2009年8月23日
東京国立のカフェ「奏」でライブを行なう。
今回の日本滞在最後の公開演奏だ。
例によって?弾く内容はあまり決めずに楽器とその辺にあった楽譜だけをもってぶらりと出かける。
使用楽器はマーシャル作のバロックギター、プレストンのイングリッシュギター、
カウラン作のトラヴェルソ、それから借り物の6コースリュート(ヴェネーレ?)。
急遽決めたライブだったが多くの人が来てくれる。嬉しい。
まずはバロックギターでプレリュード・ノン・メジュレを軽く即興で弾く。
ハ長調で始め短くまとめてト長調の和音で終止させるつもりだったが、
指が(頭が?)勝手に転調を繰り返して、ト長調からイ短調、ニ短調、
ト長調にもどって嬰ト上のディミニッシュから再びイ短調へと進む。
収拾がつかなくなってきたので、強硬に嬰イ上のディミニッシュからト長調に向かわせる。
プレリュードに続けてル・コック手稿譜からマリオナスのシャコンヌ。
自分自身と聴衆の耳を落ち着かせるためにややゆっくり弾いてみる。
次はド・ヴィゼの組曲。
良く知られたニ短調の組曲だが、今回はパリ・ギターMs版を使った。出版されたものとはいろいろと異なる。
プレリュード、サラバンド、ブーレ、ガヴォットと弾いて、最後はクープランの「優しい嘆き」の編曲で締めくくる。
会場の雰囲気がしっとりしてきたので、ここでスペインの舞曲による即興。
スパニョレッタとカナリー。
盛り上がってきたところで一人目のゲスト、バロックダンスのサーヤちゃんを迎える。
リュリの「ガラテのシャコンヌ」とデュパールの「サラバンド」を踊ってもらう。
会場はサーヤちゃんの踊りにくぎづけだ。
サラバンドでは僕はトラヴェルソを吹いて満足である。

楽器をイングリッシュギターに持ち替えてプレストンとシュトラウベの作品を弾く。
二人目のゲスト、歌のクッキーちゃんにイングリッシュギター伴奏の歌曲を歌ってもらう。

イングリッシュギターの歌曲にはしみじみと良い曲が多い。
歌とバロックギターでフレスコバルディのアリアを演奏して第1部終了。
すでに開演から1時間が過ぎている。
休憩後、リュートでいくつかのバラード編曲とダウランドのリュートソングを演奏。
始めて手にするリュートだが、やはりガット弦が張られた楽器は弾きやすい。

次はバロックギターに持ち替えてバッハのパルティータBWV1006からルール、ロンド風ガヴォット、メヌエット。
バッハはやはり良い。会場の雰囲気も特別なものになる。
ここでパーセルの歌曲を2曲。「インディアン・クイーン」からI
attempt と They tell us だ。
インディアン・クイーンは、来週イギリスの音楽祭でピーター・ホーマンと一緒に全曲演奏することになっている。
(決して予行演習というわけではない)
続けてパーセルの同時代人ニコラ・マテイスのアリアを弾いて第2部終了
小休憩の後、イングリッシュギターに持ち替えてシュトラウベの作品をまとめて弾く。
幻想曲、ラルゴ、テンポ・ディ・メヌエット、カントリーダンスだ。
難曲揃いだが、楽しんで演奏する。
最後にル・コックのフォリアによる変奏曲、自作のカデンツァを加えて弾いた。
アンコールにはゲストと3人で「コティヨン」(↓8月1日の日記参照)
終演後は遅くまで盛り上がる。
今日も楽しい1日だった。

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2009年8月16日
京都で「バロック・フリー・セッションの会」を行なう。
アンサンブル・セッション、即興演奏などに重点を置いた古楽講習会だ。
今回の参加者は8人。内訳は次の通り
リュート 3人
アーチリュート 1人
バロックギター 2人
鍵盤楽器 1人
管楽器 1人
受講生1人30分ほどの持ち時間があり、そこではソロを弾くなりアンサンブルセッションするなり自由。
その他、笠原講師と上野講師が「歌詞のあるシャコンヌ」のセッションを、
僕が「パッサカリアによる即興」のレクチャーなどを担当し、最後にはミニ発表会。
大変楽しい1日だった。
様々な場所でプロアマ問わず熱心に音楽する人たちに出会うのは本当に素敵なことだ。
で・・・ちょっとした感想・・・
リュートやギターを弾く人はタブラチュアを使うせいか5線譜に慣れていない場合も多い。
たとえソロ曲しか弾かない人でも、自分が今弾いている音が(5線上で)把握でき、
和声や声部進行を把握していることは大切だ。
ルネサンス、バロック時代のリュート愛好家は例外なく歌ったり鍵盤楽器やガンバなどを弾いて、
5線譜にも親しんでいたのだ。
また、アンサンブルをすることにより得られる音楽的経験の大きさは計り知れず、その経験はソロ演奏にも大きく役立つ・・・
通奏低音や5線譜に慣れている人には、時には少なめの音で通奏低音を弾いてみることを勧めたい。
誤解のないように言っておくと、僕は決して禁欲的な通奏低音を勧めるわけではない。
通奏低音において最も大切なのは、ソロパートのニュアンスを良く聴いてサポートすること、
楽曲の和声的な陰影を理解して表現することだ。
自動的に多くの音を弾くのに慣れてしまうと、それらが疎かになってしまう場合があるのだ。
このことは今回の日本滞在中、頻繁に感じたことだったので、また別に書いてみたい・・・

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2009年8月15日
名古屋でリュート講習会を教える。
個人レッスン、レクチャー、講師演奏のプログラムだ。
受講生の内訳は次の通り。
ルネサンスリュート4人
リュートソング1組
テオルボ2人
19世紀ギター1人
全体としてレベルの高い曲目が並んだ講習会であった。
ガット弦が張られている楽器も多く、名古屋リュート研究会の意識の高さを感じた。



レクチャーは「右手の奏法について」と題して、奏法の変遷と親指外側奏法の実践について話す。

講師演奏では、バロックギターでパーセル、サンス、バッハを演奏する。

終演後は近くの居酒屋でレセプション。

今日も楽しい1日だった。

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2009年8月9日
国分寺で古楽講習会。
ガンバ奏者の市瀬礼子さんと一緒に4人(組)を教える。
内訳は次の通り。
*バロックヴァイオリン・デュオ:ブラヴェのソナタ
*イングリッシュギター/バロックギターの導入
*声楽:モンテクレールのカンタータ
*トラヴェルソ:ド・ラ・バールのソナタ
市瀬礼子さんの丁寧なレッスンに感銘を受けた。
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2009年8月2日
東京、吉祥寺のギャラリー・カフェ「パラーダ」でライブ。
今回はイングリッシュギターを使って、プレストン、シュトラウベ、ジェミニアーニ、ヘンデルなどの作品を弾いた。
熱心な聴衆に囲まれた楽しいひとときだった。


ワインと象牙フルートと美女と鼈甲イングリッシュギター・・・

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2009年8月1日
古典舞踏研究会の講習会でレクチャーをする。
お題は「ベガーズ・オペラ(乞食オペラ)」。

今回、バロックダンス・クラスの課題になっている舞曲「コテヨン」は、
ベガーズオペラの重要な場面で使われている。
コテヨンは18世紀を通じて流行したダンスで、イングリッシュギターやバロックギター、リュートのための各種編曲が残されている。

パリ手稿譜の「コテヨン」
ベガーズオペラで「コテヨン」につけられた歌詞は以下の通り。
1:
Youth's the Season made for Joys,
Love is then our Duty,
She alone who that employs,
Well deserves her Beauty.
Let's be gay,
While we may,
Beauty's a Flower, despis'd in
Decay,
Youth's the Season &c.
2:
Let us drink and sport to-day,
Ours is not to-morrow.
Love with youth flies swift away,
Age is nought but Sorrow.
Dance and sing,
Time's on the Wing.
Life never knows the Return of
Spring.
Chorus.Let us drink, &c.
若さは楽しみの季節、恋をするのが僕らのつとめ
恋をする者だけがその美しさに価する
陽気にやろう!
その間は花の美しさは色褪せることがない
若さは楽しみの季節・・・
飲んで騒ごう、明日のことは考えずに。
若さと恋はすぐに過ぎ去る
年を取るのは悲しいだけだ
踊って歌おう、時間には羽が生えている
人生に春は2度は来ない
飲んで騒ごう・・・
(竹内太郎 試訳)
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2009年7月30日
東京のムジカーザで「夏!絢爛バロックナイト」のコンサート。
ガンバとダンスとの共演だ。
こちらが使用した楽器はテオルボ、バロックギター、イングリッシュギター、アンコールにトラヴェルソ。

チケットは早くから完売状態で、熱心な聴衆が会場前から並んだ。
開演後は会場は熱気に満ちた本番であった(その分、ガット弦の調弦は下がりがちだったが)
ダンスには飛び入りもあり、大変楽しいステージになった。
プログラムは特製の「団扇プログラム」


今回改めて感じ入ったのは、ガンバ奏者市瀬礼子さんの音楽的レベルの高さだ。
こういう言い方はあまり好きではないのだが、当に「日本人離れした」演奏だった。
(市瀬礼子さんとの講習会についてはここをクリック!)
(竹内太郎の「夏!突発ライブ 8月23日についてはここをクリック!)
 

 
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2009年7月26日
東京吉祥寺のギャラリーでライブ。
友人のアーチスト菅野まり子さんの個展のオープニング記念ライブだ。
まり子さんとはもう十数年来のお付き合いで、1993年に開かれた彼女の初めての個展でも演奏した。
 
サンスのスペイン舞曲から始めて、シャコンヌの即興やマテイスのアリア、
そして93年の個展の際に演奏した「フィレンツェの唄」で締めくくる。
いつものことながら、熱心な聴き手に囲まれた楽しい夜であった。

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2009年7月25日
日本に来ている。
今日は横浜でサロンコンサート。
場所は個人の音楽愛好家のお宅のサロン。
質の良いチェンバロも置いてあり、外部から演奏家を招いての、
またオーナー自らコンサートを催すこともあるそうだ。
収容人員は約50人。
残響はそれほど長くないが、
撥弦楽器にとっての音響は大変良く、気持ちよく演奏した。
16−18世紀の室内楽やソロのレパートリーのほぼ全てが
愛好家向きに書かれたサロン用の作品であることを考えると、
この設定はある意味で大変理想的と言える。
感銘を受けたのは、オーナ夫妻を初めとしてスタッフ全員が
音楽会を盛り上げるために文字通り献身的に奉仕をされていたことで、
初めから終わりまで非常に気持ちの良い時間であった。
手作りの音楽会らしく、プログラムも手作りの感じの良いもの。

曲目は次のとおり

いつものように?プログラムに載せていないソロやデュオも数曲演奏した。
トラヴェルソの玉木さんは今回初めてご一緒するが、
繊細さと思い切りの良さを併せ持つ良い演奏をされていた。
使用楽器はトラヴェルソ3本、テオルボとギター。

(Photo by Yori)
ピッチはテオルボをA-415に、ギターを390に設定した。
ギターは昨年から使っているマーシャル作のオリジナルで、これまで415近辺で使用していたが、
日本の湿度が高いこともあり、今回390を試してみたのだ。
修復後10ヶ月ほど経って楽器がより鳴ってきたこともあり、
低いピッチの方が向いているように感じる。
テオルボも良く応えてくれたが、後半でアクシデント発生。
セカンドネックのナットが調弦中にはじけ飛んでしまった!
戻して調弦をやり直すが、やはり同じ結果に。
諦めて指板上の弦だけで後半は弾き通す。
実際は低音ガウムトのGまであるわけで、特には困らない。
ただ低音の共鳴がないのは響きとして少しさびしい・・・

(Photo by Yori)
終演後にナットをよく見ると、弦のテンションに負けないように
軽く接着していた箇所の膠が溶けている。
ヨーロッパではまったく問題はなかったのだが、
日本のこの季節の湿度にはそれなりの対策が必要なようだ。
今度は強めの膠で再接着しておくことにしよう・・・
いずれにしても大変楽しい会であった。
ヨーロッパの大ホールや、オペラハウス、聖堂などでも演奏する機会は多いが、
サロンでは聴衆1人1人の反応もよく見えるし、それだけ面白いこともある。
音楽は一期一会、いろんな場所でいろんな音楽家や音楽愛好家と
関わりを持つことが出来るのは本当に楽しく、幸せなことだ。
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2009年7月18日
OAEのコンサート。
場所はノーフォークのキングズ・リン。
ロンドンから急行電車で2時間ほどの小さな町。
歴史は古く中世の建物も残されている。
コンサート会場は12世紀初めに建立された聖マーガレット教会。
立派な教会だ。


プログラムは6月に行なったコンサートとほぼ同様で、
コレッリ、ヴィヴァルディ、ヘンデル、トレッリ、ロカテッリなどイタリアンバロックばかり。
立ち見が出るほどの満員だった。
イギリスのコンサートでいつも感心するのは、
地方都市でもクラシック音楽への関心が非常に高いということだ。
演奏する側のアプローチも、地方か中央かによって按配することはまるでない。
というわけで・・・6月26日のコンテュヌオクイズの解答!
問題は↓の譜例に
@ 数字をつけること
A ミスプリントの可能性のある音を発見する
でしたね。

今回僕が使った和声は下のようなものだ。
可能性が複数ある箇所もあるが、まあ基本はこんな感じだろう。

第48小節および第56小節の75♯がヘンデルらしいと言えるかもしれない。
いずれにしても全曲通して和声の色彩感と転調の手法は見事だ。
ミスプリントの可能性のある音は第50小節目の「レ」で、正しくはミかドだろう。コードはAmだ。
ちなみに「リナルド」の[Lascia
chi'o pianga]の中間部。2段目第1小節にはやはり75♯がある。

あまり知られていないことだが、この曲はもともと器楽曲だと思われる。
ヘンデルのオペラ「アドミラ」に「サラバンド」として使われたのが最初だ。

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2009年7月13日
ストークニューイントン古楽祭でコンサート。
↓(7月12日参照)のリコーダーアンサンブルとの共演だ。
リハーサルは3時からとなっていたが、
やる気のない僕は、直前にメイルで
「のってない曲もあるから、僕は4時頃で良いでしょ!」
と宣言してある。
しかし(同時に)人の良いところを見せようと思って、
3時45分頃には会場に着くつもりで早めに家を出る。
しかし、途中で図書館に寄ったり、公園でムクドリやキツツキを観察したりして、
おまけに電車が遅れて会場に着いたのは4時半頃。
みな怒ってるかな?・・・と思いきや、
到着すると、
「大変だったわね、おなかはすいてない?」とアルト(リコーダー)のキャサリン嬢。
「お茶はいかが?」とテナー(リコーダー)のセリアちゃん
「一緒にやるのを楽しみにしてたよ!」とソプラノ(リコーダー)のイアン君
皆とっても優しい・・・(ガンバのV女史だけはシブイ顔だ)
・・・そうだそうだ!思い出したけど、
こっちでリコーダーアンサンブルしてる人って性格の良い人が多いんだよね。
家庭的だし、日頃から高齢のアマチュア奏者や子供と接する機会も多くて優しい人が多いんだ。
あちこちのオケやアンサンブルに参加はするものの、
基本的に一匹狼で股旅渡世のコンテュヌオ奏者とは人種が違うのだった・・・
・・・で、ギターを調弦してリハーサルを始める。
まあ、リコーダーらしく?可愛い小品や舞曲が多くなかなか楽しい。
今回は時間(とやる気)があまりなかったこともあって、コンテュヌオの数字はあまりちゃんとつけておらず、
スコアを見ながら咄嗟に和声を判断して弾いていく。
これはこれでまあ面白い・・・もともと数字付き低音というのは、16世紀の末頃に
教会のオルガニストが合唱曲を伴奏するのに初めは総譜を見ながら和声を弾いていたが、
声部が多くなってくるとそれも大変なので、
一目で和声が判る方法として低音に補助的に数字を付けたのが始まりなのだ。
つまり低音の数字というのは曲の和声的構造を表している。
非常にしばしば誤解されていることだが、数字は弾く音と直接の関係はない。
通奏低音奏者は数字から曲の和声構造を知り、
他の奏者を助け演奏効果のあるフレーズを即興的に弾いていくわけだ。
また、耳さえ良ければ数字の必要がない場合も多い。
極端な例だが、楽譜がまったくなくとも回りで鳴っている音楽に合わせて
すらすらと弾いてしまう通奏低音奏者も何人か知っている。
彼らにとっては、ある決まったスタイルを持つ音楽に耳を使って弾くのはそれほど難しいことではなく、
数字なしの低音のパート譜があればもう充分、ほぼ完璧に弾ける。
こういう奴らにとっては、数字がないから弾けないといって騒ぐ奏者などはかなり進化の遅れた存在なのだろう・・・
今回の楽譜のほとんどはシンプルなスコアなので、特に問題なく弾ける。

1曲だけリアライズされた通奏低音パートが書かれた楽譜があり、これはひっじょーに弾きにくい。
通奏低音パートがピアノ的二段譜になっているわけだが、
右手にあたる和声は間違ってはいないが非論理的でダメダメである。
見ないようと思っても、伴奏パートは他の声部よりも大きく印刷されているし、
嫌でも目に入ってしまい、つい指がその通り動いてしまう。
時間があればぜーんぶホワイトで消してしまうのだが今回はその余裕もない。
なので、丁寧に数字を付ける。

数字付き低音を読まない(読めない)人は、こういったパートをチェンバロで弾いたり、
またはリュート・タブラチュアに起こして弾いたりしているわけだが、
それは本当に害になることだから止めた方が良い。
通奏低音のリアリゼーション楽譜からは、
正しい和声進行の感覚や良い趣味を学ぶことはまず出来ない。
通奏低音は正しく学べばそう難しいものではないのだが、
数字ではなくリアリゼーションに多少でも頼っている限り上達は望めない。
たとえ10年弾いていても同じだ・・・
数字付き低音は、最も奏者の負担が少ないように開発された記譜法なのだ。
そして、数字で弾けないということはアンサンブル能力も開発されないということだ・・・こわいねぇ・・・
原曲が弦楽合奏の為の作品もいくつかあった。
舞曲などはリコーダーでもなんとかなるが、和声的に複雑な曲にはやはり違和感がある。
たとえば↓の序曲

第1小節の2拍目で♭6の不協和音が出てくる。
和声的には1拍目からクレシェンドもしくはメッサディヴォーチェが欲しい箇所だが、
リコーダでそういった効果をだすことはまず無理だ。
当日のプログラムには
「王政復古時代のイギリスではリコーダーは劇場でも良く用いられ、
パーセルなどがリコーダを劇音楽で効果的に用いている」
とあり、これはまったく正しい文言だ。
しかし、だからといってオーケストラのフランス風序曲をリコーダカルテットで演奏するのが正しいとは言えない。
まあそういった感じもあったものの、全体としては楽しんで演奏する。
マストのオリジナルバロックギターは非常に良く応えてくれたが、それはまた別の機会に書く。

終演後にリーダーのキャサリンが彼らのCDを2枚くれた。
一枚は今晩と同じパーセルなどのプログラム、もう一枚はブリテンなど20世紀のリコーダー作品集だ。

20世紀の方はもらって嬉しい。イギリスの現代音楽は好みだ。
パーセルの方は・・・開封するかどうかいまいち自信がない・・・
キャサリンに今晩使用した楽譜を返そうとすると
「きっとまたすぐに共演をお願いするから、楽譜は持って行ってくださいな」
と言われてしまう・・・・
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2009年7月12日
気がつくと明日はロンドンでコンサートだ!
せっかくの日曜だが、仕方がないのでスケジュールと内容を確認する。
楽譜も確か送られてきていた筈だ。
パーセルとマシュー・ロックなどイギリスの17世紀ものが演物。
ピッチはA−440となっている。イギリス・バロックをモダンピッチでやるのは非常に珍しい。
どの楽器を使おうかと考えながら、しぶしぶ?楽譜を整理して低音に数字をつけ出す。
なんだか変な楽譜が多い・・・移調されているものも多いような・・・
と、大変なことに気がつく。

