手の押弦も非常に楽だったことだ。
こんなにストレスなくルネサンスリュートを演奏したことは、かつてなかったかもしれない・・・

また、右手の弾弦位置をブリッジよりに近づけることで、音量やニュアンスのコントロールができることも
今更ながら知った。

これからも実験は続けていきたいが、ずっと追求してきたダブルフレットと低い弦高のコンセプトの
一応の結果が出せたように思う。

いずれにしても楽しい演奏会だった。また次回が楽しみだ。




2011年12月22日

日本に来ている!

1月の中旬までの滞在だ。
一応休暇のつもりだが、いくつかコンサートも行う。

12月25日は東京のベアータ・オルガンスタジオでのサロンコンサート
まだ何を弾くかは詳細には決めていないが、
前半はバロックギターでラモー、バッハなどのアレンジものを中心に、
後半はルネサンスリュートでイギリスルネサンスを弾く予定だ。
声楽家のゲストも出演予定。

どちらの楽器も総ガット、ルネサンスリュートはダブルフレットを巻いてある。
こういった楽器がこの季節の日本の都会の部屋でどのように響くか、
自分的にも興味深い実験でもある。楽しみだ。

コンサートの詳細はここをクリック!



2011年12月21日

↓のyoutubeヴィデオは多少の変更を加えて再アップしてもらう。
前半だけだったシャコンヌの即興を全曲アップし、いくつかキャプションを校正した。
これでとりあえず完成としておく。(リンクは http://www.youtube.com/user/TakeuchiTaro

・・・で、youtubeの威力?はやはり大きく、feedbackが世界各地から寄せられたりして面白い。
中には「こんなヴィデオに君が出てたよ!」とのお知らせもある。

それらのうちにこんなのもあった。
http://www.youtube.com/watch?v=iifeR4DvHQM&feature=related

イギリスのバロックオーケストラ OAEとドイツのフライブルグ・バロック・オーケストラの
合同公演のメイキングヴィデオ。フランスのArteで放映されたものらしい。
これは僕もテオルボとギターで参加、イギリスとドイツ各地、プロムスなんかでも演奏した公演だ。
リハの段階から取材が入っていることは知っていたが、このプログラムを見るのは初めて。
なかなか面白く見た。



2011年12月19日

エンジニアから連絡あり、先日撮ったヴィデオを編集してYoutubeにアップしたとのこと。

数分のヴィデオが2本で、Part1ではバロックギターと6コースギター、
Part2ではイングリッシュギターを3本(うち一本は鍵盤付きピアノフォルテ・ギター)弾いている。
プロモーション用なので全ての曲がまるごと入っているわけではないのだが、皆さん、どうぞご覧下さい。
まだ暫定版なので、視聴者の感想なども参考にして変更も加えていくつもりだ。

ヴィデオは↓をクリック!
http://www.youtube.com/user/TakeuchiTaro


2011年12月15日

撥弦楽器の音律に関して質問が寄せられた。

「チェンバロの人たちは、自分でミーントーンとかに調律するわけですよね。
平均律の撥弦楽器とアンサンブルすると、気持ち悪く感じるのでしょうか?」

もっともな疑問だ。平均律とミーントーン(特に1/4)ではかなり音高に差がある。

リュートやテオルボ、ギターにミーントーンのフレッティングを施すのは、不可能ではないが非現実的だ。
フレットの位置が変わりすぎるし、何カ所かに貼り付けフレットが必要になる。
結果、大変弾きにくい楽器が出来上がってしまう。メリットとデメリットを比べれば、デメリットの方が大きい。
なので、ルネサンス、バロック時代にはそのようなフレッティングは使用されていない。

僕自身はミーントーンで使う機会の多いテオルボは、ややきついTemperedされたフレット位置にして、
G♯に貼り付けフレットを用いることが多い。


しかし、これは以前にも書いたように現代のCDレコーディングなどの際、厳密なピッチ調整が要求されるからであって、
通常のコンサートの場合は平均律に近い「ややTemperedフレッティング」の楽器でチェンバロと共演しても、
まあまず問題がない。

厳密な意味では鍵盤楽器とリュートの音高は異なるが、楽器自体の持っている音程の幅や、
会場の響きに紛れて、微細な音高の差は特には目立たないし、ピッチの差が大きなポジションはなるべく使わない。

ルネサンス、バロック時代でもおそらく同様であったろうと考える。
彼らは理論にも優れていたが、同時に偉大な現実主義者でもあったのだ。


興味深いのは、何人かの理論家たちは鍵盤楽器と撥弦/擦弦楽器の音律の差を指摘していることで、
たとえばバンキエリなどは「オルガンとキタローネを一緒に弾くのは好ましくない」旨を表明している。

なおも興味深いのは、(平均律の)リュートに鍵盤楽器を合わせてしまうアイデアで、メルセンヌは
オルガンとチェンバロを、リュートやガンバのフレッティングに合わせて調律すると、
調弦がよりよく合ったアンサンブルとなる・・・
」と書いている。

実際に最も楽器的/音楽的にストレスがないのは
この弦楽器のフレッティングに鍵盤楽器が合わせる方法だろう。
貼り付けフレットのない平均律に近いフレッティングを基にしてだ。

結果的には平均律、あるいは1/6ミーントーンかヴァロッティに近い音律になるだろうと思う。




2011年12月14日

(昨日の続き)

前回見たように、撥弦楽器の歴史において古典調律が積極的に使用された例はほとんどない。

古典調律フレッティングや貼り付けフレットも、言及はされているものの、
使用を裏付ける文献や図像は見られない。

何故使われなかったのか。
答えは簡単だ。あまり意味がなかったのだ。

リュートやギターに古典調律フレッティングを施すことは理論上可能だが、
結果、演奏不能な楽器が出来上がってしまう。
たとえ音程が良くとも、肝心の演奏が出来ないのでは話にならない。

リュートやギターは弾弦の瞬間と余韻ではピッチに差がある。
ガット弦を張った楽器は演奏中のピッチの上下もそれなりにある。

チェンバロやオルガンなど鍵盤楽器にしても調律後20分もしたら、
どの調律なのか分からないほどピッチは上下してしまうものだ。

フレッティングの微細な差よりももっと大きな要素が幾つもあったわけだ。
また微細なピッチの差など、良く響く教会などでは会場の響きに吸収されてしまう、ということもある。

ある特定の音律に各楽器が調律したら齟齬なく演奏が上手くいくと思い込んでしまうのは、
素人の考えというか、ナイーブすぎるだろう。

もちろん、古の音楽家たちがOut of tuneだったのではない。
事実はむしろ逆で、彼らは耳を存分に使い、ケースバイケースで良い音程を実現していたのだ。
彼らにとっては理論上の調律法よりも、実際に響きを美しく響かせることが何倍も重要だったのだ。

音律に拘りすぎると、例えばミーントーンで声楽や楽器の音階練習をしたり、
本来は平均律である楽器を古典調律にしたり・・・ということが起こる。

音律とは、1オクターブに(通常は)12の音しか持たない鍵盤楽器の調弦のために便宜的に考案されたもので、
自由に音程を作ることのできる管弦楽器や声楽からは純正の響きが得られる筈だ。

もともと平均律のオリジナル19世紀ギターにジャスト・イントネーションの再フレッティングを施した例を見たことがあるが、
これはある意味では歴史的遺産の破壊、改竄だと言える。

音律は作曲家の理念や哲学を表出しているわけではない。まず第1に切実なほど便宜的なものだ。
音律を理解し実践するのは大切だが、それ以上に必要なのは自分の耳をよく使い、良い音程を実現することだ。

古の音楽家たちは電子チューナーも持たず、周囲の楽器は必ずしもいつも同じピッチでは鳴っていなかった。
演奏中に楽器の調弦がずれたり、共演歌手の音程が下がったりすることもあっただろう。
彼らはそういった際でも自分たちの耳だけを頼りに、お互いの音を良く聞き、
その場その場で適切な響きを生み出し、表現したのだ。

現代においてしばしば欠けているのはこの「耳を使うこと。お互いの音を良く聞くこと」だと思う。
正しい音律で演奏しているかどうかは決して目的ではないのだ。

イギリスでイングリッシュコンサートやOAEなどバロックオーケストラとの仕事の際、
調弦時に音律(の名前)が話題に出ることはまずない。
大抵は音律名など聞かずに、鍵盤の和音を聞いて合わせる。
逆に、耳で聞いてその音律が捉えられない場合は専門家として問題があるだろう・・・

リュートのフレッティングに話を戻すと、ダブルフレットの楽器の場合、
弦にサワリ(ビリつき)が発生するので、音程感はよりシビアでなくなる。
音程が少々ずれていても気になりにくいわけだ。
もともとガット弦の鳴り方は雑音成分も多く、良い意味で音程感はないものだ。

現代のナイロン弦、巻き弦、シングルフレットの使用は、音律的にもピュアで実用的な様に見えて、
その実は音楽的に大きなストレスを生み出しているわけだ。逆効果である。


(古)楽器の世界において音律の問題は確かに大切だ。
しかし、拘りすぎると大切なことがかえって見えなくなる。

音律に拘る人には、音楽のLate starterが多いように思う。
また、モダン楽器や歌唱を(音律に関心を払わないで)長くやっていた人が、
古典調律に触れて大きなショックを受け、いわば反動で音律に執着するようになった例も多く知っている。

おそらく彼らは自分の耳よりも、つい音律の名前やセント値など数字を信頼してしまうのかもしれないが、
調律オタクの人と話すたびに、音楽の本質からは遠く離れている気がするのだ・・




2011年12月11日(12月13日に補筆)

リュートにフレットをダブルで張っていると、
「ダブルのフレットは分割して古典調律に対応するため」というコメントが寄せられたりする。

例えばこんな感じ↓にして、異なる半音を作り、F♯ととG♭、A♭とG♯を使い分ける・・・みたいなコトだ。


残念ながら、これには歴史的エヴィデンスはない。

しばしば感じるのだが、古楽器(に限らないが)の世界には結構な割合で音律オタクが居る。

勿論、音律の知識と実践は古楽においてとても大切だ。
しかし、ある種の人たちは全ての古楽器は古典調律されている(べきだ)と思いこんでいる。

アマチュアに多いが、しばしばプロ奏者でも本気でそう思っている。
リュート奏者にも各種の古典調律に対応するフレッティング表を作って喜んでいたりする人がいる。

歴史的事実を書くと、リュートやテオルボ、バロックギターなど撥弦楽器に、
古典調律が厳格に使用された形跡はない。

フレットを分割した確証もない。
ガリレイなど二、三の著者は小さな半音用の(貼り付け)フレットの存在を言及はしているが、
実用に使われた形跡はなく、ガリレオも使用には否定的だ。

メルセンヌは対数を使っていくつかの音律のフレット位置を割り出しているが、
実用に勧めているのは平均律のフレッティングだ。


平均律のフレッティングのエヴィデンスは、メルセンヌの他、ガリレイの17/18ルール、
ツァルリーノ、その他多くがある。
耳で平均律に調律するのは困難だが、フレット位置は計算で求められるのだ。

音律に関してはMark Lindleyにそのものずばり[Lutes, Viols, and Temperaments]という本がある。
今となってはかなりOut of dateだが、それでも信頼できる情報源だ。
著者はピタゴラス、ミーントーン、ジャスト・イントネーション(純正律)、
その他の調弦の適用に関して細かに考察している。
またPoultonの[John Dowland]にはダウランドの調律法に関しての論文が載っている。
これらは撥弦楽器のテンペラメントを語るには必読の書だ。


Lindleyの研究は興味深いが、結論はなんということはない。ほぼ平均律全面肯定だ。

平均律フレッティングは古くから知られており、広く実用されていた。
ベルムード、ガナッシ、ダウランドなどは耳によってフレッティングを調整することを示唆しており、
平均律のフレッティングを施して、さらに納得の行くまでフレット位置を動かしたのではないか。

ピタゴラス音律の使用を確証だてる作品は存在しない。
本文で挙げたアテニャンの楽曲はピタゴラス音律には向いていない。

ジャスト・イントネーション(純正律)が一般に使われた形跡はない。

ある種のミーントーン(ぽい)フレッティングは16世紀前半の音楽、
特にシェリックやミランの作品には歴史的にも実用的にも勧められる・・・・


(思うに、Lindleyが研究を始めた当初はフレット楽器にも各種の調律法があるだろうとの目論見だったが、
研究が進むにつれて平均律フレッティングの確証ばかり出てくるので、なんとなく尻つぼみになってしまったのではないか)

Lindleyの言うミーントーン・フレッティングだが、これは鍵盤楽器用語としてのミーントーンとは少々異なる。
鍵盤楽器用語としてはアロンのミーントーンとしても知られる1/4ミーントーンを初めとして、
2/7ミーントーンや1/6ミーントーンなどそれぞれ厳格な意味を持つが、フレット楽器の場合は単に
「4度を少々高め、5度を低めにして、3度をやや純正に近くする」くらいの意味だ。

実際、撥弦楽器を1/4ミーントーンに調弦することは技術的、実用的ににほぼ不可能なのだ。

ちなみに僕がよく使うリュートのフレッティングはこんな感じ。↓


まずは大体の平均律の場所にフレットを巻き、「耳で納得の行くまで」調律した結果だ。

1,3,5フレットは高めで2,4フレットは低め。開放弦は4度をやや広めにとり、
第4−3コース間の3度は低め(純正に近く)取る。
このようにすると、例えばハ長調の場合、第2コース第2フレットのミが低め、ト長調の場合は3コースのシが低め、
ヘ長調の場合、第1コース第2フレットのラが低め・・・といった具合に和音を綺麗に響かせやすい。
第4コース第1フレットのファ♯は高めだが、余韻の短いガット弦のリュートの場合、ほとんど問題にならない。

余韻の長い金属弦の楽器の場合、不均等なフレッティングは古い楽器にしばしば観察できる。

↓は1800年頃のオリジナルのシターンの指板。

前述のリュートの場合と同様に、第1、第3、第5フレットが高めだ。

18世紀のシターンは開放弦が和音になるように調弦される場合が多い。
例えば下からCEGCEGと調弦される場合、長3度のEに当たる第4,第1コースの開放弦を低めに調律すると、
Fの第1フレットおよびGの第3フレットは高めにする必要がある。まあ単にそれだけだ。

これらは厳格な意味での「ミーントーン」と呼ぶべきではなく、単に「Temperedされた調弦」と呼ぶべきだろう。 

テオルボの場合は非歴史的であることを承知しつつ、17世紀もののアンサンブルの録音などで
(プロデューサーに文句を言われないために)↓みたいにすることもある。


いわゆるミーントーンフレッティングで、第4コース第1フレットにG♯のフレットを貼り付けている。
しかし、これは現代のCD録音などのための処置で、コンサートでこれが特に必要だと思ったことはない。

19世紀に入ると、フレッティングが可変できるギターが見られる。

↑はトンプソンの特許だが、これ以外にもいくつかの新工夫がなされており、
パノルモやラコートが楽器を試作している。


一種の純正律フレッティングを目したものだが、
このようなギターが量産されることは絶えてなく、結局は一時の思いつきにとどまった。
残されているほとんど全てのギターには、ほぼ平均律のフレッティングが施されている。

(続く)



2011年12月10日

ヴィデオのレコーディングを行う。

いわゆるPromotion Videoで、CDなどの宣伝用。

会場はDulwichの大きな教会。モダンで明るい雰囲気の場所だった。


演奏曲と楽器は次の通り。

シャコンヌによる即興演奏 (セラスのバロックギター)
ジェミニアーニのメヌエット (ランベールのバロックギター)
フェランディエレのコントルダンス (パヘスの6コースギター)
ヘンデルのメヌエット (ロングマンのイングリッシュギター)
シュトラウベのファンタジーとラルゴ (ペリーのイングリッシュギター)
プエイエルのリール (プレストンのピアノフォルテギター)


できあがりが楽しみだ。編集が済んだらyoutubeなどで公開の予定だ。





2011年12月9日

2週間ほど前、イングリッシュギターの低音弦の分析をケンブリッジ大学の研究所に依頼した(11月26日の項参照)が、
その結果が送られてくる。

顕微鏡による拡大写真とコンピューターによる材質の分析だ。
結果は大体思っていた通りだったが、データを歴史的金属弦の専門家マルコム・ローズに送って確認してもらうことにする。
また大学の研究所には、念のために異なるサンプルを送って分析してもらうことにした。





2011年12月8日

日本でダブルフレット/総ガットのリュートを試された方の感想が送られてくる。
楽器はルネサンスの6コースだ。
低音は非常に低いテンションのプレインガット プラス オクターブのセッティング。 

ダブルフレット、全くの別世界でした。

フレットを押さえるのが楽なのと、ブリッジ寄りの撥弦の影響もあるとは思いますが
比較的軽いタッチでも楽器が振動してくれるので、余分な力がいりません。
ずいぶん楽に演奏できました。

弦のビリつきには、正直にいうと面食らいました。
試しに演奏を録音してみたところ、シングルフレットと比べ、それほど違和感を覚えないので
驚きでした。また、低音が意外によく聞こえています。

私にとっては大きな冒険でしたが、とても楽しかったです。しばらく試行錯誤してみます。



これはまったく真っ当なコメントだ。
ダブルフレットの楽器は演奏が容易で、修辞的に良く鳴ってくれる。

音の出方は、一般的なシングルフレット、ナイロン/巻き弦の楽器とは大きく違うので、
その良さを理解、体感するには「よく耳を開く」ことが必要だ。

個人差はあるが、耳の良さと同様に、付和雷同しない精神や、未知の体験への希求、
そして何よりも文化や芸術を重んじる姿勢が大切なのだと思う。

といっても、僕はナイロン/巻き弦とシングルフレットのセッティングを全否定しているわけではない。
現代の音楽活動において総ガットのリュートを使いこなすのはなかなか大変だ。
現代の演奏ピッチはルネサンス/初期バロックでA:440 or 466という弦楽器にとっては非現実的なものが多いし、
ステージでの調弦時間の確保も難しい。

また、適正に歴史的なセッティングを施されたリュートは、大抵の場合、他のレプリカ古楽器よりもうんと繊細に響くので、
アンサンブルにおけるアプローチが異なったり、音量的なバランスがとれなくなる場合もある。

そのようなことを考えると、現代セッティングのリュートはストレスなく、使いやすい。

ただ、やはりその場合でも演奏者がダブルフレット/ガット弦の歴史的セッティングを体感し、
本来の音色や奏法を理解した上で調整し演奏するかどうかで大きな違いが出る。

実際、「歴史的コピー」を標榜していても、あるいはガット弦を張ってはいても、
あり得ないほどのハイテンション、ハイアクション、ハイピッチのリュートを目にする機会は多い・・・




2011年12月4日

今週は北ドイツに行っていた。ハノーヴァーに三日滞在。

今回は本番ではなく純粋なセッションで、
ごく最近、あるギター音楽研究家から提供を受けたスペイン18世紀後半のギター二重奏曲を試しに行ったのだ。

18世紀後半、イベリア半島では6コース複弦のギターが用いられるようになっていた。
6複弦ギターは宮廷でも一般の市民にも愛好された。
ソルやアグアドも若い頃には複弦6コースの楽器を弾いていたはずだ。

しかし、今日にはあまり多くのレパートリーは知られていない。
フェレンディエレの教則本に載っている曲くらいだろう。

当時スペインでは楽譜の出版が困難で、作曲家は顧客に注文に応じて手書きの楽譜を送りつけたのだという。
ほとんどの曲は手稿譜の形でしか残っておらず、マドリッドなどの図書館の奥深くに眠ることになってしまったのだ。

ごく最近、あるスイスの研究家がそのレパートリーを掘り起こし原典版の作成を始めた。
彼から十数曲のソナタの提供を受けた僕とドイツ人古楽器奏者のウーリッヒは、
是非一度音を出してみようという話になったわけだ。
お互いアンサンブルの仕事は多いが、6コースギターの二重奏はやったことがない。


幸いロンドンから彼の住むハノーヴァーには直行フライトで一時間ちょうど。
ある意味では国内の旅行よりも容易に行ける・・・

一応、3年計画くらいでレコーディングとコンサートの話が出ているのだが、
むしろ「ああ!これらの曲を6コース2本で弾いてみたい!」という本能?に負けたと言える。

僕のギターも彼のギターもヨゼフ・パヘスのオリジナル楽器。


彼のはサイプレスのボディでやや小型。
こちらはチューリップ・ウッド(ローズウッドの一種)の胴体。

重量もマテリアルも違うが、弾いてみるとこれが非常によく似た鳴り方で興味深い。
サイプレスの楽器は暖かく響き、チューリップウッドの楽器はクリヤーな高音と深い低音が魅力だが、
全体の音色の指向はやはり同じだ。

どちらもファンバーリング(扇状力木)の楽器で、バロックの複弦ギターとは音の出方が違う。
バロックの楽器は構造がシンプルなせいか、音は素直で美しく、自然な広がりがある。
パヘスはよりアーティフィシャルな感じがするというか、ボディの中にミニアンプが入っているようだ。

・・・18世紀当時、ファンバーリングの楽器を初めて弾いたフランス人ギタリストなどはどう思っただろう?
それはトーレス・ハウザー系に慣れた現代のギタリストが初めてサイモン・マーティやスモールマンの
ギターに触れた時と似ているかもしれない。
びっくりするけど違和感がある・・・むしろキライ・・・なにか悪いコトしてる気になる・・・みたいな。
(で、その夜、夢に出てきて忘れられなくなる)

実際、製作が複雑なこともあってファンバーリングのギターは当初フランスやドイツでは受け入れられず、
イギリスでもパノルモが「唯一の」製作家だったわけだ。

6コースギターの弦の張り方には各種ある。
僕は第1コースを単弦にして第5,6コースにオクターブ。オクターブ弦は高音側に張っている。


ウーリッヒの全て複弦で第4,5,6コースにオクターブ。オクターブ弦は低音(親指)側。
ちなみにどちらも本家フレンディエレ推奨の方法とは違う(笑)。

今回改めて気がついたのはブリッジ上の弦幅が狭いことで、コース内の弦間は2.5〜3ミリほどだ。
これは残されているリュートなどにも見られる特徴で、現代のコピーは広げて作るのが当たり前になっている。
しかしオリジナル通りの弦間の楽器を弾いてみると新たな発見がある。
それは弦同士がふれあってビリつくことで、(だからこそモダン・レプリカは広げて作るのだが)、
このところHPでも取り上げているリュートにおけるダブルフレットの場合と同様に、
ビリつきが意図されているように思う。

その音色はまるで初期のフォルテピアノのようだ。音に存在感がある。
これは以前から薄々感じていたことだが、今回確信を持つに至った。

ウーリッヒとの初見大会はとても楽しかった。彼は非常に優秀なアンサンブル奏者だ。
耳が良くちょっとしたニュアンスの変化にも応じてくれるし、和声感や調性感も優れている。
変わった和音や転調の際には必ず何か違ったアプローチをしてくれるのだ。
やはり音楽家にとって通奏低音に精通することは有益・・・というか不可欠だ。
ある種の旋律楽器奏者や指揮者が、技巧的には優れていても説得力がないのは、
多くの場合、通奏低音の素養がなく和声感に欠けるからだ。


ウーリは素晴らしいオリジナルギターのコレクションを持っている。


僕のコレクションもそうだが、基本的に演奏できる良い状態のものが多い。
僕らにとって楽器とは弾けてナンボなのだ。

ギター以外にもリュートやシターンなども見せてもらう。
↓は17世紀初頭にドイツで作られた5コースシターン。

彼は5コースギターの調弦にして、主に通奏低音を弾くのに使っているそうだ。

いずれにしても楽しい滞在だった。次回が楽しみだ。



2011年12月3日

1昨日、昨日(↓)のようにガットの現在と未来を憂えて?いたが、日本の愛好家から興味深いメイルをもらう。
その方は東京在住でガンバやリュートを嗜み、合唱の指揮などもされているらしい。

以下、省略しながら引用する。
・・・(リュートの)低音部分はテンションが低かったのでは・・
というアイデアに感心するところがあり、ガンバに流用してみました。
ルネサンスガンバ(アシュモレアンにあるGaspro da Saloのコピー)の低音部分で、
AquilaのLoadedGutが耐久性が悪く切れやすいのに我慢できず、やむなく
金属巻弦を張っていたのですが、中音域(3-4弦をAquilaのVeniceに
していますが、これがすばらしい)とのバランスが悪く悩んでいました。
単純にVeniceを低音(5-6弦)にすると同テンションでは非常に太くなります。
そこで、テンションを低めにする前提で、そこそこの太さのVeniceを張ってみました。
もちろん巻弦のようなドーンという低音は出ませんが、中音域とのバランスも良く
まだ検討・改善の余地があるかも知れませんが、この方向で満足しつつあります


写真も添えられている。


これは実にまっとうなアプローチだ。少なくとも17世紀中庸以前には巻き弦は使われてないし、
ローデッドガットがある程度普及するのも17世紀初頭以降。
ルネサンス/初期バロック期にはロープ状のガット(Aquilaでは商品名Venice)が
低音には用いられていたと考えるのが妥当だろう。
16世紀の人は(リュートにしてもガンバにしても)、「ドーン」という低音は聞いたことがなかったのだ。

17世紀初頭のプレトリウス「シンタグマ・ムジクム」の挿絵でも
太いロープド・ガットがガンバに張られているのが観察できる。


現代のプロ(を標榜する)ガンバ奏者の多くは、ルネサンス/初期バロックの楽器を使う際にも
巻き弦を張っているのが実情だ。

それはまあ、もともと巻き弦で育っているので転向?が困難というのもあるし、
ステージではガット弦の扱いは難しいということもあるだろう。
サヴァールなどカリスマティックな演奏者が総ガット弦の楽器を使っていないこともある。

イギリスのガンバ・コンソート「フレットワーク」は総ガットのルネサンス・ガンバのコピーも演奏していたが、
最近は低音に巻き弦を使用している。
それは彼らが近年、積極的に現代作品やバッハなどの編曲物を弾くようになったかららしい。
残念と言えば残念だ・・・

総ガットのガンバの演奏には非常に説得力がある。
リュートの場合と同じく、音圧は下がるかもしれないが、語りの要素が増え音楽はより修辞的に響く。

加えて、ルネサンス・ガンバはそのタイプにより魂柱がないものも多く、その響きは全く異なる。
より語りの要素が増えると言って良いが、残念ながら現代の大抵のルネサンスガンバは魂柱付きで弾かれている。
(魂柱がないと)ステージでは響かせにくいというのがその理由らしいのだが・・・これも残念ではある。




2011年12月2日

ガット弦騒ぎは落ち着いたようで何よりだ。

・・・で、ふと思い出したのだが、この夏に日本に滞在中「自分はガット弦を使わない」と
公言する古楽器の演奏者/教師や製作家の話を人づてに聞いたり、本人たちと会ったりもした。

で、その理由を聞いてみると「ガット弦は高価だから」と言う。
これは大変残念だ・・・ご本人らの経済状態が良くない(らしい)のには同情するが、
「音がキライ」「安定性が悪い」「切れやすい」などの理由ならまだともかく、
本気で「高いからガットは使わない」と思っているのだとすると、
古楽器の専門家たる資質、資格に欠けるように思う。

愛好家の場合は(・・・まあホントは同じような気もするが)、いろんな選択があっても良いだろう。

しかし、少なくとも専門家を目指すのであれば、「お金がないから」は理由にならない。
多少の経費がかかっても、古楽器本来の響きや奏法に近づこうとする態度は必須だし、
大体ガット弦なんてそんなに高いわけでもない。

西洋(文化)から遠く離れた日本で古楽器に関わることをやっているのだから、
貪欲に少しでも自分の経験値を上げることを考えるべきだろう。
それが文化に対する敬意と誠意の表れってものだ。

その意味では弦は非常に重要なファクターだ。演奏や製作への大きなヒントにもなる。

それを感じることが出来ないのは、結局その人の音楽や文化に対する姿勢が真摯でないということだ。
単に弦だけの問題ではなく、他のことに関しても同じだろう。

・・・ですので皆さん、間違っても「ガット弦は高いから使わない」と言うセンセイに習っちゃダメですよ。
同じことを言う製作家の楽器を使うのもやめましょう。結局はご自分のソンです。




2011年12月1日

しばらくドイツに行っていた。久々のインターネットを見ない数日間。

ロンドンに戻るとニュースが入っている。
陳情や署名運動が効を奏しイタリア政府は方針を転換、Aquilaはガットの製造が可能になったようだ。
良い知らせだと思う。

・・・まあ、今回のことはわざと少し皮肉な見方をすると、善良な?古楽器奏者たちが
Aquilaのミンモ氏に体よく乗せられたというか、扇動されたという感がなくもない。
決して悪い意味で言っているのではない。

動物の内臓の加工が禁じられたと言っても、本来のガット弦のマテリアルである羊腸には
とりあえずは関係はなかったことらしいし、実際に今回声を上げていたのはAquila一社。
同じEU内のイギリスのNRIなどはわざわざ「自社では問題なくガット弦の製造は続けている」旨の声明を出したりした

Aquila社は宣伝というかAdvertising/Announcingに長けたカンパニーで、ミンモ氏のリサーチなども大々的に公表している。
彼の論文は読んでいて面白いが、なんというかスキャンダラスなイシューが目立ち、
必ずしもアカデミックな批判に耐える物ではない。
また、「初の人工ガット」として大々的に売り出されたナイルガットは、
ガットの特徴をカリカチュアのように誇張したもので、見方によっては真のガットは似ても似つかない。
(旧)ナイルガットの色を真っ白にしたのも市場で目立つためだけの理由だと言う(本人談)。

なので、今回の騒ぎも少しだけ鼻白むところがあるのだが・・・・いずれにしてもガットの製造が続けられるのは良いことだ。



2011年11月26日

11月22日(↓)に書いたイングリッシュギターのオリジナル金属弦について。

ケンブリッジのウォルフソン・カレッジで材質の分析を行ってくれることになった。
ここにはMusic & Technologyのデパートメントがあり、楽器の材質や音響の科学的分析はもとより、
音楽が人間の脳に及ぼす影響など精神医学の領域にいたるまで研究している。

早速試料を作成する。
最もオリジナルに見える3本の巻き弦をカットして、ワインディングを剥がしコアを出す。
研究所では必要に応じてこれらを切り離すなどして分析器にかけるわけだ。
結果が待ち遠しい。





2011年11月25日

昨日書いたシングルフレットのエヴィデンスについて。

さっそくリュート・アーリーギター・ソサエティの事務局から返信あり。
早い対応に感謝!だ。

それによるとやはり絶対確実なエヴィデンスは特に無いようで、
謝罪?の言葉も添えられている。

で、シングルフレットの可能性として3点の絵画が言及されている。
いずれも僕自身、シングルフレットかも?と気になっていたものだ。

まずは↓。


ご存知ダウランド全集の表紙の絵。Baltoromeo Venetoの「リュートを弾く夫人」だ。
工房の作ったコピーも含めて数点が現存するようだ。

その部分を拡大してみると・・・うーん確かにシングルにも見えるが何とも言えない・・・

やはりオリジナルを見る必要がある。
最もオーセンティックな版はミラノの博物館にあるそうだが、
どなたかイタリア旅行した際には接写して送ってください・・・

とりあえずは博物館にメイルを書いて詳細を知りたい旨を送った。
返事が来ることを願う。

2点目は↓


ダグラス・アルトン・スミスの「リュートの歴史」の表紙になった絵。
フランチェスコ・ダ・ミラノとも言われるリュート奏者の肖像だ。

これも現物を見ないとなんとも言えないが、もとの絵画がそれほど精度高くは描かれてない気もする。

そして最後に↓


これは大きな画像がWeb上にもあった。


ううむ、微妙だがシングルにも見える。これもオリジナルを見たいものだ・・・

というわけで、皆さんからのご意見、情報もお待ちしています!




2011年11月24日

日本からの郵便を受け取る。日本リュート・ギターソサエティの会報「ノスタルジア」だ。

僕はこの会では特に目立った活動はしていないが、ディレクターの一人になっており、
以前はしばしばロンドン便りなども寄稿していた。

今回は久しぶりに僕の原稿も載っている。
小論文「ダブルフレットの勧め:ルネサンスリュートのセッティング再考」と、
「新しいCDレコーディングと日本ツアー」の記事だ。

「ルネサンスリュートのセッティング」は本ホームページの「古楽器スターター:楽器とセッティング」の項と似た内容だ。
16世紀ー17世紀初頭には、リュートにダブルフレットが用いられていたことを当時の奏法や音色と絡めて論じたものだ。


自分で多くの図像や文献を検証し、またイギリスの何人ものリュート歴史家や古楽器製作者とも話したことだが
当時ダブルフレットが使われていた確証は数多くある。
逆にシングルフレットが使用されていた積極的なエヴィデンスは少ない・・・というか今のところ一つもない。

絵画は画集やウェブ上ではシングルに見えても、現物に充分に近づいて観察するとダブルで巻かれているものが多く、
細部まで観察できる図像で明らかなシングルフレットのものは発見されていないという。


シングルフレットのエヴィデンスとなる図像や文献を見つければノーベル賞もの・・・
であるわけはないが、現代のリュート奏者にとってプラスになる情報に違いない。
僕自身、全ての楽器をダブルフレットで巻いているわけではないし、
シングルのエヴィデンスが見つかれば気が楽になる(笑)ところもある・・・

で、興味深いのは、今回の「ノスタルジア」の編集後記に会の事務局の人が
「当時のリュート絵画がすべてダブルフレットということはない」と書いていたことで、
もしかしたら明らかにシングルフレットが観察できる絵画を知っているのかもしれない・・・
と思って早速メイルで質問してみることにした。返信が楽しみだ。

皆さんもどうぞ「明らかなシングルフレット使用」の図像や文献をご存じでしたら、どうぞ情報をお寄せ下さい。
このページでも取り上げて行きたいと思います。





2011年11月22日


ガット弦の前途は不安だが、政府への陳情や署名運動が活発になってきたようだ。
事態が改善することを望む。

今日はハープシコード製作家マルコム・ローズの工房を訪ねた。
彼の楽器はレオンハルトなどに使われているが、修復家としても、また歴史的金属弦の研究と製造でも有名だ。

彼の工房には大きなオリジナルハープシコードが置かれていた。
某博物館からの預かり物で修復を行っているそうだ。
1720年代にロンドンで作られたもの。イギリスの楽器というとカークマンなどが有名だが、その一世代前の楽器だ。
ヘンデルなどを弾くのに良さそうだ。


僕はイングリッシュギターに彼の金属弦を使っている。
今日は彼が新しく復元したという18世紀タイプの鉄(アイロン)弦を分けて貰い、
低音弦用の巻き弦の復元の相談に乗って貰う。


マルコムは
「18世紀に使われていたアイロン弦の性質はほぼ同一だが、それでも製作者により強度に多少の違いが観察される。
熟練した職人は通常のものよりも10パーセントほど強度のある弦を製作できたようだ」という。
今回の弦はその強度のある弦を復元したものだそうだ。
切れやすいイングリッシュギターの最高コースに使う0.21ゲージを分けて貰う。楽しみだ。

また、今回イングリッシュギターのオリジナル楽器に張られていた弦を持参して彼に見て貰った。
マルコムによればそのうちの何本かは18世紀のオリジナルの弦の可能性が高く、
その材質やゲージは貴重な参考資料になり得るとのこと。これも嬉しい驚きだった。

本格的な分析はこれからだが、おそらくはアイロンのコア上のコッパー巻きの様に見える。
ゲージや材質が判明したら、コピーを製作してもらい使ってみる予定だ。





2011年11月21日

EU内の条例によりガット弦の製造が難しくなり、Aquilaが生産をストップしたことは↓に書いた(11月15日)。

このことはヨーロッパの古楽器奏者に大きなインパクトを与え、そこここで話題になっている。
今はまだキルシュナーなど他のメーカーからの発表はないが、近い将来問題になることは目に見えているし、
いずれにしても弦の値上がりは避けられないだろう。
また、楽器製作に使用する動物性のニカワもそのうちに製造が困難になるという話もある。

何か方策を・・・と思っていたら[Save Gut Strings](ガット弦を救え)というメーリングリストが回ってきた。
ガット弦の製造を継続させるための陳情、署名運動だ。
おそらくは他の方面からの運動も起こるだろう。

署名運動のリンクを一つ挙げておく。
ここ!




2011年11月19日

リュート協会のミーティング。

今回のレクチャーは↓のような感じ。

11.30 The Paston lute books: a talk by Hector Sequera

12.30 Presentation of Baroque lute music from an Australian lute book, played by Susan King

1.00 Break for Lunch

2.30 Presentation of contemporary Australian and Tasmanian lute music, played by Susan King

3.00 The Electronic Corpus of Lute Music, a collaborative project for lutenists worldwide: a talk and live on-screen demonstration by Tim Crawford


最初のレクチャーには残念ながら間に合わず、12:30からの「オーストラリアのリュート手稿譜」から聞く。
スピーカーはオーストラリア出身のスーザン・キング女史。

オーストラリアがヨーロッパ人により発見?されたのは17世紀、
このたびオーストラリアで書かれた独自のリュートのレパートリーが発見された!

・・・のかと思って胸を躍らせていたのだが、そうではなく
「19世紀にオーストラリア人のコレクターにより購入され、現在はメルボルンの図書館にある17世紀ドイツのリュート手稿譜」
の話だった。がっかりはしたが、なんとなくほっとした・・・

いずれにしても興味深いマヌスクリプトには違いない。
11コース用の作品で、作曲家としてはゴーティエ、ロイスナーなど。
興味深いのは全ての作品がニ短調ならぬニ長調調弦のリュートのために書かれていることで、
いくつかの作品はニ短調調弦の版でも知られているものだ。

スーザンが数曲を披露したが、曲も演奏も良く楽しんだ。

昼食の後、やはりスーザンによる「オーストラリアの現代リュート曲」
こちらはまあ彼女の個人的なストーリーだったが、それなりに興味深く聴く。


その後、ティム・クロフォードによる「リュート音楽の電子化プロジェクトについて」。
これはロンドン大学と大英図書館で行われているプロジェクトで、
タブラチュアで書かれたリュート作品を記号化し、他の(タブラチュア)記譜法、
五線譜などへの読み替え、Midiによる音源化などを瞬時に行えるようにし、
様々な音楽ソース、楽譜、CD、ネット上の音源などと対照できるようにするというもの。

言ってみれば、リュート音楽のデータベース作りとそのためのソフト開発で、
例えば、ダウランドのあるリュート曲の冒頭2小節を入力すると、同じテーマを持つありとあらゆる楽曲、
全てのレコーディング、youtubeなどの動画なんか検索、対照できるようになる・・・みたいなことらしい。

詳しくは↓を参照!
http://www.ecolm.org/




2011年11月17日

バロックアンサンブル「ラヴェンチューラ」とのリハーサル。

来年早々に予定されているCDレコーディングのためだ。レーベルはハイペリオン。
編成は声楽X2、ヴァイオリン、フルート、ハープシコード、チェロ、ヴィオローネ、ギター。
レコーディングは1月中旬にロンドンで行うが、僕が12月から日本に滞在する予定で、
レコーディングセッション直前にはリハの時間がほとんど取れないので、曲決めを兼ねて行った早めのリハーサルだ。

昨年は「ロンドンのイタリア人作曲家」の録音を行ったが、今回は「18世紀後半のポルトガル音楽」。
僕は6コースギターとイングリッシュギターで参加だ。

この時代にはポルトガルには5コースと6コースのギターが共存していた。
ちょうど入れ替わりの時期だったと言っても良い。

イングリッシュギターはポルトガルには1780年代ころに導入されたと思われる。
Leiteによる教則本/曲集(1790年代にリスボンで出版)は貴重な資料だ。

今回はいくつかの器楽曲、声楽曲の他、Leiteの曲集からイングリッシュギターの作品も録音する予定だ。





2011年11月16日

イングリッシュコンサートとの本番。
場所はロンドンのシティ、ゴールドスミスホール。
初めての場所だったが非常にゴージャスなところで驚く・・・

聞いてみると文字通りゴールドスミス(金細工師)のギルドの建物らしい。
金の流通に深く関わっていたゴールドスミスたちは、大変な財力をもっていたということだ。


演目はヘンデルのオラトリオ「ソロモン」の抜粋。
あの例の「シバの女王」が出てくる作品だ。

ヘンデルのオラトリオは大抵の場合、オペラよりも弾きやすく、テクストも英語なので聞き取りやすい。
弾いていて愉しい本番だった・・・





2011年11月15日

衝撃的なほどに残念なニュースが飛び込んできた。

イタリアの弦メーカーAquilaがガット弦の製造中止を余儀なくされたらしい。
Aquilaからのメイルをそのまま引用する。

NOTICE

We regret to inform our customers that the production of gut strings is closed both for bad quality of raw material, that since some months is sold to us, and for the strict European legislation, and therefore also Italian, that forbids the production and use of gut  and prohibits not only the use of Italian or European gut , but also the import of raw material extra EU.
We are committed to look for new solutions; we cannot provide assurances, however, that the problem can be solved quickly.
Once we will be able to guarantee a quality that satisfies us, we will advise in our website.
Please be advised that we have already finished existing stock of gut strings and we are not able to meet any exemption request.
つまりは、EUの法令で弦の材料となる動物の内臓を扱うことが難しくなってきたことと、
入手できる材料の質の低下が理由らしい・・・

EUの条例云々はしばらく前から囁かれていたが、こんなに早く市場にインパクトを与えるとは思ってなかった・・・
まあ、ガット弦の製造が全面禁止になったというわけでもなさそうなので、この先も注意して見守って行きたい。
必要とあれば、古楽器奏者で何らかの運動をすることも考えよう・・・



2011年11月13日

毎年恒例のロンドン古楽フェアに行く。今年は11日ー13日の三日間だ。
世界中から古楽器製作者、弦製造会社、楽譜屋などが集まるので、毎年楽しみにしている。

・・・しかし、このところエクスヒビターのレベルが落ちてきているように感じられてならない。
楽器メーカーとしてはマーティン・ヴェンナーやポラックなど一流の製作家のブースはあることはあるが、
どう見てもアマチュア(悪い意味での)の作としか見えない粗雑な楽器や、スチューデントモデル専門のブースが目立った。
ことに撥弦楽器ではそれは顕著だったが、フルートやヴァイオリンにもその傾向が見られた。

思うのだが、インターネットの普及により世界のどこにいても情報は入手しやすくなったが、
かえって、ありきたりの情報で本質を理解せずに作られる楽器が増えたのではないかと思う。
これは演奏にも言えることだ。残念な現象だ・・

ともあれ! そーゆーことにめげずに?今回入手したものをご紹介。

ニコラス・バルドック作のガット弦
バルドックは最上のガット弦メーカーとして知られていたが、
彼自身職業音楽家でもあったこともあり、弦の製作数は少数にとどまっていた。
彼は先頃演奏から引退し、弦作りに専念することになったそうだ。
今回、何本かの高音用の弦を入手した。試すのが楽しみだ。


クヴァンツのトラヴェルソ
僕はオリジナル以外は吹かない主義?なのだが、まず入手できないであろう楽器はコピーを入手するつもりだった。
この夏にオトテールタイプのフレンチは入手したので、次はクヴァンツのコピーだと思っていた。
いつもオリジナルの修復を頼むマーティン・ヴェンナーに注文しようかと思っていたのだが、
今回彼のブースにあった楽器を入手することにした。

ベルリンにある楽器のデッドコピーで、中部管はもっとも適合するといわれる392の管がついている。

クヴァンツのフルートの特徴として、頭部管のチューニングスライドとD♯およびE♭のキイがついていることが挙げられる。


このフルートでクヴァンツのフルート演奏試論を読み直すつもりだ。


*6コースリュート
これは正確には今回入手したものではなく、この夏にまとめて買った未完成リュートの1本だ。(8月27日参照)
某リュート製作家に仕上げまで依頼していた楽器を、会場で落ち合って受け取ったのだ。

弦長66センチのいわゆるEリュート。
現状では総ガット、シングルフレットだが、早くダブルに替えたいところだ。

16-17世紀初頭にはこのサイズの楽器がもっとも多く使われたとの仮説がある。
実際に弾いてみると長い弦長のため、楽器がストレスなく歌ってくれるのがよくわかる。

この楽器はフライモデル。ボディはココボロと呼ばれるローズウッドの仲間だ。非常に美しい仕上がりだ。


今回、これに合うケースもキンガムから受け取った。



右は弦長60センチの[G]リュート



2011年11月8日

ウーリッヒ・ビーダーマイヤーの19世紀ギターのコンサートに行く。

会場は(奇しくも)10月に演奏したケンブリッジのウォルフソン大学だ。
ここの教授会が開いている「音楽とワイン」みたいなイヴェントに、ゲストとして参加というわけだ。


夜7時15分にカレッジに到着。
まずロビーでシャンパンが出て、その後食堂ホールに案内されて会食。
センセイ方は皆ガウン姿だ。
コースは前菜に海産物のフリッター、僕のメインはチキンのアプリコット詰め、
デザートにシェリーのトライフルというイギリス色満載!の料理だった。

カフェエリアでお茶の後、音楽ホールに移動してウーリの演奏を楽しむ。

プログラムはこんな感じ↓


ドイツ色が強い気もするが、ウーリによると「あまり知られていない名曲を中心に」というコンセプトだそうだ。

冒頭のメルツ編曲のフーガはバロックのスタイルで書かれた曲で興味深い。

シャイドラーのソナタは当時の新発明であった6弦ギターのために書かれており、第6弦はGに調弦される。
作品としても当時の最先端のイディオムを使っており、もっともっと弾かれて良い曲だろう。

メルツの無言歌はメンデルスゾーンの同名曲を彷彿とさせる。

ディアベリのソナタもあまり弾かれないが、古典的な良い曲だと思う。

メルツの愛の歌はまさにロマン派の真骨頂。

最後のコストのロンドはヴィルトォージックな作品で、リサイタルの最後にふさわしい。

いずれにしても、よく考えられたプログラムで、演奏も誠実で素晴らしいものだった。

ウーリの使用楽器は1833年製のラコート。

非常に状態の良い美しい楽器だ。



ウーリとはこの先、6コースギターのデュオなどのプロジェクトを一緒に行う予定だ。
楽しみだ。



2011年11月6日

リュート奏者ポール・ベイヤーのコンサートに行く。

場所はロンドン中心地ホルボーンのサロン。
街ではクリスマスのイルミネーションが綺麗だ。


ポール・ベイヤーと面識はありCDも何枚か所有しているがライブ演奏は初めて。
楽しみだ。

プログラムは「ファンタジーとメランコリー」と題されており、
ダウランド、ダニエル、ジョンソン、ミケランジェロ・ガリレイなどの作品。
 

まったく技巧的にも音楽的にも高度な作品ばかりだ。
プログラミングからもポールの高い音楽性が伺える。

どの曲も素晴らしい演奏で、ことに興味深かったのはルッツァスキとフレスコバルディの作品だった。
ルッツァスキは鍵盤楽器用の作品だが、まるでリュート曲かと見まがうような見事なアレンジと演奏だった。

フレスコバルディのトッカータは「スピネッティーナあるいはリュートのため」と書かれている作品だ。


スピネッティーナとはオクターブ高いスピネットのことで、
ことに17世紀のイタリアでは広く愛好された。


この作品をリュートで弾く場合、A調弦の楽器だと音の変更なしにそのまま弾ける。
流石フレスコバルディ、リュートのことも熟知していたわけだ。
(G調弦の楽器で弾く場合は、全音下げてハ短調のつもりで弾けば良い)


ポールの使用楽器は1970年代のイギリスの楽器。(もちろん)総ガットだ。
昨日のジェイコブ・リンドバーグの楽器も同じ頃の作品だが、
やはり70年代ー80年代のイギリスのリュートには、良くできたレプリカが多いようだ。


僕が日本で使っているリュートもその時代のイギリス製だが、
製作家が誠実にコピーを行っていたことの成果だろう。

心に残る演奏会だった。
昨日もそうだが、同業者の演奏を全く文句なく楽しめるというのはつくづく幸福なことだと思う・・・・



2011年11月5日

リュート協会主催の「イアン・ハーウッド・メモリアル・コンサート」に出演する。


会場は、カムデン・タウンのセシル・シャープ・ハウス。イギリスの民族音楽研究センターだ。


この会はリュート協会会長だったイアン・ハーウッドの音楽的人生を偲ぶもので、多くの人が演奏した。
彼は現代のリュート復興に大きな働きをした人で、楽器の復元製作、
コンソート音楽の研究、数多くの論文執筆など、その業績は偉大だ。

まずは合唱団Cantusが彼の好んでいたマドリガルを歌い、
続いて数組のプロ/アマチュアのリュート奏者とアンサンブルが演奏した。


休憩の後、イアンが関わっていたブロークンコンソートがダウランドやモーリーなど数曲演奏。
そして僕がシュトラウベの作品をイングリッシュギターで演奏した。


リュート奏者アンソニー・ベイルズの弔辞の後、
エンマ・カークビーとジェイコブ・リンドバーグのデュオが数曲。
ジェイコブの楽器はマイケル・ロウの1977年作10コース。ピッチは390だった。


演奏者も聴衆も皆それぞれが故人を偲び、心温まる演奏会だったと思う。


左から:エンマ・カークビー、ジェイコブ・リンドバーグ、僕、ソプラノ歌手のジェニー

(イアン・ハーウッド作の楽器はここにもあります)


2011年10月26日

CDが送られてくる。
昨年11月にバロックアンサンブル「ラベンチューラ」と共演したものだ。


「18世紀ロンドンのイタリア人作曲家」の作品を録音した物で、
曲目は以下の通り。


僕はテオルボとバロックギターを使った。
共演者のジャックはアーチリュートなので、特にギターを活用した。


ヴェンチューラはまだ若いアンサンブルだが、
特にヴァイオリンのボーヤンとハープシコードのデイヴィッドは素晴らしい音楽家だ。
興味のある方は聴いてみてください・・・


2011年10月22日

ケンブリッジでのリサイタル。


ケンブリッジでソロのコンサートを行うのは今年に入ってもう3回目。
1回目はバロックギターとイングリッシュギターのオリジナル作品を、
2回目はバロックギターとピアノフォルテギターで17,8世紀のイギリス音楽を中心に弾いた。

今回はウォルフソン・カレッジの音楽協会の招聘だ。
ルネサンスリュートとバロックギターでアレンジものを中心に演奏した。
プログラムは以下の通り

オープニング:フォリアによる即興
不詳/竹内編:「心は楽し」による組曲
ダウランド:プレリュード、パヴァーヌ、エセックス伯のガリアルド
エミリオ・デ・カヴァリエリ/カルヴィ編:フィレンツェの歌
ド・ヴィゼ〜ラモー/編者不詳:プレリュード、ロンド「優しい嘆き」
バッハ/竹内編:ガヴォットとアンダンテ
伝承/バイロン編:アルマンド
アンコール:カナリオによる即興


いつも感じることだが、ケンブリッジの聴衆はインテリジェンスが高く、
話もわかってくれるし演奏への反応も良い。
ことにシェイクスピア、エリザベス一世とエセックス伯などにちなんだイギリスの作品は、
皆が興味深そうに聴いてくれ、終演後にも聴衆から話題を振られる。

で、思うのだが・・・
音楽は単に音によってのみ成立するものではない。
音楽とはその背後にある文化の中の一つの現象だ。
どの社会においても、文化はとても大きく偉大で、様々な側面を持ち、その側面はお互いに複雑に関係し合っている。
それはグローバルに開かれているが、同時にNativeの人々にとってはかけがえのない財産でもある。

僕のようなNon-nativeな人間が西洋音楽に関わる際、その文化へ敬意を払い、
能力の限り深い理解に至ろうとする態度はやはり必要だろう。
そうでないと音楽と文化そのものに、そしてそれを作った人や真摯に追求している人に失礼だし、
第一、結果は単に物まねか自己満足に終わる薄っぺらいものになってしまうのだ。

文化へ敬意を払うことがあって初めて、出自や言葉が異なる人間がお互いに理解し、
尊敬しあうことができるのだし、音楽はその意味では素晴らしく有益だ。

日本に行くたびに感じるのだが、日本人は外の文化の受容は素早いが、
多くの場合は浅い理解に止まってしまう・・・
もっというと自国の文化にすら心からの敬意を払って接している人は少ないのではないか。

最近はやりのボーダーレスの音楽、エスニック音楽の名の下に外国の民族音楽を半端にコピーしてみたり、
西洋音楽を和楽器でやってみたり、その逆のことや、
本来は修辞に満ちているバロック音楽を癒しの音楽として捉えたり、みたいなことが目につきすぎる。
もうちょっとなんとかならないものでしょうか・・・


今回は久しぶりにポール・トムソンの6コースを使った。
低音コースには非常にテンションの低いプレインのガット弦を張り、ナットを低くして、
軽いタッチでも(低音は特に)ビリつくように調整してある。

左上にはオーブが!

この仕様の楽器を本番で使うのは初めてだが、期待通りに応えてくれた。
アクションもテンションも低く、頑張る必要がないので、
弾いていてもどんどん身体から余計な力が抜けていくのがわかる。

ある程度の広さの場所で弾くと、低音のビリつきは特に目立つことなく、
しかし音の存在感と遠達性には確かに寄与していることがわかる。

弾いていてもそれは確かに感じられたが、
終演後、ある老プロフェッサーが「リュートというのは低音が良く響くんだね!」
と言ってくれたので、実際によく聞こえていたのだろう。


ともあれ、今回も楽しいライブだった・・・



2011年10月19日

今週土曜日のリサイタルの準備をする。

ケンブリッジの大学コンサートシリーズだ。
今年の2月に行ったリサイタルが好評で再び演奏を頼まれた。嬉しい。

前回はバロックギターとイングリッシュギターでサンス、マテイス、シュトラウベなど弾いたが、
今回は編曲ものを主に取り上げることにする。
リュートも聴きたいとのリクエストを受けているので、前半はルネサンスリュート、後半バロックギターのプログラムを考える。

このところ、パリの国立図書館に残されている手稿譜F.844を譜読みしている。
以前、友人がマイクロフィルムから焼いた物を譲り受けた。
筆写不詳の大部のマニュスクリで、ギターの楽曲が数多く載っている。


ド・ヴィゼやメダーユなどの作品は勿論、クープランやラモーなどのギター編曲も多い。
いわばフレンチのギター作品の集大成といっても過言ではない手稿譜なのだ。
ド・ヴィゼの作品でもこの手稿譜にしかないものがあり、また同じ作品でも出版譜とは大きく異なるところがあったりする。

それにしても、ド・ヴィゼとラモーといったスタイルの違う作曲家の作品が並んでいるのは興味深い・・・

今回はこの手稿譜から、ラモーのよく知られたクラブサン原曲のLes Tendres Plaintess(優しい嘆き)を
ド・ヴィゼの作品と組み合わせて演奏する。

ギター版には無理がなく、ともすればギターがオリジナルではないかと感じたりもする。
実際、ラモーの曲集の出版は1724年だが、この手稿譜の成立はそれよりも早い時期の可能性が高い。

上がクラヴサン版、下がギター版

その他のプログラムはダウランド、バッハ、エミリオ・デ・カヴァリエリなど。
楽しみだ。
コンサートの詳細はここをクリック!