リコーダーって書いてある!
・・・・・・
・・・・
・・・
・・
・
あわててスケジュールを見直す。

予想通り、リコーダー・カルテットと通奏低音(リュートとガンバ)の編成だ。
一挙にやる気がなくなる・・・ああ、オファーが来た際にもっとちゃんと内容を聞いておくべきだった・・・
断っておくが、僕はリコーダーはダメだと言っているわけではない。
ホルボーンなどルネサンスのコンソートは素晴らしいし、
パーセルやバッハの大きな作品にもリコーダーは効果的に用いられている。
ヘンデルやテレマンのソナタにも良い作品がある。
ルネサンス、バロック時代を通じてリコーダーは音楽愛好家の花形楽器だったと言えるだろう。
オリジナル作品は多くはないが、ある意味で充実もしている。
ただ・・・現代においてはリコーダーはともすると無理なことにチャレンジしすぎているように思えることもある。
初期バロックのイタリア作品を演奏するのも実はそうだし、今回のように弦楽器の作品をアレンジして演奏するのもそうだ。
勿論、名手の手にかかった場合はまた別で、何をやろうとまったくOKだ。
リコーダーは他の楽器のようにはダイナミクスが自由でない場合が多く、
ともすればテンポを速くとる傾向にある。和声の進行に適合しない場合が多い。
アレンジものが多いので、移調が頻繁に行なわれる。
バロック音楽においては調性は非常に大事で、移調先?にも適合不適合があるが、
リコーダー奏者でそれを理解できる人はあまり居ない・・・
リコーダーと「無理な」レパートリーを演奏するのに慣れてしまうと、
本来のバロック的感覚が鈍ってしまう。専門家としてはもっとも警戒すべきものだ。
イギリスで仕事をしているとリコーダー奏者と一緒になることはほとんどない。
バロック時代には専門のリコーダー奏者というのはほとんどおらず、
大体はオーボエなどの持ち替えだったのだし、
本来のレパートリーも多くはないのだから当然といえば当然だ。
アマチュアの奏者は多いが、必ずしもアーリーミュージックに関わりがあるわけではなく、
古楽器奏者とリコーダー奏者の間にはある種の棲み分けができている。
もう仕方がないので、数字はざっとつけて使用楽器を選択する。
ギターだけにすることにして、440で調弦可能な3本をケースから取り出して弾いてみる。
気軽に使えるのはマストで、音色に品があるのはランベール、クジノーはその中間だが、
現状の弦では440にはちょっとテンションが高すぎるかもしれない・・・

というわけで、マストで気軽に行くことにする・・・
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2009年7月10日
ガルピン・ソサエティのコンサートも終わり、少しお金と時間が出来た(ような気になった)ので、
新しい(古い)フルートを買ってしまう。
メツラーの4キイ、象牙の笛だ。
1810ー20年頃の楽器だと思われる。僕のコレクション中、象牙の笛としては6本目だ。
状態は良く、割れや修理跡もない。キイも全て健康だ。
なかなか見事な飴色になっている。ピッチは頭部管をいっぱいに入れて440+。
 
吹口はオリジナルでニコルソン的?なラージホール。
ラージホールの楽器はすでに数本持っているが、
どの楽器も非常に美しい音色を持ち、高音域が楽に出る。

というわけで、久々のオフ日、象牙の笛を吹きまくったのであった・・・

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2009年7月8日
博物館のストアビルディング(倉庫)に楽器を検分に行く。
ホーニマンは八千点ほどの楽器を所蔵し、そのうち展示されているのは千五百点ほど。
展示数は多い博物館だが、非展示品にも重要な楽器は多い。
僕は今回はゲストなので、こちらから特にリクエストはしなかったのだが、
先方はいくつかのイングリッシュギターと19世紀ギター、それからトラヴェルソを出しておいてくれた。
  
イングリッシュギターではラウシェの美しい楽器に興味をそそられた。

フルートはいくつかの象牙の楽器に面白そうなものがあった。

また、大変珍しいステンズビーのテナーフルート、ニコルソンのフルート2本も詳細に検分する。

そして美しいモンツァーニの楽器が箱入りであった。

モンツァーニのフルートには「Patent/特許」の刻印があるが、
その特許を説明した書類もフルートに添えてあり、大きな収穫であった。


大変勉強になり楽しい経験であったが、
ええと・・・自分ちのコレクションも特に遜色ないなあと思ったりもする・・・
(今回は試奏は禁じられていた。うちのはすべて演奏可能!)
今回、僕の他には10名ほどの参加者がいたが、
それらのうち数人の演奏家は口々に
「音を出してみたいねえ」
「まるでお菓子やさんに連れてかれて、何にも食べちゃダメ!って言われたみたい・・・」
などつぶやいていた。
僕も同感だ。
しかし・・・実際には博物館でオリジナル楽器を試奏できたとしても、得られるものはあまりない。
博物館はあくまで保存を目的としているので、楽器は演奏できるコンデションになっていないのが普通だ。
たとえ演奏できる場合も、その部屋の響きなどの条件により奏者の耳は眩まされている。
また、現代の大概の古楽器奏者はコピーに慣れきっているため、
オリジナル楽器をその場で適正に判断する経験や耳の良さは持ち合わせていない。
たまに「博物館でオリジナルを試奏したが素晴らしい響きで・・・」云々という体験談を聞くことがあるが、
その人が日頃から多くのオリジナル楽器を使用しているわけでない場合は、
その感想はまったくあてにならない。
それは、たまたまそう思っただけか、「オリジナルだ!」という思いこみからくる一種のプラセボ効果で、
たとえて言えばホメオパシー(「イギリスで盛ん!」と日本では言われてる・・・)や
マイナスイオン・ドライヤーみたいなものに思える。
オリジナル楽器を理解し適正に判断するには、
自分で何台(何本)ものオリジナル楽器を所有し、演奏できる良い状態に調整し、
日夜それらの楽器を歴史的教則本と首っ引きで演奏し続けるのが、
ほとんど唯一の方法なのだ。
(楽器のセットアップも勿論、歴史的確証によるべきであり、
たとえばA−392 ,415,440あたりはまあ全滅に近くなる)
そういった作業を長い間続けて、やっとオリジナル楽器はその真の素晴らしさを開陳してくれる。
現代の耳をもってしてオリジナル楽器を判断しようとするのが、
すでに傲慢な考えなのだ。
博物館には近いうちに今度はリュートとバロックギターを検分にいくつもりだ。
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2009年7月7日
ホーニマン博物館でのリサイタル。
国際会議の一環なので平日の午後4時半という時間。
聴衆は会議の参加者である学者が中心だ。
ジェレミー・モンターギュなど大学関係者、スチュワート・ウォルシュなど在野の研究者など
様々な人たちが集まっている。古楽器に関してはいずれ劣らぬクレージー達だ。
会議は昨日から始まっており、木曜日からはスコットランドのエジンバラに場所を移して続けられる。
古楽器のレクチャーやマスタークラス、コンサートなどが目白押しの大イヴェントだ。

コンサートの前半は博物館の庭にある19世紀の温室で弾く。
非常に良い響きの会場で楽しく弾く。

後半は楽器展示室に場所を移して弾いた。
沢山の楽器達に囲まれて弾くのも良いものだ。
共演者であるチェロのジェニファーやヴァイオリンのジュディも
演奏を楽しんでくれたようである。

プログラムは以下の通り

やはり専門家を相手に弾くのは有益な経験だ。
終演後にホーニマン博物館の楽器学芸員から、
「明日は博物館のストアビルディング(倉庫)で、
展示されていない楽器を自由に見る会があるけどいかが?」
とお誘いを受ける。
レッスンや打ち合わせなどいくつかのアポはあったが、
3秒考えて返事をする
「行く!」
(続く)
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2009年7月4日
7月7日のリサイタルの準備をする。
これはガルピン・ソサエティの国際会議の一環。
ガルピン・ソサエティは20世紀の初めに設立された古楽器研究協会で、
古い楽器の研究と復興には非常に大きな功績がある。
ことに70年代から80年代にかけてリュートやアーリーギターに研究が非常に進んだが、
重要な研究論文の大半はガルピン・ソサエティにて発表されたものだ。
僕自身、学生の頃からガルピン・ソサエティの紀要はむさぼるように読み、非常に大きな影響を受けている。
そのソサエティのコンフェランスに招聘されてオリジナル楽器のリサタイルが出来るとは、大げさではなく夢のようでもある。
コンフェランスのお題は[British
sound]なので、こちらは「英国のギター音楽」のリサイタルを企画した。
当初は、中世のエスタンピをギターンで弾くことから始めて、ルネサンス、バロック、19世紀と進み
ブリテンの「ノクターナル」で終わる!という構想を持ったが、演奏時間がいくらあっても足りないので、
17世紀のコルベッタから19世紀初頭のソルまでに縮小する・・・
内容はこんな感じ↓(あくまで予定!)。
http://www.crane.gr.jp/~tarolute/contaro111.htm
イングリッシュギターはサイズが異なるものを3台使う予定なので、
スタジオにあるものを片っ端から弾いてみる。
やはりプレストン、ペリー、それからスワートソンを使うことになりそうだ。

スパニッシュギターは、パノルモの他にセラス、マーシャルそれからもしかしてパヘスを使おうかと考える。

言うまでもないことだが、これらの楽器には全てガット弦を張ってある。
オリジナル楽器にナイロン弦は全然合わないというか、ひどい音になってしまうのだ。
セラスはしばらくの間本番では使っておらず弦は緩めてある。
調弦を上げてみるが楽器も弦もフレットも良い状態で問題はない。
マーシャルの楽器はここ半年以上フル稼働の状態だったので、
何本かのガット弦は摩耗したりやや乱振動が見られるものがあり、
第1,2コースと4コースのオクターブを交換した。
考えてみるとシャントレル以外は交換せずに数ヶ月は優に持ったわけで、
ガット弦は巷で言われている様にはヤワなものではないことがよく分る。
勿論、使わない場合はテンションを下げておくとか、弦のほつれを修理したり、
湿度に気をつける、時には弦の向きをひっくり返すなど手入れや注意は必要だが、
特にそうナーヴァスになって、ガット弦の難しさを強調するものではないように感じる。
むしろこういうことが当然となって初めて、古楽器が我々にとっても身近で自然なものになるのだし、
逆に負担に感じる人は、古い楽器や音楽には向いていないと言える様な気がする。
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2009年7月2日
ロンドンの古楽祭のコンサートに出演する。
会場は聖マリア教会、16世紀に建てられた古い教会だ。
 
17世紀の図版に描かれた聖マリア教会 と 現在の建物
演目と出演者は↓のとおり。
 
ソプラノのキャサリンとは今回が初めて。フランス語が堪能でフレンチバロックを得意とする歌手だ。
トラヴェルソのケイティとはこれまでに何度か演奏したことがあるが大変上手な奏者だ。
やはりトラヴェルソは綺麗なおねえさんがよく似合う(と非歴史的なことを言う) (*註)
ジェイムズは現在進行中のOAEのプロジェクトでも一緒だ。
プログラムのメインはクープランとカンプラのカンタータ。
どちらも大曲でそれぞれ20分くらいはかかる。
このあたりのフランスのレパートリーは決して複雑すぎず、テオルボやギターでも弾きやすい。
数字も非常に丁寧に付けられているので、和声の選択に迷うことはほとんどない。

もしも問題があるとしたら、リズミが捉えにくいことだ。
音楽的なことではなく、目と頭が疲れてくる・・・

リハーサルの合間には趣味のトラヴェルソを練習したりする。
やはり古い建物でオリジナル楽器を演奏するのは素晴らしい経験だ。

註:
18世紀においては、女性は鍵盤楽器かリュート、ギター、ガンバを演奏するもので、
フルート、ヴァイオリン、チェロなどは淑女らしくないとされていた。
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2009年7月1日
OAEとコンサート。
今日は小編成の室内楽で、バロックダンサー、ニコラ・ゲインズとの共演だ。
場所はキングズクロス駅近くの小劇場。
コンサートと言っても一般には公開されておらず、
聴衆はOAEのスポンサーやパトロン限定の催しだ。
イギリスで仕事をしていて気がつくのは、演奏会のうちかなりのものが一般には非公開であることだ。
バロックオーケストラしかり、王立オペラハウスしかり、シェイクスピアのグローブ座しかり、
いずれもパトロン限定の公演を多く行なっている。
お礼公演のこともあるし、非常に高額な料金が設定されている場合もある。
それだけスポンサーの制度が定着しているということだろうし、この制度なくしては
一般の人間が安い料金でコンサートやオペラ、演劇を楽しむことは実際不可能になってしまうわけだ。
曲目はヘンデルの水上の音楽、パーセルの組曲、コレッリのトリオソナタ、そしてギターのソロでフォリア。
楽器はギターだけで良いので、身も心も楽だ。
通常のバロックオケの仕事にはコピーの楽器を使うのだが、
今日は編成も会場も手頃なように思われたので、マーシャルのオリジナルを持って行く。

リハーサルで弾き始めると、やはり非常に良く透る音で響いてくれる。
ほんの少しの指の動きで楽器が充分に反応する。
しかし、アンサンブルだからと体に力が入った途端、楽器は途端に鳴らなくなる。
これは何度経験しても興味深い体験だ。リラックスすればするほど音も音楽も自由になるのだ。
コレッリのトリオソナタOp-4の1番は今回初めて弾いたが、
彼らしいイディオマティックな和声進行に満ちた作品で大変楽しい。

コレッリの和声はわかりやすく複雑過ぎないので
通奏低音を弾く人には楽器によらず勧めたい。
7−6,5−6,9−6を初めとするシークエンスで曲の大きな部分ができあがっており、
弾いていて楽しく、また大変良い勉強になる。
ある意味でコレッリの通奏低音はバッハやヘンデルは勿論、
モンテヴェルディ、カッチーニ、パーセルなどよりも容易だ。
リュート、テオルボ、ギターで通奏低音を弾く人は、
まずはコレッリの作品の低音を完全に理解でき、
初見でも問題なく弾けるくらいのところを目指したら良いだろう。
典型的な進行

9-6の連続

5-6の連続

緩徐楽章では数字付き低音からソロパートを構築してみるとよい
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2009年6月29日
来週のコンサートの譜読み。
カンプラやモンテクレールなどフレンチバロックのカンタータだ。
このあたりのコンテュヌオの数字はもともとかなり詳細についているのでその点は楽だが、
楽譜によってはリズムがたいそう捉えにくい・・・まあ一度読んで多少の書き込みをしておくと本番では楽だ。

注:↓の通奏低音クイズの解答を載せましたが、
「もっと時間が欲しい!」との要望がありましたので、
一旦ひっこめます。みんな考えてね。
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2009年6月26日
OAEのコンサートシリーズが始まる。
今回の企画は「イタリアン・バロック・ツアー」、コレッリ、ヘンデル、トレッリ、ヴィヴァルディなどの作品だ。
プログラムは次の通り。

で、今回の共演者。

チェロのジョナサン・メイソンとは初めてだが、
リハーサルが始まるやいなや、非常に素晴らしい音楽家であることが分る。
こういう奏者と一緒にコンテュヌオを弾けるのは幸せな体験だ。
ヘンデルのアリア[Lascia la spina]はリナルドの[Lascia
chi'o pianga]と同曲だ。
リナルドはやったばかりなので、違いを興味深く感じながら弾いた。

第2部分は結構異なっている。テクストに合わせて和声の色合いが次々に変化していく。

ヘンデルの巧さを感じるのは、たとえば↑の47-50小節の様な
なだらかなメロディにつけられた和声の面白さだ。
さて、ここで問題です。
*第47-50小節に数字を付けてみましょう。
*声楽パートにミスプリントされている可能性のある音があります。どこでしょう?
悩むことなく解答できた方は「バロック和声」初級の合格です。
ロカテッリは好きな作曲家だが、コンチェルト・グロッソは初めて弾いた。大変わかりやすい和声進行だ。

ディミニッシュの和音を使って急速な転調を行なうのはC.P.E.バッハばりだ。

ヴィヴァルディのNulla in mundo
pax sinceraはちょっと弾いてみたかった曲なので嬉しい。
ホ長調でA調弦のテオルボがよく合う。

イタリアンバロックには和声のシークエンスが多い。ヴィヴァルディなどは特にそうだ。
シークエンスの和音進行は鍵盤楽器では弾きやすいのだが、
リュート系の楽器では、どうしても途中でポジションを変えて(低くして)しまう場合が多い。
撥弦楽器奏者は和声を声部のある横の流れではなくて、
カタマリの和音(コード)的に考えてしまう傾向があるからだろう。
ホントは出来るだけ論理的な声部進行で弾く方が良い。
たとえばテオルボで以下のようなパートを弾く場合、
第3小節目のイ長調の和音から5−6のシークエンスをポジションを平行移動させながら上っていき、
第8小節のBの7の和音では第3コース10フレットの(最)高音ラまで達することができる。

(5ー6は第2コースで取る。第4コースのバスよりも低い音になるが、
ヴィオローネがオクターブ下を弾いているので問題はない)
このように弾いてみると、テオルボがまるでオルガンや弦楽合奏の様に響くことに気がつくはずだ。
リュートの通奏低音というと、アルペジオの多用や16フィートバスの効果などが喧伝される場合が多いが、
そういったことはむしろ「悪い趣味」に属する場合が多く、
実際はアンサンブルをサポートする論理的で正攻法のアプローチが何よりも大事なことを忘れてはならない。
やはり良いバロックオーケストラで演奏するのは大変に興味深く、素晴らしい音楽的な体験になる。
良い団体ほどリハーサル時間も短く、1人1人のメンバーに高い音楽的素養が要求される。
僕の経験では音楽的能力の高さは往々にして、良いオーケストラ奏者>室内楽奏者>ソリストの順だ。
逆に、良いアンサンブルの経験なくしてソリストにはなれえないという言い方もできる。
また、17,8世紀の最も素晴らしい作品はオーケストラの為に書かれている。
オペラしかり、受難曲しかり、オラトリオしかり、シンフォニアしかりだ。
室内楽やソロ曲はそういった大きな作品のミニチュアであることが多く、
オーケストラ曲の演奏経験なくしてはその作品を俯瞰、理解することも実際には困難だ。
僕が門下生などにアンサンブルでの演奏、通奏低音の習得を強く勧め、
自分自身もある程度はバロックオケの演奏に加わるようにしているのはそういうことだ。
あともう一つ。
リュートで歌と共演する場合、しばしばオーケストラ伴奏のアリアを打診されることがある。
たとえば前述のLascia やパーセルのremember
me! とかなどだが、
歌手が本来の形での演奏の経験がない場合、僕は基本的にお断りする。
本来の効果がどれくらい素晴らしいものであるかを知っている人間は、
それ以外ではまったく気が進まないのだ。
双方共に多くの舞台経験を積んでいる場合はまた別で、それなりのやり方があるのはもちろんだ。
明日はストアー音楽祭で演奏する。
ストアーはデイヴィッド・マンロウ、アルフレッド・デラー、エマ・カークビーなどを輩出した音楽祭で、
大変雰囲気のあるところだ。楽しみである。

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2009年6月21日
ロンドンのファウンドリング博物館でコンサート。
ヘンデルお気に入りのチェロ奏者であったカポラーレとランゼッティのチェロソナタを中心に、
ヘンデルの声楽アリアとバロックギターのソロのプログラム。