2011年10月15日

ロンドンのスタジオに念願の鍵盤楽器を導入する。
クラヴィコードである。

レッスンや自分の勉強のために、以前から小さな鍵盤楽器を欲しいと思っていた。
スピネットかスクエアピアノ、できればクラヴィコードをと、事あるごとに物色していたが、
いままで、これは!というのものには出会えずにいた。

やっと先週、非常にチャーミングなクラヴィコードを見つけ購入した。


全長1メートルと少し。クラヴィコードにしては珍しくトライアングラー型で、置き場所にも困らない。
軽量で持ち運びも自由。音域は4オクターブと少し、小型にも関わらずアンフレット仕様で、全ての和音が出せる。
まさに探していたものにピッタリだ。

クラヴィコードは15世紀から19世紀半ばにいたるまで愛用された楽器で、
あらゆる鍵盤楽器中、もっとも繊細かつ広い表現力を持つ。

鍵盤を押すと、タンジェントが弦を叩く(押す)メカニズムで、音量の変化が自由につく。
またタンジェントを揺らすことでヴィヴラートをかけられるし、メッサ・ディ・ヴォーチェの効果も出せる。
アーティキュレーションも非常に自由だ。

いわば歌う鍵盤楽器なのだ。
バロック時代にはクラヴィコードは繊細なタッチを作るのに理想とされ、
教会オルガニストの家庭での練習用にも使われた。

エマニエル・バッハはクラヴィコードを理想的な鍵盤楽器だとしており、
ハイドンやモーツァルトの作品にもクラヴィコードが目されているものがあるともいう。

クラヴィコードは構造が比較的単純であることもあり、古楽復興史上でも早くから良いコピーが製作されていた。
また、フリードリヒ・グルダがジャズに使ったり、ビートルズがレコーディングに使用していたりもする。
これもクラヴィコードの表現力の大きさを示すエピソードだろう。

チェンバロやピアノと比べて、クラヴィコードでは奏者の意志、音楽性が何倍にも拡大されて音となる。
鍵盤を押せば音は出るが、強弱、アーティキュレーション、音の方向、長さなど全てに奏者の明確な意志が必要なのだ。

クラヴィコードにはごまかしはきかない。
ともすれば機械的に弾くだけの、また耳に心地良いだけの演奏に走りがちな現代人にとっても良い先生となるだろう。
鍵盤楽器奏者のみならず、古い音楽を勉強する人にはお勧めしたい楽器だ。






2011年10月12日

ドイツ在住の音楽愛好家Sさんより興味深い情報をいただいた。

ドイツの美術館所蔵のリュート奏者の絵。


一見、何の変哲もない? リュート弾きのおじさんだ。

しかしよく見ると二つの点で興味深い。


一つはフレットがダブルで巻かれていること。
・・・実に多くの絵画のリュートは、よく観察するとダブルフレットを持っている。
逆に、はっきりとシングルである絵を探す方が難しい。

もう一つは、ダブルで張られた第1コースだけ色が通常のガットとは異なっていること。
画像では青っぽく見えるが、Sさんによれば「むしろ緑がかっている」とのこと。

これは、切れやすい高音弦になんらかの特別な処置を施しているように思われる。
低音に科学的な処置を施した赤いローデッドガットは、最近復元も盛んに行われているが、
高音弦にも何か特別な秘密があったのだろう。
あるいはシルクなどガット以外のマテリアルの可能性もある。

また、ダウランドのVarietie of Lute Lessonsに興味深い記述がある。


「・・・色の付いている弦もある・・・海の水の緑・・・カーネーションの赤、そして水の青・・・」

実際に青や緑の弦があっても全くおかしくないわけだ。




2011年10月9日

ロンドンを留守にしている間に本が届いていた。

ロバート・ビジオの新刊[Rudal, Rose & Carte: The art of the flute making in Britain]、
300ページを超える大著だ。


19世紀から20世紀にかけてロンドンで良質のフルートを製作していたルーダル、ローズ、カルテ(社)の
歴史と楽器についての研究で、ロバートは確かこれで博士号を取得している。

内容は実に充実しており、歴史、沿革、そして豊富な楽器カタログなど実に素晴らしい。


僕はキイ・フルートはあまり演奏しないのだが、それでも代表的なものはコレクションに持っていたいと思っている。
うちにもルーデル・カルテは何本かある。

ルーデル・カルテは20世紀の中頃から量産品としての面が強くなってくるが、
19世紀から20世紀初めまでのフルートはやはり大変に素晴らしい。
当初のシンプル・システムによる楽器もそうだが、ことにベームのパテントを得てからの
楽器にはキイ・システムにも様々な工夫が凝らされている。

なんというか、素晴らしいデザイン、職人の高い技術、
そして英国の産業革命による高い工作精度が渾然一体となっているのだ・・・

下から:
銀管オールド・システム、木管1867パテント・システム、木管ベーム(オープンG)、銀管ベーム





2011年10月4日

デーヴォンの古楽祭の仕事を終えてロンドンに戻る。

実は、現地に到着するまで仕事の内容を正確には把握していなかったのだが、
これは一種の講習会とコンサートで、ヨーロッパ各地から集まった歌手たちを相手に
2日間コーチングし、夜にはコンサートを行う・・・といったイヴェントだった。

音楽祭のテーマは「忠実な羊飼い」Il Pastor Fidoだ。

テクストは16世紀末に成立し、瞬く間に一世を風靡している。
モンテヴェルディ、マレンツォ、ディンディアそしてヘンデルまでもが音楽を付けている。
器楽曲でも伝ヴィヴァルディの同名曲はよく知られている。

このお話というかテクストがヨーロッパ文化に占める位置は非常に非常に大きく、
ナクソス島のアリアドネ(アリアンナ)やトリスタンの伝説などにも比べられるだろう。
古いヨーロッパ音楽に興味を持っている人なら、一通りの知識を持っているべきものだ。


今回はモンテヴェルディとディンディアからの抜粋版を取り上げた。

日中は指揮者が指導するチャペル、僕がコーチする教会、
そして歌手たちが自分たちで練習するタウンホールにわかれ、それぞれセッション。

会場の教会。13世紀に建造。

夜のコンサートでは、他に短いマドリガル数曲、僕のキタローネとギターのソロがプログラムとなっている。

歌手たちの多くは熱心な愛好家/セミプロで、国籍はイギリス、ドイツ、オランダ、スペインなど。

感心したのは・・・いやむしろ当たり前と言うべきなのだが・・・歌手たちはイタリア語が非常に堪能で、
原典のテクストの文化的な位置付けにも正当な知識と教養を持っており、そして音楽のアンサンブルにも長けていたことだ。

言い換えれば、こういったルネサンス・マドリガルを演奏するためにはその3つだけが本当には必要だ。
大事なことなどでもう一度簡明に書くが、語学、教養、穏当な音楽的素養だ。

そしてそれらは幼い頃から自然に身につけるのが理想だ。
つまりは、決して音楽教室の英才教育ではなく、読書や日頃の教育からの教養、
聖歌隊などで歌ったりオルガンを弾いたりしてて得られる音楽的素養なのだ。
中世から18世紀までの貴族や富裕な市民はそのように教養と音楽を身につけていたはずだ。

その伝統はまだヨーロッパには残されている。

そのような環境がすっぽりと抜け落ちている日本の場合、
古い音楽をどのように正当に享受し、理解していくか、これは実際に一筋縄ではいかない問題だ。

・・・いずれにしても、楽しい週末だった。
ストレスや齟齬無く、まともに歌われるイタリア語にキタローネでコンテュヌオを付けるのは快感だ。
古い教会の響きはやはり素晴らしく、マストのバロックギターも非常に素晴らしく響いてくれた。

オーガナイザーのキャサリンと



2011年9月29日

パリから戻り、フルートを吹いて楽しく遊んでいて、ハッ!と気がついた。

今週末は英国東部のカントリーサイドの古楽フェスティヴァルに出演することになっている。
明日の夜の長距離電車で移動、土曜は朝から歌手たちを教え、
リハーサルに付き合い、日曜日の夜に本番だ。

演目はモンテヴェルディとディンディアの「忠実な羊飼い」他。
ソロも数曲演奏することになっている。


ピッチは440。キタローネとバロックギターを準備する。
ロンドンのスタジオにはオリジナル、コピー併せて10台ほどのバロックギターがあるが、
440でも使いやすい弦長の短い楽器を選ぶ、
1770年頃にパリで製作されたジャン・ローラン・マスト作の5コースだ。弦長は615ミリ。

つい先日ヴェルサイユを訪れたばかりなので、フレンチの18世紀ギターには近しい想いを抱くが、
モンテヴェルディの時代からは100年は悠にずれる・・・
(本来ならばセラスを使うところだが、ピッチはデフォルトで380になっている。
それに正直なところ・・・もったいなくて合唱のコンティヌオには使えない)

コピーのイタリアンを使うべきかとも思うが、会場の響きは素晴らしいと聞くし、
音響の良い場所で弾くオリジナル楽器は魔術のように響くので、やはりマストを使うことにする・・・




2011年9月20日

イングリッシュコンサートの本番。

会場はロンドン中央のファウンドリング博物館。
ヘンデルゆかりの場所で、ヘンデルの手稿譜や初版楽譜なども展示されている。

今回のメンバーは↓の通り。


イングリッシュコンサートの創立者であり指揮者であったトレヴァー・ピノックはしばらく前に引退し、
ハリー・ビケットが新しい指揮者に就任している。

プログラムはヘンデルのカンタータ。オペラアリアが数曲。
器楽曲としてはヴィヴァルディのフォリアその他だ。

ソプラノのソリストのルーシー・クロウとは初めてだ。
彼女はイングリッシュコンサートと共にヘンデルのCDを録音したばかり。


今回はヘンデルの大きなカンタータ以外に、ジュリアス・シーザーよりTu la mia stella seiや
Da tempeste il legno infrantoといったよく知られたナンバーも演奏した。

ルーシーはどの曲においても素晴らしい歌唱を聴かせてくれた。

・・・ヘンデルのアリアは、モダン、古楽ジャンルを問わず多くの歌手が歌うが、
説得力のある演奏はこれまでにはあまりなかったように思う・・・

古楽系の歌手が歌うと多くの場合は声量や安定度に欠け、
モダンの歌手は技巧に走りがちで、メリハリのない大変うるさい感じのものになりがちだ。

しかしここ数年、特にソプラノの分野においてまさにヘンデル歌手と呼びたい名演奏家が輩出している。
ルーシーもまさにその一人だ。幾つかライブの動画を挙げておく。

ルーシー・クロウ
http://www.youtube.com/watch?v=feZTdPHHILw

ケイト・ロワイヤル
http://www.youtube.com/watch?v=U1nneKI5VVQ&feature=related

エリン・トーマス
http://www.youtube.com/watch?v=14djBjoIBzw&feature=related

最後にもう一つ ダニエル・デ・ニース(踊りもカワイイ!)
http://www.youtube.com/watch?v=7klKEtcXxr0

こういう素晴らしい歌手を聞いたり、彼女らと共演する度に感じるのだが、
ヘンデルの作品はオーケストレーションも和声的な進行も非常に緻密に書かれていて、
歌のソロ声部も、ある意味では楽器の一つとしてピッタリと嵌り込むようになっている。

従って、歌手にバロック的な和声感やそれに基づく色彩感のようなものがないと良い演奏は難しい。
メリスマや装飾をどう歌うかなどはそれに比べたら些末な問題だ。

それは通奏低音の勉強はもとより、聖歌隊などで和声的に音楽を捉える耳を鍛えたり、
音程の良いバロックオーケストラとの共演などから育まれるのが理想だろう。

こういった作品をピアノやチェンバロだけで伴奏しない方が良いのもまあそういうことで、
特に平均率のピアノでこういった作品を伴奏しても歌手の勉強にはならないし、
どのみち音楽の本質は表れてこないのだ・・・



2011年9月18日

今週はイングリッシュコンサートとの公演がある。

曲目はヘンデルとヴィヴァルディ。指揮者はハリー・ビケット。
共演歌手はルーシー・クロウ。最近活躍めざましいヘンデル歌手だ。

今日は楽器の調整をして、楽譜の通奏低音パートに和声の数字を付ける。

使用する楽器はアーチリュートとバロックギター。
どちらも僕の大きなアンサンブル用のステージ楽器で、高音にはナイルガット、低音にはガット弦を張ってある。
テンションはソロ用の楽器よりもやや高め。


ヘンデルのカンタータ「アルミーダ・アバンドナータ」はこれまでにやったことがないが、
まあ特に複雑というわけでもなくリュートでも弾きやすそうだ。


いつも思うのだが、ヘンデルの作品は非常に職人的というか、
書法は複雑すぎないが、面白い和声は随所に出てくるし効果は抜群だ。
(しかし、撥弦楽器にとっては弾きにくい調・・・嬰ト短調や嬰ニ長調などに転調するのはやや閉口だ・・・)



2011年9月14日

エマ・カークビーとジェイコブ・リンドバーグのリュートソングのコンサートに行く。

「イギリスのオルフェウス」と題されたコンサートで、演目はダウランドとパーセル。
プログラムは↓の通り


期待通り、大変素晴らしい演奏会だった。
やはりイギリスの聴衆が英語の歌詞にダイレクトに反応できるのは、正直言って羨ましい。
彼らはその瞬間瞬間の言葉と音楽をキャッチして楽しんでいるのだ。
演奏者にもやりがいがあろうというものだ。というか、歌とは本来そういうものだ。

・・・こういう環境は僕ら日本人が日本人を対象に西洋音楽を演奏する限り、
絶対にあり得ないことなのだ・・・僕らはなんだかやってることを間違っていやしないか?・・・



プログラムにはジェイコブの使用楽器はSixtus Rauwolfのオリジナル・リュートとなっているが、
実際はマイケル・ロウの10コースだった。巻き弦、ナイルガットが張られており、張力もやや強めに思われた。
ピッチは415だったろうか・・・楽器のサイズからして少し高すぎるのかもしれない。

ロビーでエマとジェイコブのCDが売られていたので入手する。


こちらはA-392。楽器もガットを張ったオリジナルで落ち着いて聴ける。
ダウランドなどリュートソングも低いピッチで歌われているが違和感はないどころか、
歌詞が聴きやすく、発声もなめらかに感じられる。

リュートソングなどルネサンス期の歌は、現在はモダンピッチで歌われることが多いが、
当時は全音ほど低く歌われていたらしいことはわかっている。
低いピッチだと、歌手が声を張り上げたり叫ぶことがなく、
語りの要素が強くなり、音楽の内容がより豊かになるのだ・・・




2011年9月12日

先日のリュート協会例会でリュート製作家のデイヴィッド・ヴァン・エドワーズに会う。
彼は↓のダブルフレットの図解の製作者だ。(使用は許諾を得ている)


彼とフレットについて話す。
デイヴィッドはもともと「歴史的にはシングルフレットが主に使われていた」派だったのだが、
当時の図像などをよく調べた結果、
おそらく16世紀にはダブルフレットのみが使われていた。
少なくともシングルフレットが用いられていたエヴィデンスはない

と、自分の意見を180度転換した。

実際、よく知られた絵でもよく観察するとフレットがダブルで巻かれている例は非常に多い。

例えばLubin Bauginの静物。


マンドーラには明らかにダブルフレットが巻かれている。


カラヴァッジョの「音楽家達」。


これもフレットはダブルだ。


また、最近気がついたのだが、当時の多くの素描やエッチングでは、
それぞれの弦は1本の線で、フレットは2本の線で太く描かれている。
↓はプレトリウスのよく知られた図像。


これもダブルフレットを示唆しているように思える。
下の画像はシングルフレットとダブルフレットの楽器を並べたものだが、
下のダブルフレットの方はプレトリウスの図像によく似ている。


そういえば、ダブルフレットにトライした日本の方から報告あり。
良い成功例だと思うので以下に紹介する。

「ダブルフレットに張り替えてみました。
・・・たしかに音は若干、小さくなりましたが、より複雑な、とても深みと濃淡のある、趣のある音に変わったと感じます。
単弦と複弦の違いくらいあるような気がします。・・・本当に色々な音が混じっていて、とても面白いです!
ボディへの振動もより強く感じられます。シングルフレットは直接、外に音が飛ぶ感じですが、
ダブルは一度、楽器に音が共鳴し、音がブレンドされてから外に伝わるのでしょうか?
左手の押弦も、確かに楽になりました。ダブルは接触面が大きい分、安定した音が出しやすくなったと思います。
抑える力も、以前より少なくて済みますから、余分な力が入らず、姿勢も保ちやすいです。」

この人はクラシックギターなどの経験なくリュートを比較的最近始め、早くからガット弦を使っているが、
やはりその方が古楽器本来の良さを感じる感覚が育つのだろう。
というか、モダン楽器やナイロン/巻き弦の経験は実際は邪魔にしかならないのかもしれない・・・


2010年11月〜2011年9月の日記
データ作業中です。今しばらくお待ち下さい・・・


 2010年10月25日

九州ツアーの帰途、奈良に寄り国立博物館の正倉院展に行く。
年に一度行われている「虫干し」のご開帳展だ。


かねてから是非見ておきたかった「螺鈿紫檀五絃琵琶」が展示されている。
8世紀に作られた琵琶(ピパ/リュート)で、疑いなく最古の弦楽器(の一つ)であろう。


期待に違わず、いや期待以上に美しい楽器であった。
修復も行われているだろうが、コンデションも素晴らしい。


これを見ることが出来ただけでも、今回日本に来た甲斐があるというものだ・・・



2010年10月24日

九州ツアー3つめ。

宗像のコミュニティセンターで講習会とコンサート。
お昼からリュート奏者を3人レッスン、
他の楽器も加わっての即興演奏のセッション。

夜には大発表会。
大変楽しい会であった。



今回少し思ったこと。
通常、(我々)リュート奏者は日頃タブラチュアで弾いているため、
どうしても五線譜からは遠ざかりがちというか、音楽の構造を感じながら演奏する習慣があまりない。
特に18世紀のバロックリュートの音楽は和声的にも複雑で、通奏低音(バロック和声)の知識が必須だ。
その意味で、たとえアンサンブルに興味がない人でも、様々な合わせものを体験するのは有益だ。
このことについては稿を新たに書きたい。



2010年10月23日

九州公演2つめ。

北九州の旧古河鉱業若松ビルにて演奏する。
大正期の建物で現在は文化財になっているそうだ。

大変瀟洒な建物で、ロケーションも美しい。

午後のマチネーだったこともあり、リラックスして楽しく演奏する。
即興の多いプログラムだが、2回目になると共演者との呼吸も合いやすくなる。

港で、ダイナミックだが同時に情緒のある町並みだ。
短期間の移動が多い身としては、こういう街にしばらく逗留して、
散歩したり、レッスンしたり、演奏したりするのも楽しいだろうなーと考える。


明日は宗像での講習会/発表会である。




2010年10月22日

九州ツアーに来ている。
今回もこの1月と同様にソプラノ歌手/リュート奏者の吉住さと子さんとの共演。
今日から福岡、北九州、宗像と連続でコンサートと講習会を行う。

今日は博多の日航ホテルチャペルでのコンサート。
フランスの教会をモデルにしたという美しいVenueだった。
オルガンも本格的なものが入っている。

今回は(も?)プログラムは即興的なものにしたので、
楽譜もほとんど使わず、楽しく演奏した。


吉住さんもSelf accompanimentで歌うことが堂に入ってきたように思う。

明日は北九州だ!




2010年10月14日

ポーランド・ツアーから戻る。

ナイジェル・ケネディとのギグでクラコフで演奏した。
演奏会に先立って2日間、ポーランド南部の山間の村にてセッションする。
チェコとの国境も近い美しい村だった。ナイジェルの山荘も近い。


演奏会の前夜にクラコフに移動。
演奏会場はフィルハーモニア。格式あり、響きの素晴らしい会場だ。
今回のプログラムはヴィヴァルディばかり。
数年ぶりに弾く曲もあったが、楽しく演奏する。


演奏終了後は打ち上げの後、ケネディのジャズギグを聴きに行く。


次回は月末から始まる英国ツアーだ。



2010年10月10日


10月2日の日記に書いた「音楽におけるマニュアル」に関して。

特にクラシック音楽(古楽も含む)の世界には様々な規則ごとやマニュアルがある。

演奏会で奏者は燕尾服やドレスを着る」や「演奏の前後にはちゃんとお辞儀をす」や
一回始めた演奏はなにがあっても止めてはならない」といった一般則めいたものから、
古い音楽にはヴィブラートは御法度」、 「フレンチ・バロックのトリルは上から。ピッチは392
初期バロックイタリアンは466でミーントン」 「それぞれの舞曲のリズムにのって!
フレンチ・バロックでは音符は不均等だが、イタリアンやジャーマンではより直截に! イギリスではその中間?」とか、 
通奏低音を弾く場合、アーチリュートは♭系に、テオルボは♯系に、バロックリュートはどちらにも向いている
ヴィウエラはユニゾン調弦
といった古楽のマニアック?なものまで様々だ。

そういった知識は特に入門者にとっては有用だ。
初めのころは何らかのヒントがなければそれこそ五里霧中だ。

しかし・・・ある程度以上の中級者やプロ音楽家がそういった規則やマニュアルを頭から信じ込んだり、
振りかざしたりするのはもうやめれば良いのに・・・としばしば思うのだ。

前述した「フレンチのピッチは低い」「17世紀イタリアンはミーントーン」「テオルボは♯系」
「フレンチバロックではイネガル」などというのは、
全くある一面を切り取ったものにすぎないのであって、黄金則のように捉えられるものではない。

それらは、例えてみればファストフード店の店員のマニュアルみたいなものだ。
知識や経験のない人間でもそつなく対応できるようにいわば人工的に抽出されたもので、
音楽の本質とは実はあまり関係がない。むしろ歴史的には逆の情報も多いのだ。

僕自身はかなり多くの一時資料に当たっているつもだが、歴史的資料からははっきりとそう言える。
例えば、フレスコバルディは平均率に近い調律をはっきりと勧めているし、
本来、鍵盤楽器にのみ有効な「ミーントン」を他楽器や声楽に適用するのは20世紀の考えだ。
どのような楽器や声楽でも音程と響きを大切にすべきだが、それはミーントンとイコールではない。
初期17世紀イタリアに高いピッチはあったが(コルネットトン)、
もっとも一般的だったカンマートンはせいぜい420ー35
ぐらいだし、コーアトーンはもっと低かった
イタリアンやジャーマンにもいくらでもリズム変更の例はあ
ヴィウエラはオクターヴで張られていたことも多かったし、熟練したテオルボ奏者にとってはどんな調性でも問題ない・・。

コワイのは、プロアマ問わずバロック音楽を演奏する人の多くが、
そういったマニュアルを沢山知ることが音楽の勉強だと誤解していることだ。
そして大抵の場合、かえってそれは世界を狭くしている。
自分で調べたり考えたりする習慣を得られず、自身のアタマも耳も使われず、
マニュアル以外のことが認められなくってしまうのだ。

日本では歴史的な文献や楽器、西洋的な音響の建物はほとんどなく、もともとの「西洋古楽」の情報はほとんどない。
ヨーロッパの聖歌隊に見られるような古い音楽の演奏法の継承もまったくない。

そういった環境だからこそ、マニュアルに頼りたくなる気持ちはわかる。
アメリカの古楽演奏家なども同じ問題を抱えているだろう。実際「古楽マニュアル」はアメリカでも盛んだ。

しかし、マニュアルは結局マニュアルに過ぎない。
マニュアルは「まだあまりよく理解できない」初心者のために便宜的に作られたものであって、
中級者以上の人がそれをいくら取り込んでも、音楽のリアルには近づけないばかりか害になることも多い。

(教える立場にある人は、通り一遍のマニュアルを伝えるのではなくて、
あくまでも生徒が自身で勉強、探求する姿勢と方法を教えるべきだと思う)

同じことは、いわゆる「古楽リスナー」にも言える。
リスナーはしばしば一家言持っているように見えるが、結局は内外の演奏家のCDやライブを沢山聞いているというだけだ。
その延長にあるとしか思えない音楽評論家も日本では珍しくなく、
「・・・このCDの演奏ではイネガルが押さえられて、あまりフランスぽくない」みたいなShit評論があったりする・・・

現代人の作った「古楽演奏マニュアル」を多く知っていたり、現代人の演奏を沢山聴いているということと、
その音楽自体を良く知っていることは全く別なのだ。


ではどうすれば良いか?

まずはなによりも音楽(愛好)家としての素養を磨くことだ。地道にだ。

譜読みは速くて正確なほど良いし、音感もあるほどよい(絶対音感は消せた方が良いが)。
バロック和声や対位法の知識と力もあればあるほどよい。
勿論、外国語もだ。

そうすると、例えばある箇所でヴィブラートを使うかどうか迷った場合、
その箇所の和声進行と(歌詞がある場合は)テクストに当たれば、おのずと答えはでるはずだ。
その解決法は一人一人違って良く、他人に教えて貰うようなものではない。

そして、出来る限り多くの歴史的情報に当たり、それらを自身で体験することだ。
オリジナルの教則本や文献を紐解き、オリジナル楽器かデッドコピーを使い、
そしてできればその当時の建物で演奏することだ。優れた音楽家たちとの共演も良いだろう。

そのようにしていると、一般に言われている規則がいかに下らないか、一面を切り取ったマニュアルであったか、
そしてそれが自分をいかに古い音楽の本質から遠ざけていたか、に気づくことができるかもしれない。


もっと言うと、古楽に限らず現代の演奏会での「ドレスや燕尾服を着る」 「お辞儀をする」
「演奏は止めない」といった規則もある意味でナンセンスだ。

演奏会は学芸会ではない。

それぞれのアーチストが自分の好むことを行なって良いのだ。
それに共感する聴衆は楽しむだろうし、そうでない人は2度と来ないだろう。
それでなにも悪いことはない。

(昔からこのことは知っていたが、ナイジェル・ケネディなどと仕事をすると、
改めて再確認してしまう・・・)



2010年10月3日

フィンチコックスで演奏する。

フィンチコックスは英国南部ケント州にあるマナーハウス、風光明媚な地にある美しい場所だ。
現在は歴史的鍵盤楽器を主とする博物館になっている。


プログラムはダウランド他のイギリスものばかり。
ゲルレ・コピーの6コースを使い楽しく演奏する。


終了後は、館に腐るほど?ある鍵盤楽器を見て歩く・・・




2010年10月2日

ケネディとのツアーからロンドンに戻る。

ドイツのドルトムントに滞在してセッションとコンサートを行なった。
セッションでは様々な試みを実験した。

コンサートのプログラムは、ナイジェルのソロでバッハのシャコンヌ、
2本のヴァイオリンのためのコンチェルト、そしてヴィヴァルディのコンチェルトいくつか。

ケネディとの共演は久しぶりだ。
今回自分がどのようにナイジェルの演奏を感じるかにも少し興味があった。

結論的には・・・まったく脱帽というかノックアウト!だ。
やはり彼は素晴らしいミュージシャンである。

バロック音楽の大切なファクターとしては、
和声、対位法、修辞法、即興などが挙げられるだろう。
それらを実演するには技巧も無論必要だ。

彼はそれらを全て持っている・・・おそらく現代のどんな「古楽」演奏家よりも。

我々「古楽」の専門家は、バロック音楽を具現化するのに様式を重んじる。
それは前述した重要なファクターを最大限に発揮させるためでもある。
しかしそれは非常に多くの場合、何らかのマニュアルめいたものとして処理されてしまう。

例えば「バロック時代のトリルは上から!特にフランスでは!」みたいなものだ。

しかし、当時、非常に様々な装飾音が使われていたことは文献などからも明らかだし、
和声の感覚が優れていれば、説得力のある装飾音をその都度選ぶことができる・・・
というか本来そうでなければならない。
マニュアル通り弾かれる装飾音ほど意味なく味気ないものはないのだ。

そういった意味で、ケネディとの共演は、他のどんな古楽演奏家との共演よりも「バロック」を感じてしまうのだ。
彼の演奏にはマニュアルからくるものや義務的なものはひとかけらもない。
全ての音が意味を持っている。まさに(バロック的)修辞法と言えるものだ。

次回は来週にポーランドにケネディと行く。
楽しみである。




2010年9月27日

今日からヴァイオリンのナイジェル・ケネディとのツアーでドイツに行く。

ナイジェルとは2002年から2007年まで共演した。
世界中でおそらく200−300回ほどのコンサートをやっただろう。
ヴィヴァルディが主なプログラムで時々はバッハ。
ベルリンフィルなどと一緒にいくつかのCDやDVDもレコーディングした。

3年ほど前に、少し考えるところがあってケネディとの共演を休止することにした。
ケネディもそれからはヴィヴァルディは演奏しなかったらしい。

今回、ケネディが心機一転?のプロジェクトを立ち上げるにあたり、
ふたたびお誘いが来たわけだが、正直言って少し迷った。

ケネディとの仕事は楽しい。文句なしに素晴らしい音楽家だし、
その音によるコミュニケーション能力は全く比類ない。

しかし以前のようにフルタイム状態の共演者にはなりたくない。
こちらも自分のプロジェクトがある。

・・・考えた結果、この秋のツアーには同行することにした。
ナイジェルもきっと変わっているだろうし、その変化にも興味ある。

今の自分が彼の音楽をどう感じるかも面白そうだ。

というわけで、いってきます・・・



2010年9月25日

ロンドンの骨董屋で象牙状のものを見つける。


お店に聞いてみると、ElephantではなくてWalrusのIvoryだと言う。つまりセイウチの牙だ。
セイウチの牙も象牙と同様に規制の対象になっているが、これは19世紀のもので所持や販売に問題はないという。
そういえばウォーラス・アイヴォリーから作られた装飾品を見たことがある。

アイヴォリーは(オリジナル)古楽器の修復にしばしば必要なので手に入れることにする。

帰宅して計ってみるとなかなかなかなか大きい。全長約50センチ。
この長さだと裁断して小さな部品にするより、くりぬいて楽器を作れるかもしれない。
角笛(正確には牙笛)? ゲムスホルン? コルネット?




2010年9月22日

古楽器のレプリカや真贋を考える際、やはりどうしても外せないのが弦の問題だ。

これまでに何回か書いてきたことだが、ナイロンやカーボンなど合成樹脂弦や巻き弦はガットの代替品として有益である。
例えば、楽器のサイズ(弦長)を無視して高く調弦したり、気候の異なる地域へのツアー、全くのリュート初心者への導入の際などには、
合成樹脂の弦はガットよりも気を使わずに使える。

しかし、それはあくまで使い勝手の問題であって、音色や音楽内容など演奏の本質に関わることでは
合成樹脂の弦はガットには絶対に敵わない。

それは優劣ではなくてむしろ真贋の問題だ。

フランチェスコやダウランド、ヴァイスはガット弦以外は知らず、ガットを使って表現したのだ。
それらの巨匠を尊敬し、古い音楽とリュートを愛する人間は、やはり迷うことなくガットを体験すべきだと思う。
ガット弦を使うことなくしては感じることの出来ない世界、表現することのできない世界は確かにある。
それを真摯に追求することは、古の巨匠や文化に対する礼儀でもあると感じる。

なので、僕も自分の門下生や講習会参加者には以前よりも強力にガットを勧めることにしている。
初心者の場合でも、音楽的素養があったり、コースの少ない楽器の場合は最初からガットを使わせることが多い。
そうでない場合でも、リュートを始めてから半年以内くらいにはガットを張るように指導する。

ガットは傷みやすいとはいうが、ピッチや扱いに注意を払っているとそう簡単に切れるわけではない。
むしろナイロン弦に慣れてしまった中級者が、弦を乱暴に扱ったり無理に上げたりしてガット弦を損傷することが多い。
また、合成樹脂弦の音やタッチに慣れてしまうと、ガットに適応する際により長い時間がかかる。
もっとも怖いのは合成樹脂弦の音に心底馴染んでしまうことで、
そうなると三つ子の魂百までもの例えの如く、ガット弦の良さを理解しにくい耳になってしまう。
(「ガットの良さは分かるが実用的でないので使わない」と言う人の何割かはコッチの様な気がする)

初級者と言えども早いうちからガットの扱い方、そしてその弾き方に慣れてしまう方が良いのだ。
たとえ自分が使ってなくとも、それを丁寧に指導できるのが良い先生だろう。
代替品は所詮は代替品。本物を教えずして無条件に代替品を使わせるのは良くないことだ。

(余談だが、僕がナイジェル・ノースに習い始めた際、最初の休暇の課題が「ガット弦を使うこと」であった。
今でもその指導には感謝している)

弦の選択や張り方に関しては多くの歴史的教則本が詳細に言及している。
現代に古楽器を弾くことを選択する人間は、古のリュート初心者と同じくガットの扱いに慣れ親しんで欲しい。
それはリュートを通じてのルネサンス・バロック時代の人や文化との交流であり、
それにより得られる知見と体験は非常に大きなものだ・・・




2010年9月17日

古楽器に関わる人間にとっても、贋作やコピー楽器の問題はそれなりに身近だ。


*オリジナル古楽器の真贋

ストラドやガルネリといった超高価な楽器に関わる人はそうは居ないだろうが、
たとえばバラク・ノーマンのガンバ、ランベールの5コースギター、
ラコートやパノルモの6弦ギターなどの真贋はしばしば話題になる。

僕のこれまでの経験では、こういった古楽器の偽物で良くできた物はまずなく、判別は容易だ。
現時点でのオリジナル古楽器の価格はそれほど高いものではなく、手間をかけて贋作をでっち上げることは割に合わないのだろう。
偽のラベルが貼られた楽器が存在しないわけではないが、通常は一目瞭然である。

非常に良くできた無銘のオリジナルに、有名作家のラベルを貼ることもありえるが、
良くできた無銘楽器はそれなり高価なので、贋作のメリットはそれほどない。

また楽器業者は、しばしば「本人作」と「工房作」を分けて価格の差別化を図ろうとするが、
それも多くの場合はあまり意味がない。
美術工芸品において作家がサイン(ブランド)を行なったものは真作だ。
また逆に「工房作」や「模倣品」とされた楽器にしばしば良いものもある。

現時点では、オリジナル古楽器の真贋についてはあまり心配する必要はないように思う。

(19世紀ギターの真贋についてはここも!)


*レプリカ

殆どの人は現代に作られたコピー/レプリカ楽器を弾いている。
それらのコピーの多くは「オリジナルに忠実に作られた歴史的な楽器」ということになっている。

しかし、実際にはリュートやバロックギターの「誠実なコピー」はかなり稀だ。

コピー製作はまず対象となるオリジナル楽器を選ぶことから始まるが、製作当時のまま残されている楽器は少ない。
図面の情報は不十分な上、計測者のベクトルもかかっている。
オリジナルを忠実にコピーするには製作家自身による計測、検分が不可欠なのだ。

「デッドコピーではないが、当時あり得たであろう楽器の製作を目指している」との立場表明も聞くし、
尤もだと思うが、それにはオリジナル楽器の構造や歴史的な製作法に関しての深い知見と経験が必要だ。
ある意味ではデッドコピーを製作するより困難とも言える。

職人としての技量を身につけ、世界各地の博物館のオリジナル楽器を自ら検分し、音楽や奏法にも詳しく、
専門の学者、演奏家、製作家との情報交換を行って製作するのが、理想的な古楽器製作家の姿であろう。

しかし、残念ながらそのような古楽器製作家は多くはない。


日本で目にする古楽器には外国人製作家の作品を模倣したものが多いように思う。
国内でオリジナル楽器を検分する機会は少ないだろうから無理もない気もするが、
これにはあんまし感心しない。
舶来の楽器がオリジナルの深い理解のもとに作られているとは全然限らないし、
コピーのコピーはどうしても劣化する。
「現代人にとって使いやすく」と工夫されていたりするのがかえって落とし穴で、
歴史的奏法に適合しにくかったりもする。


(続く)



2010年9月13日

ロンドンのナショナル・ギャラリー(国立美術館)の特設展に行く。

ナショナル・ギャラリーは古今東西の名画を多数展示していて、
作品を自由に見られるだけでも、ロンドンに済んでいる価値があるというものだ。

今回の特設展示は[Close Examination : Fakes, Mistakes & Discoveries] と題されたもので、
簡単に一言で言ってしまうと贋作展示会。
http://www.nationalgallery.org.uk/paintings/research/close-examination/

贋作と言っても内容は様々で、20世紀に作られた真正の?贋作、19世紀の非常に良くできた模写、
作品と同時代の模写、同じ工房の作品、後世の間違った鑑定により贋作とされたもの、
後世の修復の際に本来の形が損なわれたもの、
贋作とされていたが後世の洗浄により真正の傑作と判明したものなど、大変多岐にわたっていた。

現代のテクノロジー、X線照射、画材のスペクトル分析、年代測定などにより、
作品のオリジナルの形や後世の改造の様子などが随分と明らかになってきたわけだ。


大変に面白い展示会であった。
カタログとDVDを買っての帰り道、博物館にあるオリジナル古楽器にも多くの贋作、
鑑定の間違い、後世に改造されているものなどがあることを考える。


いくつか例を挙げてみよう。

*パッチワークのキタローネ

世界中の博物館にある典型的な贋作。日本にもある。
多くは19世紀にイタリアの工房で作られたものだが、胴体はオリジナルのリュートを流用しているものも多い。
真正のラベルが貼られているものもある。象牙や鼈甲の装飾も多くはオリジナルの楽器からの流用。



*贋作のテオルボリュート

12コースリュートに似せて作られた、やはり19世紀の贋作。
この楽器の場合もボディや指板の装飾は(それぞれ別の)オリジナル楽器からの流用。
ヘッドは全くの贋作である。


これらは19世紀に博物館に売り込むために作られた贋作だ。


*歴史的には存在しない「低音単弦のアーチリュート(リウト・アッティオルバート)」

美しい象牙のアッティオルバートだが、低音のヘッドは後世の再生。
修復者のミスにより単弦仕様にされてしまっている例。
短い第二ネックを持つアーチリュートのオリジナルに単弦は存在しないが、
残念ながら現代の多くの製作家や奏者が正しい知識のないまま、単弦の楽器を作り用いている・・・



*リュートではなくマンドーラ!(でも、もともとはリュート)

これも良く見る例。
現状は18世紀中庸のマンドーラだが、多くの博物館では間違って「(ルネサンス)リュート」とされている。
確かにもともとは17世紀の(ルネサンス?)リュートもしくは弦の多いバロックリュートだが、
18世紀の中庸に現在の形であるマンドーラに改造されている。
丁寧に観察すると明らかだが、博物館がそこまでの知識を持っているのは珍しい・・・


*17世紀のキタラ・バテンテ?

ラウンドバックとフラットバックのバロックギター。左は往々にして間違って「キタラ・バテンテ」とされている。
しかしラウンドバックのギターはキタラ・バテンテとは別物だ。
大体がキタラ・バテンテは18世紀以降の楽器で、17世紀のキタラ・バテンテは存在しないとされる。
(ただ、後世に改造された例は多くある)
問題は、現代の修復の際にラウンドバックであるというだけで、バテンテとしてプレゼンされてしまうことがあることで、
↑の例はまさにそれである・・・


*バンドーラ? オルファリオン? ペノルコン? 

これら16ー8紀の金属弦楽器のオリジナルはごく少ない数しか現存しない。
この↑楽器は17世紀のオリジナルだとされているが、実際には19世紀末ー20世紀初頭に作られた、
早い時期の「復元古楽器」である。半ば空想古楽器と言っても良い。
19世紀末ー20世紀初頭には多くの復元楽器が製作されたが、現在作られてから100年以上たつそれらの楽器は、
それなりに古色もつき、しばしばオリジナル楽器と混同されている・・・



全くの真作! だが「贋作もしくは16世紀当時のコピー」との烙印を押されかけたリュート

ご存じゲオルグ・ゲルレ作の6コース。16世紀中庸の作品とされる。
現存するリュートのうちでも最もオリジナルのコンデションを保っているマスターピースだが、
近年、アメリカの製作家や学者が「この楽器は贋作もしくは16世紀のコピー」との意見を出版した。
楽器のプロポーションが(彼らの考える)15世紀から16世紀初頭のものであること、
時代からして6コースという少ないコース数は奇異である・・・などの理由からだが、
それらはいわゆるSelf-evidenceと言え、確証のない言いがかりだった。
幸い、心ある製作家や博物館はそれには賛同せず、この貴重な楽器の尊厳は保たれている・・・・



このところ、(古)楽器にも科学技術を駆使した鑑定が行なわれるようになってきた。
ストラディヴァリのヴァイオリン「メシア」がその綺麗すぎる?仕上げのためにいったんは贋作とされたが、
最新技術による年代測定と材料の判別により、間違いのない真作と再鑑定されたもの記憶に新しいところだ。

楽器における贋作の問題は、工房作と本人作、同時代のコピー、
そして古楽器の場合はオリジナルと現代のレプリカなどが挙げられるだろう。

それらについてはまた稿を新たに書きたい。




2010年9月12日

ロンドンのシティで行なわれたリュート協会(LS)のミーティングに出席する。
ミーティングは年に4回行なわれ、毎回興味深いレクチャーやコンサートが行なわれる。

非常に刺激や勉強になるし、日頃疎遠になりがちな友人たちに会う良い機会だが、
このところなかなか都合が合わず今回は久しぶりである。

今日はトーマス・メイスをテーマとしたレクチャーがいくつか行なわれた。
メイスは17世紀に活躍したイギリスの音楽家、理論家、作曲家で、
彼の著作「音楽の記念碑」は良く知られている。

ミーティングには1676年出版の「音楽の記念碑」オリジナルも展示されていた。


レクチャー一つ目は、音楽史家/リュート奏者のベンジャミン・ナーヴィによる「メイスの生涯と作品」。
メイスはケンブリッジの学寮であり、音楽的発明をいくつも行なっている。
リュート奏者としては、ジャック・ゴーティエの系統を引く12コースリュートとテオルボ(イングリッシュテオルボ)を弾いた。

次に、メイスが「音楽の記念碑」に設計図を載せた音楽堂に関するレクチャー。
復元模型を使い、音響像にまで言及した大変面白いものだった。


お昼の休憩を挟んで、メイスと音楽におけるユーモア(ヒューモア)に関するレクチャー。
アリソン・クラムのガンバコンソートによるデモンストレーションつきだったが、
レクチャーは冗長で演奏は聴きづらく、中座してしまった・・・

その後、製作家デヴィッド・ヴァン・エドワーズによる12コースリュートに関するレクチャー。
12コースはバロックリュートの一種で、フランス、イギリス、オランダで愛好された。
調弦には何種類かある。現存する楽器は6本
サイズはいろいろで、弦長は52センチー70センチまで。


12コースリュートの進んだ研究が行なわれるようになったのは比較的最近だが、
デイヴィッドはその研究者/製作家としては最右翼であると言えるだろう。

12コースリュートの真面目なコピー楽器もやっと作られるようになってきたし、
メイスやメサンジョー、ジャック・ゴーティエ、ピエール・ゴーティエなどこの時代のリュート音楽も耳にする機会も増えてきた。

デイヴィッドが主催するリュート製作講習会で作られた12コースリュートのお披露目も行なわれた。
僕も試奏してみたが大変良い楽器であった。弾き心地は11コースとも、また13コースとも違う。


レクチャーが終った後は、オーストラリアのリュート奏者ローズマリー・ホジスンによるリサイタル。
8コースリュートで、ダニエル、フェラボスコ、ロゼター、フィリップス、ダウランドなどのやや珍しいレパートリーが並んだ。
ローズマリーとは学生時代からの友人だが、美しい音での立派な演奏で、大変嬉しく思った。

ちなみに演奏姿勢は(笑)、ストラップを使い左足を足台に置いている。
これは足台が高すぎず、楽器の安定もなかなか良いようだ。
奏法としてはサムアウト、速いフィゲタにもまったく危うげない。

ただ、オーストラリアとヨーロッパの気候の違いに留意したためだろうか、
弦はナイルガットと銅巻き弦というアナクロ・クラシックな選択で、リュートの響きはニュートラルなベールをかぶってしまっていた・・・


帰りにリュート協会の売店でトニー・ベイルズが12コースリュートを弾いている新譜?CDも買う。
帰宅して聴いてみると総ガットの素晴らしい音と演奏だ。


いずれにしても、大変楽しく有意義な一日だった。

僕は12コースリュートは(未だ)持っていないが、最近入手した小型の13コースジャーマンバロックを使いメイスをひもとく毎日である・・・





2010年9月10日

今回はストラップの使用について。

17世紀以降、図像にもストラップの使用が目立ってくる。
残されている多くの楽器と図像にストラップボタンやストラップが観察できる。



楽器を構えた人物を描いた絵画では、ストラップは省かれている場合が多いと言われる。
ストラップは構図に大きく関係してくるからだ。
実際、楽器のヘッドやストラップボタンの場所に(ストラップとして使われた)リボンが描かれているのに、
ストラップ自体は描かれていない図版もよくある。


またストラップは肩にかける方式だけではない。
オリジナルのリュートやバロックギターには、胴体背面の上部と下部にそれぞれストラップボタンを持っているものが多い。


中には古いガットやリボンが張られているものがある。絵画でもこれは観察できる。

このガットやリボンを衣服のボタンに引っかけて楽器を安定させたらしい。

17世紀の図版にはまるで楽器が中に浮いているような構図があるが、
それらはストラップが省かれているか、背面に張られているのだろう。




2010年9月9日

これまで見たように、テーブルを使ったリュートの保持法は最も歴史的、かつ実用上もベストだと言える。

ただ、テーブルの持ち運びは難しいので、出先用?にはいくつかの方法を使っている。
そのうちの2つほど紹介する。

これまでにテーブルによる保持を体験したことの無い人には、まずテーブルを使ってみることを勧める。
以下は言うなればテーブル保持の代替で、テーブル保持の快適さを身をもって体験していない人にはあまり意味がない。


*クッションなど保持具を膝とリュートの間に置く。
クッションは市販のものを利用しても、自作しても良い。
今回は出先(日本滞在中)なので、手元にあるクッションなどを使って仮製作してみた。
ある程度傾斜のある形にしておくと、リュートを安定させやすい。
クッションはメッシュのゴムシートなどの滑り止めで包んである。

楽器の位置や傾きの調整も容易、サムインサイド・アウトサイドどちらも自在だ。

テーブルに近い感覚でリュートが保持できる。
クッションは今回は大きめのものになったが、素材を選べばそれなりに小さくも作れる。

僕は7月のソロレコーディングでもイングリッシュギターの保持にはクッションを使った。
ストラップは立奏には便利だが、楽器が動きやすいのと、長時間の使用にはどうしても肩に負担がかかりやすいので
僕は長時間のレコーディングにはクッションを使うことが多い。

友人には特注の「リュートレスト」なる保持具を使っている奏者もいる。


*ストラップと滑り止めを使う。
ストラップは幅広の肩に負担がかからないものが良い。

ペグボックスにストラップをループで装着する。装着位置は好みによって動かせるようにしておく。


リュートの底部にループを作り、その中にストラップを挿入して自由に動かせるようにしておく。


膝にある程度高さのある滑り止めを置く。スポンジなどをメッシュのシートで包むのがお勧め。


ストラップボタンのループを通したストラップをお尻の下に敷き固定する。

楽器は両手を全く使うことなく完全に安定する。
ただ指板が前に出やすいので、リュートの位置を注意して調整する必要がある。
テーブル保持の感覚を体験していると調整は容易に出来る。

この方法では、楽器を自分の体重で支えているので身体への負担は非常に小さい。
ことに大型のキタローネやバロックリュートをテーブル無しで支えるにはうってつけの方法だ。



2010年9月7日

リュートの保持についての続き。

これまで書いたように、テーブルによる保持は非常に優れている。
そして最も歴史的でもある。

テーブルは手軽には持ち運びできないので、ストラップやクッションなど他の保持方法も使うが、
それらの方法を採るにしてもテーブル保持の快適さを体験していることは重要だ。

テーブルにリュートやギターをもたせかける場合、なにか滑り止めを敷くのは良い考えだ。
固定させやすいし、楽器も保護できる。

慣れると薄い布一枚敷くだけでも楽器を快適に保持できるようになるが、
テーブル保持の初心者にはスポンジシートやメッシュのゴムシートを勧めたい。

これらは全くと言っていいほど滑らず、完全に楽器を安定させることができる。
その快適さの感覚を一度知ると、他の方法でも同様の安定さを得やすい。

足を組んだり足台を使う奏者がバックスキンなど革を滑り止めに使っているのはよく見るが、
実は革は滑りやすくお勧めしない。 
ふらふらしたり、少しずつスリップしていくリュートを奏者が押さえつけて演奏しているのは、
見るたびに気の毒になってしまう・・・

リュートを快適に保持するのは決して難しいものではない。
まずは適当なテーブルと椅子、そして滑り止めさえあれば良いのだ・・・(あとはやる気?)




2010年9月4日


テーブルを使った姿勢について、続き。

トーマス・ロビンソンの「スクール・オブ・ミュージック」は1603年に出版されたリュート教本/曲集だ。


教則、曲集の部ともに非常に充実した教本で、ルネサンス・リュートの最も包括的な出版物と言えるだろう。
同時代と言えるダウランドの「ヴァラエティ・オブ・リュート・レッスンズ」が時代の最先端の情報と奏法を論じ
収録曲にも難易度が高いものが多いのに対し、ロビンソンの著作では穏当な技法が説明され、楽曲にも弾きやすいものが多い。
リュートの学習者で彼の二重奏を弾いた人も多いだろう。技法的にはサムインサイドである。

この教本でも、テーブルを使ったリュートの保持が勧められている。



・・・まっすぐに(顔を上げて)座り、リュートの縁をテーブルに持たせかける。

自分の身体(胸)とテーブルと右腕でリュートを安定させる。

左手は自由に動かせるようにしておき、親指は(ネックを挟んで)常に人差し指の反対側に置く。

右手の小指を軽く、しかし手が滑らないようにしっかりと表面板に置く。

右腕もリュートを押さえつけないようにする・・・


このテーブルを使った保持は実に快適なので、全てのリュート学習者にこの方法を体験することを勧めたい。
これは足を組んだり足台を使うことより格段に優れている。
ストラップやクッションはテーブルに近い保持が可能だが、まずはテーブル保持の快適さを知っていないと難しい。

(「プロのリュート奏者ダレソレは足を組んでいる/足台を使っている」などということは考えないようにしよう。
彼らの大半は歴史的で快適な方法を知らないままに始め、長い間にその態勢に慣れてしまっただけなのだ)

ことに初心者は良くない姿勢でも「そういうものだ」と思って無理な姿勢を続けてしまうことが多い。
そのうちにその姿勢にも慣れてしまうが、それは一種の「悪い癖」がついたということでもあり、
後に良い姿勢に切り替えるのがより難しくなってしまう。

望ましいのは良い先生に正しい指導を受けることで、すべてのリュート教室が保持用のテーブルを常備すれば良いのだろう。
(8月26日の日記に書いたように、初期ルネサンス用の低い椅子があればなお良い)

またレッスンの際、指導者は楽曲を弾かせるだけではなくて、その作者の推奨する奏法をも併せて教えるべきだと思う。
この「スクール・オブ・ミュージック」の様に教本的性格の強い著作においてはとりわけそう言える。




2010年8月30日

今回はテーブルを使ったリュートの保持について。

この方法はルネサンスからバロックそして19世紀(ギター)にまで見られる。
多くの歴史的教則本でも推奨されている。


一言でテーブルを使うと言ってもその方法はいろいろだ。いくつか例を挙げる。

*リュートをテーブルで支える。


*(リュートではなく)左腕をテーブルに乗せる。


*リュートと左腕をテーブルで支える。



左腕をテーブルで支えている図版は数多い。
特に17世紀の図版では非常に良く見られる。
リュートと左腕両方をテーブルで支えることはトーマス・メイスの教本でも推奨されている。

僕はこれまでに様々な方法を試したが、やはりテーブルを使う保持に優るものはないように思う。
身体へのストレスが全くと言って良い程なく、とにかく保持が楽だ。
ちょっとしたスランプでタッチが荒れている時などは、この方法でしばらく弾いていると音がどんどん良くなっていく。
なので、ストラップや膝の上のクッションなど他の方法を使う際にも、テーブル保持の快適さを参考にしている。

最初のレッスンでこの方法を示唆してくれたナイジェル・ノース師には今でも感謝している。
いわゆる「実用的な」方法ではなく、「理想的であり歴史的な」方法をまず知ることが出来たからだ。

リュートを弾く人はこの方法を一度は試してみると良い。
僕が勧めるのは次のようなやりかただ。

まず、滑り止めの布などをテーブルに敷き、テーブルの縁にリュートを持たせかけてみる。
左手なしで右手を軽く添えた状態でリュートが完全に安定するようにする。
表面板はやや上に向け、右手の弾弦位置が自分にとって最も良い場所にリュートを置く。
指板は身体から離れすぎないようにする。
左手はテーブルの上に乗せて押さえても良い。


多少の試行錯誤が必要だろうが、しばらく試しているうちにその快適さは感じられてくるはずだ。



2010年8月26日

姿勢についての続き。

6コースや5コースのリュートやルネサンスギターをサムインサイドで快適に弾くためには、
楽器の位置が高い方が良いことは前にも書いた。

右手の肘を自然に曲げた状態で、手首を曲げすぎることなく親指が手のひらの中に入るポジションが良いわけだ。
ことに初心者の場合、最初から無理せず身体に負荷をかけないで弾く習慣をつけるのは大切だ。

歴史的には楽器の保持にテーブルが使われている図像が多い。


立奏の場合も高い台に楽器を載せているのがある。(ただしこれはサムアウトサイドに見える)



(足台なしで)低い椅子に座っている図像も多い。
いくつか例を挙げる。

*低い椅子に座り楽器はほぼ水平。リュートは両足に乗っている。


*低い椅子に座り楽器はほぼ水平。リュートは右足に乗っている。
左手でリュートを支えているが、その左腕は膝に乗っている。
(左手を膝あるいは机などにのせて支えるのは16−18世紀には大変よく行なわれていた)


*低い椅子に座り右足を伸ばしている。
楽器は右腿と腹部に乗っている。リュートは左上がり。


*低い椅子に座りやはり右足を伸ばしている。
楽器は両腿に乗っている。リュートは左上がり。


そしてほとんど全ての図像では親指がネックの上に出ている。

この低い椅子に座る方法はお勧めだ。ストラップも足台もなしで快適に楽器を構えることができる。
右手は自然にサムインサイドになるし、左手の負担も小さい。
ルネサンス・リュートの持ち方としてもっとも典型だと言えるだろう。

高さ30ー40センチほどの非常に低い椅子や台で実験すると、その快適さが実感出来るはずだ。
楽器が小型の場合、滑り止めを置いたクッションを楽器の下に置いても良い。

低い椅子を使う方法が足台を使うのと決定的に異なるのは、
足の位置が固定されないため自由に角度や高さを変えることができ、
奏者は常に快適なリラックスした姿勢をとれることだ。
たとえ演奏中でも即座に姿勢を調整することができる。

高い椅子に座り足台を使った場合、足の高さも位置も変更出来ないので、
奏者はどこか窮屈さを感じながら演奏している場合も多い。

しばしば誤解されていることだが、「絶対的な正しい姿勢」などは存在しない。
ある人にとって非常に快適に思える姿勢があったとしても、
ずっとその姿勢で弾いていると、必ずどこかの筋肉が疲労して演奏に障害がでる。

つまり「正しい姿勢」とは、奏者がリラックスでき常にフレキシブルに動ける姿勢のことで、
低い椅子やストラップが足台よりも優れているポイントもそこにある。



2010年8月24日

今回はリュートの左手周りの弦幅と弦高について。

オリジナル・リュートの弦幅は狭い。
ゲルレ(6コース)、ヒーバー(7コース)、セラス(14コース)などいずれもナット上の1-6コース間は36〜38ミリ程度だ。

対して現代のコピー楽器は43〜50ミリくらいのものが多い。

狭い弦幅のリュートでは、指板上で弦と指が干渉しないように、弦高を低くする必要がある。
そのように調整されたリュートは慣れると大変弾きやすい。
左手の拡張は格段に楽だし、押さえるのも最小限の力で済む。
ハイポジションの複雑な押弦も容易で、難曲の難易度が下がる。

しかし、現代の多くの製作家やリュート教師はむしろ弦高が高めの楽器を好む。
大抵のリュート教師はもともとモダンギターを弾いており、高い弦高に慣れている。
弦高が低めの楽器は乱暴に弾いたり、弦を押し込むように弾くと雑音が出てしまう。
特に巻き弦は振幅が大きく弦高が低いとビリついてしまう。巻き弦のビリつく音は不快なものだ。
「特に初心者用の楽器は(クレームが出ないように)意図的にナットを高めに設定している」という外国人製作家もいる。


では歴史的にはどうであったろうか。

たとえば、16世紀初頭のカピローラ・リュートブックには次のようにある。
「・・・ナットが適正な高さであることは重要だ。低すぎる場合はナットの下に紙を敷けばよい。
ナットの高さは第1フレットに弦が触れるくらいが適正で、そのようにするとリュートはハープの様に響く・・・」

この時代のゴシックハープにはブレイピンと呼ばれるくの字型の弦止めがあり、弦に触れてビリつかせる機能を持っていた。
ガット弦がビリつく音は巻き弦と違い決して不快なものでなく、かえって音に存在感とキャラクターを与える。
(少なくとも)16世紀初頭のリュートにはビリつきが推奨されているわけだ。


当然のことながら「第1フレットに弦が触れるくらいの」リュートの弦高は非常に低くなる。
ガット弦を張ってビリつくようにナットを低くしたリュートを響きの良い部屋で弾くと、
ビリツキは気にならないどころか音の存在感は増し、大層美しく響く。

では、フレットにはどのくらいのゲージが使われていたか。
現代では第1フレットに1.0ミリか0.95程度、フレットが上がるに従って少しづつ径は下がり、
第8フレットには0.70くらいが巻かれている場合が多いだろう。
弦高の高い楽器では、全てのフレットに同じゲージが使われている場合も多い。

歴史的資料としては、ダウランドの「リュートレッスン様々」に次のようにある。

「・・・フレットガットの太さを適正に選ぶこと。
第1,2フレットにはカウンターテナー(第4コース)の弦を、
第3,4フレットにはグレートミーン(第3コース)を、
第5,6フレットにはスモールミーン(第2コース)を、
そして第7〜第10フレットにはトレブル(第1コース)を使いなさい。
これはリュートのみならずヴィオラ・ダ・ガンバその他全てのフレット楽器に有効である・・・」

弦の太さを、
第4コース:0.80
第3コース:0.65
第2コース:0.50
第1コース:0.40
あたりであると仮定すると、特に高いポジションには非常に細いゲージが使われていたことになる。
そしてそれは弦高が低かったことを示唆する。

弦高は楽器のコンデションと大きく関わっている。
例えば、ネックが逆反りするなどして弦高が非常に低い(低すぎる)楽器は、
ナットを高めにして第一フレットに太いフレットを巻き、
以下のフレットのゲージ差を大きめにすることで適正に弾けるようになる。
逆に、弦高が高めの楽器には全てのフレット径を同じにしたり、
第1フレットから逆に径を大きくすることなどの調整が可能だ。

また、奏者の身体や手の大きさ、好みによっても様々なヴァリエーションは無論あるだろう。

いずれにしても、カピローラとダウランドの記述からは、弦高が低めで弾きやすく、
キャラクターと存在感のある音を持つリュートの姿が浮かび上がってくる。



2010年8月22日

今回はサムインサイド奏法と姿勢について。

リュートをサムインサイドで演奏するためには、楽器が奏者の胸に近い高い位置にあるのが良い。
15世紀末〜16世紀の多くの図版ではリュートは高い位置にある。
テーブルの上などに載せられているのも多い。


このようにすると右手をリュート底部から伸ばすことができ、無理なく右手の親指を手のひらの中に入れることが出来る。

楽器の保持に机を使うのは良いアイデアで、僕が最初にナイジェル・ノースからレッスンを受けたときもこの方法を伝授された。
この方法はサムインサイドに限らずアウトサイドにも使え、うまくすると机を通して床が、そして部屋全体が共鳴する。


しかし、机は持ち運びできないので、ストラップもしくは他の保持具を使うことを考えるわけだ。

良く見られるが、足台を使うのはお勧めできない。

サムアウトで弾かれる楽器ならともかく、ルネサンスリュートをサムインで弾くには足台をかなり高くする必要がある。
腰の負担になるし、かなり足台を高くしてもリュートは胸の位置までは上がらない。
足台は足の位置を固定してしまい奏者の身体は緊張する。
楽器の安定も悪く、奏者は腕の位置を低くしようとして背中を丸めた姿勢になる。
呼吸も自由でなく、楽器は身体にすっぽりと抱え込まれ響きも失われてしまう・・・

良いことは何もないのだ。実際、16世紀の教本や図版で足台を使用しているものはない。

ストラップはなかなか良いが、リュートをサムインサイド向きの高い位置にすると胸が圧迫されて窮屈な場合もある。

友人のリュート奏者ジェイク(ジェイコブ・ヘリンマン)は、ルネサンスリュートの専門家だが、
彼は様々な試行錯誤の末、今では特注の非常に低い椅子を持ち歩いている。
両足を揃えて座り、リュートは滑り止めを置いた膝の上。
弾弦位置は高く、右手は無理なく地面と水平に伸ばされている。


机とストラップの使用を除くと、僕の知る限りもっとも説得力のある姿勢だ
(そして彼は現在最高のルネサンスリュート奏者の一人である)

姿勢と楽器の保持法は大切だ。
特に古楽器入門者や学習者にとってはもっとも注意すべきことだろう。
適切ではない姿勢では本来のスタイルで音楽を表現することは出来ないし、
楽器を弾くのが苦痛になったり、腱鞘炎など故障の原因にもなる。
現代のリュート教師や学習者の多くがこのことをあまり重視していないように見えるのは、一種のオドロキだ・・・



2010年8月20日

先日はリュートのブリッジ上の弦幅のことを書いたが、今回はブリッジ周辺の弦高と右手の奏法について。


指板上の弦高は左手の押さえ易さに関わるが、ブリッジ周りの弦高は右手のタッチに深く影響する。

オリジナルのリュートやバロックギターのブリッジは低い。
表面板と弦の間の距離はおおむね5-6ミリあたりである。

現代のコピー楽器の大体もそれくらいに設定されているが、側板を削ってブリッジからローズにかけて表面板を少し落ち込ませているものが多い。
弦と表面板の距離がブリッジからローズにかけて同じかむしろ増すようになっているのだ。

現代ではリュートはローズ付近で弾弦されることが多く、その箇所の弦高がある程度高いのが良いと言われている。
指先を弦に深くかけて弾いたり、弦を押し込んでも指先が表面板に当たらないからだ。

また、ブリッジからローズにかけて表面板を落ち込ませると、ブリッジが傾いて弾弦のインパクトが表面板に伝わりやすく音量と響きが増える。

このように演奏性と音量に寄与するという理由から、表面板をローズにかけて落ち込ませることは、
歴史的リュートの製作が盛んになった70-80年代に「リュート製作の秘訣」としてもてはやされた。
現在でも多くのリュートやバロックギターは表面板を落ち込ませて作られていて、中にはかなり極端なものもある。

しかし僕がこれまでに観察したところ、オリジナル楽器は特にそのようには作られていない。
弦のテンションでブリッジの後ろが膨らみローズにかけて落ち込むことはどのような楽器でもある程度自然に起こるが、
よく保存されたオリジナル楽器にはそれ以上の落ち込みはないようだ。

オリジナル古楽器は経年変化や度重なる改修/修復のために変形しているので、絶対的なことはもちろん言えないが、
博物館のコンデションの良い楽器はそのように見えるし、僕の所有する数台の17-8世紀のオリジナル・ギターからはほぼ確実にそう言える。
つまり、オリジナル楽器は弾弦位置の弦と表面板の距離が短いのだ。

表面板の落ち込みのないオリジナル楽器にガットをロウテンションで張ると、自然にブリッジ寄りで弾きたくなる。
低いテンションのガット弦はブリッジ寄りの位置でクリアーに鳴るし、弾弦は容易で身体にも負担がない。

指を弦に深くかけたり弦を表面板に向かって押し込む奏法は使えない。
「弦を押し込む」奏法は現代ではしばしば推奨されるが、歴史的にはなかったのではないかと思う。
指先が楽器の表面板に当たり、雑音を発したり表面板に傷をつけてしまうのだ。

従って、指先を弦に浅くかけ、指を押し込まずに、いわば弦を表面板に平行に振動させるようなタッチをとることになる。
ナイロンやカーボン弦はこの弾き方では美しく響かないが、ロウテンションのガット弦には向いている。
発せられる音色はリーディで響きが少なくクリアー。言うなれば子音が強く修辞性の強い「語る」音となる。

これに慣れてしまうと、右手付近の弦高の高い楽器は弦が指に絡みつくようで弾きにくい。
そのような楽器は、弾弦のインパクトで表面板が暴れるように発音するため
一見(一聴?)音量があり良く響いているようでも、その実はキャラクターに欠ける空虚な響きだ。
表面板の動きが大きいために、アーティキュレーションが不明瞭で、音楽的内容も不明確になりやすい・・・



2010年8月15日

今回はリュートの弾弦法について。

リュートは15世紀には主にプレクトラムで弾かれていて、16世紀には右手の親指を手の平に入れて弾弦する「サムインサイド」で、
17世紀以降は親指を外に出す「サムアウトサイド」奏法で弾かれていたとされる。

このことは当時の教則本や図像からもほぼ明らかだ。

サムインからサムアウトに移行したのは大体1600年頃だと思われる。
例えば1603年出版のロビンソンの教本はサムインサイド奏法を採っているが、
1610年出版のダウランドの教本では、サムインサイドとアウトサイド両方の奏法が論じられ、
サムアウトサイドを「よりエレガントである」として推奨している。


また1600年頃の資料には次のようにある。
「アウトサイドの音は純粋で明るいがインサイドの音は不愉快で不明瞭である。
ダウランドはもともとインサイド奏法であったが、現在はアウトサイドで弾いている。」

(次のページも参照ください:右手の奏法について
http://www.crane.gr.jp/~tarolute/kogakkistarter3.htm)


いずれにしても16世紀にはインサイドで弾かれるのが主流であったことは確かだが、
実際にはどのように弾弦されていたのか?