演奏者はバロックチェロとチェン・ピッコロがジェニファー・モルシェス、このコンサートの企画者でもある。
カウンターテナーはデレク・リー・ラジン。様々なレパートリーを歌う才人歌手だが、
映画「カストラート」の主人公ファリネリの声は彼の声を元に合成されている。
彼とはヘンデルのオペラなどで一緒になったことはあるが、小編成のアンサンブルは今回が初めて。
ソナタのいくつかにはジェニファーの生徒であるエレクトラがコンティヌオ・チェロとして参加・
王立音楽院の修士課程でバロックチェロを学んでいるギリシャの女の子だ。
 
共演者も会場も聴衆も大変感じが良く、楽しんで演奏した。
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2009年6月19日
↓の続き
・・・でも現実逃避ばかりもしてられなので、今日は譜読みとコンティヌオの数字付けをする。
とりあえずは明後日のファウンドリング博物館の演奏会のためだ。
これはロンドンのヘンデル・フェスティヴァルの一環で、
バロックチェロ、カウンターテナーと共にヘンデルゆかりの作品ばかりを演奏する。

楽譜はいろんな形態のが送られてきている。
とりあえず今日は、数字をざっと確認して使用楽器をとりあえず決めてしまおう。
まずはヘンデルのチェロ奏者であったランゼッティのソナタ数曲。
いずれもファクシミリか手稿譜を写した楽譜で、数字もわかりやすく付けられている。
何の問題もない。楽しく一通り譜読みして終了。

こういう楽譜ばかりだとリュート奏者の生活は楽だ(makes
the life easier)。
しかし数字がもともと書かれていない楽譜も多い。
たとえばこのアリア↓

ざっと書いてしまう。

楽器を手にして数字付けをすると、音を楽しんでしまって書き込むのが遅くなるので、
数字付けの際にはなるべく楽器には手を触れない。
また自分で数字を付ける場合は分かりきった箇所でも書き込む。
学生時代からの習慣だ。
と、ここでマネージャーから連絡あり。
このアリア(原調へ長調)をカウンターテナーが当日は変ニ長調かニ長調で歌いたいとのこと。
ニ長調なら良いと返事をする。
移調した楽譜を必要かとの問いに、いや要らないと答えて、
ちょっと考えた末に↓の様に数字を変更する・・・

もともと数字が打たれてない楽譜でも、
過去の演奏者によって数字が書かれている場合は多い。
バロックオーケストラなどの使用楽譜は特にそうだ。
わかりやすく数字が打たれている楽譜は歓迎だ。こんな感じ↓

共用する可能性のある楽譜には、出来るだけ簡潔に数字を打つのが礼儀というものだ。
しかし、中にはなんだか分らないのもある。↓

いろんな筆跡で数字とタブラチュアらしきものが書き込まれていて、
まったく不明瞭だ。
パート譜なので和声の確認もできない。
こーゆーのは一旦全て消して、スコアと対照して新たに数字を書き込むことになる・・・
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2009年6月17日
仕事がちょっと(気分的に)忙しい・・・
演奏会の回数は特に多くはない、というか出来るだけカットしているのだが、
それでも多少の準備が必要な本番が続く。
7月7日のガルピン・ソサエティでのリサイタルは、楽器の調整や準備に時間がかかるし、
啓蒙時代オーケストラやロンドンの古楽フェスティヴァルの本番は曲数が多く、
事前の譜読み(というか通奏低音の数字付け)が必要だ。
7月の日本のコンサートの内容も考えなきゃ・・・
いや・・・通奏低音の数字付けなどはやり始めるとすぐ終わるのだが、
なかなかエンジンがかからないというのがホントのところか・・・

というわけで、今回も現実逃避の話題。
趣味のトラヴェルソは相変わらず楽しく、所有するオリジナルも充実してきた。
こうなったら、18-19世紀の代表的な楽器は一通り揃えて試してみたい。
19世紀初頭のフルートとしてはドゥールエ、モンツァーニ、グールディングを
持っているが、こうなると絶対に欠かせないのがニコルソンの笛だ。
ニコルソンの楽器はモンツァーニ以上に稀少で高価、
なかなかこれは!というものに出会わなかったが、今回状態の良いものを入手した。

チャールズ・ニコルソンはイギリスのフルート・ヴィルトォーゾで、自身の考案したフルートをクレメンティ商会に作らせている。
実際の製作はあの!プラウスである。

ニコルソンの楽器はラージホールが多く、その大きな音量と高音域の性能の良さで当時から知られていた。
あのベームがベーム式の楽器を開発するきっかけも、ロンドンで聞いたニコルソンの大きな音量に触発されたからだという。
今回入手した楽器は比較的初期の作品で、指穴はそれほどではないが吹き口はやはり大きい。


上から、ドゥールエ、モンツァーニ、ニコルソン(クレメンティ)
チューニングスライド装備で、頭部管全体に金属パイプが入っているが、吹奏感は非常にまろやかだ。
頭部管には溝が掘られていて、吹き口の内壁が薄い。
頭部管は良く振動し、高音も確かに出しやすい。
ニコルソンの教則本にあるアンブシャの基本は
「吹き口を唇である程度覆う、細くて強い息を使う」だ。

また楽器はいわゆる三点保持で支えるが、左手の人差し指の付け根ではなく
基節(第二関節と付け根の間)にフルートを置くことを勧めている。
こうすることでG♯キイとB♭キイが操作しやすくなるということらしい。
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2009年6月13日
楽器学者Ephraim Segermanの著作[The
development
of western European instruments]を読んでいる。
ものすごく興味深い本だ。古い音楽に関わる人はプロアマ問わず必読。

著者エフライムはハーヴァードで物理学を学んだ科学者で、
科学的手法で古楽器や弦の様々な解析を行なってきた。
20世紀にガット弦を復興させたのも一重に彼の業績だし、
彼の監修製作した弦や古楽器はどれも非常に説得力がある。
Early Music 誌やGalpin society
jornal、FoMRHIQなどに多くの刺激的な論文を発表してもいる。
この本は、そういった彼の研究の成果を1冊にまとめたものだ。
前書きで彼がはっきりと書いている。
「 自分は科学者としての訓練を受けており、音楽家や多くの歴史家(Historian)とは観点が異なる。
自分は、音楽を聴いたり演奏する楽しみの経験よりも、歴史的確証から得られる推論を尊ぶ。
なぜならば、その時代の人間の耳に快い響きが現代人の耳にアピールするとはまったく言えないからだ。
音楽を作るのは音楽家の仕事であり、歴史家によるものではない。
歴史家は、もっとも可能性の高い過去の音のイメージの情報を、音楽家に供給するのが仕事だ。
そしてその際に[自分たちの耳に快いものがより歴史的にも正しい]という判断はあってはならない・・・」
これは全く正しい態度だ。
リュートやバロックギターが復興して久しいが、
正直なところ僕は未だに本当の意味のコピー楽器は非常に少数しか見たことがない。
ほとんどの楽器は弦幅や弦長、弦高や内部構造に現代人向けの変更が加えられている。
イギリスのマイケル・ロウの様な研究熱心な名工ですら、
「オリジナル通り作りたいが、そうすると現代のリュート奏者には使いにくく評判の悪い楽器になるから・・・」
と残念そうである。
これは趣味のトラヴェルソでも同様で、オリジナルとコピーには厳然とした違いがあるように思う。
レプリカは発音が容易で音程も良く音量もあるが、
音色の良さや音のキャラクター、修辞性はオリジナルには及ばない。
18世紀の木管楽器製法を研究した製作家マーティン・ヴェンナーは結局、
「オリジナルの様な楽器を欲しい場合は(コピーではなく)オリジナルを入手するしかない」と結論づけている。
製作法や音の好みが違いすぎるからだ。
また、トラヴェルソ奏者で歴史家のジョン・ソラムも著作[Early
Flute]で、
「現代の製作家は、オリジナルを忠実にコピーした場合、
その楽器が不評に終わることをおそれている(のでやらない)」
という意のことを書いている。
しかし、オリジナルや忠実なコピー楽器を手にして当時の教則本と首っ引きで音楽を探究してみると、
最初はとまどうことだらけだが、理解が進むに従って「目から鱗」の連続だ。
そして、予想だにしなかったリアリティのある結果が得られた際には、
素晴らしい音楽的な感動がある。
この瞬間の為に音楽をやっていたと思えるほどだ。
エフライム・セガーマンは一見クールな科学者だが、
その心には誰にも負けぬ音楽への愛情があることは、僕には確かに思える。
彼にとっては現在の古楽ブームは商業主義に踊らされており、
古の偉大な文化への冒涜の様にすら思えるのだろう・・・
この著作は次のサイトで一部公開されている。
是非一読をお勧めする。
http://www.nrinstruments.demon.co.uk/BookX.html
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2009年6月8日
ダウランドのリュートソング[Sorrow
stay]も良く演奏される作品だ。
歌曲集第2巻の3曲目。

前回取り上げたCome againとは様々な点で異なる。
通作歌曲であり、編成は4声ではなく2声(プラスリュート)。
作曲技法としてはマニエリスム、書法としては通奏低音の影響が明らかに見て取れる。
低音パートには小節線はない。
実はダウランドの歌曲全てがそうだ。
上声とリュートパートに小節線があるのは、楽譜を見やすくするためでそれ以上の機能はない。
たとえ舞曲調の作品でもインテンポで拍節的に演奏しなければならないことはない。
ことにSorrow stayのような作品では、固定したテンポや拍節感は表現の邪魔になる。
あくまでも言葉の抑揚と音楽の進行によって表現したいものだ。

低音のパート
この曲における歌詞と音楽の一致は他に例を見ないほどだ。
最初の数小節を分析してみる。

冒頭、ト短調のリュートの和音に続いてSorrowと歌われるが、
このリュートの和音の部分ではすでに低音がSo(rrow)と始めている。
つまりはリュートの音もSo(rrow)と響かなくてはならない。
二つ目の和音はファ♯の6の和音なので、
上声のSorrowには自然にメッサ・デ・ヴォーチェがかかるだろう。
この部分ではリュートパートと歌が緊張と緩和を繰り返して、
聴衆に[Sorrow stay]を印象づける。
短い間奏の間、聴衆は息をのんで次の言葉を待つ。
lend true repentant と半ば予期されたテクストが続くが、
tears では衝撃的なニ短調の和音が響き、度肝を抜く。
この和音は不協和音として使われていると言っても良いだろう。
続く間奏では装飾されたレ→ド♯、これはバロック和声の
典型の一つであるの7−6の進行だ。
パーセルやバッハにおいては「嘆息の音型」として頻繁に用いられるものだ。
これは件のtearsを象徴し、同時に次のwoefullの予告でもある。
そしてworfullではレ上の64ー53の進行。
これは言葉のアクセントの音楽化であると同時にtearsとも関連づけられている。
この数小節をみただけで、この曲が天才の作品であることが分る。
第9小節からも表現的な箇所だ。

(上の譜例の2小節目に) リュートの間奏に割り込むように強い否定[do(e)
not]が行なわれた後、
カッチーニとみがまう様なO doe
not my hear
poore heart affrightが続く。
この音型はダウランドの代表作である「ラクリメ:涙のパヴァーヌ」からの転用だ。
ちなみに[Flow my tears]は同じ曲集第2曲、Sorrow
stayの前のフォリオに収録されている。

Pittyの箇所はレチタティーヴォの書法で書かれている。
Pittyがハ長調とイ長調で続けて歌われるのはマレンツォの影響だろうか。
非常に表現的な箇所だ。コード進行はG-C-A-D。
第20小節からのno hope, no helpではPittyと似た和声進行が使われる。
pitty と no hope, no help は関連づけられていると見て良いだろう。

第22小節からはdownとariseの音画的処理。downには下降音型、ariseには上行があてられる。
downでテクストと和声が繰り返される際にリュートパートが装飾されているのは心憎いばかりだ。
ここでは歌は小さく歌い、リュートを聴かせるのが良いだろう。

曲の終わり近く、非常に長い音価のariseがある。
ともすれば歌手とリュート奏者の齟齬が起こりがちなところだ。
歌手はブレスが続かないので、ここのテンポを上げて少しでも短くしたい。
リュート奏者は聴かせどころなので、あまり速くはしたくないわけだ。

様々な解決策があり得るだろうが、
個人的にはこのフレーズの前半は速くはしたくない。
後半の下降音型に一種のアチェルランドをかけるのは可能だと思う。
また楽譜に書かれているからといって、音価通り伸ばすべきだとは思わないし、
伸ばす場合でも途中でブレスすることも大いにアリだと思っている。
ところで・・・あまり知られてないことだが、
実はオリジナル譜ではこの箇所にタイはかかっていないのだ。
テクストには言葉の割り振りはなく、downe
and
ariseを繰り返す指示があるだけだ。
様々な解釈があり得てしかるべきなのだが・・・

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2009年6月3日
「Come again」の続き。
歌詞は6節ある。
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第1節
Come again: sweet love doth now invite,
Thy graces that refrain,
To do me due delight,
To see, to hear, to touch, to
kiss, to die,
With thee again in sweetest sympathy.
Amorの呼びかけ
来るべき恋への予感
(楽しそうでいいなあ・・・)
第2節
Come again! that I may cease to mourn
Through thy unkind disdain;
For now left and forlorn
I sit, I sigh, I weep, I faint,
I die
In deadly pain and endless misery.
しかし、すぐにそれは苦しみに変わる。
Amorに呼びかけ、その悩みを取り除いて欲しいと願う
ここから一挙に話はリアリティを帯びる・・・
第3節
All the day the sun that lends me shine
By frowns doth cause me pine
And feeds me with delay;
Her smiles, my springs that makes
my joy
to grow,
Her frowns the winter of my woe.
昼には喜びと悩みが交錯する。
彼女の一挙一動に一喜一憂する自分。
第4節
All the night my sleeps are full of dreams,
My eyes are full of streams.
My heart takes no delight
To see the fruits and joys that
some do find
And mark the stormes are me assign'd.
夜は嫉妬に苛まれ、悪い夢と想像で良く眠れない。
第5節
But alas, my faith is ever true,
Yet will she never rue
Nor yield me any grace;
Her Eyes of fire, her heart of
flint is made,
Whom tears nor truth may once
invade.
あきらめようかと何度も自分に問うが、かなわない。
惚れた弱みである・・・
第6節
Gentle Love, draw forth thy wounding dart,
Thou canst not pierce her heart;
For I, that do approve
By sighs and tears more hot than
are thy
shafts
Do tempt while she for triumphs
laughs.
再びAmorに呼びかけ、彼女の心をその矢で射るように頼む。
しかし彼女を振り向かせるものは、むしろ自分の真なる心なのかもしれぬ・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
テクストでは、第3節ー第5節が最も切実なリアリティを持っている。
第1、第2、第6節はAmorへの呼びかけだが、3-5節は自分の心情の切々たる告白だ。
このテクストの成立に関して興味深い説がある。
この歌曲はもともと(第3節にあたる)All
the
day から始まっており、
第1,2節は後からの付け足しだというものだ。
確かに、第1、2節は言葉の配分があまりうまくいってない箇所がある。
通常、有節歌曲の場合、第1節の言葉に音楽がつけられるので、
言葉と音楽が齟齬なく対応するものなのだが、
この曲の場合たとえば第1節の最終行に違和感を感じる人は多いだろう。
試みに第3節ー第6節を独立したものとして歌ってみて欲しい。
構成としては、ー昼の喜び(と悩み)ー夜の苦しみー諦めーAmorを呼ぶーとなり、整合性はとれる。
第3節の歌詞と音楽は美しく対応するし、
最終節の[Gentle Love]では(思いあまった挙げ句)
初めてAmorに呼びかけることになり、ここでは一種の感動すらおぼえる。
そしてこのことは、オリジナル譜における歌詞の番号が、
第3節から新たに1−4の番号が付け直されていることからもより信憑性を帯びる。

この曲はリュートソングとして最も歌われる機会が多い作品だが、
全節通して歌われることはあまりない。
第1,2.6節を抜粋して歌うことが多いようだが、
それでは内容的にあまりにも上面をかすっているだけなのだ。
現代人にとっても最もリアリティを持って心に迫ってくる第3-5節を省くのはいかにも惜しい。
どうしても省くのなら、(原譜にあるように)第3-6節で歌うべきだと思うのである。
(この場合、タイトルは[All the
day]かな? やっぱし)
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2009年6月1日
ダウランドの[Come again]はリュートソングの中でももっとも人気のある作品だ。

一番の歌詞は次の通り。
Come again: sweet love doth
now invite,
Thy graces that refrain,
To do me due delight,
To see, to hear, to touch, to
kiss, to die,
With thee again in sweetest sympathy.
この場合のLoveは「愛」と訳される場合が多いが、
より正確にはAmorもしくはCupid、つまりは「愛の神」である。
カッチーニのAmor ch'attendiのと同じ人(?)ですね。

Amorは羽を持ち、人の心を射る弓矢を携える。

カラヴァッジョ
Amorは官能に深く関わっており、楽器にもしばしば登場する。

ハウザー1世
ママであるVenusにくっついているときも多い。甘えんぼさんなのである。

無銘のマンドーラ
目隠しされているキューピーも多い。
つまり[Love is blind]だ。

ヴィオラ・ダ・モーレ
Amor/Cupidはギリシャ・ローマのキャラクターで、
キリスト教的天使Angel/Cherubとはホントは別人(?)だ。

ラファエロ
天使とAmor/Cupidは出自も性質も機能?も本来はまったく異なるが、
意図的に、或いは無意識に混同されている場合も多い。

19世紀のPutto君
たとえば↓を「天使」だと思っていた人は多いのではなかろうか。

これはローマ神話系のCupidだ。
ご本人?がキューピーだと言うのだから間違いはない。
で、問題の[Come again]だが・・・
ちょっと長くなってしまったので、続きはまた明日!
ちなみに2番以降の歌詞は↓の如し。(3節以降1,2,3,4,の順番になっていることに注意)

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2009年5月28日
↓の5月11日の続き。
(リュート)音楽を演奏するには、奏法や装飾法を知るだけでは無論足りない。
楽曲の理解もとても重要だ。
時代背景、当時の風俗や習慣などの広範な知識も必要だ。
ダウランドの時代、音楽は非常な高みに置かれ、また洗練されていた。
専門の音楽家の他にリュートを弾く人は、王侯貴族か富裕な市民階級だけだった。
彼らは例外なく高い教育を受けており、ラテン語を初めとする語学に堪能、
文学や詩に関しても高い教養を持っており、彼ら自身詩人であったことも多かった。
また、彼らの属する階級中の風俗や時事、また政治に関しても高い関心と知識を持っていた。
そして当然のことながら、彼らが愛好したリュート音楽やリュートソングは、
彼らの趣味と興味、そして教養を満足させるだけの複雑で高い内容を持っていたのだ。
現代、リュートやリュートソングというと、ともすれば「中世の無名吟遊詩人」的、
また「中世の素朴な人々の音楽」や「純愛が存在した時代」的なイメージで
捉えられることが多いような気が(特に日本では)するのだが、これはまったく間違っている。
たとえばホルボーンの良く知られた器楽曲
[Hey
ho Holiday]を見てみよう。
これはコンソート版とリュート版両方で残されていて、よくリコーダーアンサンブルでも演奏されるのを聴く。
で、タイトルは「ハイホー ホリディ!」とか「さあ休日だ!」と訳され、
ガリアルドのリズムであるためか、アップテンポで楽しげに演奏されてしまったりする。


しかし、当時のGentlemenがこのタイトルを見た瞬間に思い浮かべたのは、
単なる「楽しい休日!」ではなく、当時の大ベストセラーであったスペンサーの「羊飼いの暦」
から「8月」なのである。
「羊飼いの暦」はいわゆるイギリスの田園詩のはしりだが、
当時の時事と寓意と象徴に満ちた(それなりに難解な)内容を持っている。
この詩はネットでもアップされているし、日本語訳も出ているので、興味のある方は是非参照されたい。
もう一つ例を挙げる。これは大変良く知られているので、ご存じの方も多いだろう。
ダウランドのリュートソング Can
she excuseだ。