現在、サムインサイド奏法は次のように説明されている場合が多い。

1)弾弦位置はローズの真上あたり。
2)小指は表面板に軽く置き、パッセージは腕と手首を振るようにして親指と人差し指を交互に使って弾弦する。小指は表面板を軽く擦る。
3)これは15世紀のピックを使っていた奏法のなごりである。
4)この奏法により自然な強弱が生まれる。
5)サムインサイド奏法には(ブリッジ上の)弦幅が広いリュートが使われた。

しかし、これらは歴史的な情報とは符合するわけではないのだ。
ひとつづつ見ていこう。

1)16世紀の教本でローズの真上に手を置くことを推奨しているものはない。
図版でも手の位置はブリッジとローズの中間が多い。


2)多くの文献で「小指は表面板の上に『しっかりと』置く」とあるが
「腕や手首を振る」と書かれているものはない。

3)「ピックの使用」から、我々は現代のフォークギターやウードに見られるように
固いマテリアルのピックを使った激しい手の動きを連想しがちだが、
15世紀のリュートに使われたプレクトラム奏法はそれらとは全く異なっていた。
プレクトラムは鳥の羽軸から作られた華奢なものであり、通常は人差し指と中指に挟まれており、
熟練した奏者は同時に親指と薬指をも使い対位法的楽曲を弾いたらしい。
つまり15世紀のプレクトラム奏法は手の動きも音も非常に繊細なものであったと考えられる。

人差し指と中指に挟まれたプレクトラム

4)歴史的な資料で、指使いによる「強弱」に言及しているものはない。

5)ヒーバーやゲルレなど16世紀のオリジナル・リュートのブリッジ上の弦幅(1-6コース)は69ミリほどである。
対して現代のコピー・ルネサンスリュートの弦幅は75ー85ミリのものが多い。
腕や手首を振る奏法でオリジナルの(狭い弦幅の)リュートを弾くことは難しい。
むしろ小指を固定して、指の最小限の動きで弾くことが必要だ。
(ちなみにサムアウト時代のオリジナル楽器の弦幅はより狭く、56ミリ程度のものが多い)

ヒーバーとゲルレのオリジナルリュート

つまり歴史的なサムインサイド奏法とは、おおむね
「弾弦位置はブリッジとローズの中間、小指を(ブリッジ近くに)固定して、腕を振ることなく指を小さな動きで動かす」
ものであったことが推察できる。
これは同時代のギター(ルネサンスギター)やイタリアのヴィオラ・ダ・マノの場合もおそらく同様だろう。



2010年8月10日

(続き)

(古い)音楽を指導する人の立場は、往々にして医療を施す人のそれと似ているところがあるかもしれない。
僕の様に定期的にはレッスンはあまり行なっておらず、講習会やワンレッスンで教えることが多いとそう思うことがある。

レッスン生の殆どは初心者ではなく、多くは独学の時期が長いか他の先生にレッスンを受けている。
そして、大抵はなんらかの問題意識や課題を持ってレッスンに来る。
例えば僕のレッスンには、右手の奏法を学びたい、ガット弦を使ってみたい、イギリス音楽を知りたい、
通奏低音を学びたい、バロックギターのラスゲアードを探求したい、といった課題と共に来る人が多い。

しばしば、その人たちの多くはこれまでに適切とは言えないレッスンを受けていることに気づく。
バロックリュートを親指内側奏法で弾かされていたり、ガット弦は役に立たないと言われていたり(あるいは使っていてもテンションやピッチがメチャクチャだったり)、
パーセルをルネサンスだと刷り込まれていたり、バロック音楽をずっと弾いているのに和声の基本も知らなかったり、
単弦のアーチリュートがあると信じていたり、フラメンコのラスゲアードをバロックギターで行なっている・・・といった具合だ。
全ては不勉強なセンセイが、個人の選択やホントには知らないことを生徒に教えてしまったためにおこったことだ。

独学の場合はまだマシの場合が多い。
多くの独学者は情報を得るために文献などを読んでいるし、何割かはオリジナルの教本なども触れているからだろう。
すくなくとも他人の言うことを検証することなく鵜呑みにしてしまう傾向はやや減るようだ。

そういった人たちを教える場合、まずは歴史的エビデンスを客観的に伝えることから始め、数回かけて実践まで持って行く。
もともと問題意識を持っている人が多いので、論理的なレッスンは効果的だ。

それはまさに、間違った迷信や(民間)療法で痛めつけられた身体を、
適切な(標準)医療で最適のコンデションにもどすようなことだったりする。

ここで重要なのはエビデンスに基づいた科学的な態度で、
オリジナルの教本、文献、図像、楽器などが最も重要な資料となる。
個人的な体験や、現代の演奏家の方法や選択などはあまり参考にならない、というかするべきではない。

あくまでも16-19世紀にはどうであったかを知ろうとする態度が大切だ。
それは古の人々やその芸術と交流することだとも言える。

そういったプロセスを経た上で何を選択するかは個人的な問題だ。
人間一人一人、考え方も嗜好も身体つきも異なるのだから、結果は一人一人違って当然だ。

いずれにしても、これまでに明らかになった歴史的な知見は、古い音楽に関わる全ての人に共有されるべきだと思う。
そうなった暁には、無知や無教養から来るいい加減な教授や実践は影をひそめるだろう・・・・・



2010年8月5日


たまには音楽以外の話題を。

2010年7月、イギリスの保健省はホメオパシーの健康保険適用を継続することを決めた。

これは大変残念な決定だ。

ホメオパシーとは約200年前から行なわれている一種の代替療法。
特定の物資を希釈して作ったレメディ(Remedy)の摂取により人間の自己治癒力を高める・・・と言われているが、
近年の研究でレメディは単なる砂糖玉で、ホメオパシーには心理的なプラセボ以上の効果がないことが明らかになっている。

イギリスではホメオパシーは数十年前からNHS(国民健康保険)の対象となっており、ホメオパシー治療に特化した病院もいくつかある。
しかし、その理論、効果共に疑わしく、近年インテリ層を中心にホメオパシーへの批判が高まっていた。
そして先頃、下院の科学技術委員会は「ホメオパシーにはプラセボ以上の効果はない」旨の報告書を保健省に提出し、
政府がホメオパシーの保険適用をとりやめることが期待されていた。

しかし今回、イギリス保健省はホメオパシーを保険から外さなかった。

ガーディアンやインデペンデントなどイギリスの大手新聞はこぞってこの決定を批判している。
ホメオパシーが保険治療で行なわれることは、(効果のある)通常医療の予算がそれだけ削られることだから、批判は当然だ。

ホメオパシー・レメディは単なる砂糖玉で薬効はないかわりに副作用もないので、
「安全な療法」として紹介されることがあるが、実際にはホメオパシーに嵌ったがために、
適切な医療を受ける機会を失ったり治療が遅れたりすることがある。
副作用どころかマイナス作用だ。

イギリスでは原則としてホメオパシーは軽微な疾患にのみ適用されることになっているが、
世界ではホメオパシーに嵌ったが故に重体に陥ったり、死亡した例も報告されている。

僕の周囲でも、ある疾患の治療をホメオパシーで始めてしまったが為に、
通常医療を受けるのが遅れて症状が悪化したり治癒が長引いたケースはいくつかある。
僕自身、学生時代に近所の薬局でアレルギー用のホメオパシー・レメディを(それとは知らずに)処方され、
症状が悪化して帰国を余儀なくされた苦い経験を持っている。

日本にも近年ホメオパシーは紹介されており、同時に被害が出始めているようだ。
日本ではホメオパシーはアンチ通常医療の体をなしているように見え、ホメオパシーに嵌った(母)親や助産師による医療ネグレクトが報告されている。
アトピーや腎臓病の子供に適切な医療を受けさせずホメオパシーで対応し、より症状を悪化させたり、長く苦しませたりする・・・といった例だ。
この場合被害者は自分で選択できない子供なので、より状況は悲惨で問題は深刻だ


何故、保健省はホメオパシーの保険適用を外さなかったのか?

それにはイギリスの健康保険の実情が大きく関わっているように思う。

イギリスの国民皆保険は徹底していて、ほぼ全ての医療は無料で受けることができる。
外国人でも長期滞在者や永久ヴィザ保持者はその恩恵にあずかっている。

なにか不調がある場合、近所の診療所に行きGP(かかりつけ医)の診察を受ける。
簡単な治療はそこで受けることが出来るし、処方箋ももらえる。

と、ここまではよい。

より重篤であったり、大がかりな検査が必要である場合はGPを通して大病院を予約する。
(診療所にはCTやMRIどころかレントゲンすらない)

大病院での検査の場合、待ち時間は長く、予約してから数週間は優にかかる。
たとえば、風邪をこじらせて肺炎などが疑われる場合、
肺のレントゲンを撮るのに数週間かかるということだ。
そして検査結果まで数週間、医師との面談に数週間・・・といった具合で、
最初の検査から治療まで年単位の時間がかかるのも珍しくない。
(勿論、緊急もしくは救急の場合は話は別である)

裕福な層は保険医ではない高額な医者にかかる場合も多いが、
やはり大多数の庶民はNHSの保険治療に依っている。

こういった状況では、副作用がないレメディを(効果ナシと分かっていても)
摂取するのはなんらかの気休めにはなるのかもしれない。

また、現在、代替療法としてそれなりに浸透しているホメオパシーの保険適用を外し全くの民間療法としてしまうと、
レメディの管理監督がゆきとどかず、ある種の薬害が起きる可能性もある。
(例えばインドやアメリカでは無害な筈のレメディに劇薬が混入する事故も発生している)

イギリスは今年5月の総選挙で、それまでの労働党に変わり保守党/自由民主党の連立政権となった。
新政権は医療政策としては「患者の主体性と責任、選択の自由」を建前としており、このことからもホメオパシオーを保険対象から外すことには二の足を踏んだのではなかろうか。

また、現在、健康保険システムに組み込まれているホメオパシー関係者との
兼ね合いもあるだろう。

以上のようなことを考えると、今年5月に政権を取った保守連立政権が文字通り「保守」に走っただけのことのようにも見える。
イギリス人にはもともと変化を好まぬ大層保守的な人たちが多いのだ。

いずれにしても、ホメオパシーが健康保険から外されるのはそれほど遠い将来の話ではないように思える。

イギリスの健康保険の被保険者の一人としては、ホメオパシーのような効果のない気休め療法よりは、通常医療を充実させて欲しい。
病院の検査や治療に数週間〜数ヶ月かかるのは常軌を逸している。
また代替療法を取り上げるとしたら、ホメオパシーではなく、少なくとも何らかの効果があるShiatsu(指圧)やArchipancture(鍼灸)、
アレクサンダー・テクニックなどを対象にしてもらいたいものだ・・・

(続くかも)

この問題に関しては↓のサイトで適切に議論されています。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1280192041



2010年7月22日

レコーディングも無事?終ったので、今日は思い切り趣味に走り、象牙のトラヴェルソを買ってしまう。
しかも2本!である・・・

1本はフェンタム作の8キイ、美しい銀のフィッティングが施されている。1840年頃のロンドン作。
ニコルソン的ラージホールの楽器で、鳴らせやすく音量がある。
音色は美しく、音程も良い。


もう1本は4キイフルート。
オリジナルは1760ー70年頃のカヒューザック一世の1キイだが、1800年頃にフランスで4キイに改造されている。
頭部管に損傷があり修理が必要である。
ドイツにレストアに出す予定だが、こういった改造を施されている楽器の場合、時間をかけてオリジナルの1キイに戻すべきか、
それとも[part of history]として4キイのまま保存するか、選択に迷うところだ・・・

2本のカヒューザック:1キイと4キイ

これで趣味のトラヴェルソ・象牙コレクションはちょうど10本になった・・・(Akireru?)


「趣味のトラヴェルソ」のページはここをクリック!



2010年7月21日

ソロCDのレコーディングを終えてロンドンに戻る。

18日の夕方から20日の夜までかけてウエストンの教会で録音した。
演目は18世紀のギター音楽、楽器は全てオリジナルである。

迷っていた楽器の選択だが、やはり鳴りよりも音色や修辞性を優先して、
ランベール作5コースギター、プレストン作イングリッシュギター、ペリー作イングリッシュギターとなった。

共演者はジュディ・ターリング(ヴァイオリン)とテリー・チャールストン(チェンバロ)
プロデューサーはジョン・テイラー。

大変楽しい経験だった。
リリースが楽しみである。

レコーディングの詳細はここをクリック!






2010年7月17日

明日からソロCDのレコーディングが始まる。
ロンドンの北、ウエストン荘園の古い教会が会場である。
準備万端整った! あとは録音するばかり、といいたいところだが実はまだ楽器を選びかねている。

バロック5コースギター、イングリッシュギター in C, イングリッシュギター in Aの3台を使う予定だが、
バロックギターをマーシャルにするかランベールにするか、
イングリッシュギター in Cをスワートソンにするかプレストンにするか、まだ迷っている。

マーシャルとランベールは同時代にパリで製作されており、どちらも装飾豊かな名器だ。
マーシャルは音量もあり音質も良く本番で頼りになるギターで、
ランベールは音量には欠けるが音の深みや唄ごころには超越したものがある。

スワートソンは1790年代にアムステルダムで作られたギターで、その意味では「イングリッシュギター」ではないが、
深いボディから発せられる音はリッチで音量感があり、アンサンブルに向いている。
プレストンは真正のイングリッシュギターで、バランスも良く音色に含蓄がある。

要するにそれぞれにそれそれの良さがあり、どれも捨てがたいわけだ。

どのギターもいつでも出動?できるように楽器の準備は整っている。
明日の昼までには決断しないといけない・・・

左から:ペリー、ランベール、マーシャル、プレストン、スワートソン



2010年7月16日

OAE(オーケストラ・オブ・ジ・エイジ・オブ・エンライトメント/啓蒙時代オーケストラ)の本番。
演目はモンテヴェルディのヴェスプロ。 

このところずっとレコーディングの準備で18世紀のギターばかりに触っていたので、
よい気分転換になるかと、押し入れからキタローネを引っ張りだして出かける。

ステージでは楽しく演奏したが、なんというか、大きな編成のアンサンブルには少々飽きてきたのも事実だ・・・
名コンティヌオ奏者と言われる素晴らしいリューティストたちも、ある程度年齢がいくと
テオルボから足を洗ってソロや小編成のアンサンブルに比重を置くのも分かる気がする。

といっても、やはり優れた共演者たちとバロックのマスターピースを演奏するのは、やはり貴重な経験だ。
ことにイギリスの歌手の技量の高さにはいつも感心する。


それに・・・バロック音楽の真髄は大編成の大きな作品にある。
ミサ曲、受難曲、オペラやバレ、そしてコンチェルトやシンフォニアなどは
当時一流の作曲家が腕を振るって書いた最上最高の作品群なのだ。

独奏曲や小編成のカンタータや室内楽はある意味ではそれら大きな作品の縮小版、ミニチュアだとも言える。

従って、たとえ小編成のアンサンブルやソロしか弾かない奏者でも、大きな作品を経験していることは重要というか必須だ。
大きな作品を経験していると、小編成の作品がどの範疇に属するかを見分け、エッセンスを演奏に盛り込むことが出来るのだ。
その意味でも、優れたバロック・オーケストラと共演するのは良い経験になるのだ。

たまに「自分はソロと室内楽が専門で、オケには興味はない」と言い切るバロック音楽家に会ったりするが、
その立場は理解し尊重しても、音楽家としてはあまり信頼できないように感じる・・・



2010年7月14日

ランベール・ギターのローズができあがったので修復工房にて交換装着する。


パーチメントのローズに金泥塗りを施す。


本来はローズは表面板の裏板から接着するのだが、今回はボディを開けずに外から装着した。


これまでの二次元ローズに比べて開口面積は小さくなったが、
特に音量には変化なく、低音特性が良くなり、また幽かなヴィブラート感が増して高音がよりレガートになったように思う。
また、響きがより立体的にも感じられる。目論見通りである。


これでランベールギターの修復も一段落。
このギターは今週末から始まるソロ・レコーディングに使用する予定だ。




2010年7月13日

またしても弦について

↓に書いたように(6月28日の日記参照)、17,8世紀に巻き弦がなかったわけではなく、
ガット上およびシルク上の巻き弦はしばしば言及されている。
特に18世紀の中庸以降、シルク上の巻き弦は広く使われたらしい。

NRIのカスタム弦(シルク上に銀メッキした銅線を巻いたもの)を18世紀後半のギターに張ってみると、
他のどんな巻き弦とも違った弾き心地と音だ。

一言で言うと「ガットに近い!」である。

巻き弦にありがちな高い倍音や金属音はほとんど聞こえない。
ガット上の巻き弦に起こりがちな不正振動もない。
つまりは、オープンワウンド弦が少し細くなり余韻が伸びたという感じの弦なのである。

なので、こんな感じで張ってみた。↓

第1-3はガット、第4コースのブルドンはハイツイストのガット、第5コースはシルク上の巻き弦である。

シルク上の巻き弦は、20世紀中庸にナイロン芯の巻き弦が発明されるまで、
長く愛用されてきた。18世紀のバロックギターは言うまでもなく、
ラコートやパノルモなど全ての19世紀ギター、トーレスやハウザーといったクラシックギターも
もともとはガットの高音弦およびシルク上の巻き弦で張られていたのだ・・・



2010年7月10日

イングリッシュギター(18世紀シターン)の弦について調べる。


イングリッシュギターはもうずいぶん長い間弾いているが、
弦の選択は常に悩みのタネだ。

歴史的なエヴィデンス、言及が非常に少なく、
現代におけるスペシャリストは少なく(皆無でないとしたら)、
信頼できる研究も殆ど行なわれていない・・・
つまり参考になる文献、意見がほとんどないのだ。

(まあ、これはガット弦の場合も同様なのだが、僕は基本的に他人の体験談は殆ど信用しない。
古楽と古楽器に関する何事もそうだが、結局は歴史的エビデンスを自分で納得のいく限り調べ、
自分で実験、実践するしかないと思っている。
それだけ巷には根拠のない伝説というか誤りが横行しているからだが・・・)

ここでは、これまでに自分が調べ、考え、試したことをまとめてみる。

ピッチについて

イングリッシュギターにはおおむね3つの大きさがある。
弦長43センチ、47センチ、そして50センチだ。
それぞれ、ハ長調、イ長調、ト長調の和音に調律された。

この時代には、リュートやギターには絶対的な音高は存在しなかった。
奏者の好みや楽器のコンデションによって、適当に(適切に)調弦されていたわけだ。
同じ楽器でも、状況によって全音くらいの幅があって調弦されていただろう。

したがって、イングリッシュギター(および他の撥弦楽器)にA-415やA-440といった
絶対的な標準ピッチを設定するのは出来ない。

しかし、弦長43センチの小型イングリッシュギターはチェンバロやチェロ、
ヴァイオリンとのアンサンブルに多く用いられていた。
当時の英国ではチェンバロはおおむねA-405から425ヘルツくらいに調弦されていたと思われる。
従って、チェンバロと演奏する際はギターもそのピッチに合わされていただろう。
また、当時の教本には「鍵盤楽器に合わせる」との記述がある。

つまり小型の楽器はA-415 近辺(のハ長調調弦)に調弦されることも多かったと考えても良いだろう。


最高音コースのゲージについて
あらゆる撥弦楽器がそうだが、
「当時入手できた最も細い弦を最高音コースに張って、出来るだけ弦長を長くする」のが原則だ。
長い弦長は低音に有利だし、細い弦は音色を明るくする。

しかし、あまりにも細い弦は切れやすかったり、音色が痩せてしまったりする。
この辺のさじ加減は個人の好みも反映されるだろう。
リュートの場合、ダウランドは「細すぎない弦を中庸の張力で張る」と書いている。

イングリッシュギターの第1,2コースはアイロン(焼きの入っていない柔らかな鉄線)だ。
当時のイギリスのチェンバロに用いられた最も細いゲージは0.23ミリ程度。
カークマンなどチェンバロ工房の記録では4番の数字が付いている。
ということは3番:0.21ミリ、2番:0.19ミリ、最も細い1番:が0.17ミリぐらいであったと推察される。
また、17,8世紀を通じて金属弦の主要な生産地であったニュルンベルグでは0.15ミリあたりまで生産されていたらしい。

ここでは、イギリスで通常入手可能であった0.17ミリあたりを最も細い弦として考えて良いだろう。

ちなみに弦長43センチ(A−415)の楽器に0.17を第1コースに張るとテンションは約1.8キロ。
以下同様に、0.19:2.2キロ、 0.21:2.8キロ、 0.23ミリ:3.1キロだ。

余談だが、現代のアコースティックギターやエレクトリックギターに使う金属弦は焼きの入ったスチール弦である。
スチールはアイロンと比重やテンションなどは同じだが、強靱で切れにくい。
奏者にとっては(主に)左手の負担が増し、また音色もアイロンとは異なる・・・


イングリッシュギターの音色と音量
歴史的文献にはギターの音色について「甘く心地よい響き」とあり、
また「チェンバロの様な大きな音量」とも言及されている。


奏者
シュトラウベやジェミニアーニなどプロ奏者は男性が多かったが、
一般の愛好家は圧倒的に淑女であった。
また、学校では幼年者にもギターは「容易な楽器」として教えられていた。
つまり体にも負担が小さな楽器であったのだ。


歴史的言及について
イギリスのイングリッシュギターの弦についての言及はまったく発見されていない。
ただ大英図書館にて次の二つの文献を見つけた。

シャルパンティエのシターン教本

1770年代にパリで出版されたもの。
イングリッシュギターによく似たフランスのシターンのための教本/曲集。
この楽器は通常は弦長50センチ、イ長調調弦であった。
弦については「第1コースには7番、第2コースには6番、第3コースにはブラスの3番を張る」と書かれている。
また「高いピッチに対応するには8番、7番、4番を張る」とも言及している。

レイテのイングリッシュギター教本

1790年代にポルトガルで出版された大部の教本/曲集。
ポルトガルギターの始祖となるイングリッシュギターについて詳しい解説、奏法の説明がある。
間違いなくもっとも重要な文献だと言えるだろう。専門家/愛好者必携!である。
弦については「第1コースにはカリンホの7番ではなくて8番を、第2コースにはカリンホ6番、第3コースにはカリンホ4番を用いる」
という記述がある。
カリンホは弦をコイル状に巻いてある糸車状のものであったらしい。。


弦番号について
レイテとシャルパンティエの弦番号が似通っていることは興味深い。

この番号の可能性としてもっとも考えやすいのは、「ニュルンベルグ番号」として知られている弦のゲージだ。
17,8世紀にはヨーロッパでもっとも普及していた金属弦のゲージ番号であり、次のように対照できる。
8番:0.24ミリ
7番:0.27ミリ
6番:0.30ミリ
5番:0.34ミリ
4番:0.38ミリ
3番:0.42ミリ

つまり
シャルパンティエのゲージは
@0.27ミリあるいは0.24ミリ アイロン
A0.30あるいは0.27ミリ  アイロン
B0.42ミリあるいは0.38ミリ ブラス
となる。

レイテのゲージ
@:0.24ミリ アイロン  
A:0.30ミリ アイロン
B:0.38ミリ アイロン
となり、張力としては第1コースがやや低めである。
レイテは1弦には「7番(0.27)ではなく8番(0.24)を」と書いており、
第1弦はあえて弱めを勧めているのは興味深い。

問題はピッチスタンダードだが、シャルパンティエの場合はA-390およびA-415近辺、
レイテのゲージはA-415近辺だと推測できる。


実践

金属弦を持つイングリッシュギターの特徴は
*弦長が短いのでテンションが強めに感じられる(適正テンションは低めになる)
*左手にはテンションがガットよりも強く感じられ、押弦は困難である。
*右手にはガットよりもテンションが弱く感じられ、雑音になりやすい。
*弱いテンションでは調弦が合いにくい。
*テンションが強めの方が音色は甘く響くが強すぎると荒々しい音になる
などだ。

イングリッシュギターはガット弦の楽器よりもやや高い張力で張られていたのかもしれない。
高い張力の場合、雑音は出にくく調律の狂いも出にくい。
問題は左手の押弦が困難になってしまうことだが、弦高をかなり低めにすることでかなり対処は出来る。
高めの張力、低い弦高によって、ギターは音量、音質共に向上し、扱いやすくなりそうだ。
高音の3つのコースはほぼ同じ張力か、第1コースをやや低めにするのが良さそうだ。
イングリッシュギターでは第1コース以外のハイポジションは殆ど使わないが、
ハイポジションでスムーズに音が出るためにはテンションが低めの方が良いのである。

以下は僕の現時点での選択である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
A−415 弦長43センチ ハ長調調弦

ライト・テンション
@0.21ミリ アイロン
A0.27ミリ アイロン
B0.34ミリ ブラス


ミディアム・テンション
@0.23ミリ アイロン
A0.30ミリ アイロン
B0.37ミリ ブラス




2010年7月7日

ピッチについての続き。

ルネサンス、初期バロック時代には高いピッチが好まれてA−466が一般的であったという意見がある。
しかしこれは決して正しくはない。

17世紀にヴァニスで製作されたコルネットやリコーダー(およびオルガン)にA−460を超えるものが多いのは確かだ。
いわゆるコルネットトーンである。
これらの管楽器に高いピッチが使われたのは主に運指の都合上であり、
オルガンの場合は管を短くした方が建造費が安価に上げることができたためだ。

しかし、ヴァイオリン属やリュート属など弦楽器がそれらのピッチに調弦されたことは通常はなかったと思われる。
プレトリウスは「コルネットの高いピッチは弦楽器奏者には評判が悪く、歌手にとっても負担が重い」意のことを書いているが、
弦楽器はコルネットトーンよりも全音から長3度くらいは低く調律されているのが普通であった。(カンマートーンとコーアトーン)

当時、管楽器(群)と弦楽器(群)が合奏することはあまりなかったし、
合奏する際はそのためにピッチが折り合う楽器を選んだり、セッティングを替えたり、多くの場合は移調していたらしい。

リュート/バロックギター奏者にとってはコルネットトーンに調律するのははなかなかやっかいだ。
現在通常使われている大きさの楽器でこのピッチに調弦できるものはキタローネだけだと言って良いだろう。

同業者から「弦長60センチのリュートinGと54センチのルネサンスギターinAをそれぞれオーセンティックにルネサンスピッチA-466に調弦して・・・云々」
という話しを聞いたことがあるが、実際は「オーセンティックに」ガット弦を張った場合はこれは全く不可能だ。
A-440でも無理がある。415で短期間ならどうにか不可能ではないといったところだ・・・



2010年7月5日

ロンドンのフェスティヴァルに出演。

ガンバコンソートとの共演で、演目はマシュー・ロックのコンソート数曲、あとキタローネ(テオルボ)とバロックギターのソロ少し。
ガンバコンソートはスザンナ・ハインリヒをリーダーとするグループで楽しんで演奏する。

この時代のイギリスのコンソート曲のコンテュヌオは弾いていて楽しい。
曲の和声的構造は複雑すぎず、初見でもほぼ問題なく弾ける。
ただ、イギリス音楽らしく半音進行やファルス・リレーション(対斜)などの落とし穴(?)が随所にちりばめられているので油断は出来ない。
公開の本番の場合は数字はある程度丁寧に付けることにしている。

・・・で、(大きな声では言えないが)数字付けはあまり好きではない。
曲の譜読みは特にキライではないが、数字を付けなければと思うと気が重い。

それは、単なる譜読みの場合は曲を音楽的に楽しむことが出来るが、
数字付けはペンを持つ指の動きにも関係して、止まったり戻ったりしつつ行なわざるを得ないからだろう・・・
音楽が楽しみでなく義務になってしまうわけだ。

結局、今回は当日会場に向かう電車の中で大急ぎで数字付けした。


楽器はヤコブセン作のキタローネとマーシャル作オリジナル・バロックギターを使った。
どちらにもガット弦を張ってあり、コンサート前半にはキタローネ、後半にはバロックギターと
使い分けることにする。

音楽的効果を考えてだが、ガット弦を張った2台の楽器を厳密に同じピッチに保つのはなかなか難しく、
特に今回は4台のガンバとの共演なので、調弦を容易にする意味もある。
(下手すると、こちらが楽器を持ち替えるたびに4台のガンバが調弦をやり直すことになる)


ギターは先日の本番で素晴らしく鳴ってくれたランベールのギターを使うことも考えたが、
ピッチがA−415だったのでマーシャルのギターを使うことにした。ランベールのギターはA-390に設定してある。

このモダンピッチよりも半音低い「バロックピッチ」は、今から数十年前、古楽演奏が盛んになってきた際に、
ホグウッドやブリュッヘン、レオンハルトといったパイオニア演奏家たちに「考案」された音高である。

このことによって、グローバルにバロック楽器はA-415がスタンダートとなり、古楽の復興と普及に大きな役割を果たしてきた。

バロック音楽の重要なレパートリーであるバッハ、ヘンデルなどの使ったピッチは多くの場合A−405〜425あたりだったと思われるので、
チェンバロの鍵盤移動などを考慮すると、モダンよりちょうど半音低いA−415は妥当な選択であったと言える。

しかし・・・しばしば、いっそのこと全音低いAー392をバロックピッチに定めてしまえば良かったのに・・・と思うこともある。
バロック音楽全般を眺めると、むしろ392の方が当時の一般的な響きに近い場合も多いようにも感じるのだ。

今回のマシュー・ロックもまさにそうで、当時はおそらくはA−380-390あたりに調弦されていたと思う。
低いガンバコンソートの響きはまた格別なのだ。

(プレトリウスは「イギリスではドイツのカンマートンよりも5度低く調弦して演奏される」ことを言及している。
ピッチが低くテンションの低いコンソートがイギリスで好まれた証左だとされる)

リュート/バロックギター奏者としては、低いピッチは無条件に歓迎だ。

考えてみると、現在一般的なサイズの楽器(弦長60センチのGルネサンスリュート、弦長56センチのAヴィウエラ、弦長54センチのAルネサンスギター、
弦長70センチのバロックリュート、弦長69センチのバロックギター、弦長85センチのキタローネ、弦長67センチのアーチリュート)などのうち、
ガットを張ってA−415(以上)で無理なく使える楽器はキタローネしかないのだ。他の楽器はそれよりも低いピッチでないとほぼ実用にはならない・・・



2010年7月2日

ロンドンにてレコーディング。

と言っても商品になったり放送される音源ではなく、友人の歌手のプロモ用のものだ。
演目はダウランドのリュートソング。

久々にゲルレ・コピーのリュートを用いた。
言うまでもなく総ガットである。


久々に弾いてもこの楽器は弾きやすい。
ガット弦を張っていることもさることながら、
弦幅がオリジナル通り狭いこと(ナット上の1-6コース間が36ミリ)と、
ネックの断面が3角状(egg shaped)なため、親指をネックの上に置きやすいためだ。

現代では「左手の親指はネックの中央かすこし下に置く」のがよく勧められる奏法だが、
これは20世紀的クラシックギターの奏法の流用である。
弦の多いバロックリュートなどは例外として、弦の少ない楽器の場合、親指はネックの上部に置かれていたと思われる。

実際このようにしてみると、腕の重さをネックに預けることが出来るため、腕はリラックスでき、指の動きが自由になる。

三角状のネックの形は6コース・リュートや5コースギターにしばしば見られるが、この形は親指を置くのに都合良く、大変快適なのだ。




2010年7月1日

ロンドンでソロ・コンサート。

ストーク・ニューイントンの古楽祭での演奏。
このフェスティヴァルにはほぼ毎年参加しているが、ソロ・リサイタルは今回が初めて。


18世紀のギター音楽を中心にプログラムを組んだ。
ヘンデル、シュトラウベ、ジェミニアーニ、メルキなどだ。
このフェスティヴァルの主催者であるガンバ奏者とのアンサンブルも3曲ほどある。

会場は16世紀に建てられた聖メアリー教会。
建物も庭も流石に古びてはいるが、非常に響きの良い教会だ。
音は大変クリヤー、演奏時にもストレスは殆ど感じられない。
ルネサンス、バロック時代の建物の響きの典型と言え、僕がロンドンで最も好きな演奏会場だ。


ギターはオリジナルばかり4台使う。
ランベール作5コース、マーシャル作5コース、ペリー作イングリッシュギター(A調弦)
そしてスワートソン作イングリッシュギター(C調弦)である。

やはりオリジナルばかりで弾くのは気持ちよく、また演奏しやすい。
コピーとオリジナルでは音の出方や必要とされる奏法も大きく異なるので、
一台でもコピー楽器が混じると、こちらのアプローチがどうしても混乱しやすいのだ・・・


今回のコンサートでは、いくつか弦のテンションと鳴りに関する実験を行なった。

マーシャルとランベールの5コースギターはほぼ同じ弦長をもつ同時代の楽器で、
どちらもAー415で調弦してある。弦はランベールの方がやや弱いテンション。

ランベールは胴体に多くの装飾が施されており、楽器はやや重い。
弦高は限界まで下げてある(7フレット近辺で指板と弦の間は約2.5ミリ)
自宅のスタジオなどで弾くと、音は綺麗だがあまり音量のある感じはしない。

しかし、今回、教会で弾くと音が非常に良く伸びて感じられる。
また音色にもキャラクターがある。まるで人の声の様だ。

マーシャルは明るい音でどんな会場でも良く鳴ってくれるギターだ。弦高はまあ普通。

リハーサルの終了間際、思いついてランべールのギターを約半音下げA−390にしてみる。
テンションは非常に低くなった。シングル3キロ、ダブルは2キロそこそこ。
通常であれば「実用不可! ビリ付いて音にならない!」と嘲られる(?)ほど低い。

しかしなんとしたことか、楽器はより良く鳴るのだ。弦に触っただけで音が手元からぐんぐんと伸びていくようだ。
心配であったビリツキも殆ど起こらない・・・というか起こっているのだろうが全く目立たない。

弦高は低く設定してあるが、このくらいテンションが低いと左手の指が弦を押さえる際に弦が動き、ずれやすくなる・・・
つまりは弦高はもっと低くても良いのだろう。

これと同じ経験・・・通常では考えられないほど低いテンション、低い弦高、低めのピッチの設定で、
弦にごく軽く触れつま弾くようにした途端に、楽器が急に(人が変わった様に)語り始めるのは、
これまでにもセラスのバロックギターでも経験したことがある。

その変わり様はまさに衝撃的なほどなので、思わず(現在一般的に行なわれている)古楽器の設定は
大きく誤解されたまま行なわれているではないかと思ってしまう。

というか、おそらく間違いないだろう・・・
リュートと19世紀までのギターに関する残されているエヴィデンスの多くは
現在の「古楽器」よりも遙かに低い張力、低い弦高、低いピッチを示唆しているのだ。

また、現在行なわれている「古楽」奏法・・・
腕や手首を振って行なうフィゲタや、弦を表面板に向かって押し込む奏法などは、
まず間違いなく20世紀の発明であって、本当の意味の歴史的奏法ではないのだ。

このことについてはまた稿を新たに書きたい。

ともあれ、リサイタルは盛況で大変気持ちよく弾いた。




2010年6月28日

NRI社から弦が届く。
バロック(ロココ)ギターやイングリッシュギター(18世紀シターン)の低音に使う巻き弦を注文しておいたのだ。

絹(シルク)上の巻き弦で、巻き線には銀メッキした銅線を指定した。
いわゆるclose wound on silkである。


この種の弦は他のメーカーでもカタログには載せているのだが、
実際は、ある決まったゲージ、スペックでしか作っていないところが多い。

なので、今回はこちらの選んだゲージとスペックでNRIに特注を出したわけだ。

巻き弦は17世紀の中庸におそらくはイギリスで発明されている。
プレイフォードの「ガットおよび絹に金属を巻いた弦は素晴らしい・・・絹の巻き弦はガットのものよりも長持ちする、云々・・・」の記述は有名だ。


ただ、その後、リュートやバロックギターに巻き弦が使われた形跡はほとんどない。
バロック時代が終るまでプレインガット、ローデッドガット、オープンワウンドが主に使用されていのだ。
おそらくは巻き弦の個性を欠いた音質や長すぎる響きが、ガットの音をデフォルトとしていた当時のリュート奏者の好みに合わなかったのだろう。
(これは現代のリュート製作家や奏者が、ガットよりもむしろナイロンや巻き弦の響きに親近感を覚える場合が多いのと似ているかもしれない)

巻き弦(close wound)が再び言及されるのは約百年後、18世紀の後半になってからである。
興味深いことにはガット上ではなくてシルク上の巻き弦が主に使われたらしく、
ガット上の巻き弦の記述はほとんどない。

ガット上の巻き弦

シルク上の巻き弦はその後、ナイロン芯が現れるまで20世紀の半ばまで使われ続けるわけだ。

巻き弦の世界は奥深い・・・芯材と巻き材とのバランス、巻き材の材質、弦の表面処理などで弾き心地や音はずいぶん変わる。
これからどんどん探求していくつもりだ。



2010年6月12日

東京の日仏会館の「バロック芸術の饗宴」に出演する。

美術、演劇、音楽などの専門家が集まって、それぞれレクチャーを行なったが、
僕は主にルイ14世時代のギターとその音楽について話し数曲演奏した。
同じステージにはダンスの市瀬先生と評論の関根先生。

僕の話した内容は次の通り。↓は当日配った資料。


バロックギターについて
現代ではバロックギターと呼ぶか、当時は単にギターもしくはchitarra all Spagnola(スペイン風ギター)と呼ばれた。
16世紀のスペイン起源で、17世紀にはイタリアで一世を風靡した。

フランスにおけるギター

フランスではギターは1620年代から使われ始めた。ルイ13世もギターを弾いてバレ・ド・クールの舞台に立ったという。
1636年のメルセンヌの音楽事典「宇宙の調和」にはギターと奏法に関する詳細な記述がある。(図版5)
17世紀を通じてギターはフランスで大流行するが、ルイ14世は偉大なギター愛好家であった。
ルイ14世の宮廷で活躍したギタリストとしては、フォスカリーニ、フランチェスコ・コルベッタ、ロベール・ド・ヴィゼなど名手を挙げることができる。
コルベッタとド・ヴィゼは王に曲集を献呈している。(図版6)

バロックギターについて
バロックギターは現代の楽器よりもやや小型で複弦5コースをもつ。弦長はむしろ長めのものが多い。
王侯貴族に愛好され、美しく装飾された楽器が多く作られた。パリの弦楽器工房ヴォボアンはその代表である。
今日使っているギターは18世紀の中頃にパリのマーシャルにより作られたもの。

ギターの技法について
2つの代表的な奏法:プンテアードとラスゲアードがあり、ワトーなどは描き分けている。(図版7)
特にラスゲアードの技法は複雑で洗練されていた。

記譜法について
様々なテクニック、指使いを表すのにはタブラチュアという特殊な記譜法が用いられた。(図版8)
タブラチュアは現在では楽譜を読めない初心者のために使われることが多いが、当時は音楽的素養のある人間のためであった。

演奏
フォリアによる即興演奏
シャコンヌによる即興演奏
リュリ(竹内編):ガラテのシャコンヌ



2010年6月11日

ガット弦についての続き

ルネサンス・バロック時代のガット弦は長いサステイン(残響)を持っていた筈で、
そうでなければ楽曲の対位法的な箇所や、長く伸びる低音(オルガンポイント)は機能しないのではないか・・・
という意見を聞いたことがある。

しかし、僕自身はこれには賛同しえない。

確かにリュート音楽、ひいてはルネサンス・バロック音楽全般にとって対位法や低音は非常に重要な要素だが、
もしもそれらが全て楽譜に書かれたように(あるいは理論的に正しく)響くべきものだとすれば、
例えばバッハの無伴奏ヴァイオリン/チェロ作品などは成立し得なくなってしまう。

誤解をまねく言い方かもしれないが、バロック音楽は決して音響の音楽ではない。
重要なのは語り(口)、修辞、言葉、内容である。

例えば次のような楽譜を見てみよう。一種のプレリュード・ノン・メジュレである。
楽器を弾く人は弾いてみて欲しい。
この楽譜からどのようなことが読み取れるだろうか?


僕の耳には、数字付き低音の(ハ音上の)53ー742ー53の進行が聞こえる。
ヘンデルなど18世紀のレチタティーヴォに多く見られる最も典型的な進行の一つだ。
内容的には甘く美しい想いを歌う場合が多いが、
なにか疑問を呈したり、期待はずれの感じを込める場合もある。

で・・・理論的には低音のオルガンポイントのハ音がずっと鳴っているべきだが、
あえて最初のハ音を持続させないでも(というかガットの低音だと自然に減衰する)
僕の耳にはまったく問題なく53-742ー53の進行が聞こえる。
低音が持続していようがしていまいが、音楽的内容は同一なのだ。

それは、自分はこれまで多くのバロック作品を演奏し、また聴いているので、
こういったバロック的(和声)進行の常套句(クリシェ)を自然に捉える癖、習慣がついているからだろう。

これは僕たち日本人が母国語である日本語で会話する際、
必ずしも明晰にはっきりと教科書的に喋らなくとも、互いに理解できることと似ているかもしれない。

(もっと言うと、上の譜例でオルガンポイントのハ音がずっと持続して鳴っていたとしたら、
かえって上声部のニュアンスが聞こえにくくなり、表現力が落ちる恐れもある。
例えば17世紀の通奏低音にガンバやチェロ、バスヴァイオリンなど擦弦楽器が殆ど使われなかったのは、
持続する低音は歌詞の繊細なニュアンスを妨げてしまうからであった)

で・・・バロック時代の弾き手や聴き手も同じであったと思う。

彼らにとっては、音楽とは音響を楽しむものではなく、
その内容と意味がもっとも重要であって、それは言葉と同じように理解していた筈だ。

当時の貴族たちが自ら楽器を弾き音楽を学んだのは、まさにこの感覚を育むためであった。
(人前で)演奏することは問題ではなく、音楽の文法、クリシェを自分のものとして理解し、
真の意味で音楽を享受出来るようにするのが目的であったのだ。

そのように考えると、古楽器への音響的?なアプローチは結局は一つの断面にしかなりえない・・・



2010年6月10日

ガット弦について、続き。

思い返してみると、僕自身もう20年以上もガット弦を使い続けている。
最初はハープ用のガットやフレット用のガットを使っていたが、
留学してからはNRI,サヴァレス、キルシュナー、ガムウト、アクィラなどの弦を使っている。

ここ10年ほどで、ガットの供給源や弦のタイプが増えたのはまあ確かだ。

では、弦の品質が飛躍的に上がったかというと・・・僕は特にそうは思わない。
これは「現代のガット弦の質はまだまだ低い」というのではなく、むしろその逆で、
「20年(30年?)以上前からそれなりに良いガット弦は作られていた」というのが本当のところだと思う。

80年代から、例えばNRIはキャットラインを含む良いガットを供給していたし、
オランダのゴールドシュミット女史などは高品質のオープンワウンド弦などをすでに製作していた。

ただ、あまり評価されていなかったのは、価格が高いこともあったろうが、
なによりもユーザーであるリュート奏者がガットの音、ピッチ、テンションそして
ガットに適合した奏法に慣れていなかったのだ。

現在でも、しばしば「現代のガットはまだまだ発展途上で、特に低音弦の鳴り、サステインは悪すぎる・・・」との意見を聞くことがあるが、僕はあまりそうは思わない。

18世紀中庸までの全ての撥弦楽器は、プレインガット(ハイツイスト、キャットライン含む)で張って大きな齟齬なく機能するように設計されているように思う。
キタローネの長い低音弦はプレインガットをシングルで張って必要充分な音量は出るし、
短い弦長のソロ用の楽器は例外なくオクターブ複弦で張られて、音質、響き共に問題ない。
勿論、オープンワウンドやロードガットは低音の響きに寄与するが、楽器や音楽のキャラクターに大きく影響するほどではない。

これからも各メーカーの努力により、ガット、特に低音弦の品質は向上していくだろう。
しかし、むしろ警戒すべきは低音弦の「改良」によってモダンの巻き弦の響きに近づいていくことだ。

例えば現代のトラヴェルソ・コピーなどは、精密な機械加工によるスムーズなボアによって音程の良さや音量を得た反面、
キャラクターや奏者の自由度を失っているように思う。アンブシャも吹きやすい(だけの)ものが人気がある。
言い換えれば、現代的な意味で「より良いトラヴェルソ」になればなるほど、モダンフルートに近づいていくのだ。本末転倒である。

ガット低音弦の「改良」が同じ轍を踏まないと良いのだが・・・



2010年6月9日

弦についての続き

これまで書いてきたことでもわかるように、
最近の僕は低めのテンションでガットを張ることを追求している。

しかし、歴史的に高いテンションがあったことを否定しているわけではない。
ナイロン弦の様な高いテンションは無かったにせよ、シングル4キロ以上、ダブルコース3.5キロ程度は充分にありえるだろう。

実際、低いテンションで弦を張っているにもかかわらず、楽器が扱いにくい(押さえにくく、弾弦しにくい)場合、
思い切って高いテンションで弦を張ると、いきなり弾きやすく、表現しやすくなったりすることもある。

テンションが高いにもかかわらず左手が楽になるのは、押弦時の弦のブレや揺れが小さくなるため、
力を抜いて押さえることができるからだろう。この場合、ナットやブリッジを下げて弦高を低くすることも多い。

楽器へのインプットと奏者の自然体のタッチが一致した時にリュートやギターは最もストレスなく鳴るわけだが、
適正なテンションとはこれに合致したものだ。

テンションは、弦を交換したりピッチを上下させることで変えることができる。
弦を交換するのはやはりメンドウなので、僕の場合はピッチを上下させて対応させる場合が多い。

例えばソロのコンサートの場合、リハーサル中に楽器のピッチをいろいろ試して、
その会場の響きでもっとも自分が心地よく弾けるピッチ/テンションを選ぶようにしている。

自宅のスタジオで弾いているよりも半音ほど高めになる場合が多いが、
会場と楽器の相性が良い場合、より低く、全音ほど下げて良い結果が得られることもある・・・



2010年6月3日

弦についての続き:
今回はテンション(張力)とピッチ(音高)について。

リュートやバロックギターを弾く人は自分の楽器をA-440あるいは415近辺に調弦している場合が多い。
僕はレッスンなどの際、しばしば半音から全音程度下げることを推奨する。

そうするとほぼ例外なく「よりよく鳴るようになった」「弾きやすくなった」との感想が来る。

これはテンションが下がって押さえやすく、またはじきやすくなったことと、
楽器にかかる圧力が減って楽器が振動しやすくなったことが大きな理由ではある。
大抵はーガット弦に馴染みのない場合は特にー高すぎる張力を採用している場合が多いので、
単に張力を下げるだけでも楽器は息を吹き返し、体への負担は減る。

しかし大切なのはこれだけではない。
楽器にはその楽器(のボディ?)がもっとも良く反応するピッチがあり。そしてそれは弦の太さ(テンション)に関わりなく存在するのだ。

僕の経験ではそのポイントは弦長60センチのルネサンスリュートでA=390ー415近辺、
バロックの楽器でA=370-390近辺にある場合が多い。

従って、ある楽器の最も適正な音高とテンションを求める場合、それらを別々に考えた方が良い。

僕の場合は、とりあえず楽器に弦を張り、様々な音高を(弦を替えず)に試してみる。
楽器がもっともストレスなく良く鳴るポイントを見つけたら、次に弦を色々替えてみる。


自分の使用楽器から例を挙げると、最も良く鳴るポイントは

セラス作オリジナルバロックギター(弦長67センチ): A-380
ランベール作オリジナルバロックギター(弦長64センチ): A-390
パヘス作オリジナル6コースギター(弦長66センチ): Aー380
ゲルレコピー6コースリュート(弦長59センチ): A-400
ティールケコピー11コースリュート(弦長70センチ):A-380
セラスコピー14コースキタローネ(弦長83センチ):A-440
セラスコピー14コースアーチリュート(弦長65センチ):A-390

辺りである。


従ってソロに使う場合は、それぞれこのあたりのピッチに調弦している。
アンサンブルで使う場合は他の楽器に合わせるか移調する。
他の楽器に合わせる場合、大抵は半音ほどは高く調弦することになるが、弦を交換する場合はあまりない。
テンションが上がると微妙なニュアンスは喪われるが、音量や遠達性には有利に働く場合が多く結果は悪くない・・・



2010年6月2日

5コースギターの弦について、続き。

ミシェル・コレットのギター教本/曲集Dons d'Apollon(パリ、1762年)に興味深い記述を発見する。

「・・・ギターはこれまで(他の楽器よりも)低く調弦されていたが、
高めに調弦するとより輝かしく響く・・・」

17世紀にギターの音高が低かったことは様々な確証がある。

メルセンヌの「宇宙の調和」には、ヴォボアン型のギターの図版と共に
最高音弦がe’ではなくd`のギターの調弦チャートが載せられている。
つまり調弦自体がすでに全音は低いわけだ。(上からレラファドソ)


メルセンヌの「標準ピッチ」はおそらくA-380/385程度だと思われるので、
ギターはかなり低く・・・つまり現在バロックギターが調弦されることの多いA-415よりも
少なくとも短3度ほどは低く調弦されていたことになる。

18世紀初頭までのギターの弦長は70センチあたりのものが多く、
この弦長に非常に細い弦を張っても最も高く張れるピッチはせいぜいd’、
できればこれよりも全音(以上)は下げたいところだ。
また、この時代のギターのボディは大きく、低いピッチの方が良く響く。

なので、ギターが非常に低く調弦されていたことは大変説得力がある。
他の楽器から半音から全音は低くされていたのだろう。
他の楽器と合奏する際は、お互いに移調したり、その都度ピッチを変えていたわけだ。

ギターと他の楽器を同じピッチで調弦することに言及したのはコレットが最初だと言えるが、
彼の時代のパリの標準ピッチはいくつくらいであったろうか。
同時代といえるトーマ・ロットなどのフルートのピッチはA-380から420程度までいろいろだが、
まあAー400を中心にプラスマイナス半音程度の差があったと考えてよいだろう。

コレットの時代にはギターもその程度には高く調弦されるようになってきたわけだ。
この時代のギターは小型で弦長も63ー67センチ前後のものが多くなってくる。
A-390から415程度、1弦e’がちょうど良い。

しかし、コレット以降もギターが低く調弦されていた確証は多い。
1810年のルモアーヌの教本には「ギターはオーケストラよりも半音弾く調弦する」とあり、
19世紀後半のプラッテン夫人の教本にも「ギターはピアノよりも全音低く調弦する」とある。

しばしばアグアドの「ギターをコンサートピッチに調弦した場合の張力は40キロ以上・・・」という記述が
19世紀ギターにおける高いテンションの確証だと言われるが、これは間違った読み方だ。

アグアドは
「ギターをコンサートピッチに調弦した場合は張力が四十数キロにもなり、フランス式のピンブリッジは故障する・・・」
と書いてあるのであり、むしろこの記述はギターが通常は低く調弦されていたことの証拠なのだ。


ともあれ、これまでA-390あたりに調弦していたランベール作のギターをコレットの勧めに従ってA-410程度に調弦してみる。
勿論、弦は一段階低いものに総替えだ。
ちなみにゲージは@0.45、A0.50、B0.62、CとDは巻き弦プラスオクターヴ

確かに明るく響く様になったように感じる。広いホールでも弾いてみるが決して悪くない。

・・・思いついて同じ弦でA-390 に下げてみる。
と、ギターが非常に良く語るようになる。
また、指にかかる負担が小さいので、これまで技術的に難しく感じていたフレーズも弾きやすく響かせやすくなった。

広い空間ではパワー不足かもしれないが、自宅の音楽室やサロンで弾くにはむしろこちらの方が好ましく思う・・・



2010年5月25日

5月14日の続きで、5コースギターの弦について。

バロック時代に巻き弦がほとんど使われていないのは先に書いた通りだ。
17世紀のもっとも典型的な張り方はこんな感じ↓ 第4,第5コース共にガットの低音弦を使った例だ。


18世紀中庸以降、巻き弦に関する記述が増えてくる。

ミッシェル・コレットは1762年に「第4コースにはオープンワウンドを、第5コースにはクローズワウンドを用いる」と書き、
バイロンは1781年に第4,第5コース共にクローズワウンドの使用を勧めている。

この時代のギター作品にはラスゲアードはほとんど見られず、低音とメロディのより古典的?な書法で書かれている。
古典ギター的なアルペジオの使用も多い。
巻き弦はより低音を低音らしく響かせることができる。単弦ギターもそろそろ現れ始めた時代だ。


また、この時代の作品にカンパネラはほとんど見られない。
バロック時代の5コースギターの低音コースには親指側に高いオクターヴが張られていたとされる。
親指で高い音を弾くことでカンパネラの効果をより上げるためだ。
カンパネラを使わない場合、(リュートの様に)親指側に低いオクターブを張ることも当然考えられる。

以上のような事から、18世紀末頃の複弦ギターはこのように張られていたと思われる。↓ 巻き弦、親指側低音だ。


このセッティングはギターがより論理的?に響くとも言えるが、逆にギターの音域の狭さが目立つようにも思える。
低音が第5コースのAから第3コースのソに進む際などは特にそうだ。
また、高い倍音が少なくなるため全体に落ち着いたというか沈んだ響きになる。

前述のバイロンは巻き弦を使用していながらも、親指側に高音を配置している。
彼の方法に従って張り直してみると、低音は確固としながらも響きはより複雑になるようだ。


18世紀後半の曲を弾く際には、しばらくはこのセッティングで試してみよう。
巻き弦は歴史的には「シルクの芯に銀線もしくは銅線巻き」が正しいので、早速オーダーする・・・



2010年5月17日

演奏会などの際に、しばしば聴衆から「楽器購入の際にはじっくりと試して、納得の上で買うんでしょうね!」と聞かれる。

確かに楽器は高価なものではあるし、そう聞く気持ちもわかる。

しかし・・・実際にはこれまでに試奏した上で入手した楽器はほとんどない。

17−8世紀に作られたオリジナル楽器を多く使っているが、オリジナル古楽器が「納得のいく試奏」のできる状態で売られていることはまずない。
本体に破損があり弦を張れないものも珍しくないし、一応演奏できても弦、フレット、弦高が適正なものは稀だ。

音が聴けるのは入手後に修復および調整を施してからだ。
これには数ヶ月から年単位の時間がかかることも珍しくない。

たとえ試奏が出来たとしても、そこから得られるものは実はあまり多くはない・・・
少なくとも購入するかどうかの決め手になる情報は得られない。

オリジナル楽器の弾き心地や音は現代に作られているどんなコピー楽器とも大きく異なる。
音のキャラクターはもとより、楽器が要求するピッチや、ブリッジ上の弦幅やナット長など寸法も違う。
従って、弦の張力、左手の押さえ方、右手のタッチ全てに新たなアプローチが必要だ。

自分のこれまでの経験をもってしてのオリジナル楽器の試奏は、むしろ弾き手を戸惑わせることが多い。
オリジナル楽器の真価を発見するには、良い修復と調整を施し、長く手元に置いて弾き続け、
自分が楽器から音の出し方や弾き方を学んで行くしかないのだ。
その意味ではオリジナル楽器は現代の演奏家よりも上位にある存在だと言える。

そのようにして初めて、オリジナル楽器はそのクオリティの高さを発揮する。
特に、当時贅を尽くして装飾を施された楽器の鳴り方は、現代のレプリカとは全く別物である。
音色は複雑で、倍音は豊か、そしてレガートに響く。