この曲は彼の歌曲集第1巻に含まれているが、詩人の名は書かれていない。
これは「無名詩人の手になる」からではなく、おそらくはエセックス伯ロバート・デヴァルーの筆になるものだからだ。
ダウランドがこの曲集を出版したのは1597年、イギリスの歴史に詳しい人ならば、
この当時にエセックス伯が宮廷においてどのような立場にあったか思い出すことが出来るだろう。
そして女王エリザベスとの関係がどのようにこじれていったかを考えると、テクストの
Can she excuse my wrong with
vertues cloak?
Shall I call her good when she
proves unkind?・・・
にも(たいそう具体的な)意味を見いだせる筈だ。
そして、各節の第3部、アルトとリュートのパートに出てくるモチーフ。

これは当時良く知られたバラッド[Woodes
so
Wyld]の旋律だ。
このバラッドの歌詞は、
「愛する彼女の愛情を求めて未開の森を彷徨う」云々・・・といったものだ。
と、こういったことを楽譜を見た瞬間に当時の人は思い浮かべたろう。
いや、この何倍もだろう。
ダウランドはエセックス伯が処刑され、またエリザベス女王が崩御した後、
初めてこの曲を「エセックス伯のガリアルド」と呼んでいる。

つまりは名を伏せる必要が無くなったからなのだ・・・
日本でリュートソングのコーチングをする際にしばしば遭遇して途方に暮れるのは、
いわゆる「イギリスのフォークソング」を持ってレッスンに来られることだ。
「グリーンスリーブス」はまあ良い。
正確にはグリーンスリーブスはフォークソングではなくて16世紀に成立したバラッド。
曲もロマネスカのグラウンドに基づいている。
ただし17世紀以降に歌詞は忘れられ、「グリーンスリーブス」とは
むしろ「ロマネスカ(による変奏曲)」の意味になっていったのだが。
レッスン希望の曲が「サリーガーデン」や「スカボローフェア」、果ては「アニーローリー」になると困る。
これらは18世紀以降に成立した(人工的に作られた)「民謡」で、
ルネサンス期イギリスのリュートやリュート音楽とは関係ないのだ。
旋律の方向性、言葉の用法、作品の持っている美学、全てが異なる。
勿論、どんな曲をどんな楽器で伴奏しても良いのは当然だから、
「フォークソング」をリュートで歌って悪いことは何もない。
確信犯的にはどんどんやれば良い。たまには僕もしたい。
しかし、この時代の音楽を真摯に学ぼうとするのであれば、
より本質的な勉強をした方が理解に繋がるだろう。
やらなきゃいけないことはそれこそ山のようにある。
英語、ラテン語、修辞学、モーリーに代表される音楽理論、マドリガルの実習・・・その他沢山だ。
無論、残されている真正のリュートソングは一通り勉強するべきだろうし、
シェイクスピアやスペンサーなどこの時代を代表する文学にも触れなければならない。
どうしても民謡調の曲を歌いたい、弾きたいと言うことであれば、
バラッドの旋律と歌詞を整理して学ぶのは有益かもしれない。
バラッドは民謡ではなく、この時代に成立したPopular
Tuneで、
Walsingham, Fortune my woe, Rowland,
Go from
My window,Robinなど枚挙に暇がない。
器楽変奏曲の形で残されているものが多いが、歌詞も調べれば大抵は分る。
現代では「詠み人知らず」になっているものも多いのだが、
それは単に現在まで伝えられていないだけで、決して無名吟遊詩人の作ではない。
勿論、時代を経るにつれて歌詞が変わっていった例も多くあるだろう。
これらバラッドの知識は当時の人は共通に持っていたであろうし、
前述のCan she excuseの例にもあるように他の作品に引用もされている。
しかし興味深いことに、これらバラッドですらリュート伴奏歌曲の形で残されているものはほとんどないのだ。
当時の人々にとっては、リュートとはあくまで芸術的歌曲にのみ使われるべき楽器であったのかもしれない・・・


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2009年5月14日
以前出演したプロムス音楽祭の映像がYoutubeにアップされていた。
BBCで放映されたものだ。
イギリスの啓蒙時代バロックオーケストラとドイツのフライブルグバロックオーケストラの共演で、
歌はイアン・ボストリッジとケイト・ロイヤル。曲目はヘンデルとパーセル。
僕はテオルボとバロックギターを弾いている。
アドレスは次のとおり。
パーセルの組曲 リーダーはレイチェル・ポッジャー
http://www.youtube.com/watch?v=4cQvhiBIE9k
ケイト・ロイヤル
http://www.youtube.com/watch?v=HlkXnMwMHdo
イアン・ボストリッジ
http://www.youtube.com/watch?v=rRsGHDCvreA&feature=related
ケイトとイアン
http://www.youtube.com/watch?v=4QX0u1Vlrbk&NR=1
他にも関連動画としていろいろ出てくる。
ヘンデル、パーセルイヤーの一環としてお楽しみください・・・

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2009年5月12日
ロンドンのキングズ・プレースのホールでコンサート。
OAEのヘンデル記念演奏会の一つだ。
キングズ・プレースは昨年オープンしたばかりの芸術センターで、
いくつかのホール、美術館などがある。OAEのオフィスも昨年ここに移転した。

プログラムは5月7日のベイジングストークとほぼ同じだが、
今回のソプラノソリストはジュリア・ドイル。
エリン・トーマスと同様に新進の美人歌手だ。
今回はジュリアはエリンの代役的な役割なのだが、
こういう場合でもイギリスでは特に長いリハーサルをするわけではない。
当日、本番前に全体をざっと合わせるだけだ。
細かい取り決めをしないのは、本番でお互いに聴きあう習慣が
(それこそ恐ろしいほどに)定着しているからだろう。
今回演奏したヘンデルのコンチェルトグロッソOp.3 No.2の
第2楽章は非常に美しいラルゴだ。
2台のソロチェロが活躍する弦楽合奏にのり、オーボエがカンタービレな旋律を繰り広げる。
↓の譜例でいうと、パートは上から、ソロオーボエ、ヴァイオリン1,2,ヴィオラ、ソロチェロ1,2
そして最下段が通奏低音だ。
通奏低音パートには数字が打たれており、テオルボにも良く合う進行だ。

大変興味深いことに、低音パートにはSenza
Cembalo(チェンバロなしで)と書かれている。

これをどう解釈するか。
リュート奏者としては、「テオルボだけで弾く指示だ!」と思いたいところだが、
実際はおそらくそうではなく、この場合の「チェンバロなし」は「通奏低音楽器なし」とほぼ同義なのだ。
実際、強いビート感のない弦楽合奏に自由なオーボエソロはたとえようもなく美しい。
和声も充実しているし、2本のチェロが縦横無尽に活躍している。
コンテュヌオ楽器はまったく不必要な楽章なのである。
では、なぜ低音に数字が打たれているのか?
ビートが目立たないオルガンで弾く可能性はあるかもしれない。
しかし、通奏低音の数字はあくまで曲の構造を奏者に理解させるためのものだ。
実際に和音を演奏するかどうかは、また別の次元で考えるべきなのだ・・・
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2009年5月11日
現実逃避の話題(↓参照)その2。
僕の仕事はコンテュヌオ演奏とアーリーギターのソロが多い。
・・・で、休日(Free time)に自宅でよく弾くのはリュートだ。。
主に11コースのバロック、6コースと10コースのルネサンスだ。
このところダウランドやホルボーンなどイギリスルネサンスをよく弾いている。
このあたりのレパートリーは学生時代に最もよく練習したものだし、
イギリスに住んでいるせいか、やはりイギリス音楽にはリアリティを感じる。
ダウランドの楽譜と言えば、[Varietie
of lute
lessons](リュートレッスン様々)のファクシミリと、
ポールトンの「ダウランド・リュート曲全集」が入手しやすい。

どちらもリュートを弾く人には必携の出版物だ。
{Varietie...]には楽曲のみならずダウランドの推奨する奏法や弦、調律についても詳しく書かれている。
ポールトンの全集はこれ一冊でダウランドの全リュート曲が入手出来るし校訂報告も充実している。
では、この2冊がダウランドの曲集としてもっとも重要なものかというと・・・
実はある意味では(全然)そうではない。
{Varietie...]にはミスプリントが非常に多い。
また装飾音や運指の指示は一切ない。
ポールトンの全集は、全集という性格上当然だが版の選択は限られ、
また校訂はポールトン自身の趣味に偏りすぎている感がある。
オリジナル楽譜の装飾音や運指の指示もあまり採用されていない。
まあ当時の演奏は一期一会、ダウランドなどは同じ曲を弾いても、
ディヴィジョンや装飾などは毎回異なっていたであろうから、
「決定版」を決めること自体がナンセンスなのだが。
そういったことを踏まえて、では少しでもダウランドの(楽曲と演奏法の)実像?に迫るにはどうすれば良いか?
それは、ダウランド自身もしくは周辺の手になる手稿譜に当たるより他はない。
Board Lute Book、 Hirsh Lute Book、March
Lute Bookなど多数のリュート手稿譜が
イギリスとアメリカの各図書館に残されており、いくつかはファクシミリが出版されているし、
そうでないものも各図書館から複写を入手することが出来る。
で、このところ研究しているのが「ダウランド手稿譜」。
ワシントンのフォルガー・シェイクスピア図書館が所蔵しているもので、
だいぶ前にナイジェル・ノースの勧めにより複写を手に入れた。
ダウランドを研究するのに、疑いなく最も重要な文献だ。
この手稿譜はジョンとロバートの両ダウランドに親しく教えを受けた貴族が所有していたものだ。
いくつかの曲にはダウランド自身が署名している。

この曲集では全編にわたって運指と装飾音の指示が非常に充実しているのだ。
たとえば「ラクリメ:涙のパヴァーヌ」の冒頭。

「ジョン・スミス卿のアルメイン」の冒頭。

これらの版はダウランド自身が推奨したものだと言って良いだろう。非常に興味深い。
面白いことには、運指や装飾音の扱いは、
我々現代のリュート奏者がデフォルトとして考えがちなスタイルとは、かなり異なるのだ。
装飾音記号は非常に頻繁に出てくる。曲によっては想像を遙かに超えている。
音階部分の右手の運指は、親指と人差し指の交互(フィゲタ)、
中指と人差し指の交互、だけではなく、3本の指を続けて使う奏法も重要な箇所でしばしば用いられる。
非常に洗練されている運指だ。
ダウランドは、「リュートレッスン様々」で
親指外側奏法を推奨しているが、
この洗練された運指は外側奏法とも密接に関係しているだろう。
実際「リュートレッスン様々」には「外側奏法は内側奏法に比べてよりエレガントだ」と書かれている。
こういう手稿譜を真面目に読んでいると、
一見確立したかのように見える現代の「歴史的リュート奏法」が、
実はマニュアル的に簡易化された無味乾燥なものに見えてくる。
運指や装飾音だけではなくて、楽曲のテンポやルバート、音色なども、
現代の我々が想像できうる以上にヴァラエティに富んでいたことは確かなように思われるのだ・・・
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2009年5月10日
OAEのヘンデル記念演奏会のシリーズ(↓参照)が始まったが、
ヘンデル大好き!・・・というわけでもないので、少々現実逃避をして趣味のトラヴェルソのことを書く。
18世紀末ー19世紀初頭のフルートを語るとき、
最も重要な人物の1人としてあげられるのがテバルド・モンツァーニだ。
モンツァーニはイタリア生まれだが、ロンドンでフルート演奏家、作曲家、教育者として活躍した。
そして自身の設計による良質のフルートを製作させている。
参考HP
http://www.oldflutes.com/articles/monzani.htm
モンツァーニのフルートは、その当時からもっとも高品質のフルートとして知られていた。
以前にも書いたスティーヴン・プレストンの名レコーディングでも、
モンツァーニの象牙の10キイが使用されている。


モンツァーニのフルートは、その出来の良さと希少性において、
また価格においても他の19世紀フルートとはやや別格の観がある。
今回状態の良いものを入手することができた。しかもタイプの違うものを2本まとめてだ。

上は柘植と象牙の6キイ、珍しくもC♯フット菅だ。
下は黒檀と銀の9キイ、Cフット菅である。
モンツァーニのフルートは通常の4菅ではなく、中部左手菅と足部菅が一体となった3菅構造だ。

モンツァーニ社は王室御用達であったので、楽器にはクラウン(王冠)のマークが打たれている。
また装飾された銀のリングには、銀の品質証明であるホールマークがある。
楽器のパーツにホールマークが打たれるのは非常に珍しい。

頭部管と中部管のジョイントはテノンが頭部管側にある。

左:ドゥールエ
右:モンツアーニ
歌口と指穴は小さめで、吹奏感は18世紀の楽器にそれに近い。
音量はそれほどないが、音色は美しく、コントロールが容易だ。
ピッチはどちらも頭部管をいっぱいに入れて440プラス。
実用ピッチは435-445くらいだろうか。
9キイのキイシステムは補助的なキイを除きドゥールエなどとよく似ている。

せっかくなので、大英図書館に行って、
モンツァーニのオリジナル教則本を複写する。

第3版だが、ここでは彼は9キイフルートを主に念頭に置いている。

構え方についても詳細な記述と図版で説明されている。

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2009年5月7日
OAEのコンサートに出演する。
Venueはロンドンから電車で一時間ほどのベイジングストークのAnvil
Art Center。
田舎町だがなかなかカッコのいいホールだ。

午後3時から3時間ほどリハーサル。本番は7時半から。
プログラムは↓に書いたようにヘンデルのコンチェルトグロッソとオペラアリア、
およびラテン語のカンタータ(モテット)
コンチェルトグロッソにはソロを担当するコンチェルティーノと
アンサンブルを担当するリピエーノの2つの楽器群がある。
通奏低音楽器は一つだけでやることも可能だが、コンチェルトーノとリピエーノそれぞれに
異なった楽器を配する場合も多い。
今回はハープシコードがリピエーノを、テオルボがソロを担当した。
下の楽譜でいうと、最下段がリピエーノのコンテュヌオパート、その上がソロ・コンテュヌオパートだ。

このパートを通常のイタリアンテオルボで弾く場合、ハイポジションを多用することになる。
テオルボの最高音はAもしくはB。たとえば上の譜例で言うと、
第2小節第3拍のヘ短調の和音を弾く場合、短3度のラ♭を弾くのがせいぜいだ。
このようなパートの場合、低音をオクターブ下げるのは出来るだけ避けた方が良いが、
なにか特別な瞬間、たとえば754の和音を長く響かせる際などに
特殊効果として低い低音を用いると効果的なときもある。
大型のコンテュヌオ用アーチリュートを使うのも良いアイデアだが、
オーケストラの中では大型のテオルボはやはりパワフルだ。
GやAのイングリッシュテオルボ(調弦)だと音域は広がるが、
ヘンデルの時代にイングリッシュテオルボが使われたエビデンスはない・・・
3曲のアリアはどれも弾きやすいものだった。
お馴染みのLascia ch'io pianga。テオルボの音が非常に合う。

ジュリアス・シーザーのテンペスタではギターを使った。
ホ長調はギターにぴったりだ。

中間部は嬰ハ短調に転調して、最後には嬰ト短調に至る。

ギターでも演奏可能だが、あまり良い響きはしない。
また歌の内容からも判断して、この部分はハープシコードに任せ、
ダ・カーポからフォルテで再突入することにする・・・
ラテン語のカンタータSilete Ventiは全曲ともフラット系の調性だ。
冒頭は変ロ短調で始まり、ト短調、変ホ長調、ハ短調などの曲が続く。

良く知られた旋律の長大なアリア[Date
serta,
date flores]も変ホ長調である。

歌詞の宗教的内容を考えるとき、ヘンデルがこれらの調性を選んだのは良く理解できる。
フラット系はテオルボでは弾きやすい調ではないが、アーチリュートとテオルボの効果を考えた際、
宗教曲にはやはりテオルボの方が合っている場合が多いように思われる・・・
 
幕間に調弦
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2009年5月1日
来週から始まるOAE(啓蒙時代オーケストラ The
Orchestra of the age of Enlightment)の
コンサートシリーズのスケジュールが送られてくる。
ヘンデル・イヤーにちなんでのヘンデル記念演奏会で、ロンドンをはじめとしてイギリスのいくつかの都市で演奏する。
オーケストラのメンバーはおなじみの顔ぶれ。
アリソン・ベリーがヴァイオリンを弾きながらのDirectionだ。

共演歌手はエリン・トーマス。
エリンとは彼女がケンブリッジの学生だったころから共演の機会も多いが、
このところ大スターへの道を歩んでいるソプラノだ。
実際、僕自身ヘンデルを歌う女声歌手としてエリン以上の人は思い当たらない・・・
プログラムは次のとおり。

コンチェルト・グロッソが3曲、短いオペラ・アリアが3曲、プラス長大?なカンタータが1曲だ。
楽譜は前日のリハーサルの際にもらうことになるが、
とりあえず自宅の書庫にあるコンチェルト・グロッソを紐解いて調性や楽章構成などを検討、
使用楽器などについて思いを巡らす・・・
 
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2009年4月30日
ロンドンのアンティークショップで、小さな象牙のコンテイナーを見つける。
なんでもヴィクトリア時代のピルケースだそうだ。
上手に加工されており、目も綺麗だ。

特に安くもなかったが、ピンと来て購入する。
家に帰って試す。

ピッタリ!
象牙のフルート用のオイル(グリース)ケース!

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2009年4月28日
所用でヴィクトリア&アルバート博物館の楽器室に行く。
ここは装飾楽器が多く、いつ来ても楽しい場所だ。
 
16世紀のヴァージナル、チョコレートみたい?

ブレッサンのエボニーとシルバーのトラヴェルソ

チョックの象牙の11コース(ルネサンス)リュート

ランベールのマンドリーノ、これも裏は象牙

ポッターとルーデル・カルテのフルート
楽器室での用事が済んだ後、特別展示「バロック」を見る。
First Global Styleとあったが、展示を見て今更ながら「バロック」とは、
まさに地球的な規模で広がったスタイルであったことを思う・・・
展示物も、フランス、イギリス、イタリアはもとより、ポルトガル、中国、中南米などの
世界各地で作られたものが数多く展示されていた。
お勧め!
http://www.vam.ac.uk/microsites/baroque/exhibition/global-style.html
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2009年4月23日
18世紀後半ー19世紀初頭に作られたフルートには、チューニングスライド装備のものが多い。
特にイギリスで作られたものはそうだ。
ここでチューニングスライドについてすこし説明しておく。
盛期バロック期以降のトラヴェルソはおおむね4つのパートからなっている。
頭部管、中部左手管、中部右手管、足部管だ。

各スタイルの1キイフルート
下から:
カヒューザック(1760年ころ、チューニングスライドなし)
ドゥールエ(1820年ころ、チューニングスライドあり)
グールディング(1790年ころ、チューニングスライドあり、頭部管金属裏張り)
基本ピッチを上げ下げすることは頭部管を抜き差しすることで多少は可能だが、
バロック時代には長さの違う中部左手管を交換することが多く行われた。
複数の中部管を装備する楽器も多く残されている。

3本の中部管を持つ18世紀のフルート
18世紀の中頃、頭部管を分割して長さを変えられるような工夫が現れた。
これがチューニング・スライドである。
クヴァンツは、
「音程に害を及ぼすことなく頭部管の長さを変えられる。この機構を私は信頼する・・・」
と書いている。
初期のチューニングスライドは木製であったが、18世紀の後半、
薄い金属のパイプを用いて製作されるようになった。

ドゥールエのチューニングスライド
フランス系のフルートでは金属パイプはジョイントの部分のみだが、
イギリス系のフルートの多くは頭部管の端まで金属パイプが埋め込まれている。
金属で裏張りされた頭部管を持つフルートはややエッジのある独特の音だが、
クヴァンツは「フルートの音を耳障りにする・・・」と批判的だ。
1800年ころに活躍したフルート製作家トロムリッツは、チューニングスライドについて、
「頭部管のみを伸縮させても無駄だ!
異なったピッチに対応するには、良く調律された中部管を複数作る以外にない。
また、その替管にそれぞれ頭部管も装備するとなお良い。
また、金属で裏張りされた頭部管は音色にとって良くない・・・」
と書いている。
では、実際の使い勝手はどうか?
トラヴェルソを吹き始めて1年足らず、レッスンも数えるほどしか受けておらず、
いまだに第3オクターブのd以上を出すのに四苦八苦しているが、
それなりにアンサンブルの機会はある僕にとっては・・・
・・・
ひっじょーにべんり!使いやすい!
が、正直な感想だ。
チューニングスライドを装備するフルートのうち、415−440ヘルツのピッチをカヴァーする笛は特に重宝する。
僕のようにリュートなど他の楽器を持って移動することの多い人間にとっては、
ツアー先などで、1本の笛でいろいろなピッチに対応できるのは非常に便利なのだ。
415のチェンバロにも、430のフォルテピアノにも、442のモダンピアノにも、その場で合わせることができる。
そして、18−19世紀にもこの状況は同じだった筈だ。
当時はスタンダードなピッチというのものは存在しなかった。
時期や地域によってもピッチは異なったが、もっといえば同じ町内でも
それぞれの家庭によってピアノの音高は異なっていたと言っても過言ではない状況だったのだ。
当時の愛好家たち(Gentlemen)は、チューニングスライド付きの笛を非常に活用したはずだ。
チューニングスライドを伸縮すると、各音程のバランスが悪くなる(音痴になる)との批判も良く聞くが、
コルクや各ジョイントの位置を工夫して、それぞれの笛の特性を心得て音程に注意すると、これがまずまずイケるのだ。
逆に言うと、チューニングスライドがどの位置でも、音程の合い具合(狂い具合?)はそれほど大きくは違わない。
必ずしも特定のピッチを志向して指孔が開けられているわけではないのかもしれない。
クヴァンツやトロムリッツは、金属の裏張りを持つ頭部管の音色には批判的だが、
僕自身は大変好きな音色だ。
確かに木の頭部管はよりフレキシブルに鳴らせやすいが、
メタルスライドを持つ楽器はリーディに響き、
特に残響の多い空間では、音色に透明な広がりを与える(気がする・・・)

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2009年4月19日
昨日はリュート協会のミーティング。
場所はロンドン中央部ソーホのスウェーデンボルグ・ホール。
今回も興味深いレクチャーとコンサートが目白押しである。
参加者も立ち見が出るような多さだ。
ハイライトはクリス・エガートンによるレクチャー「大博物館のシトゥールの修復について」だった。
クリスとシトゥールの修復にまつわるストーリーは2008年11月30日の「日記」に書いた(↓)ので参照されたい。
 
今回のレクチャーでは、豊富な歴史資料と写真により、この楽器の変遷と修復についての詳細なレポートが行われた。
質疑応答の後は、展示されている大英博物館に場所を移しての楽器の見学。

オリジナルは14世紀に作られたシトゥールだが、1578年にレスター伯ロバート・ダドリーからエリザベス1世に献呈され、
その際にヴァイオリンに改造されたと思われる。現在残っている形はヴァイオリンに改造されたそれだ。
胴体には非常に見事な彫刻が施されている。


クリスのレクチャーは、まさに本物を知る人間だけが持ちえる謙虚さと自信に満ちたものだった。
友人として、また同じ分野に携わる者として、心から拍手を送りたい。
この楽器については、修復に際に得られた詳細な資料を元にした複製の製作や、国際会議なども予定されているらしい。
楽しみだ。
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2009年4月18日
↓の続きで楽器を演奏する際の姿勢について。
「演奏する際には正しい姿勢で!」
これはまあそのとおりだとして、では「正しい姿勢」となにか?
たとえばリュートやギターの場合は、立奏座奏にかかわらず、
「まっすぐな姿勢、胸をはる、楽器は体の中心に構える(サウンドホールが真ん中にくる)・・・」
といったイメージが強いのではないか。
そして、その姿勢を保つために、足台、ストラップ、他の補助具などを使う場合が多いわけだ。
しかし、実際にはいわゆる「正しい姿勢」は体にストレスを与えるものも多い気がする。
無理に体をまっすぐにして「立派に」弾こうとしている例はよく見かける。
以前、アレクサンダーテクニックのコーチングを受けた際に、チェリストでもあるその先生は
「とくに日本人の音楽家は[立派な]姿勢で弾く人が多いけれども、実際には体のあちこちが緊張しやすい姿勢だ・・・」
と話をしてくれた。
確かにリラックスというよりも、まるで何かに立ち向かっていくような姿勢の演奏家はよく見る気がする。
では、歴史的にはどうであっただろう?
歴史的教則本で楽器の保持法としてもっともよく言及されているのはテーブルの使用だ。
机の縁もしくは上で楽器を支えるわけだ。
トーマス・メイスなどは加えて左手の肘をテーブルの上において支えることも勧めている。
 
やってみると、楽器はほぼ微動だにせず、体には非常に優しい保持法だ。
またテーブルを通じて床や部屋に震動が伝わり、響きが豊かになる。
一度は是非体験されたい。
図像で目につくのは、楽器の表面板をやや上向きに構えているものが多いことだ。
  
これは、背中に後ろ向きのベクトルがかかり、リラックスした姿勢を取りやすい。
指板もやや上を向くので、左手は手の筋肉を使わずに腕の重量で楽に弦を押さえることができる。
非常にお勧めの方法なのだが、我々の考えがちな「正しい姿勢」とは異なっている・・・
たとえば、リュートなど古楽器やクラシックギターを日頃は「正しい姿勢」で弾いている人でも、
深夜や、レッスンや仕事から戻ったときや、気の置けないパーティの場などで、
↓のような姿勢で弾いてみたことはあるだろう。
 
そしてその際、(いわゆる悪い姿勢にもかかわらず)案外うまく弾けること、
いつもは難しく感じる箇所などもすらすら弾けたりすること、
緊張せずに気分もなかなか良いこと、などに気づくことも多いのだ・・・
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2009年4月17日
趣味のトラヴェルソは相変わらず楽しい。
このところはドゥルーエの木管1キイばかり吹いていたので、
今日はその反動?で象牙の笛ばかり練習する。
トラヴェルソはその材質によって鳴り方は非常に異なる。
柘植の楽器は軽く鳴らせやすいが、エボニーや象牙の楽器には独特の抵抗感がある。
象牙の音色はリーディでエッジがあり、同時にとても暖かい。
それぞれに良さがあるが、現時点では象牙の楽器がもっとも僕の好みだ。

象牙の楽器はおおむね木管に比べて重いので、長時間吹いていると手が疲れがちだ。
特に左の上腕部だ。
これをきっかけに姿勢のことを考える。
大抵の先生や教則本は「フルートは水平に構える」のを勧めている。
左手の上腕部が疲れるのは、フルートを水平にするために左手を右に大きく寄せているからである。
少し左に戻すと疲れにくい姿勢になるが、フルートの足部管は下がってしまう。
水平でなく足部管を下げる場合は、頭を右に傾けて歌口と唇が並行にするのがほぼ絶対的な規則のようだ。
オトテールのよく知られた図版はそうなっている。

しかし頭を右に傾けた姿勢は、長く続けていると首筋が張る。
頭はほぼまっすぐなままで、フルートを斜めに構えるということはどうかな?と素朴な疑問がわく。
18世紀の教則本をいくつか当たるあまり詳細な記述はない。あってもオトテールの踏襲が多い。
しかし、頭はまっすぐでフルートを斜めに構えた図版はいくつか発見した。
ミッシェル・コレットの教則本中のものなどはその代表である。

コレットは「フルートを吹く際に顰めつらをしたり、奇妙な姿勢をとってははならない。
フルートは高貴な楽器であるからして(見ていて)気持ちの良いやり方で演奏するべきなのだ」と書いている。
以前、トラヴェルソ製作者マーティン・ヴェンナーのレクチャーで、
「多くのトラヴェルソ奏者は高音を出す際に、唇から右斜め上方向に息を発している」
ということを聞いたことがある。
これも(実際には)楽器が唇と平行ではないと考えると納得がいく気がする。
非常に興味深い・・・

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2009年4月15日
ブライトンのギター博物館に行く。
新しくコレクションに加わったというジョセフ・パへスの6コースギターの試奏のためだ。
同じ製作家の6コースの楽器は僕も所有している。
また6コースではCDレコーディングを行ったこともある。
博物館には、アメリカのコレクターが所有する、また別のパへス作ギターが一時預けられており、
はからずもジョセフ・パへスの弾き比べ会となった。
弦長やスペックも異なり、裏横材はそれぞれハカランダ、シープレス、チューリップウッドだ。
現存する6コースギターは少なく、そのうちでも演奏できる楽器はごく僅かだ。
貴重な経験だった。
 
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2009年4月13日
バロックチェロとの合わせをする。
チェリストはジェニファー・モルシェス嬢で、今年はいくつかのコンサートやレコーディングを一緒に行うことになっている。
今回はジェミニアーニ、シュトラウベなどのイングリッシュギター作品と
ラグレッツイやジェミニアーニのチェロソナタをセッションした。
使用楽器はこちらはテオルボとイングリッシュギター、
ジェニファーはイタリアンのバロックチェロとフレンチの5弦のヴィオロンチェロ・ピッコロ。
ヴィオロンチェロ・ピッコロというと、子供用の小さなチェロを改造して使っている例が多いのだが、
この楽器は正真正銘のオリジナルのピッコロ・チェロだ。
非常に非常に珍しく貴重な楽器だ。
無銘だが、スクロールのスタイルなどから18世紀前半のフランスの楽器のようだ。
ピッコロチェロの作品としてはバッハの組曲が良く知られているが、
実際にはフランスやイギリスでも良く使われていたらしい・・・


左がヴィオロンチェロ・ピッコロ、右は(通常の)バロックチェロ
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2009年4月11日
趣味のトラヴェルソは相変わらず楽しい。
象牙のドゥルーエの笛にはまって、2本目を手に入れたことは2月21日の日記に書いた(↓参照)。
ドゥルーエは19世紀にロンドンとパリで活躍したフルートの名手で、作曲家、教師としても知られていた。
同時代の文献によると、音色では彼に勝る奏者はいないとまで言われていたらしい。
ロンドンではフルートの製作監修も行っており、高品質で高価な彼の楽器は垂涎の的であった

↑は僕のドゥルーエのフルート。美しい象牙の笛姉妹だ。
しかし、妹は現在オーバーホールのためにドイツの修復工房に滞在中である・・・
寂しさを紛らすために、やはり最近入手したドゥルーエのフルート教本(1829年出版)をひもとく。

ドゥルーエは8キイの楽器を使っていたし、また生徒にも8キイを勧めていたようだ。
教則本でもやはり8キイの楽器が扱われている。なかなか詳細だ。

しかし教則本には4キイや1キイの運指表も載せられている。

同時代の証言によると、ドゥルーエの運指は1キイの楽器を基本にしていたふしも多かったらしい。
・・・とすると、ドゥルーエはもしかして1キイの楽器も製作監修しているのではないか?
だとすると欲しいなぁ・・・
象牙はどうしても吹きすぎに気を使うので、コーカスウッドなどを使った木管で、
1キイ、シルバーのフィッティング、状態の良いドゥールエの笛があれば、いいだろうなぁ、欲しいなぁ・・・
と、思いついてしまった。
さっそくリサーチを開始。
「ドゥルーエの1キイなんてこの世にないよ!」と断言する有名コレクターの意見に少々ひるみつつも、
断固として探す・・・探す・・・探す・・・
そうしたら、なんと発見したのである。
ロンドンのはずれにある小さな木管楽器専門店のウインドウに。
「展示品:売り物ではありません NOT
FOR SALE!」の札がついていた。
もちろんそんなことではひるまない。
考えてみたら、現在自分がフルで使っている楽器、セラスのオリジナル・バロックギターや、
象牙のゲルレ・モデル・リュート、カヒューザックのオリジナル・バロックフルートなど、
すべてそれなりの困難を乗り越えて入手したものなのだ。
あきらめずに押せば大抵のことは何とかなる。
必要なのは熱意と誠意と勇気と多少のお金だ。
楽器の親代わりの楽器店店主には、
「僕はずっとこの楽器を探していたのです。まさにこの子は理想なんです。
お願いです。必ず幸せにします。僕に譲ってください!」
と頼みこむ。(札束と羊羹付きで)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いろいろあったが・・・
首尾よく入手した。
嬉しい!
フルートを抱いて帰宅。詳細に検分する。
オリジナルの箱入りだ。まさに箱入り娘だ。

行儀よくおさまっている。

流石に当時の高級品らしく、細部に見所の多い笛だ。
刻印は銀のドットが埋め込まれている。
「ドゥルーエ、オクスフォード通り、ロンドン 製造番号831」

銀のプレートはいわば真正証明書で「ドゥルーエの店で買った楽器は真作です云々・・・」と書かれている。
人気作家だけにコピーも多かったのであろう。

象牙姉妹と同様にピッチ調整用のチューニングスライド装備。
可変範囲はA:415ー445程度。

エンドキャップにはコルクの位置調整用のスクリュー。

フィッティングは全て銀で、薔薇の彫刻が施されている。
大変美しい。
 
トンホールはやや大きめのスクエア型。間違いなくオリジナル・カットだ。
象牙姉妹の楕円ホールとは異なるデザインだが、
ドゥルーエ自身このタイプの吹き口を使っていたことが記録にある。

僕にとって大きなトーンホールの楽器はほぼ初めてだ。
最初は戸惑うが、楽器を信じて練習する。
テノンやキイの調子も点検する。
しばらくそうしていたら・・・いきなり伸びやかに鳴りだした。
初めは鳴りにくかった高音やフォークド・ノートも美しく響く。
オリジナル楽器を相手にする場合、絶対に間違いなく先方が偉いのだから、
こちらは早急に結論をだすことなく、楽器から学ばせてもらうつもりで付き合わなくてはならない・・・
ともあれ、これでまたフルートを吹くのが楽しくなってしまった。

一通り試し吹きをして彼女に言う。
「いい子だね、気に入ったよ!大切にしてあげる。君は3人姉妹の末っ子だから、そうだなー
一番目のお姉さんが月曜日と火曜日、水曜日と木曜日が二番目のお姉さん、
君と一緒に居るのは金土にしよう! え?日曜日?・・・リュートやギターも弾かないとね。
僕らはこれからきっとうまくやっていけるよ・・・・」
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2009年4月10日
今シリーズ最後のヨハネの公演だ。
場所はロンドンのテムズの近くボクサルの聖ピーター教会。
これは教会主催の演奏会で、幕間には女性の牧師さんが短いお話をした。
「人間にとっての音楽(の重要さ)」に関するスピーチで、非常に感銘を受けた。
演奏会終了後に牧師さんと話す。
この牧師さんは音楽療法士の資格を持っており、実践もしているそうだ。
どおりで、この人にとっては音楽が生き死にの問題であることがわかった。
・・・「音楽療法」というと、日本ではモーツアルトを牛に聞かせて肉を美味しくしたり、
老人ホームや施設などでお遊戯したり・・・といったイメージがあり、
ともすると、才能のあまりない音楽家やコマーシャリズムの温床であったりするのだが、
音楽療法の発祥の地であるイギリスではまったく異なる。
本来の音楽療法とは、自閉症などで外界とのコミュニケーションが取れない人間に対して
しばしば音によって他者が繋がることの出来る可能性を追及する非常に特異なセラピーなのだ。
セラピストになるための訓練は非常に厳しく、音楽的能力には半端ではなく高いものが要求されるが、
同時に精神医学や一般的な教養、コミュニケーション能力、非常に強い精神力が必要とされる・・・
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2009年4月8日
ヨハネでは、主要なアリアとアリオーソおよびコラールを弾くが、
冒頭の序曲Herr, unser Herrscher
と末尾のRuht
wohlにも参加することにしている。
合唱とオーケストラはトゥッティなので、リュートは聴衆には聞こえないだろうが、
自分が曲にSimpasizeしやすいのと、何よりも弾いていて楽しい・・・
この2曲は実に対照的だ。
Herr, unser Herrshcerの冒頭は同一の低音上で、
これでもかという不協和音の連結が繰り広げられる。
前の拍から準備されない9度や4度の不協和音などは当時の和声では禁則で、
驚きに満ちた進行、瞬間が続く。
当時の聴衆にはまったく「現代音楽」の響きだったろう・・・


Ruft wohlはうってかわってルネサンス的とすら言える書法だ。
低音の動きは穏やかで旋律的、和声は非常に捉えやすく、
欲すれば同時にブロークンコンソートのリュートパートのようなディヴィジョンを弾くことも容易だ。


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2009年4月6日
「ヨハネ」の演奏会で、素晴らしいチェロ奏者と共演した。
クリストファー・ポフリー、ガーディナーのオーケストラでの経験が長い人だ。
ヨハネは毎回弾くたびに発見がある・・・のは確かだが、やはり長年に渡って多くの演奏会を経験していると、
どの奏者もなんというかある一定のパターンに嵌ってしまいやすい・・・
どの楽器にもかなり高い技巧が要求されるので、上手な人ほどそうなりやすいといえる。
しかし、クリスの演奏は非常に新鮮だった。
これ見よがしなところはまったくないし、誤解を恐れずに言えば朴訥とすら感じられるのだが、
彼の弾くレチタティーヴォ伴奏からはドラマが聞こえる。
まるで目の前でことが行われているようなのだ。
リハーサル後にいろいろと話したが、やはり聖書を非常によく知っている人だった。
バッハの6つのチェロ組曲が新約聖書のストーリーを象徴するように書かれているという説や、
ヴァイオリン・パルティータのシャコンヌにおける数象徴法などについても非常に知識があり、
最近勉強していない自分に今更ながら気がついた・・・
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2009年4月5日
パッション週間が始まる。
例年のごとく、今年もバッハの「ヨハネ受難曲」の公演に数回参加する。
リュート奏者としてのヨハネ受難曲へのアプローチに関しては、2007年度の日記にある程度詳しく書いた。
http://www.crane.gr.jp/~tarolute/nikki2007.htm
興味のある方は3月30日ー4月14日の項を参照してください・・・
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2009年4月4日
リュート協会主催の「リュート展示会」に行く。
2年に一度の催しで、毎回楽しみにしている。
ロンドンの下町ハックニーにある会員宅が開放され、
ラウンジにはたくさんの楽器が並べられる。
試奏は自由で、楽器のうちの何台かは[For
sale]である。
今回はどうしたわけか展示数は少なく約20本ほど。
それでも、適正にセットアップされた一流の製作家の作品を自由に試すことのできる貴重な機会だ。
展示楽器の多くには、スチューデントモデルなどを除きガット弦が張られていた。
特別な場合を除き、やはりガット弦でないと楽器の本当の良さは出てこない・・・
低音までガットの仕様がむしろ当たり前になってきたことは本当に喜ばしい。
個人的にはスティーヴン・ゴットリーブの2本のリュートに非常に感銘を受けた。

またDのベースリュートやFの「ダウランドリュート」なども複数見られた。

デイヴィッド・ヴァン・エドワーズのベースリュート、弦長76センチ!
会場のあちこちでは、会員がデュエットなどを楽しんでいる。
やはりリュートはヨーロッパの伝統楽器なのだなーと今更ながら感心する・・・