コピー楽器を入手する場合、オリジナル楽器をよく研究している製作家の楽器を買うのが鉄則である。
博物館や蒐集家のオリジナル楽器を手にとって自ら調査、検分し、歴史的な文献や現代の研究書などを読みこなしている製作家はやはり信頼できる。
そういった作家の作品を買う場合、試奏は必要ない。
オリジナルの場合と同じく、自分が楽器から学ぶ態度だけが必要だ。

言うまでもなく・・・良い楽器を入手したい場合、価格に拘泥するのはできれば避けたい。
コピーのリュートやバロックギターの価格はせいぜい数十万円から百万円超くらいだろう。
数万円〜数十万円を惜しんで良くない楽器を買ってしまうと、一生のソン!である。

製作家が他の現代製作家の作品をコピーした楽器には、日本などでもしばしばお目にかかるが、あまり感心しない。
たとえ元の製作家がオリジナルを良く研究していても、その作品にはかならず独自の解釈が含まれている。
コピーの安易なコピーは結局オリジナルからは大きく隔たってしまう。

最近は古楽器に関する情報は増え、ネットなどでも容易に入手できるものもあるが、
玉石混淆・・・というか信頼できるものはまだまだ少ない・・・というか稀だ。
博物館などから出版されている楽器の図面ですら信頼性に欠けるもの、情報が充分ではないものも多い。
ましてや「本に載っている楽器の写真から寸法を割り出して製作・・・」などというのは論外だ。
吟味されていない情報によって作られた古楽器は本来の役には立たない。

「現役の演奏家と多くの意見交流を行ない、取り入れている」ことを標榜している製作家にもしばしば要注意!だ。
それが多くのオリジナルを自分の手で検分した経験のない製作家の場合は、まずやめた方が良い。

ルネサンス、バロック時代の資料から読み取れる奏法や音楽のやり方と、我々の行なっている方法にはまだまだ大きな相違がある。
「現代の演奏家の意見」を取り入れれば取り入れるほど、オリジナルのあり方からかけ離れていくことも多いのだ。
ことに、オリジナル楽器や歴史的資料を丹念に検分する習慣のない製作者や奏者は、どうしてもそうなりやすい・・・



2010年5月14日

修復から戻ってきたランベール作5コースギター(↓の日記参照)の弦を張り替える。

修復前は弦高が低めであったので、高めのテンションのガット弦を張っていた。
シングルの第1コースが3.8キロ、復弦コース2.8キロほどだ。
このセッティングだと音色や弾きごこちは悪くないが、楽器の鳴りは少しタイトな感じになる。

今回は、第1コース3.2キロ、複弦コース2.5キロくらいに設定してみる。
全体に響きがふわっとして楽器がより敏感に「修辞的に」鳴るようになった。

バロックギターやリュートにガット弦を張る場合、いつも悩むのが低音弦の選択だ。
選択肢としては、プレインのガット弦、キャットライン、ロードガット、オープンワウンド、
そして各種の巻き弦(クローズワウンド)がある。

左から:キャットライン、プレイン、ロードガット、オープンワウンド、巻き弦(クローズワウンド)

例えば6コースリュートの低音にはプレインガットあるいはキャットラインが、
11コースリュートの場合はロードガットが主に用いられていたことはほぼ確実だ。
13コースになるとオープンワウンドも用いられた。


5コースギターの最低音はA(もしくはG)で、このコースに用いられるゲージはプレインガット換算でおそらく1.0ミリから1.3ミリほどだろう。
これくらいのゲージにはプレインのガットを張っても音量に欠けることはないし大きな問題はない。
ただ、弦が太くなるため装飾音などがやや困難になったり、弾弦時のイニシャルの音が強くなりがちだったりはする。

5コースギターの低音弦についての歴史的なエビデンスはあまりない。
目立つところでは、1729年にル・コックが自作のオープンワウンド弦に言及していることや、
1755年の百科全書に「巻き弦はバランスを悪くするので使わない方が良い」と書かれていることくらいだ。

まあ、当時でも個人の好みや弦の入手状況、演奏する音楽の種類などによって各種の低音弦が使われたのだろう。

低音に朱い弦(ロードガット)が張られたリュートが描かれた当時の図像は多いが、
ギターに張られた例は寡聞にして知らない。


巻き弦は良く鳴るので、楽器全体の響きが増して安定するようにも感じられるが、音楽的なコンテクストの中ではやはり難しい。
これはリュートの場合も同様で、低音に巻き弦を張った楽器は「良く鳴るが非音楽的・・・」になる場合が多い。
バロック時代には巻き弦はほとんど使われていないのだから、当然と言えば当然だ。

オープンワウンドは18世紀前半までの楽器には良いが、低音特性の良い18世紀後半のオリジナル・ギターに使うと
かえって鳴りすぎる傾向にある気がする。特に今回のランベールの楽器はそうだ。

今日は一日かけて各種の弦を試した後、とりあえずはキャットラインに落ち着いた。
5コースのブルドンの径は1.08ミリ、テンションは2キロちょっと。

このセッティングだと、プンテアードの際もラスゲアードの際も低音が突出することなく、
全体の響きがまとまりやすく、気をつかわずに弾ける。
弦は細くはないが、テンションが低いので左手を使う装飾音にも困難がない・・・



2010年5月13日

ランベール作5コースギターが修復工房から一時戻ってくる。
しばらく前から調整のために預けていた。

今回のオーダーは次の3点。
1:低すぎる弦高を上げる。目安は第7フレットで0.5ミリほどアップ
2:指板と表面板の接する箇所に装飾を加える
3:三次元ローズへの変更

簡単に説明してみよう。

1:この楽器は入手時の弦高は高めだったので、
(第一次)修復時にはかなり低めに設定した。
結果、弾きやすく音色の良い楽器には仕上がったが、
音量には欠け、またどうしてもビリツキがちであった。
今回の調整で、楽器は息を吹き返し、豊かに鳴るようになった。

2:入手時のギターはこんな感じ。


もともとは8フレット地点が表面板と指板の接点だったのだろう。
表面板の8〜9フレット地点に損傷が出たため、指板を延長していたのだと思われれる。
オリジナルの表面板を喪わない措置だが、デザイン的には不自然である。
迷ったが、今回9フレットジョイントにして、鼈甲と真珠母貝の装飾を再生した。


3:現状のローズは他のランベールのコピーで、デザイン的には二次元のものだが、
今回三次元ローズに変更する予定だ。
ローズは専門家に注文済みだが、完成までもうしばらくかかりそうなので、
一旦ギターは引き取ってきたわけだ。
ローズのデザインは↓の予定。オリジナル通り金粉塗りも施す。


ギターはローズの有り無し、またデザインによって驚くほど鳴りや音色が替わる。
楽しみだ



2010年5月10日

日本から「現代ギター」5月号が送られてくる。

・・・そういえば、編集部から依頼されて楽器の写真を提供したなーと思い出してページをめくる。

スペイン音楽評論家の濱田滋郎氏の記事だ。
濱田氏がヴィウエラとバロックギターの音楽についてオーディオマニアと対談している。
濱田氏の文章はいつも面白い。ギターを熱心に弾き始めた高校生の頃からファンだし、
彼のレクチャーコンサートに初めて出演した際は感激したものだ。

広い知識をお持ちで、的確にポイントを押さえながら、面白くわかりやすい語り口の文章を書かれると思う。

今回の「濱田滋郎鑑賞術:ビウェラとバロックギター」も面白く読んだ。
僕のオリジナル・バロックギター(ランベール作)とヴィウエラ(ヤコブセン作)の画像が使われている。

歴史的正確さには欠ける・・・というか、その気になればツッコミどころ満載の記事だが、批判するつもりはない。
もとより専門家の手になる専門家を対象にした記事ではないし、
質の良いディレッタントによる「ギターを巡るロマンチック・ストーリー」みたいなものなのだ。

特に次の文章などは圧巻。

「・・・(ビウェラは)リュートのように高音弦を単弦にせず、また低音弦をオクターヴに張りません。ユニゾンに張ります。
オクターヴを張ることで響きが華やかにはなりますが、ビウェラがそれをあえてしなかったのは、
本質的といいますか質朴なものを目指したからです。そこには虚飾を排した精神がありました・・・」


ふむふむ、うまいことゆうなぁ。
あらゆる撥弦楽器のレパートリーの中で、もっともレベルが高いといえるヴィウエラ音楽の本質を、このように言い表した文章にはあまりお目にかからない。


しかし・・・あえてここで歴史的な見地からツッコミを入れると・・・

ヴィウエラが全複弦というのは必ずしも正しくない。6コース11弦の楽器も使われており、トップが単弦であったことも多かったのだ。
またヴィウエラの低音がユニゾンだったというのも歴史的な確証に欠けることで、オクターヴで張られていたこともあった筈だとされる。
同様に、「リュートは第1コースが単弦で低音はオクターヴに調弦」も必ずしもそうではなく、「第1コースも複弦、低音はユニゾン」の場合も多かった。
バロックギターもそうだが、要するに「同じ楽器でも弦の選択や張り方は好みにより様々だった」が歴史的には正しいのだ。


ともあれ、弦の張り方といった物理的?な要素から(その情報が不正確だったにせよ)、
一挙に音楽の本質や精神を形而上的に考察できるのはやはり才能といって良いのだろう・・・(皮肉ではない)

濱田氏は最後にこう結んでいる。
・・・ひと頃は「昔はこうだったから、こう弾かなくてはいけない」という堅苦しい考えもありましたが、
今はその知識を生かして’’いかに訴える力のある音楽を創り出していくか’’が大切になりましたね。
もちろんギターの世界もそうあるべきだと思います・・・


まったくその通りだと思う。

そのためにも「昔はこうだった」には正確を期し、古い情報や固定観念をもって決めつけないようにしたいものだ・・・




2010年5月5日

↓の続き。

イングリッシュギターのための聖歌/詩篇歌集の例を挙げる。

ロングマン・ブロデリップ社によっって出版されたもの。

作詞者にはドライデン、作曲者にはアーンやセルビーなど堂々たる顔ぶれが並ぶ。
「オルガン、ハープシコード、声楽、ヴァイオリン、フルート(トラヴェルソ)、そしてギターの為に」と書かれている。

この種の出版楽譜の常として、まずは歌詞つきのスコアが乗せられている。
伴奏は無論、通奏低音だ。

鍵盤楽器のソロとして弾いたり、歌のパートをヴァイオリンやフルートで演奏しても良いわけだ。

ギターの楽譜は別載。
大概の場合、ハ長調に移調されている。
(が、無論、絶対的な音の高さを示すものではない。
当時は標準ピッチはなかったし、楽器のサイズも色々であった)


イングリッシュギターは共鳴が非常に多いため単旋律でも充分に音楽になるし、
当時のギター愛好家たちはメロディに簡単な伴奏をつけることを訓練されていた。
ギターはソロで弾いても良いし、この楽譜をもとにして弾き語りしても良い。

弾き語りの際、キイが合わないときはカポタストを使ったわけだ。(ちなみに楽器はホフマン作のリュート型イングリッシュギター)




2010年5月1日

イングリッシュギターは1750年頃から爆発的にイギリスで流行する。
ジェミニアーニ初め、クリスチャン・バッハ、シュトラウベ、メルキ、アン・フォードなど多くの作曲家が作品集を出版した。

が、イングリッシュギターの祖先に当たる楽器や、その流行の原因についてはこれまで謎とされてきた。
それを今回のピーター・ホーマンの研究ではかなりの程度明らかにしている。


詳しくは近々出版される「ジェミニアーニ全集」に付されたピーターの論文に書かれているが、
ここでそのアウトラインを少し紹介しておく。


ドイツでは17世紀末ー18世紀前半にかけてシターンが流行した。
民族楽器的なものや貴族階級に使われたベルシターンなど、いくつかの種類があったと思われる。


これらの楽器は主に歌の伴奏に使われたと思われる。

そのころ、ドイツで興ったキリスト教経験主義の一つにモラヴィア兄弟派というのがある。
ジョン・ウエスレーや後のメソジスト派に大きな影響を与えたことでも有名だ。

興味深いことにモラヴィア兄弟派は礼拝の賛美歌にシターンやハープ、小型のガンバを用いていたらしい。
詩篇の「様々な楽器を用いて神を称えよ」から来ているのであろう。

モラヴィア兄弟派の「楽器製作係」とも言うべき地位にあったのが、フレドリック・ヒンツだ。

ヒンツはその後、ロンドンに移り「(イングリッシュ)ギターの発明者」を名乗り、ギター製作家として活動を始めた。

ヒンツの楽器はいくつか博物館などに残されているが、いずれも美しく作られている。
 

初期のイングリッシュギターの製作家はヒンツの他、ホフマン、エルシェレガーなどドイツ人が多い。

イングリッシュギターは、その音色と形の美しさ、演奏の容易さなどから
瞬くうちにイギリス中の淑女の憧れる楽器となった。

同時にその元々持っていた宗教色は薄まるが、
それでも「詩篇歌集」や「聖歌集」などはいくつも出版されている。
いずれも技巧的には平易ながらも美しいもので、
それらは、教会の集まりや家庭での礼拝に用いられたのだろう・・・



2010年4月20日

↓の続きで、ジェミニアーニのギター曲集について。

この曲集のタイトルは[The Art of the Playing the Guitar or Cittra],
1760年にブレンナーにより印刷、ジェミニアーニ自身により出版されている。


11曲のExampleが収められている。Exampleとはこの場合、多楽章のソナタもしくは組曲のようなものだ。
ハ長調から始まり、ハ短調、ニ長調、ニ短調、ホ長調、ホ短調、ヘ長調、ヘ短調、ト長調、ト短調、そして最後のイ長調が第11番である。
イ短調、ロ長調、ロ短調がない理由は定かではない・・・

この曲集は他のイングリッシュギター曲集とは様々な点で大きく異なる。
記譜法にタブラチュアを用い、スラーとハイポジションの多い独特な指使いを指定している。
和声進行は非常に豊かで、この楽器の為に書かれた作品中ではもっとも高度だと言える。
技術的にも大層困難なものがある。

イングリッシュギターは通常は6コース10弦を持ち、低音の2コースは単弦、他は複弦なのだが、
ジェミニアーニは低音の3コースを単弦としている。
第4コースは音が曇りがちなのだが、単弦にすると弾きやすく、響かせやすくなる。


ジェミニアーニはイングリッシュギターの名手であったことは間違いないだろう。
彼の演奏記録は残っていないが、イングリッシュギターの名教師であった記録は残っており、
イングリッシュギターの教本を書いたブレンナーも彼の門下生だったのだ。

彼がイングリッシュギターのポジションを熟知していたことは、以下のような指使いの指定からも伺える。

同じ音階だが、それぞれ異なったポジションとアーティキュレーション、指使い、が指定されている。








2010年4月16日

ピーター・ホーマンとセッション。

今回のお題はモンテヴェルディからうって変わって、「ジェミニアーニのイングリッシュギター曲集」だ。
ピーターは現在クリストファー・ホグウッドのチームで「ジェミニアーニ全集」の編集と校訂を行なっている。
現在ギター曲を校訂中だそうで、「一度、二人で全曲弾いてみよう!」という話しになったわけだ。

ジェミニアーニの[The Art of Playing the Guitar or Cittra]には11のギター組曲が収められている。
全て違った調性で、おおむねページが進むにつれて段階的に難しくなっていく。

今回は愛用のプレストンのギターが調整中であることもあり、スワートソン作のギターを使った。
ピーターはオリジナルのカークマン作(1770年)のハープシコード。
イングリッシュギターの相手としてこれ以上の鍵盤楽器はないだろう。

ジェミニアーニの他、比較のためにノフェリとシュトラウベのギターとチェンバロの為のソナタも弾いてみた。

大変面白い経験だった。
ジェミニアーニのギター作品についてはまた稿を新たに書いていきたい。




2010年4月7日

モンテヴェルディ「ヴェスプロ」の本番。

3月13日(↓の日記参照)に準じたメンバーだ。
リハ後に指揮者/オルガン奏者のピーター・ホーマンと通奏低音の数字について話す。
彼は、現在広く使われているキングス・ミュージック版の「ヴェスプロ」の編集に深く関わった人だ。

ピーターは、モンテヴェルディ時代の和声の理解にはルネサンスのポリフォニーの知識がやはり不可欠だと言う。
全くその通りだと思う。
この時代の和声や調性の用い方、色彩感は盛期バロック以降のものとはかなり違う。
言うまでもなく、長調=明るい、短調=暗いといった区分けも全く無効だ。

現代の通奏低音奏者は短三和音を多く使いすぎる傾向があることでも僕と同じ意見だった。
流石に曲の終止の和音を短三和音にする例は聞かなくなってきたが、
曲の途中の終止で短和音を使うのはまだしばしば聞くことがあり、その都度驚かされる。

今回話題になったのは次のような箇所。

ヴェスプロから[Audi Coelum]の冒頭。


冒頭ニ短調の和音を弾くのをよく聞くが、これはニ長調の和音であるべきところだ。


もう一つ、[Nigra sum]より第34小節からの surge amica meaの部分。特に第35小節にはどのような和声進行が適切だろう?


皆さんもどうぞご一緒にお考え下さい・・・



2010年4月3日

前回↓の日記で、ヨハネ受難曲の演奏にカンマートンのバロックリュートを使用することについて書いた。

いわゆるバロックリュートの通常の調弦はコレ(主要6コース)。


いわゆる「ニ短調調弦」だが、17,8世紀には「ニ長調調弦」もよく用いられた。

ヴィヴァルディの良く知られた「リュート協奏曲ニ長調」はこの調弦のバロックリュートが想定されている。


今回、受難曲で用いているカンマートンのリュートはオケのピッチよりも全音下。
つまりこんな↓感じ。いわばハ短調調弦だ。


で、この調弦を使うと、リュートオブリガートのアリオーソのBetrachte変ホ長調と
ハ短調のErwageは技巧的にも修辞的にもリュートにこの上なくぴったりの曲となる・・・


で、改めてスコアを見るとこれらの曲にはどちらにもヴィオラ・ダモーレが用いられている。




ヴィオラ・ダモーレには様々な調弦があるが、一般的なのはこれ↓


バロックリュートと同じくニ長調/ニ短調調弦である。
で、この調弦で上記の2曲を演奏するのは決してイディオマティックとは言えないはずだ・・・

そう思って、今シーズン共演のヴィオラ・ダモーレ奏者数人に尋ねてみる。

答えは・・・やはりカンマートン(ハ短調調弦)にしている人が約1/3,通常のニ長(短)調調弦が
1/3、そして変更を加えたニ短調調弦(ラを♭にするなど)が1/3という結果だった。


そして、カンマートンを採用していない奏者は、いずれもハ短調調弦がconvincingであることを認めながらも、
調弦に慣れていて譜読みがより容易な二短(長)調調弦を採っているらしい・・・



2010年3月30日

受難週に入り、例年のごとくヨハネ受難曲の演奏に多く参加している。

いつもはアーチリュートを使いリュート・オブリガートの他アリアのコンティヌオを弾くのだが、
今回は一大決心?をして、バロックリュートを使い、
リュート・オブリガートのアリオーソBetrachte 、および次のErwageにのみ参加することにする。

使用楽器はティールケ・コピーの11コース。オリジナルはニュルンベルグの博物館にある。
オリジナル通り象牙と鼈甲で装飾されている美しいリュートだ。
弦長70センチ。11コースとしては標準的な大きさだ。
オケがA-415なので、それよりも全音低く調弦する。カンマートンだ。
この弦長のリュートをAー415に調弦するのは無理があるので、
日頃からA-380程度に調弦してあるからちょうど良い。


そしてふと思う・・・
11コースの愛好者は多く、ロンドンでも日本でも11コースでレッスンに来る人は少なくない。
しかし、多くの人の楽器は66−7センチほどの小型だ。

小型の楽器を使うことが悪いわけではない。
しかし、巷で
「フランスの11コースリュートはドイツの11コースや13コースよりも小型である。装飾音の多いフランスのバロック作品にはその方が適している」
などと言われるのを聞くと、大きな違和感を感じる。
コレには全く根拠がない。よくある「古楽器:常識のウソ」の一つだ。

残されている11コースを検分すると、13コースよりも指板上の弦長が短めだということは特にないのだ。
13コースに75センチを超える長いものがあるのは事実だが、
一般のソロ用と思われる楽器は11コースも13コースも弦長69〜71センチほどだ。
ヴェニスのチョックの楽器やマーラーやフライの改造リュートに弦長やや短めの11コースは残されているが、
これらが典型的なフランスの11コースであったという確証はないのだ。

それにヴァイスやロイスナーなどの11コース用の作品が、フランスのものよりも運指が容易であるということも全くない・・・

17世紀にフランスで作られたリュートで残されているものは希だが、
最も良い例といえるMoulins作のリュートの弦長は695ミリである。


やはりこれくらいを標準として考えた方が良いだろう。



2010年3月13日

モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」(ヴェスプロ)の公演に参加する。


会場はバースの大聖堂。
アンサンブルはピーター・ホーマンのパーレイ・オブ・インスツルメンツだ。
メンバーはこんな感じ↓

声楽ソリスト、器楽奏者みないずれ劣らぬ名手たちだ。

バース大聖堂は大きいが響きも大変良い。
ヴェスプロの会場としてはうってつけで、楽しく演奏する。


リュート、アーリーギター奏者として生まれたからには、絶対に演奏しないと生涯の大損!と言える大きなバロック作品はいくつかある。
ちょっと考えても、モンテヴェルディのオルフェオ、バッハの両受難曲、パーセルのダイドーなどが挙げられるが、このヴェスプロはその最たるものと言って良いだろう。 
いずれも良い会場、良い歌手、良い器楽奏者に恵まれないと上演不可能なものばかりだ。

幸い、僕はそういった作品に日常的に触れられる環境に居る。恵まれていると言えるのだろう・・・
今年はヴェスプロ作曲400周年。多くのパフォーマンスに参加することになりそうだ。




2010年3月11日

ロンドンのスタジオに楽器がいくつか届く。

日本ツアー中に(遠隔で)購入したものや、昨年に修理調整に出しておいたものだ。
そのうち面白いものを紹介する。

まずはこれ↓!


一見ふつーのクラシックギターの様だ。
事実その通りで何の変哲もないクラシックギターだ。

ただしラベルは!


あの!ヤコブ・ファン・デル・ゲースト!
ゲーストと言えば、70年代にリュート製作家として一世を風靡したオランダ人製作家だ。
特に故ミヒャエル・シェッファーとの協力は良く知られている。

彼は数は多くないもののクラシックギターも製作していて、名器の誉れが高い。
彼の製作した「古楽器」は現代の目から見ると、どうしても out of dateの感を免れ得ないが、
ギターにはそういったことは勿論なく、今回の楽器も大変素晴らしい。
弾きやすさ、音の品位の高さ、音量など全てを兼ね備えている。

僕はクラシックギターを公開の席で弾くことはないが、
ゲーストのギターには学生のころから憧れがあったので、大変嬉しい。


*次はこれ!


一見ふつーの?リュートギター?

ただしラベルは!!?



あのヘルマン・ハウザー一世!!
ハウザー一世が独立したての頃の作品で、
全体のアウトラインは伝統的なドイツのリュートギターそのものだ。
音色は大変甘くしかも透明、まさにあの「ハウザートン」だ。

ところで・・・この楽器を「リュートギター」もしくは「ギターリュート」と呼ぶのはあまり正確ではない。
これは、バロック時代にドイツを中心に用いられたコースの少ないリュート属の楽器「マンドーラ」もしくは「ガリコン(ガリション)」の子孫なのだ。

テクラ作のマンドーラ(6コース)

この楽器はリュートが滅んでからも使われ続け、19世紀には「リュート(ラウテ)」とも呼ばれるようになった。
19世紀の楽器カタログには「ドイツ風リュート(マンドーラ」)として載せられている。


つまりこの楽器は良く誤解されているように「リュートの形をしたギター」ではない。
バロック時代の古楽器マンドーラの正統な継承者なのであり、ドイツの民族楽器なのである。
「(ドイツ風)ラウテ」あるいは「マンドーラ」と呼ぶのはおそらくは正しいのだ。

一方でハウザー一世は「ギタリストが違和感なく弾けるリュート風古楽器」、いわゆる「リュートギター」も製作している。
こちらはリュート風ローズ、古楽器式ブリッジ、彫刻されたヘッド、木ペグ、全体のプロポーションなど明らかに古楽器を指向した仕様だ・・・




2010年3月10日

ロンドンに戻る。

今回の日本滞在では比較的多くのコンサートを行ったが、いずれも楽しい催しであった。
そして、今更ながら日本での古い音楽の行われ方は演奏と指導両面において、
ヨーロッパのそれとは大きく異なることを感じる。
このことはまたいずれまとめてみたい。



2010年2月28日

江戸川橋のベアータにてソロライブ。今回の日本ツアー最後のギグだ。

プログラムは前半にバロックギターで、サンスとバッハ(BWV1006)、後半にリュートでダウランド、イギリスのバラードなど。
勝手知ったるベアータで気楽に演奏するが、やはりバッハの長いプレリュードでは少々緊張する・・・

コンサート中に、また終演後に熱心な聴衆から沢山の質問を受ける。
それは「ガット弦はいくらするのか」といったものから、「現在の古楽演奏について」まで様々。
そのうち、テーマを絞ったレクチャーコンサートのシリーズを行うと良いかもしれない・・・とふと思う。



2010年2月26日

伊藤美恵嬢とのジョイントライブ。彼女はソプラノ歌手だがハープも弾く人だ。

曲目は前半にモンテヴェルディやストロッツイなど初期17世紀イタリアもの。
カプスベルガーのキタローネのソロではハープに通奏低音を弾いて貰う。

後半はイギリスものばかりで、モーりー、ダウランド、そしてパーセルなど。

共演者は若いながらも才能のある人で、楽しく演奏する。

会場は良く響くところであったが、「演奏時は良いが、響きすぎてしゃべりが聞こえづらい・・・」との声があった。
・・・なかなか難しい問題だ。マイクを使うと、(生)演奏の音のギャップが出てきてしまうし・・・
結局は、奏者ははっきりゆっくり喋り、聴き手は集中して言葉を聞くようにするしかないような気がする。

・・・しかし、この問題はヨーロッパではあまり浮上しない・・・やはり建物の音響に、なにか大きな違いがあるのだろうか?