 
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2009年4月3日
ロンドンでも桜が満開だ。

受難曲のシーズンでもある。
この日曜日が「棕櫚の日曜日」、来週の「聖金曜日」まで今年もいくつかの受難曲の演奏に参加する。
日曜日のパファーマンスのスケジュールが送られてくる。
ヴァイオリンとダモーレはニコレット・モーネン、ガンバはアリソン・クラムといったお馴染みのメンバー。

スケジュールには「12時:フルートとコンティヌオ合わせ(Taro含む)」とあるのを見て思わずニンマリする。
(フルート持っていったりして・・・)

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2009年4月1日
BBC放送のドキュメンタリーで「幻のクジラ発見」ニュースを見る。
http://www.youtube.com/watch?v=xVAEalO6u7s
昨年はペンギンが空を飛んでいた・・・
http://www.youtube.com/watch?v=Czr3escvvdg
来年は何だろう?
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2009年3月14日
僕にとっては珍しくも?中世のアンサンブルをする。
編成はハープ、声楽、リュート。

こちらの使用楽器はバーバー作の5コースリュート。
15世紀のアルノーの図面に範をとったモデルだ。
ロンドンの中世アンサンブルのリュート奏者が引退する際に譲り受けた。

鳥の羽根の軸で作ったプレくトラムで通常は弾くが、15世紀の中ごろにはすでに指頭奏法も併用されていた。

ここ10年ばかりバロック(以降)ばかり弾いていて、
13−15世紀の音楽からは遠ざかってしまっているが、
ギターンや4コースのリュートなども持っていてよくコンサートでも使った。
そのうちまた取り組んでみたいものだ・・・
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2009年3月8日
イタリアのローマに滞在中だ。
古楽器製作家のロベルトの家にステイして、博物館や音楽会に出かけている。
ロベルトは目下バロックマンドリン/マンドリーノの研究と製作に熱中している。
現在製作中なのは、6コースのローマ風マンドリンで、
オリジナルはテクラー作、ローマのサンタ・チェチーリャ音楽院の楽器博物館にある。
 
ガット弦を使うバロック・マンドリーノというと「ミラノ風マンドリン」と一括りにされてしまいがちだが、
「ローマ風」の楽器には、固定式フレット、表面板に彫りこまれたローズ、
幅広い指板、薄いネック、長めの弦長など固有の特徴がある。
 
ローマには楽器博物館は2つあり、どちらもなかなか素晴らしいコレクションを持っている。
殊にアーリーマンドリン関係とローマで活躍した製作家の楽器は充実している。
 
 
それにしても、ローマに住んで、博物館にあるローマの古楽器を仔細に研究し製作するというのは
なんとも矛盾のない姿勢でウラヤマシイほどだ。
(古)楽器というのは本来、その地域に根差した民芸品であることを今更ながら強く感じる・・・
  
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2009年3月3日
今日は日本ではひな祭りだ。また「耳の日」でもあるという。
イギリスではプロムス音楽祭の創始者である指揮者ヘンリーウッドの誕生日でもあり、
ドイツでは作曲家パッヘルベルの命日だ。
この日を記念して、フルートを買ってしまう。
1880年にフランスで作られた円錐管ベーム式の木管フルートだ。
ケースもオリジナルでなかなか趣がある。リングキイ。
珍しくD管で作られており、僕には親しみやすい。ピッチはA-440で演奏可能だ。




(この先どこまでいくのやら・・・)
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2009年3月1日
スイスから郵便が届く。
開けてみると一種のコラージュ風のものが入っている。

良く見ると、2月にフランスで行ったコンサートの新聞評の切り抜きだ。
ジュネーブ在住のスポンサーの一人が作って送ってくれたようだ。
フランス語はいまいちわからないが、とても良いことが書いてある!(かもしれない・・・)

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2009年2月27日
バロックヴァイオリンとセッション。
お相手はジュディー・ターリング。
パーレイ・オブ・インスツルメントのリーダーだが、同時に研究者、教育者としても知られている。
バロックの弦楽器奏法に関する著作は、この分野では最も信頼できる教則本だし、
近著[The Weapons of Rhetoric]も非常に有益な本だ。
今回は、ニッコラ・マテイスのヴァイオリンと通奏低音のためのアリア集を主に合わせた。


非常に面白いレパートリーだ。
マテイスはロンドンで活躍したイタリア人だが、イギリス流のユーモアとウイットに満ちている。
コンテュヌオ・パートはリュートやギターでも無理なく弾けるし、
またヴァイオリンのパートをギターで弾くことも可能で、事実マテイス自身が推奨している。
他には、メルキのギターとヴァイオリンの二重奏、
クリスチャン・バッハのイングリッシュギターとヴァイオリンの二重奏などを試した。

彼女とはいくつかのコンサート、レコーディングを一緒にやる予定だ。楽しみだ。
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2009年2月21日
趣味のトラヴェルソは相変わらず楽しい。
このところ昨年末に修復から戻ってきたドゥルーエの笛にハマっている。
1819年頃にロンドンで作られた総象牙、銀の8キイ・フルートだ。

吹きやすく音量がある。そしてなによりも音色が美しい。
低音にはバリトンのような潤いがあり、中音は爽やかに考え深く、高音は澄み切って秋の空の様だ。
このフルートの入手には時間とお金がかかった・・・入手後のレストアにはそれ以上にかかった。
その甲斐は十分にあった。 今こんなに素晴らしい笛を吹くことができるのだから。
彼女にそっと唇を寄せて言う・・・「もう一生君を離さないよ・・・」
・・・とふと思う。
「こんなに素晴らしい楽器が盗まれたらどうしよう?そうでなくても、もし故障でもしたら!」
「どうしよう・・・」
「・・・」
そうだ! もう1本同じものを探そう!
困難が予想されたが、偶然にも知り合いのコレクターが持っていた。
「とりあえず売る気はないんだ」と言うのを、あの手この手で攻略する。
札束と羊羹が乱れ飛ぶ。
首尾よく入手してフルートに話しかける。
「ずっと君を探してたんだ。もう一生離さないよ・・・」(←ウソ?)
 
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2009年2月19日
スイスのジュネーヴからロンドンに戻った。
今回もなかなか楽しいツアーだった。
使用したのは、マストの5コースバロックギターと、グールディングの1キイのトラヴェルソ。
どちらも実戦に投入するのは初めてと言って良い楽器だ。

気づいたことなど。
トラヴェルソはやはり音程に大きな注意を払う必要がある。
事前に基準音(AとかGとかCとかD)をぴったり合わせるのは勿論、
主要な和音の長3度なども確認して、
コルク位置の調整も細心の注意を払って行っておくこと。
それぞれの笛の個体差も把握するのが大切だが、
何といってもよく耳を使うことだろう・・・
マスト作のギターは透明な音色と音量感のある響きを特徴とするが、
広いスペースでは音が軽くなる感じがした。
これは決して欠点ではなく、
もともとサロン用の音色を追求したギターなのだからむしろ当然で、
逆にいえばそれだけ美しい響きを持っているのだ。
ただ面白いことに、弦高を低めにしてほんの少しBuzz(びりつき)をさせるようにすると、
広い会場でも芯のある音で良く響く。
びりつきは初期のルネサンスリュートやゴシップハープでは、
音色と響きを形作る重要な要素だったと思われるが、
バロックギターにおいても同様だったのだろう・・・
帰宅してから、マストのギターとランベール作の楽器を弾き比べしてみる。
どちらも18世紀後半にパリで製作されており、デザインや寸法も良く似ている。
ランベールは裏横板に市松模様の装飾がされていて、重量もそれなりにある。
マストの透明感のあるフワッとした響きに比べて、ランベールは目の詰まった重心の低い音色だ。
しばらく弾き比べたが、両方に良さがあるのがよくわかる・・・

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2009年2月17日
ドク・ロッシとのデュオ・セッション
彼のスタジオはアルプスの高地にあり、雪は非常に深い。

文字通りの山小屋に、ドクは3台のシターンと一緒に住んでいる。
 
仕事は予定よりも早く終わり、ル・マン湖近くの中世の村に遊びに行く・・・

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2009年2月14日
Brisonでコンサート。
Brisonは標高1200メーターの文字通り山の中。非常に美しいところだ。
文字通り雪に埋もれていて、スノウシューズなしで外は歩けない・・・
会場は村のタウンホール、日本でいう公民館みたいなものか。
収益を期待するものではなく、プロモーションのためのギグで、
音楽フェスティヴァルの関係者が聴衆の多くを占めるようだ。
ともあれ、このグループ最初のパブリックコンサートだ。
休憩なしの1時間半ほどのギグで、楽しんで演奏する。
聴衆の反応も上々でなによりだ。
 
 
 
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2009年2月12日
フランスに居る。
スイスとの国境に近いSt.Jeoire。アルプスのふもとの標高500メーターの村だ。
雪だ。夜には零下10度以下にまで下がるという。
  
今回の仕事相手は「ギャラントな女樵(きこり)」。
18世紀にベルギーで出版されたフレンチ・コントルダンスを、
バロックとクラシック、そしてトラッドのミュージシャンで
(よってたかって、いろんなアプローチで)演奏してしまおうという試みで、
シターンのスペシャリストであるドク・ロッシが中心になっている。
メンバーは次の通り
ドク(シターンおよび編曲)
ロベール(バグパイプとフォークフルート)、
クレア(クラシカル・ヴァイオリン)
タロー(バロックギターとトラヴェルソ)
無謀といえば無謀な試みだが、
コントルダンスの多くが19世紀やトラッドのレパートリーと密接な関係を持っているのは確かだし、
メンバーの顔ぶれがユニークで、プロジェクト自体も大きそうなので、参加してみることにした。
これからの数日は実験の連続だろう。楽しみだ。
  
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2009年2月11日
ロンドンに戻る。
明日からフランスにツアーなので、時差ボケの頭で荷造りをする。
1週間の滞在なのでそれなりに荷物は多い。
ツアーで使う楽器の確認と調整も行った。
使うのは2つ、バロックギターとトラヴェルソだ。
ギターは昨年暮れに修復が終わったばかりのマスト作のオリジナル。
弦長62センチの小型の楽器だが、今回の仕事はA−440なのでちょうど良い。
自宅のスタジオで弾く限り、マストの特徴である透明な音色と豊かな響きを兼ね備えた良いギターに思えるが、
レコーディングやステージでどのように鳴るか、今回のツアーである程度は確かめることが出来るだろう。
弦を確認し、フレットを一部巻きなおす。
トラヴェルソはチューニングスライド付きのグールディング作のオリジナル。
頭部管をほぼいっぱいに差し込んだ状態でA−440が、
スライドを一杯に抜いた状態でA−415がとれる貴重な笛だ。
440で調律して、コルクの位置も調整しておく。
フランスでの仕事は、新しいグループのコンサートとプロモーション用のレコーディング、
プロデューサーとの打ち合わせも予定されている。

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2009年2月7日
古楽講習会の番外編「フリーセッションの会」を開催する。
参加者の持ち寄った曲を初見で演奏する他、即興演奏のレクチャーを行った。
バロック音楽においては、
初見ですぐに音楽作りをすること、
共演者に注意を払うこと、
即興で演奏すること、
は非常に重要なように思う。
これからも機会を見つけては「セッションの会」は続けていきたい。
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2009年2月1日
東京国立の「奏」でライヴを行う。
1年に一度は必ず出演しているが、今回はゲストも多くなかなか賑やかな会となった。
次回が楽しみだ。
   
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2009年1月25日
横浜の古楽講習会を終える。
今回も濃い参加者を迎えた。
リュートやバロックギターに加え、声楽、トラヴェルソ、古典クラリネット、
バロックヴァイオリン、ポシェット、鍵盤などの参加があり、
セッションはヴァラエティに富んだものとなった。
個人レッスン、レクチャーとアンサンブルセッションが主な内容だが、
二日間とも最後はフリージャムセッションに突入した。
これは楽譜なしで即興したり、段取りを決めずにお互いのコミュニケーションを大切にしながら
音楽作りをしていくわけだが、クラシックの音楽家は多くの場合、これが下手である・・・
バロック音楽には即興性と相互のコミュニケーションが不可欠だ。
アンサンブルでは、たとえ初見といえども耳と目をよく開いて音楽をしたいものだ。
自分のパートを追うのに精一杯でそんな余裕がないとしたら、
その曲の難易度は現在の自分のレベルを超えていると思った方が良い・・・
今回も楽しい二日間だった。
いずれ、フリーセッションに特化した講習会なども行ってみたく思う。










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2009年1月17日
東京のベアータでのサロンコンサートを終える。
ベアータは江戸川にあるパイプオルガンとチェンバロを備えたスタジオ。
プログラムは以下の通り、だが・・・↓

聴衆に優秀なチェンバロ奏者が居たのを幸い、マテイスの通奏低音付きアリアと
グリーンスリーブスによる即興、ジェミニアーニのイングリッシュギターとチェンバロのためのソナタを
エキストラで演奏した。
初めてトラヴェルソも(不特定多数の聴衆の前で)吹くことができ、大変満足である。
 
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2009年1月11日
京都での古楽講習会を終える。
今回も濃い催しだった。
個人レッスンの他、次のようなレクチャーとセッションを行った。
笠原講師:「カッチーニの「ヌオヴォ・ムジケ」における装飾法
上野講師:「大公のアリア あるいは フィレンツェの歌 におけるディミニューションについて」
竹内:「ベルガマスカによる即興、および 古楽演奏における曖昧さのススメ」
最終日には発表会を行う。
講師と講習生の多くは複数の楽器(声楽)を演奏することもあり、
なかなかヴァラエティに富んだものになった。
今回も大変楽しい催しだった。次回が楽しみである。
 
 
 
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2008年12月28日
来年1月に行なうライブのチラシが届く。
1月17日、東京文京区のベアータで、お題は「17.8世紀のイギリスのギター音楽」
18世紀のオリジナル楽器2台を使い、パーセル、ヘンデル、シュトラウベ、ジェミニアーニなどの作品を演奏する予定だ。
ベアータはオルガンとハープシコードのある小さな会場。
響きは良い場所で、楽しみだ。
  
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2008年12月27日
東京国分寺のクリスマスコンサートに出演する。
演目はシャイトのマニフィカトおよびシュッツの「クリスマス物語」。
僕はキタローネで通奏低音を弾いたが、合間にはバロックギターでのソロやガンバとのデュオも演奏する。

シュッツなどルター派の宗教音楽を演奏するたびに感じるが、
演奏には超絶技巧やベルカント唱法による大きな声量などは一切必要ない。
こういった作品はほぼ例外なく簡素で明快な書法で書かれている。
12月5日(↓)に書いたような奏者の楽しみのためというよりも、
聴衆と演奏者両方にその内容が伝わることが大切な曲なのである。
その意味で、プロの音楽家によって演奏される必要もなく、
それなりに適正に訓練され、教養のある音楽愛好家の演奏が良い結果を生み出すことも多い。
実際、今日の演奏会はアマチュア合唱団によるものだったが、良い効果を上げていた。
バロック音楽の演奏に必要なのは、語学の知識と和声の理解、
作品への共感と音楽に対する誠実な取り組み、そして良く聴くことだけだ。
そして、これらは日本の音楽大学での教育が遠く置き去りにしてしまったエレメントでもあるのだ・・・

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2008年12月25日
オリジナルフルートを買ってしまう。
オリジナルといってもトラヴェルソではない、19世紀に製作されたベーム式の木管フルートだ。
イギリスのルダール&カルテ作。1890年代の製作だ。
これまでにロットなどのベーム式に触れたことはあるが、所有するのは今回が初めて。
大変興味深い。
ルダール&カルテは、19世紀から20世紀初頭にかけ最高品質のフルートを製作していた。
ルイ・ロットとゴッドフロイと並んでベームが独占契約を結んだメーカーの一つだ。
評判にたがわず、非常に精度高く製作された楽器だ。
ベームが推奨したオープンG♯のキイシステムを持っている。
 

同時代にイギリスで出版されたベーム式フルートの教則本ファクシミリも入手する。
マヒロンの「ベーム式フルートの運指の手引き」だ。
 
19世紀の木管ベーム式といえども、これまでに馴染んできたトラヴェルソとは大きな違いがある。
トーレスなどスパニッシュギターとバロックギターの違いのようなものかもしれない。
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2008年12月5日
ガスパル・サンスの「スペイン風ギターによる音楽指南」は重要なバロックギター教本/曲集である。
初版は1674年に出版され再版を重ねた。
現在では1697年版のファクシミリが一般には入手しやすい。
1冊だが、実際は3巻(3部)からなっている。
教本として大変良く構成されており、情報量も多い。
アルファベートによる和音だけでなく、本格的な通奏低音の手引きの項目もある。
曲集としても技術的、音楽的に容易なものから複雑なものまで様々なレベルの曲がある。
組曲やフーガのような純「バロック」的なものからスペインの民族舞曲まで曲種も多岐に渡る。

この曲集と付き合いだしてから随分になる。
いくつかの作品はCD「フォリアス!」にも収録したし、コンサートでも弾く機会は多い。
録音したものはスペインの民族舞曲に類する作品が多い。フォリア、カナリオ、スパニョレッタなどである。
これらの作品はステージでも効果を上げやすく、ステージでは自分の変奏を加えて即興的に弾いている。
しかし、このところプライヴェートでは第3巻のパッサカリア集を興味深く弾いている。
第3巻の収録曲10曲は全てパッサカリアだが、これらは舞曲ではない。
4拍子のものも多く、ほぼ純然たる変奏曲だ。
言い換えれば、作曲家が自分の技量を示すためのショウピースだ。
サンスのパッサカリアは音楽的、技術的にも穏当なもので、弾いていても楽しい。
しばしば、非常に繊細な音の使い方が見られる。特に転回型の和音の使い方などはそうだ。
その繊細さは、おそらくは演奏している本人のみが感知できるものだろう。

こういう作品を弾くたびに思うが、これらは決してステージで演奏される為のものではない。
聴衆が居る必要もない。作曲者と演奏者の交流がここでの主眼である。
そう、これは「書物を読むように」演奏者が作品を楽しむものなのである。
ルネサンスーバロックー古典派の室内楽と独奏曲の多くはおそらくそうなのだ。
ことにリュートやバロックギターの作品はほぼ100パーセントそのような性格の音楽だと言えるのではないか。
同じようなことは、たとえばロベルト・シューマンの作品ー特にピアノ曲や声楽のピアノ伴奏パートにも思う。
シューマンのピアノ書法は大変繊細で、同じフレーズでも微細な差違を重んじる傾向にある。
その差違は一般の聴衆の多くには聞えないだろう。
ある種の音楽学者やピアニストに言わせると、
「だからシューマンはアマチュアだ!」ということになるらしいが、僕はそうは思わない。
シューマンは不特定多数の一般の聴衆を対象にして曲を書いていない。
また大きなホールで演奏するために書いたのではない。
最高度に良い耳をもつ音楽家の為に書いたのだ。
そしてそれは演奏者のみであっても決して差し支えないのだろう。
シューマンの友人であったシリングは面白いことを書いている。
「室内楽とは狭い空間で演奏されるべきものだ。広い場所だとその細部は喪われてしまう。
また(昔の作曲家は)熟練した耳と教養を持つ聴衆を想定することが出来たのだ」
18世紀の後半から19世紀にかけて、音楽は貴族階級から一般の市民のものとなった。
楽器は大量生産され、音量は大きくなり、均一な音色を持たされ、張力と重量が増え、
人間は扱いにくなった楽器を演奏するために筋力を鍛え、スポーツのように指を動かすことが音楽と同義語になった。
そしてバロック音楽が身上としていた繊細な語り口や修辞は喪われていった・・・
それを理解する人間がどんどん少数派になっていったのだ。
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2008年12月3日
今日はロンドンのロイズ銀行ホールでのリサイタルである。
来年没後250周年を迎えるヘンデルを中心にしたプログラムだ。
・・・が個人的な急用で出演が出来なかった・・・
幸い代役は見つけることが出来たが、主催者には申し訳ないことをした。
自分的にも悔しいので今回使う予定だった楽器を紹介する。

一台はこのところずっと使っているマーシャルのギター、
ヘンデルの死後すぐ後に製作された楽器で、まあ一応Comtemporaryと言って良かろう。
この楽器はますます良くなってきた。
修復後すぐに良く鳴っていたが、このところ音色に何とも言えない柔らかさが加わってきた。
もはやこの楽器なしの音楽生活は考えられない・・・
もう一台はヘンデルが活躍していたハンブルグの製作家ゲオルグ・ティールケの11コースによるコピー。
非常に忠実に製作されたコピーで、オリジナル通りべっ甲と象牙、金箔で装飾されている美しい楽器だ。
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2008年11月30日
電子書籍が届く。
大英博物館(The British Museum)のテクニカル・リサーチ紀要だ。

はて?と思いながら目次を見ると友人の弦楽器製作家/修復家クリスの論文が載っている。
大英博物館蔵の現存する最古の弦楽器シトゥール(14世紀)の修復プロセスに関するものだ。
クリスは10年来の友達だ。嬉しく思いながら論文に目を通す。

クリスは50代半ばの楽器職人だ。
もともとロンドンカレッジでリュート製作を専門に勉強した文字通りのリューシェだ。
若い時からなかなか良いプロ仕様の楽器を作っていたのだが、
あまり体が強くなく、また商魂に欠けることもあって、
早々にリュート製作家になるのは諦めて、学生向けの弦楽器の調整を生業としていた。
(イギリスの学校ではオーケストラや室内楽が盛んなので、
何校かを顧客に持つとそれだけでなんとか生活はできる)
彼とは十数年前、僕がギルドホール音楽院の学生だったときに初めて会った。
しばらくは音信不通だったが、10年ほど前に偶然再会し、
僕がちょっとした修理を頼んだのがきっかけで、再び交流を持つようになったのだ。
その際は、彼はもうだいぶ長いあいだ古楽器の仕事はしておらず、
昔の面影はどこへやら、自分の腕に対する自信もなく、
業界全体に対してはむしろシニカルになっていた。
いわば「負け犬」状態だったと言ってよいだろう・・・
しかし、僕はコンスタントに仕事を頼んだ。
僕は生徒のためのリュートやバロックギター、19世紀ギターの調整を、
また自分の持つオリジナルのイングリッシュギター数台の修復を彼に任せてみたのだ。
彼は徐々に古楽器に対する情熱を取り戻し、
3年前に僕にこう言った。
「Taro! 僕はこれから古楽器の修復の専門家になるよ。
たった今、王立技術カレッジの楽器保全科の大学院に入学願書を出してきたところだ!」
そして50歳を超えた彼は、20代の学生に交じって勉強を開始したのだ。
時間にも体力にも余裕のない彼が、さまざまな困難に遭遇したであろうことは
想像に難くない。
昨年の彼の中間資格審査のレクチャー/口頭試問の際には、
僕は彼の修復したイングリッシュギターを持って王立カレッジに赴き、彼のために演奏した。
そして、その際に試験官として来ていた大英博物館の学芸員に彼は認められ、
大英博物館の所蔵するシトゥールの調査および修復を任されたというわけだ。
掛け値なしにこれは物凄いことだ。
なんせ現存する最古の楽器なのだ。
古さだけでなく、楽器自体装飾豊かで芸術品としても非常に高い価値を持っている。
また現存する唯一のシトゥールでもある。
すべてをひっくるめて、この世でもっとも価値のある楽器だといって過言ではないだろう。
金銭的な価値にしてももちろんそうだ。
この様な楽器を手にとって調査、修復することは弦楽器に携わる者にとっては夢だろう。
クリスはそれを実現した。
一重に本人の志の高さ、やる気と努力のたまものだ。
僕は思うのだが、こと芸術や工芸に関しては、
一流を目指し、第1級のものと人に関わるように心がけることが大切だ。
自分自身が一流の芸術家になれればそれに越したことはないし、
たとえそうでなくとも、その経験は決して無駄ではなく、
芸術と芸術家へのより深い理解と尊敬につながるはずだ。



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2008年11月16日
ロンドンのファウンドリング博物館でリサイタルを行う。
ヘンデルゆかりの博物館で、ヘンデルの自筆譜なども多く所蔵している。
プログラムは以下の通り


今回はイギリスのギター音楽ばかり、パーセル、マテイス、ヘンデル、シュトラウベなどの作品を弾いた。
イギリス人はパーセルしかいないけど? という疑問ももっともだが、
そんなことを言うと、フレンチバロックの場合はリュリもド・ヴィゼもコルベッタもみな非フランス人だ・・・
観客の中に優秀な日本人歌手を見つけ、急遽飛び入りでパーセルなどを歌ってもらう。
聴衆は大喜びだ。
会場の響きもよく、弾いていても楽しいコンサートだった。

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2008年11月15日
修復に出していたオリジナル・フルートが戻って来る。
ドゥールエの8キイ、総象牙だ。
時代は1819年ころ、ロンドン製。
このタイプの楽器はずっと前から、スティーヴン・プレストンの名盤で憧れていたものだ。
あちこち探して数ヶ月前にようやく入手したが、それなりの修理と調整が必要だった。
今回、完全に演奏可能になって戻ってきたのは非常に嬉しい。
吹いてみると、さすがに名演奏家のデザインになる楽器で、非常に吹きやすく音量もある。
よかったなぁ・・・・
 
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2008年11月14日
ロンドンの古楽フェスティヴァルに行く。
今日から3日間、グリニッジの旧海軍大学にて楽器や楽譜の展示(即売)会、
コンサートなどが行われる。毎年楽しみにしている催しだ。

昨年は興味深いファクシミリや中古楽器を入手し、アクイラの新しいロードガットを試奏し、
また新進の良い製作家を発見したり、非常に面白かった。
今年は、それほどセンセーショナルな発見はなかったが、まあこういうこともある・・・
何冊かのファクシミリと著作を入手したにとどまった。
というか、古楽界?全体がだいぶ落ち着いてきているのかもしれない。
研究や実践は以前に比べると良い意味でbroadになってきているのであろう。
これからは2極化が進むだろうという気がする。
それほど深くは追求しないオタク的?アマチュアと、各論的なことを掘り下げる専門家である。
展示会もよく見ると、その2つの方向が目立つように思われた。
楽器は安価で初心者にも扱いやすいものがだいぶ作られるようになってきた反面、
専門的な内容の新刊書もいくつか見受けられた。
今回入手したもの(の一部)。
ジュディ・ターリングの音楽修辞学の著作
 
この本は出版と同時に入手していたが、いずれは入手不可能になることを見越して、
門下生や友人のために数冊を確保しておく。
ルネサンス・バロック音楽にかかわる人間にとっては、プロアマ問わず必読の本だ。
モンテクレールの装飾法の研究書

日本などでリュートやギターを教えたりするたびに思うのは、装飾の扱いがあまりうまくないことだ。
それなりにテクニックがある奏者でも(ほど)、無意味に数が多く速い装飾をしている場合が多い。
これはおそらく鍵盤楽器などの装飾法を意識しているのではないかと思うが、
音量のコントロールができない鍵盤楽器とタッチがより自由な撥弦楽器では、まったく違うアプローチが必要だ。
文献に引用されることの多いバッハ、ダングルベール、クープラン、ラモーなどの装飾の手引きは、
撥弦楽器においてはほぼ無益だ。学習者にとっては有害ですらある。
ペラン、ムートン、ド・ヴィゼ、メイス、コルベッタ、ル・コックなどリュートとギターのオリジナル教本では、
例外なく、レガートと語り口を最上位に置くいわば声楽的な装飾音の扱いを勧めている。
その意味で、このモンテクレールの声楽のための教本は大変参考になる資料だ。
多くの実施例が載せられているが、そのままリュートで弾いてもまったく違和感が感じられないものだ。

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2008年11月12日
ロンドンに戻る。もう冬時間で気温も低い。
北ヨーロッパの長く暗い季節の始まりだ。
ただ、このすっきりとした気候は決して悪くない。
いずれにしてもクリスマス頃からまた日本だ・・・
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2008年11月5日
浜松での講習会の翌日、浜松市楽器博物館に行く。
この博物館の館長、嶋さんは僕が最も尊敬する博物館関係者の1人だ。
応接室でお茶をいただきながらいろいろと話す。
この博物館は「古いオリジナル楽器の音を聴く」ことに重点を置き、
所蔵楽器を使ってのをコンサートや録音を敢行している。
世界でも珍しい試みで、その意義は非常に高い。
嶋館長はご自身で管楽器を達者に吹かれるが、
オリジナル楽器と昨今のコピー楽器の違いに関しては全く僕と同じ意見をお持ちだった。
要するに
「オリジナル楽器は修辞的で語るように鳴る、コピーは音量はありレガートに響くが語り口がない」
ということだ。
これは嶋館長と僕がどちらも多くの良質のオリジナル楽器に触れ、結論つけたものだ。
現代の奏者はプロアマ含めコピー楽器しか知らない人も多く、
楽器を鳴らしたり技巧的なことは達者になっても、演奏に内容がない場合が多い。
オリジナル楽器を自分の手で検分したことのない「古楽器」製作家すら存在する・・・
古楽器が安易に広まってしまったことの弊害とも言える。
このような状況で、「オリジナルの修辞的な音」に拘る嶋さんの仕事は非常に貴重だ。
こちらも出来るだけの協力は惜しまないつもりだ。
お話の後、展示室で長い時間を過ごす。いつ来ても全く飽きない博物館だ。
今回、特別に見たかった2台のギター。
どちらも同じ製作者/スタイルの楽器を所有しており、
修復に際してはこの博物館所蔵の楽器を大いに参考にした。
 
2台の18世紀フランスの5コースギター
左:博物館蔵
右:竹内所有
 
ペリー作のイングリッシュギター
左:竹内所有
右:博物館蔵
トラヴェルソにも良いコレクションがある。

今日も楽しい一日だった。
↑の2台の18世紀ギターは11月16日のロンドンでのリサイタルにて用いる。
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2008年11月4日
浜松講習会でのレクチャーとセッションについて。
レクチャーの内容は広島で行ったもの(↓の10月24日の日記参照)を下敷きにしたが、
ここ浜松では参加者すべてが実際に演奏する人だったので、より実践的なものにした。
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和声(通奏低音)を理解することの重要さについて。
分りやすい例を挙げる。

↑はパーセルのよく知られた歌曲だが、
冒頭では[Dear]という重要な言葉が3度続けて歌われる。
この3回の[Dear]はそれぞれどのように重きを置かれるべきか?
和声を見ると解答を出すのは簡単だ。
1回目の[Dear]はニ短調の主和音で、
2度目は73ー63のサスペンションと解決、
3回目はニ短調のドミナントであるイ長調の和音。
ストレスは2>3>1となる。
あるいは3小節目の7−6から4小節目の和音にかけての解決を重視して、
2>1>3も考えられる。
このようなことは演奏者が和声的な耳を持っている場合は、
とりたてて分析する必要もないのだが、案外そうでない場合も多い・・・
バロック音楽の根幹は和声にある。
通奏低音を弾く人のみならず、歌手も旋律楽器奏者も、
和声による緊張と弛緩のロジックを体にしみ込ませるのがまず大切だ。
解釈やスタイルを云々するのはその後だ。
バロック和声の実習には即興演奏も効果的だ。
即興といっても、派手なのをやる必要は全くない。
あくまでも論理的な進行を学ぶのが大切なのだ。
たとえば↓の進行に和声(数字)をつけてみよう。

まず、もっとも考えやすいのがおそらくこれ。

イ短調の主和音で始まり、ソシミ、ファラレと6の和音が続き、最後はドミナント。
穏やかでなめらかな進行だ。
この低音はいわゆるパッサカリア、バロック音楽の定型の一つだ。
その気になれば複雑な和声づけが可能な低音で、だからこそ多くの作曲家により使用されたのだが、
ここでは2つ目の和音(低音ソ)の可能性をいくつか考えてみよう。
大切なのは紙の上で考えるのではなく、あくまでも楽器でその響きを吟味しながら弾き、よく聴くことだ。
それぞれの和音の色合いを感じ取り、聞き分け、表現できるようになるのが目的だ。
2つ目をト長調の和音にすることも可能。

基本位置の3和音が続くのでやや唐突な感じもあるが、
非常に美しくもなりえる進行だ。
(「スパニョレッタ/シチリアーナ」の冒頭がこれですね。)
↓のようにラ上の6♯のコード(ラ、ド、ファ♯)を経るようにすると、
進行はよりスムーズだ。
これは肯定的な調であるト長調への転調ともいえ、
爽やかでなかなかお洒落な進行だ。

またはお馴染みの?7−6のシークエンス。

いわゆる「嘆息のフィギュア」だ。イ短調の調性のせいもあり、やや重くメランコリックな響きだ。
ミーファーファミーミレーミというメロディラインが聞こえる。
この進行においては、不協和音である7から協和音である6に向けての和声的弛緩がある。
7>6ですね。
また6から7に向けてはメッサ・ディ・ヴォーチェかクレシェンドをして緊張感を増したいところだ。
↓もよく見られる進行

2つ目はソ、ラ、ド♯、ミが構成音、つまりラ上の753♯の和音、ドミナント7thの転回形である。
これは次のファの6の和音に解決される。いわばニ短調へ転調したのだ。
意表を突いた転調だが、A7という複雑で成熟した和音は明るい未来を予感させ、
続くニ短調の転回形は切なさと大人びた落ち着きを持っている。
そして最後にはホ長調という栄光に満ちた和音!
つまり、
良い家柄の出だけれども裕福ではない真摯な中年男性が、
都会で大変な才媛の美女に会い恋に落ち、
美しく切なくそして穏やかな蜜月期間を経て、
豪華な結婚式を挙げて末永く幸せに暮らす(でもこれからまた色々ある)
といったストーリーが誰の頭にもすぐに浮かぶ筈だ(浮かばないか・・・)
と、まあ以上のようなことを自分で演奏しながら、
または他の人の演奏を聴きながら感知して欲しいわけだ。
慣れるとCDを聴きながらでも数字は頭に浮かぶようになるし、
同時に音楽の持っている意味がより良く理解できるようになる。
いわばバロック音楽に対する耳の解析度が上がったのだ。
耳があまりよく出来ていないのに、複雑な曲を練習するのはあまり良い事でない。
しばしば有害ですらある。
理解できない音を演奏するのに慣れてしまってはいけない。
音楽的に成長したい場合は、まず自分の語彙を着実に増やすことが肝要なのだが、
大方のバロック音楽にはそれほどの演奏技術が要らないので、
無意味な音の羅列は多くの愛好家が(そしてプロですら!)陥りやすい悪癖である。
ここでアンサンブルの課題曲であるリュリのパッサカリアを見てみよう。
先ほどの課題と同じ低音の進行だ。

冒頭から興味深い和声進行だ。
1小節目に6♯があるが、2小節目ではト長調ではなく、
なんとソ上の6の和音、つまりホ短調の和音に進む。
これはト長調の偽終止の響きとも言える。
そして第3小節目は7−6のサスペンション・・・すべてが良く計算された芳醇な響きの進行だ。
この箇所で和声的にもっとも重要なパートは第2ヴィオラで、
1小節目のファ♯から2小節目のソの進行には偽終止を感じさせる特別な処理が、
また2小節目のミ(協和音)から3小節目のミ(不協和音)にかけてはメッサ・ディ・ヴォーチェが、
そして次のレ(協和音)にかけては和声的な弛緩を感じさせなければならない。
こういったことは(again)和声の素養があれば考えなくても自然にできることだが、
そうでない場合は、ある時期、楽器のレッスンを休んででも和声の勉強をしたほうが良い。
まずは鍵盤楽器で基礎をみっちりとやり耳を鍛え、
学んだことを自分の楽器で自在に表現できるようにするのだ。
もしも聖歌隊などでパレストリーナやモンテヴェルディ、
パーセルなどを歌う機会があれば決して逃さないように。
ア・カペラの宗教曲は協和音と不協和音の良い勉強になる。
自分の楽器がガンバやヴァイオリン、フルートといったものでも、
アルペジオなどの形でコードを演奏してみるのは大変勉強になるはずだ。
アンサンブルを行わず、ソロのみを弾く人も通奏低音は学ぶ必要がある。
ソロ曲もすべて和声的なロジックで成り立っているのだ。
五線譜でなくタブラチュアを使う楽器の場合は特に心がけて
自分の耳を使わなければならない。
バロック音楽にかかわる全ての人に通奏低音の習得を勧めるのはそういうことだ。
最後に、通奏低音の数字についてだが、
あれらは決して「通奏低音奏者が弾くべき音」ではない。
あくまでも、曲の和声的構造を大雑把に示しているだけだ。
奏者は数字から曲の構造を捉え、他のパートの進行をよく聞いて、
その場で最も必要で効果的と思われる和音やパッセージを弾くのが正道なのだ。
従って、音を出さずに数字付き低音を読んで、曲の構造、
転調や和声の機能を把握できるようになると良い。
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2008年11月3日
浜松の古楽講習会で教える。
浜松にはこれまで何度か仕事で赴いたことがあるが、講習会で教えるのは初めてだ。
実現に尽力いただいた各方面、特にN女史には感謝!である。
講習会は、個人レッスン(6人)、レクチャー、セッション、アンサンブルレッスンの構成で、
午前10時前から午後5時までびっしりと行なった。
個人レッスンの内訳は次の通り。
ルネサンスリュート:アテニャン
ルネサンスリュート:ホルボーン
バロックリュート:導入
バロックリュート:ヴァイスの組曲
キタローネ:ピッチニーニ
バロックギター:サンス
レクチャーとセッションではパッサカリアによる即興演奏を主に取り上げ、
アンサンブルではリュリのパッサカリアを実習した。
参加楽器はテオルボ、リュート、バロックギターの他、
バロックヴァイオリン、バロックオーボエ、クラシカルクラリネット、
リコーダー、ガンバなどで、参加者の多くが複数の楽器を持ち替えていた。
参加者は総じてレベルも高く熱心、教えていても楽しい講習会だった。
  