2010年2月20日

パラディとのイヴニングコンサート。

↓の16日に準ずるプログラムだ。やはり会場で一度演奏したプログラムは楽だ。

一番苦労したクープランの作品が評判良かったようだ。嬉しい。



2010年2月16日

近江楽堂で、ソプラノデュオ「パラディ」とのコンサート。

30分のステージX2だが、内容は重複しないのでそれなりに曲目は多い。
モンテヴェルディ、ヴィウエラソング。エール・ド・クール、クープランのルソンなどジャンルも様々だ。

こちらの使用楽器は6コースリュートとテオルボ、バロックギター。
リュートの最高音弦が2,3日前に切れてしまい、ヤムを得ずナイルガットに替えた・・・
ちょっと残念だがガットを張った弦長60センチの楽器を、415ヘルツに調弦すること自体がムリを伴うので仕方ない。

ともあれ、楽しい演奏会だった。次回は同じメンバーで20日のイブニング・コンサートだ。
↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓




2010年2月11日

大阪のイタリアンカフェで、リュート奏者高本一郎氏との共演ライブ。


高本氏のお名前は存じ上げていたが、共演するのは今回が初めて。
それぞれのソロの他、デュオでマテイス、高本氏アレンジの作品、ロマネスカによる即興演奏など行う。
ライブ後も熱心な聴衆たちと遅くまで盛り上がる。

今日も楽しい一日だった・・・



2010年2月6日

横浜長浜ホールでバロックフルートとのデュオコンサート。
曲目はヴィヴァルディ、テレマン、フィンガー、サンスなど。
非常に盛り上がった楽しい演奏会だった。




2010年1月29,30日

京都でミニ講習会。
初日は主にソロで、二日目はアンサンブル。
楽しい二日間であった。



2010年1月28日

琵琶湖のほとりのチェペルでチェンバロとのデュオコンサート。

曲目はバロックギターとチェンバロでマテイス、コルベッタなど。
イングリッシュギターとチェンバロでヘンデル、ジェミニアーニ、シュトラウベなど。
あまり知られていないことだが、鍵盤楽器と撥弦楽器のレパートリーに良い作品は多い。

このチャペルは7年前にCD「フォリアス」のリリース記念リサイタルを行った場所でもある。
会場、共演者、曲目など大変満足のいく演奏会であった。






2010年1月26日

↓のライブについて少々補足。

今回はバロックギターとルネサンスリュートを使用したわけだが、
本番前日に朝倉氏から「ルネサンス・リュートをA-425あたりに調弦できるか?」との質問があった。
こちらの楽器は弦長59センチのゲレル・コピー。総ガットで、楽器に適合するピッチはA-380〜410近辺。
現状では細目の弦を張ってA-415近くに調弦してあるが、
それより高いと響きは悪くなり、第1コースが切れるリスクは実用範囲を超える・・・

しかしリハーサルが始まると、朝倉氏の使用楽器はラフィによるコピーで、
ピッチはオリジナル通りA-383ヘルツあたりであることがわかる。

つまり朝倉氏は、
「多くのリュート奏者はルネサンスリュートをA-440に調弦している」ことを良く知っていて、
全音の移調を前提として僕に「A-425近辺で・・・」と尋ねてきたわけだ。
440の楽器を十数ヘルツ下げることは楽器的にも奏法的にもあまりムリがないのだ。

そして(残念ながら?)その思いやりが少々裏目にでてしまったわけである。

僕は本番ではリュートをフルートに合わせてA-383に調弦して弾いた。
何の問題もない。いつもより多少緩めだが、ブリッジ近くで弾弦すれば良いだけだ。ある意味オーセンティックだ。

しかし・・・つくづく思うのだが、リュートやアーリーギターに合成樹脂の弦を張り、
当時あり得なかったほど高く調弦して弾くことは、もはや百害あってほとんどなんの益もない。
そろそろやめにしませんか? みなさん・・・・
(合成樹脂の弦は、リュート初心者の入門時か、職業演奏家のツアーには多少の役に立つかもしれない。
前者は敷居を少しでも低くするために、後者の場合はただでさえ高いツアー生活のストレスを軽減するために)

ガットを少しでも真摯に研究、使用してみるとわかるが、
「弦長60センチのリュートはモダンピッチで第1コースG」などというのは全くのイリュージョンだ。嘘の世界である。
理想的には全音ほど、少なくとも半音は低く調弦したいのだ。
繰り返しになるが(1月3日の項参照)プレトリウスによる「コーアトン」はA-380〜90程度であり、
彼の図版のリュートの弦長は62センチ前後だ。

世のリュートの先生方は是非、生徒さんにガットを体験させてあげてください。
たとえご自身が使っていなくとも、生徒さんに正しい情報を提供することは専門家としての義務なのかも?・・・
ガットを試す場合にはA-440,415,392などに拘らず、楽器とガットの相性の良いポイントを探しましょう。
第1コースに細すぎない弦を使うことも大切です。(0.42ミリ以上)

ガット弦については、以下のページが参考になるかもしれません・・・
http://www.crane.gr.jp/~tarolute/kogakkistarter5.htm



2010年1月24日

東京国立の「奏」にてライブ。
昨日にロンドンからもどったばかりで、まだ時差ぼけだ・・・

しかし、セッションが始まると、共演者の朝倉未来良氏の素晴らしい演奏に目が醒める。

彼の使用楽器はルネサンスフルート(ラフィ:ピッチはA-380s、典型的なルネサンス・コーアトンだ)と
オリジナルの象牙のスティンズビーJr.。 
少しだけ吹かせて貰ったが、掛け値なしに素晴らしい楽器だ。

こちらはリュートとバロックギター、そしてアンコールではトラヴェルソも吹いてみる(オリジナル象牙トラヴェルソ2本!)。

大変楽しい一日だった。






2010年1月17日

ロンドンに戻っている。6日間の滞在でまたすぐに日本だ。

自宅のスタジオで愛用の象牙ゲルレの6コースのケースを開けると、4コースのオクターブ弦が切れていた。
ホルバインの絵画を思い出して、おもわず苦笑い・・・




2010年1月10日/11日

福岡の宗像でコンサートと古楽講習会を行う。
良いスタッフ、聴衆、共演者、講習生に恵まれた楽しい2日間だった。

詳しくは共演者の吉住さと子さんのブログで!
http://happy.ap.teacup.com/yoshizumisatoko/77.html








2010年1月9日

広島の2日目。マスタークラスとレクチャーだ。

受講生は声楽、バロックギター、アーチリュート、19世紀ギターなどなど。
レッスンの後は「ルネサンス・バロック時代の即興演奏」についての話しをして、
ベルガマスカとロマネスカ(グリーンスリーブス)に基づいた即興を全員で行った。

大変楽しい広島の企画であった。

明日からは福岡宗像だ。
楽しみである。






2010年1月8日

広島でリサイタルを行う。

前回2008年10月の公演が好評だったようで、2回目だ。
ホールは前回と同じ東区民センター小ホール。
素晴らしい音響の会場である。

前半は、バロックギターの即興シャコンヌで始め、
「叶わぬ恋」による即興、歌の丸山嬢とフレスコバルディとモンテヴェルディの歌曲、
最後はサンスの「とっても面白い各国のトランペットと歌」で締めくくる。

後半はリュートに持ち替えて、シェイクスピア時代の作品をいくつか弾く。
歌はCome heavy sleep とO mistress mine.

そして最後にはバッハのパルティータ1006。

今回も良い聴衆に恵まれた楽しい本番だった。
共演者の丸山嬢は今回も美しく表現的な歌声を聞かせてくれた。

明日は同じ会場でのマスタークラスである






2010年1月3日

今週から始まる広島、福岡ツアーの準備をする。

主なものは楽器の調整だ。

今回は6コースのゲルレ・コピーとマーシャル作のオリジナル5コースギターを持って行く。
(あと勿論、象牙フルートも!)
福岡ではテオルボも弾くつもりだが、共演者の吉住さんの楽器をお借りすることになっている。

マーシャルのオリジナルギターはこれまでにも多くの本番で使ってきたが、
今回思い切って弦を一段階細い(つまり張力の弱い)ものに換え、弦高も下げた。
響きは豊かになり弾きやすくもなったが、これが100人以上のホールでどのように響くかは、実地で試してみないとわからない。

リュートは弦長59センチの典型ルネサンスだ。
現代ではこの大きさの楽器はモダンピッチで第1コースをGに調弦している場合が多いのだが、
歴史的には約半音から全音下(A−410以下)で調弦されていたことは確実だ。

この弦長のリュートの第1コースに当時もっとも細かった0.42ミリのガットを張ると、
それ以上に上げるのには大きなリスクが伴うのだ。

プレトリウスのシンタグマ・ムジクムには弦長62センチのリュートが「コーアトンのリュート」として描かれている。
この当時のドイツのコーアトンはA-383〜390ヘルツあたりだ。


イギリスでは第1コースを複弦で張るのが普通で、その場合はA-390よりもなお半音以上低くされていた。
モダンピッチよりも短3度は低い訳だ。


最近ではガット弦を張る奏者も増えてきたが、音高をナイロンと同じにしている場合も良く見かける。
そうすると、ガット弦は細くなり過ぎ、音色には潤いがなくなり、また切れやすくなる。

ガットを使うということは、単に音色だけの問題ではなくて、楽器全体、音楽つくり全体に関わる問題だ。
現代に生きる奏者の教養と姿勢が顕わになる瞬間である。
「ガットは試したが結局は使えない」との声もしばしば聞くが、勉強不足と経験不足の場合がほとんどだろう。


リュートのセッティングに関してもう一つ大きなエレメントは、弦高とフレットの太さだ。

カピローラはリュートの弦高に関して「フレットに触れるくらいに低くする」と書き、
ダウランドは「第1,2フレットには第4弦を、第3,4フレットには第3弦を、5,6フレットには第2弦を、残りには第1弦を使う」と書いている。

つまり(ルネサンス)リュートは非常に低いナット、弦高を持っていたのだ。
第1フレットに0.80ミリ以上が巻かれていた可能性はまずないだろう。
(現代では第1フレットに1ミリ程度を使っている場合が多い)

歴史的に正しくセッティングされた、ナットと弦高が低く、総ガット弦が張られたリュートは、
弾きやすく、余韻が長く、音色は美しく、修辞的に響く。
夢の様だ。

ただ、現代の(特に日本の)コンサート会場ではパワーに欠けがちかもしれない。

しかし、沢山の聴衆と、リュート本来の響き/音楽のどちらかをとるか?と言われたら、
答えは自明の様な気がするが、いかがだろうか?




2009年12月26日

日本ツアー第一発! 新宿文化センター小ホールでのバロック音楽コンサート。

共演者は村井香子ちゃん。
イギリスの音楽院を優秀な成績で卒業したソプラノで、現在もロンドン在住だ。

彼女はまるでネイティブのヨーロッパ人の様に歌える人だが、
こうやって日本で一緒に演奏してみると、今更ながら
やはり外国に長く住んで居る人のアプローチであることを痛感する・・・

それは、言葉をなによりも大切にして決してムリに響きを作り出そうとしないことなどだ。


こちらの使用楽器はテオルボとバロックギター。
どちらも弦高は低め、強く弾いた際にはややビリつくくらいに調整してある。
弦は勿論ほぼ総ガットだ(ただしテオルボの5,6コースは巻弦)。

ギターはマーシャル作のオリジナルで、テオルボはティーフェンブルッカーのコピー。
全長180センチほどの歴史的には中型のテオルボだ
(ただし日本にあるテオルボ/キタローネではもっとも大きなものの一つだろう)


今回の会場の響きははあまりない。
だからといって、歴史的にはあり得ない高い張力で合成樹脂の弦を張った弦高の高めの楽器を使うと、
現代のフツーのリュート奏者になってしまふ・・・

↑のようにすると確かに見かけ上の音量は得られるが、音色にはキャラクターがなくなり、
音楽は語りを失い、バロック的修辞からかけ離れたアプローチになってしまうのだ。


楽しい本番だった。

香子ちゃんは譜読みが早く言葉も得意な人なので、リハーサルは確認程度で短時間で済んだ。
合わせの練習はなるべく行わない方が表現が固定されず、本番で自由なアプローチが可能だ。
お互いにコミュニケーションが成立する場合は、初見でもまったく構わない。
(初見の段階で音取りや言葉に大きな問題がある場合、その曲はその人(たち)には難しすぎる場合が多い)


次のコンサートは新年2週目の広島/福岡ツアー
楽しみだ。



2009年12月25日

日本ツアーが始まった。

明日の12月26日の東京でのコンサートを皮切りに、
2月末まで多くの演奏会、講習会を行う。みんなどうぞ来てね!

自分の試みとしては今回は、アンサンブルでもほぼ全てガット弦を張った楽器を使用してみたいと思う。
またアクション(弦高)などもこれまでより(一層)低く設定し、日本のコンサート環境で西洋の歴史的なものにどこまで近づけるかを実験するつもりだ。

当然、ピッチなどもあまり固定されないものになり、共演者にも理解を求めることになるだろう・・・
使用楽器は今の予定では、6コースリュート、14コーステオルボ、5コースギター、
6コースイングリッシュギター(これには焼き入れされていない18世紀タイプのアイロン弦とブラス弦使用)・・・
楽しみだ。

コンサートの詳細はココ!

講習会はココ!



2009年12月1日

興味深いオリジナル楽器を入手する。


6単弦ギターだが、その独特のプロポーション、材料、装飾の技法と様式からして、
18世紀の後半にイギリスで製作されたものだと思われる

バロックギターのパイオニア、ジェームズ・タイラー氏が同様の楽器を所有していて、それにはプレストンのラベルが貼られている。
プレストンはあの↓のイングリッシュギターを作ったプレストンそのもの、もしくは係累だとされる。

このギターは稀少だが、世界中で十数台は確認されており、そのうちの何本かは後世の改造を受けていないオリジナルの状態だ。
今回入手した楽器もよく保存されているものだ。
もともとは5複弦を持つバロックギターだと思われていたが、オリジナルのヘッドを持つものを検分すると、
6単弦と4複弦の2種があり、オリジナルが明らかに5複弦のものは今のところは確認されていないようだ。

ジェームズ・タイラー氏の楽器は4複弦の楽器にペグを2つ足し、ブリッジに手を入れて5複弦に改造されている。

時代は遅く見積もっても1790年代。イギリスでスペイン式ギターの教則本が初めて出版されたころだ。
バーリングなどはスペインのパヘスなどに少し似ていて、非常に良く鳴る。
いわばバロックとパノルモの間のような感じか。

4複弦ギターがどういったもので、どのように用いられたかは不明だが・・・
この「プレストンギター」の一つに、当時イギリスで活躍していたマンドリン奏者の名が書かれたラベルが貼られていることを発見! 
もしかしてマンドリン奏者のためにマンドリン調弦を施して弾かれたのでは? という仮説が立てられるかもしれない・・・

4複弦の例:ペグ孔8+ストラップ用孔1 (但し現状では6単弦に張られている)

いずれにしても興味深い楽器だ。
「最古の6単弦ギター」の一つと言っても過言ではあるまい。




2009年10月30日

フランクを訪ねる。

フランクはバロック・トランペットやサックバットの製作家、
ウインブルドンに自宅兼工房を構えている。

彼の楽器はマイケル・レアードやクリスピアン・スティール・パーキンスなど
アーリーブラスの名手により使用されており、この分野では間違いなく第1人者だ。

彼とは7月のガルピン協会のミーティングで知り合った。
彼は古楽器の蒐集家としても良く知られているが、
「自分のコレクションに面白いイングリッシュギターがあるから是非弾きにきなよ!」
とのお誘いを受け、今日訪ねたわけだ。

「面白いイングリッシュギター」とは!
鍵盤付のいわゆる「ピアノフォルテ・ギター」!
18世紀の後半にイングリッシュギターが流行した際、
鍵盤楽器に慣れている淑女向けに開発された楽器。

6つの鍵盤を押すと、ハンマーが弦を叩く構造になっている。
この楽器については知識はあり、また18世紀末に出版された教本も所有しているが、
実際に演奏する機会は今回が初めて。
決して大げさではなく胸を高鳴らせて訪れた。


弾いてみてすぐに、単に興味深いだけでなく、
高い完成度をもっている楽器であることがわかった。

音色はフォルテピアノに似ている。繊細ながらも豊かで美しい音だ
ダイナミクスの幅は広い。
「ピアノフォルテギター」の命名は伊達ではないようだ。

夢中になって弾いていると、フランクが嬉しそうに
「この楽器を手に入れてから30年以上になるけど、
実際に音を聴いたのは初めてだ。有り難う!
もしも、録音やコンサートで使う場合はいつでも貸してあげるヨ!」
と、言ってくれた。

今日も楽しい一日だった・・・




2009年10月24日

今週は「ダンス・ユナイテッド」と一緒に仕事をしている。

ダンス・ユナイテッドは未成年の犯罪者たちによるモダンダンス・グループで、
もともとは少年院などの更正プログラムとしても機能していたらしい。

リハーサルと公演の場所はロンドンのサウスバンク・センター。
東京で言うと上野の文化会館のようなところか。

ここでは目下「犯罪者/囚人による芸術祭」が開かれており、
ギャラリーには刑務所で制作された作品が展示されており、即売もされている。

このダンス・グループの噂は聞いたことがあったが、仕事するのは今回が初めて。
音楽は小編成のバロックアンサンブルで、演目はヴィヴァルディの「夏」。
ダンスは男女6人ずつの12人。どこにでも居そうな青少年たちだ。

リハーサルが始まると・・・ビックリした。
それは言葉にできない驚きで、今でもなんと表現していいのかわからない。
ダンサーたち動きのひとつひとつは非常に美しく、表情は真摯だ。
それは、ダンスと音楽が現在の彼らにとって絶対に必要なもの、
人生に欠かせないものになり得ていることの証左であるように僕には思われた。

音楽家稼業を続けていて、もっとも嬉しい瞬間は、
芸術を絶対的に必要としている人、音楽を心から愛している人と巡り会った時だ。

これは音楽家であるかどうか、音楽教育を受けているかどうかは関係ない。
むしろ音楽教育を受けていない方が鋭敏な感受性を持っていると思われる場合もある。
生まれながらの性質、才能の一種かもしれない。

そのような人は世界中に居るが数は多くはない。
僕もこれまでにほんの何人か会っただけだが・・・今回のダンサーたちにはそれを強く感じたのだ。
ダンス・ユナイテッドのポリシーは[Dance can change lives〜ダンスは人生を変え得る]だそうだ。

大変良い経験だった。
これからもこのような催しには積極的に参加していきたい。




2009年10月20日

ロンドン南東部ブラックヒースでライブ。
15日のコンサートに準じた内容だ。
会場は小さなチャペルだったが、響きも良く楽しんだ。




2009年10月15日

ロンドン東部、グリニッジでコンサート。
グリニッジは天文台で有名、経度0度地点である。

開場は聖アルフィー教会、18世紀にはトーマス・タリスがここでオルガニストを務めており、
彼の弾いていたオルガンの鍵盤も保存されている。


今日はソプラノ歌手との共演のプロ、タイトルは「パーセルとその時代」
パ−セルの歌曲とマテイス、コルベッタなどの器楽曲を演奏した。

やはりイギリスではイギリスもののプログラムは、聴衆に特別な共感を呼ぶ。
今日も楽しい一日だった・・・




2009年10月10日

ロンドンのキングズプレイスでライブ。

OAE(啓蒙時代オーケストラ)関係の催しで、OAEのヴァイオリニスト、スージーとのデュオコンサートだ。
お昼と夕方に2ステージづつ=4ステージ(!)。場所はギャラリーのオープンスペース。

聴衆には家族づれも多い感じだったので、幅広いレパートリーを選んだ。

プログラムは大体次の通り(順不同・・・笑)

*ベルガマスカによる即興演奏
*オズワルドの曲集から スコッツ・チューン
*ヘンデル:ソナタ
*スペイン舞曲による即興演奏(ギターソロ)
*テレマン:無伴奏ヴァイオリンのための幻想曲
*ジュリアーニ:ヴァイオリンとギターの為のセレナーデ


楽器はスージーがバロックヴァイオリンとクラシカルヴァイオリン(+弓)
僕がテオルボとバロックギターと19世紀ギターを使った。


19世紀ギターはプティジャンの装飾楽器を使ったが、ステージで非常に良く応えてくれた。
この楽器はオリジナル状態でブリッジが非常に低く、弦高も低めだ。
低音の巻弦はフォルテシモで弾くと多少ビリつくが、このビリつきがフォルテピアノにも似た音色で、
会場では美しく大きな音で響いていた。


16世紀の「カピローラ・リュート・ブック」には
「弦高は高すぎても低すぎてもいけない。高すぎると演奏が難しくなる。
弦高の低すぎるリュートのナットの下に紙を敷くと、楽器は息を吹き返し、見違えるように良く歌う。
弦が第1フレットにかすかに触れるくらいに弦高を設定し、ハープのように響かせる・・・」
と書かれているが、これはビリツキを効果的に使っていたことの証左だ。
(16世紀のハープにはビリつかせる為のブレイピンがあった)

似たことは19世紀ギターにも言えるのだろう・・・

ともあれ、大変楽しい一日だった。



2009年9月29日

コヴェントガーデンのロイヤル・バレエ・スクールに行く。


今日はここで15世紀の動きとジェスチャーについてのセミナーがある。
英国ダンクローズ協会の主催、講師はニコラ・ゲインズさん。
僕の仕事はワークショップの伴奏と、講師によるデモンストレーションで弾くことだ。

隣のロイヤルオペラにはこれまでに何回も仕事で来たことがあるが、バレエ学校は始めて。
なんとなくキョロキョロしてしまう。


スタジオは明るく広々として清潔感のあふれる場所だった。


11時から1時までは17世紀のダンスによりウォーミングアップ、
2時から5時までは15世紀の動きのセミナー。

楽器は15世紀型の中世5コースリュートとマストのバロックギターを使った。


自分自身、勉強になった一日だった。



2009年9月18日

今週はOAE(啓蒙時代オーケストラ)のレコーディングセッション、コンサートに参加している。

ヴィヴァルディ、コレッリ、ロカテッリ、ヘンデルなどイタリアバロックばかりのプログラムだ。
そのプロジェクトも今日のロンドンのキングズプレースでのコンサートで終了だ。
今晩のコンサートはBBCが録音することになっているので、サウンドチェックはいつもよりも念入りだ。

1時間ほどのステージが2回。
プログラムは重複しないので、演奏者にとってはなかなか大変だ。

6時半からと8時半からのステージを終えたのは10時すぎ。
これでしばらくはオーケストラからは開放される・・・。




2009年9月3日

と、↓のように各種のフルートを吹いていると、素朴で基本的な疑問が再び湧く。

「ホントはフルートってどうやって構える(べきな)んだろう?
特に(もっとも吹くことの多い)1キイや4キイの楽器は?」

モダンフルートの場合は、左手人差し指の付け根と右手の親指、下あごの3点で保持するらしいし、
ほぼそのことに関して議論はないようだ。
バロックフルートに関しても3点保持を主張する人も居る。

では、18世紀の教本ではどのように書かれているのだろう?
今更ながら確認するつもりになる。

まずはオトテール。

「・・・フルートは左手の親指と人差し指の間で持つ。右手の小指を6番目の指孔と足部管の間に置く」

そして図版からはフルートは左手人差し指の第1関節と第2関節の間に置かれているのがわかる。
オトテールは基本的に左手だけで楽器を支え、右手の小指を補助的に使っているわけだ。
オトテールの使っていたフルートは大きな象牙の部品が付けられており、
特に頭部管は重く、左手だけでは保持は難しい。右手小指のサポートは有効だ。
(余談だが、象牙部品はフルートの音に大きく関与するので、
しばしば現代の製作家がこの部分を空洞にしたり軽い人工象牙で製作するのは間違っているように思う・・・)



次にクヴァンツの「フルート演奏試論」から。

「左手の親指は先を曲げて中指の真下に近く置く。人差し指の付け根と第2関節の間にフルートを置く。
そうすると人差し指と親指だけでフルートを口にあててしっかり持つことができる・・・」

また「右手小指をキイの上に乗せたままにしないように」とも書いているが、
これはキイを塞ぐ必要のある音にも関わらずキイを開いてしまわないようにするということで、
必ずしも小指を楽器の保持に使うことが否定されているわけではないようだ。


そして、トゥロムリッツのフルート教本。

「フルートを左手人差し指の付け根と第2関節の間に置き、反対側に親指を添える。
右手の親指の指先をフルートの横につける」


左手親指でフルートを支えることを強調し、左手の親指で操作されるキイには否定的だ。
右手をフルートの横に付けるというのは一見3点保持にも見えるが、右手親指には圧力はかけられておらず、
あくまでもその位置が指の自然な動きのために良いと言うことらしい。


つまり!
18世紀のフルートは3点保持ではなく、基本的に左手親指と人差し指だけで支えられていたのだ。・・・ふう、スッキリした。
3点保持は、左手親指のキイ操作が頻繁に行われるようになってからなのだろう。

しばしば感じるのは、3点保持は唇に楽器が強く当てられるので、
音色が緊張しやすく、また音楽も自由さを欠いたものになりやすいのではないかということだ。

歴史的教則本を見る限り、フルートを左手で支え必要とあらば右手小指を補助に用いるのは
良い選択だと言えそうだ。

それでも象牙製の重い楽器、オトテールのフルートやチューニングスライドが仕込まれていて
頭部管が重い楽器などの保持は、なかなか難しいこともある。

と、18世紀のオリジナル楽器を観察していて面白いことに気づく。
中部管の左手親指がちょうど当たる箇所に、なにかが巻かれていたような形跡があるのだ。

もしもこのあたりに皮の様なものが巻かれていたとしたら、滑り止めにもなり、
重い楽器でも左手だけの保持は格段に容易になるのではないか?

早速実行してみる。

なるほど、これだけのことなのに楽器の保持は格段に楽になった(気がする・・・)(プラセボ?)



2009年9月1日

オペラも無事終わり、しばらくはロンドンの自宅に落ち着くことが出来る。

といっても、CDの企画書を書き上げなくてはならなかったり、
秋のロンドンでのコンサートのプログラム解説を提出しなけらばならなかったり、
クリスマスから新年の日本ツアーの企画と折衝をやらなくてはならなかったり、
いろんな事務仕事が溜まっている。
ああ、再来週にはOAEのレコーディングがあるからちょっと譜読みもしなきゃ・・・

というわけで・・・今日は現実逃避をして所有するフルートの整理を始めてしまう(笑)

ここ1年ばかり、興味深そうな楽器を見ると買っていたので(!)、本数もだいぶ増えた。
多くはコレクターが放出したものを手に入れたもので、工房にて調整中の楽器も多い。
並べてみると、18世紀中庸のカヒューザック1世からルーダルやロットのベーム式まで、
ちょっとしたフルートの歴史を語ることは出来そうだ。

この機会に整理して「趣味のトラヴェルソ」にもアップするつもりだ。



ところで、今回の日本滞在時に改めて気づいたのだが、
日本では「フラウト・トラヴェルソ」という言葉が蔓延している。
これはちょっと不思議な現象だ。

「Flauto Traverso」はイタリア語で「横(吹)のフルート」の意だが、
バロック時代にこの言葉が広く使われていたわけでは決してない。
だいたい当時のイタリアではフルートは盛んではなかったし、
フランスではFlute traversiere、イギリスではGerman fluteと通常は呼んでいた。

バッハやテレマン、ヘンデルなどドイツの作曲家はしばしばFlauto Traversoを使っているが、
これは当時、楽曲のタイトルページをイタリア語で書く習慣がドイツにはあっただけの話だ。
同様にヴァイオリンはViolino、低音はBassoと書かれているわけだ。

その場合でも厳格に使われているわけではなく、頻繁にFlauto Traversiereと書かれていたり、
クヴァンツは「フルート演奏試論」では「Flote (oにはウムラートあり) traversiere」を使ってる。

つまり、バロック時代の横吹フルートのことをわざわざ「フラウト・トラヴェルソ」と呼ぶ意義は
特にぜんぜんまったくなにもないのだ。

バロック時代に使われたヴァイオリンのことをバロックヴァイオリン、
バロック時代に使われたギターのことをバロックギターと呼ぶように、
バロック時代のフルートはバロックフルートと呼ぶのが潔いように思われるが、いかが?
日本語では横吹の笛のことは「フルート」ですでに定着しているのだから。

(なんだかさぁ、「フラウト・トラヴェルソ」って、外国語へのコンプレックスと変な権威主義が見え隠れして、
そのくせ教養のなさを露呈している呼び方のようにすら思えるんだけど・・・
赤塚マンガのイヤミか、オバQのドロンパみたいじゃない?言い過ぎかしらん・・・) (でも小池さんは好き)




2009年8月27日

パーセルの「インドの女王」本番。


朝早く起きてカントリーサイドを散歩。絶滅寸前だと言われるサフォーク種の馬を見つける。


お昼過ぎに少しだけセッションして、3時から公開のドレス(リハーサル)、午後7時から本公演。

今回のメンバーは次の通り。


会場は15世紀に建てられた聖堂、大変綺麗で響きの良いところだ。




ピーター・ホーマンと演奏するのは楽しい。
彼の通奏低音はいつも歌手の言葉にぴったりと吸い付くように弾かれる。
チェンバロ弾き振り指揮者にありがちなアジテイトするような通奏低音とはまったく違い、
バロックの和声的語法と言葉を知り尽くした演奏だ。

アンサンブルも同様で、歌手がどのようなルバートを行おうが決して齟齬を来すことがない。
器楽だけの箇所ではまるでオーケストラ自体が喋っているようだ。
最近よく聞くスポーティでスリリングな(だけの)バロックオーケストラとは一線も二線も画するものだ。
やはりこーゆーのが本来のバロック的アプローチなのだなーと、この場所で弾いていることを幸福に思う。

付け加えると、ピーター・ホーマンの手になる通奏低音の数字は非常に論理的でしかも簡明だ。
パーセルの和声付けはしばしばヘンデルやバッハなどよりも複雑に感じられることすらあるのだが、
こういう数字の付いた低音は非常に弾きやすい。




通奏低音の数字とは「弾かれるべき音」ではなくて「その曲の和声的構造を示す」ものだから、
明晰に数字を付けられるということは、つまりその曲をよく理解できている証だ。

逆にいうと低音を見て正しい数字が思い浮かばない場合、
その曲はその人には難易度が高すぎるということで、無理に練習しない方が良い。

リュートやチェンバロのソロ曲の場合もこのことは言える。
その作品の構造を数字付低音に還元できない場合は、その曲はその人にとっては難しすぎる。

まずは自分の手に負えることから着実にやっていくのが理解と上達の近道だ・・・

ともあれ、大変楽しい仕事だった。来年も楽しみだ。



2009年8月27日

パーセルのマスク「インドの女王」リハーサルが始まる。

仕事相手はピーター・ホーマン/パーレイ・オブ・インスツルメント、17世紀の音楽に関しては世界でも有数の団体だ。
ディレクターのピーターは音楽学者で鍵盤楽器奏者、イギリスの古楽レーベル、ハイペリオンでも良い仕事を行っている。

今回はピーターが創設したサフォーク古楽フェスティヴァルでの演奏。
昨年もこのフェスティヴァルで「ダイドー」とハンフリーなどのマスクを演奏した。
サフォークはロンドンから電車で1時間ほどの風光明媚なカントリーサイド、
村のタウンホールでのんびりとリハーサルする。


「インドの女王」を全曲演奏するのは僕もこれが初めてだ。
オケにはトランペットが必要なこと、
作品完成前にパ−セルは没し最終幕はダニエル・パーセルによることなどから、
イギリスでも全曲上演の機会はそれほどない・・・


今回のソロ・トランペットはクリスピアン・スティール・パーキンス、言わずとしれた名バロック・トランペッターだ。
通奏低音はバッス・ヴァイオリンがマーク・コードル、ハープシコードがピーター、そして僕のテオルボとギター。

日本にからヨーロッパに戻った時には大体そうなのだか、
いざリハーサルが始まると、自分の耳の精度が下がっているというか、
アンサンブルの中で自分だけがインテンポに近く弾いてしまってることに気づく・・・

日本ではプロアマ含めてお互いに聴きあって音楽する習慣があまりないし、
会場の響きもあまりない、加えて外国語(の作品)をリアルタイムで捕捉できる場合が少ないので、
どうしてもオートマティックというか、テンポ通りで、拍節感のあるアプローチになりがちだ。

しかしそれでは、とくにマスクやオペラのように様々な要素に富むバロック作品の演奏は難しい。
明日のドレスリハーサルまでには感覚を取り戻さなくては!

お昼には村のパブでフィッシュアンドチップスを食べる。久しぶりだ。


リハーサル終了後、フェスティヴァルの理事の所有するコッテージに案内される。
今回の宿舎だ。


夕食の後、時差ぼけのために早々に寝てしまう。


明日はドレスリハーサルと公演の2本立てだ・・・



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