  
夕食の後には地元のアンサンブルの練習におじゃまして、
趣味のトラヴェルソを吹いたりする・・・

大変楽しい一日だった。またの機会があることを願う。
レクチャーとセッションの内容はまた後日!
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2008年10月29日
↓の質問の続き
質問「演奏会などの批評や聴衆の感想をどう思うか?」
良いものでも悪いものでも基本的に気にしない。勿論、褒められれば嬉しいが。
コンサートで演奏した作品や即興に関しては、その会場に存在する人間中、
自分こそがもっともその音楽を研究し理解している(筈だ)。
コンサートにおいて聴衆は、それぞれの個人的な経験によってその演奏の一部を気に入ったり、
または批判的になっているだけで、それは言ってみればある種の偶然だ。
いちいち気に留めるのはナンセンスだと思う。
それよりも、音楽家は音楽そのものへの理解と表現に向けて努力する方が有益だ。
自分自身反省した点は、次の機会に改善を試みればよい。人生は長い。
質問「バロックの即興演奏について」
即興はバロック音楽の根幹と言え、何よりも和声を学ぶことが重要だ。
バロックのフリーインプロヴィゼイションの参考書としては次を勧める。
Betty Bang Mather; David Lasocki: The
Art
of Preluding, 1700-1830
質問「バロックの修辞法について」
修辞法もバロック音楽においては非常に重要だ。
マテゾンやメイスなどの歴史的文献があるが、
現代の研究書としては↓が非常に良い。
Judy Tarling: Weapons of rhetoric
それから古楽に限らず、音楽をやるすべての人に薦めたい本。
ロベルト・シューマン:音楽の座右銘 「音楽と音楽家」より・・・
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2008年10月28日
↓の続きで井桁ギター教室のレクチャーのレセプション時に受けた質問について。
質問:「プロとアマチュアの違いってなんでしょう?」
このことは「日記」10月6日にも書いたが、僕自身はプロとアマチュアの間に線引きはしない。
プロはもちろん常人よりもはるかに優れた技量や素養を持っている必要はあるだろうが、
真摯に音楽を学び追求する(すべき)ということにおいては愛好家もプロも同じだからだ。
音楽にかける時間があまりない愛好家でも、
音楽の素養や基本的な技術を疎かにせず、
自分の理解に見合った曲を美しく楽しんで弾くのを勧める。
質問:「クラシックギターから古楽器に転向すると、レパートリーが随分少なくなってしまうのでは?」
そうではない。
たとえばリュートの場合はダウランド、バード、バッハ、ヴァヴィルディなど
その時代を代表する作曲家による良質のレパートリーが膨大にある。
またアンサンブル曲にも事欠かない。
現代のクラシックギターは素晴らしい楽器で、オリジナル、編曲ともに
良いレパートリーがあるのは確かだが、
19世紀以前の作品に関しては、古楽器を使用することで、
ダイレクトなアプローチが可能になる・・・
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2008年10月26日
横浜の井桁ギタースタジオ「和韻」にてレクチャーコンサートを行なう。
主催者の井桁先生は、アンドーヴァーや古楽器にも造詣の深いギタリストである。
今回は「クラシックギターにおける古楽演奏の諸問題」というタイトルのレクチャーだったが、
ギターの初中級者も多いということだったので、親しみやすい内容にするように心がけた。

レクチャーの内容は大体次の通り。
*ギターの歴史
*バロックギターの特性(ラスゲアードとプンテアード)
*サンスのパヴァーヌは実は3つの楽章・5部分からなる組曲であること
*即興演奏と和声の重要性
*リュートについて
*クラシックギターでリュートやヴィウエラの作品を弾く際にカポタストを使うのはナンセンスであること
*古典舞踏について
*バロック音楽のレトリックについて
*バロック時代の音楽愛好家の素養の高さについて
*タブラチュア譜の特徴とその有用性について
駆け足のレクチャーであったが、幸い好評であったようで大変嬉しく思う。

終演後は参加者からの質問およびレセプション。
レセプションの席でギター愛好家に「どうしてそんなに深く調べるですか」と尋ねられ、
「単純に好きだから・・・知りたいから」と答えると、
「そうか、いわば惚れた女のことはどんなことでも知りたい!ってわけですね!」と言われる。
ええと・・・まあそうかな?
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2008年10月24日
広島のレクチャーについて。
レクチャーは「ルネサンス、バロック音楽の音楽解釈」と題されたものだったが、
次のような内容を演奏を交えながら喋った。
参加者の多くは音大出身者や熱心な愛好家であったので、ややハードな内容にした。

ルネサンスとバロック音楽の解釈について
〜古楽とは何か、その解釈について、熱心な愛好家や専門家のための勉強のヒント〜
*古楽の復興の歴史
19世紀に好事家、博物館などにより古楽器の収集と研究が始まる。
20世紀初頭の二つの大きな動き:イギリスのアーノルド・ドルメッチとドイツのペーター・ハルラン
ドルメッチはチェンバロ、リュート、リコーダー、ガンバなどを復興、
様々な歴史的文献クヴァンツ、メース、ダウランドなどにより奏法と音楽を研究。
ドルメッチは過去の素晴らしい音楽とその演奏に憧れと敬意をもち、
それを再び構築することを宿願としていた。
全ての研究はその過去の素晴らしい音楽を聴くため。
ドイツでは民族主義運動と結びついた。
戦後:マンロウ、ホグウッド、クイケン兄弟、レオンハルトなどにより
バッハやヘンデルなどバロック、モーツアルトやハイドン、ベートーヴェンなど古典派はもとより、
シューマンやメンデルズゾーンなどロマン派、ワーグナーやチャイコフスキーに至るまで
「アーリーミュージック」の範疇として扱われている。
*「古楽演奏」-Authenthic Performanceとは
「古楽器、(ヴィヴラートを使わない)古楽唱法を使い、それが作曲された当時のスタイルで演奏すること」
と受け取られがちだが、それはおそらく表面的なことで、実際には
「その作品を背景も含めて良く理解して演奏、表現すること」である。
たとえモダンピアノでバッハを弾く場合でも、まず対象を良く理解することは前提として考えるべきである。
*ルネサンス、バロック時代の音楽家について
職業演奏家:基本的に自分の作品しか弾かない。
ほとんどの場合は即興演奏であり、現代のジャズミュージシャンに非常に近い。
音楽愛好家:貴族や富裕な市民階級は音楽は教養として全ての人が行なうものだった。
現在残されている「作品」のほとんどはそれら素人愛好家の為に書かれたもので、完成した「芸術作品」というわけではない。
先生が弟子の為に(容易にして)書いたか、弟子が先生の作品を写したか、先生がパトロンなどの為に出版したもの。
貴族や富裕な市民階級への音楽の教育はかなり充実したものであった。
当時の愛好家のレベルは今でいう聴音やソルフェージュ、和声理論といった音楽的素養、
また神学や哲学、語学といった教養的にも非常に高かった。
たとえばパーティの席で皆でマドリガルを歌ったり、楽器でアンサンブルすることは日常的であった。
*タブラチュアという記譜法
タブラチュアは楽器の勘所を示すもので、音価や声部は示されていない。
現代でもタブ譜は使われるが、これは楽譜が読めない人の為。
ルネサンス、バロック時代のタブラチュアは基本的に音楽の素養のある人、
つまり譜を見てもしくは楽器を弾きながら耳で音楽を構築できる人が対象であった。
16―18世紀を通じての鉄則は「自分で作曲できるくらいよく理解できる作品を演奏する」こと。
作曲できるくらいよく知っているからこそ、簡素な楽譜でも解釈でき、装飾などもつけることができる。
指で練習する曲は頭でも作曲技法を理解できる曲であった。
*バロックは「癒しの音楽」ではない。
バロック音楽は非常に修辞的な音楽で情報量は多く、リラックスして聴く音楽では決してない。
鑑賞と演奏にはその内容を聞き取り、また表現できることのできる鍛えられた良い耳が必要なので、
耳の無い人は「癒される」と感じるのかもしれないが、その本質からは遠い。
*舞曲を知ることの重要性
メヌエット、ガヴォットその他の舞曲のステップとキャラクターを知ることは重要である。
ただ、舞踏も音楽と同様に大変奥は深いもので、少しばかり囓ったからといって理解できたと思うのは危険。
テンポやキャラクターのヴァラエティは無限にある。
*より深い鑑賞と良い演奏へのヒント
1:読譜力(初見力)をつける
音楽とは言葉のようなもの。特に修辞的なバロック音楽はそう言える。
「音楽は国際語」というのは「言葉がわからなくても通じ合える」のではなくて
「音楽は音楽固有の文法と語彙をもつ特有の言語」という意味。
すぐに音楽を形にできないということは、単に譜読みが遅いというだけではなくて、
結局は音楽の理解力、実力が欠けているということである。
たとえば英語が出来ない人がカタカナを振って沢山練習してようやく喋っているのと同様。
2:和声(通奏低音)を勉強する
バロック音楽の根幹は和声にある。
音楽の3要素はリズム、メロディ、ハーモニーというが、
古楽ではメロディもリズムも装飾やイネガルなどで変更可能。ハーモニーのみは変更不可。
和声を勉強することでレトリックや装飾、即興の方法と意義も理解できるようになる。
3:語学を学ぶ
何語でも良いからヨーロッパの言語に精通する。
そのロジックは異文化を理解する大きな武器となるだけでなく、外国語ができないと参考書も読めない。。
我々日本人はもともとヨーロッパ音楽を伝統にもっておらず、
ともすれば「日本人ならではの演奏」みたいなことを考えがちだが、
それよりも単語の一つでも覚えた方がよっぽど有益だ。
4:留学などして多くの経験をつむこと。
世界には日本に居ると想像も出来ないような素晴らしい音楽家が沢山居る。
有名な人もいればそうでない人もいる。世界は広い。
歌手、器楽奏者限らず、英語、ドイツ、イタリア語、フランス語、ラテン語などに
精通している人は全然珍しくなく、ラテン語で日常会話ができる歌手もいる。
ガンバやリュート奏者で生まれた時からそれらに触れていて、
まったく自然で素晴らしいテクニックを持っている若者も増えてきた。
通奏低音奏者で、数字がまったくなくとも、いや、まったく楽譜なしでも耳に頼ってコンテュヌオが弾ける奏者も居る。
ダウランドのファクシミリのタブ譜をピアノでリアライズしながら歌う歌手も居る。
ナイジェル・ケネディやレイチェル・ポッジャーなどは、たとえばこちらが和音に7度を忍ばせると、
すぐに自分の装飾に7度を使ってみたりすることができる優れた耳の持ち主だ。
素晴らしい音楽性に触れることで自分の世界も広げることができる・・・

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2008年10月23日
広島で講習会を行なう。
講習会の受講者は6人。声楽3人(内1人はリュートも兼ねる)、クラシックギター3人。
多くが地元のエリザベト音大の出身者で、この学校のレベルと地域の音楽文化への貢献度の高さを感じた。
受講者の水準は高く、教えていても楽しく興味深い講習会だった。
演奏の完成度は高い。練習時間もおそらくそれなりに長いのであろう。
暗譜で演奏した人も多かった。
・・・しかしこれはあえて書くのだが、古い音楽においては、暗譜での演奏、
長い練習時間、完成度の高さといったものは必要ではない・・・というか往々にして欠点とすらなり得るものだ。
ルネサンス/バロック音楽のほとんどはステージで演奏されるために書かれたものではない。
小説を読むように音楽的内容を楽しむために書かれており、長い練習や暗譜演奏とは無縁だ。
ただし初見で「小説を読むように音楽的内容を楽しむ」には、スタイルへの理解と高い音楽的素養が必要だ。
そのためには修業時代には多くの作品を隅々まで勉強する必要があるし、
その意味で暗譜するくらい練習するのは悪いことではない。
しかし、自分の音楽的素養や教養を大きく超えた作品を勉強するのはできるだけ避けた方が良いだろう。
今回の受講曲のうち、半数ほどは受講者と作品のレベルが釣り合っていなかったようにも感じられた。
これは指導する側の責任も大きいと言える。

クラシックギターの講習生3人はそれぞれド・ヴィゼ、バッハ、ケルナーの組曲を弾いた。
いずれも良い演奏であったと思うが、装飾音の扱いがやや無機的な気がした。
装飾音は「そこに指示があるから弾いている」と聞こえた瞬間にその意義を失う。
また、クラヴサンのように速くて回数の多い装飾音は、
バロックギターやリュートには使われていなかったのだ。
このような装飾音は今のクラシックギターのトレンドになっているようだが、
耳にするたびにギターのピアノ・コンプレックスとでもいったものを感じてしまう。
クラシックギターで古楽器や鍵盤楽器などの模倣をするのなら、
思い切ってそれらの楽器を習得した方がストレスのない人生を送ることが出来るだろう・・・
レッスンの後はレクチャーを行なった。
(レクチャーの内容はまた後日!)
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2008年10月22日
広島でリサイタルを行なう。
午後3時頃から会場でリハーサル。
席数140ほどの小ホールで、響きは非常に良く大変弾きやすい。
午後7時から本番。
今回のプログラムはソロの大半を即興演奏で行なうつもりである。


まずはホタ、スパニョレッタ、カナリオによる即興。
楽器はクラウスヤコブセン作のラウンドバック・イタリアンのコピー。
軽く鳴る楽器で、音が放射状にホールの隅々に響くのが見えるようだ。
大変気持ちがよい。
第5コースのガット芯の銅巻き弦の残響がやや長すぎる・・・
やはりプレインガットの方が良いのだろう。

楽器の説明を行なってから、プログラムにはないサンスのパバーナによる組曲を弾く。
ここで楽器をマーシャルのオリジナルに持ち替える。
曲目はシャコンヌによる即興だ。
演奏に先立って、
「オリジナルとコピーでは、良い悪いではなく、音の方向性とでもいったものが大きく違います。
コピー楽器は響きが多く良く鳴りますが、オリジナルの楽器は楽器の語り口がより修辞的で、
また響きの良い会場では音の遠達性にも優れている場合が多いのです・・・」
と説明して演奏を始めるが、弾き始めるやいなや何人もの聴衆が大きく頷いているのが見える。
自分にもその違いは非常に大きく感じられた。
オリジナルの楽器では、演奏中こちらが感じることが即座に音色となって表われるし、
音はいわば質量のある銀や金のボールが手元からスロモーションで会場の各方向に向かってゆっくりと飛んでいくようだ。
低伸性のある鳴り方なのだ。
こういう響きは良いオリジナル楽器を音響の良い会場でリラックスして弾いたときにのみ現れる。
楽器と音響と奏者の一致だ。
弾き手にとって最も幸福な瞬間だと言える。

現代の古楽器製作者のうち、
オリジナル楽器をその鳴り方まで含めて忠実にコピーできる人は本当に少ない・・・
不思議だが本当だ。
ここでゲストの歌手、丸山嬢を迎えてモンテヴェルディとカッチーニを演奏。
モンテヴェルディではギターを、カッチーニではキタローネを使用した。
2曲とも大変フレキシブルに歌ってもらえて満足である。

休憩中には新聞社のインタビューを受ける。
休憩後はイギリス音楽をまとめて演奏。
これもプログラムにはないグリーンスリーブスから始めて、
マテイスのアリアによるディヴィジョン、パーセルの声楽曲2曲、ヘンデルの組曲である。
そして今回の目玉の一つであるバッハの声楽曲。
カンタータ82番の異稿で、マグダレーナ・バッハの音楽帳に声楽と通奏低音の版で残されているものだ。
長い曲だが会場の響きにも助けられ気持ちよく演奏する。
最後はフォリアによる即興演奏。
時間がだいぶ押しており、またこちらもちょっと疲れてきたのか
あまり斬新なアイデアは出ず、穏便に?弾いた。
大変楽しいライブだった。
幸い、聴衆や主催者であるホール側にもなかなか好評であったようだ。
CDもほぼ完売で嬉しい。
明日は同じ会場で講習会とレクチャーである。

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2008年10月18日
東京オペラシティ、近江楽堂でのコンサート「絢爛バロックナイト」に出演する。

ソプラノデュオ「パラディ」の2人の歌姫との共演だ。
チケットも完売、内容的にも楽しい本番であった。
プログラムは以下の通り。

ご来場いただいた方にはおわかりの様に、番外の曲も数曲あり、なかなか長いコンサートになった。
楽器はテオルボとギターを使用した。
ギターは修復が終わったばかりのマーシャル作のオリジナル(パリ、1770年頃)。

僕の所有する数台のオリジナル18世紀ギターの中でも、
もっとも後世の改修からまぬがれている楽器で、音も健康だ。
音色はふるいつくようで、音量感もある。
19世紀ギターに改造された跡もない。
装飾の豊かな楽器であるので、19世紀以降も大切に保管されていたことが伺える。
ただそれだけ長く弾かれていないということで、
鳴りはまだ堅く、特に高音の伸びが出てくるにはしばらくかかるだろう。
今回の本番中、テンションが実際よりも低めに感じられたが、
これは弦が楽器本体を鳴らしきっていないためで、ポテンシャルの高い楽器によく起こる現象だ。
太めの弦を使い、ピッチを低めに設定すると大体は良い結果につながる。
太い弦は音が暗めになりがちだが、音に明るさを出すためには、右手の弾弦位置をブリッジ近くにし、
指をやや立て目にして弾弦すると良い。
親指外側奏法がその本来の役割と長所を発揮する瞬間だ・・・
いつものことだが、オリジナル楽器を使うことにより学ぶことは非常に多い。
次のコンサートは10月22日に広島で。翌23日はマスタークラスとレクチャーである。
楽器はこのマーシャルの楽器とテオルボ、
加えてクラウス・ヤコブセンのイタリアン・コピーのギターを使用する。

オリジナルとコピーのバロックギターの違いを聴きたい人はぜひどうぞ!
詳細はここをクリック!
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2008年10月8日
日頃から和声の勉強の重要さを門下生や共演者に、そして雑誌原稿やホームページでも強調している。
↓にも書いたように、和声(の緊張と弛緩)は古い音楽を理解するのに最も効果的な法則だからだ。
「バロック和声」は「通奏低音」と言い換えても良い。
「通奏低音奏法」というとまるで低音(楽器)の旋律の弾き方、
或いは伴奏法みたいに聞こえるが、実際は和声とその連結の規則である。
たとえアンサンブルに興味がなく、ソロ曲しか弾かない場合でも通奏低音は学ばなければならない。
通奏低音とは「バロック時代の作曲法」そのものだからだ。
楽曲のロジックを把握できなければ演奏は難しい。
で、この重要な通奏低音を日本の愛好家やプロ志望者が学ぶのはどうするのが最も良いだろう?
よく受ける質問なので、ここで僕の考えを書いておく。
まず基礎として楽典を勉強する。
音楽を多少でもやっていた人ならまあこれは独学でも出来る筈。
音大受験を目指すわけではないので音楽用語などはすっ飛ばしてよい。
実際の音の成り立ち、調性、和音の連結の項目に集中する。
一般的な楽典の本がいまいち理解できない場合は、迷わず音楽教室に習いに行こう。
次に機能和声の初歩を勉強する。「和声:理論と実習」の第1巻程度で良い。
これには先生が必要だ。古楽に関係ない先生でよい。
和声というと紙の上で課題を解いていくように思われているかもしれないが、
実際には耳の訓練なのだ。生徒が作った和声進行をピアノでその場で実際に弾いてくれて、
ミスや不適切な進行(連続や並達など)を指摘してくれ、
正しい回答を音で示してくれる先生が居ないと勉強は無理だ。
ちなみに僕は法学部に行っていた大学時代に、
音楽学校作曲科で集中的な個人レッスンを半年ほど受けた。
バイト学生にとってレッスン代は大きな出費だったが、
あの経験は今でも大きな財産である。
機能和声とバロック和声は細かいところでは理論も実践も異なるのだが、
この段階では気にしなくて良い。まずは「和音を聞く耳」を養うのが大切だ。
基本的な耳が出来ていないのに、「通奏低音における禁則」や「バロック音楽における調性」などを
語るのはナンセンスだ。(古楽愛好家はしばしばそうなりやすい)
音大で和声を勉強したという人にも、個人レッスンでの和声の(再)勉強は心から勧める。
身についていない場合が多いからだ。
この時点では勉強にはギターやリュート、ガンバといった楽器は使わない方が良い。
和声は音の成り立ちを学ぶものだから、目ではっきりと音が判別できるピアノやオルガンに限る。
平均律のピアノで充分。古典調律に思いを馳せるのはもう少し大人になってから。
機能和声もあまり進んで勉強するとバロック和声との齟齬が出てくるので、
せいぜい代理和音、借用和音程度で止めておく。
そして、いよいよ通奏低音の勉強。
専門のリュート/バロックギター奏者かチェンバロ奏者について学ぶ。
撥弦楽器を学ぶ人でも、上と同じ理由で鍵盤楽器で勉強した方が理解は早いかもしれない。
多くのステージ経験があるだけではなくて、通奏低音を系統立てて勉強している先生を選ぼう。
「ステージで学んだ」と言う奏者は我流で弾いてしまっている場合が多いのだ。
以前にも書いたが、学習者に必要なのは「プロの方便」ではなくて、透徹した客観的な技法だ。
鍵盤楽器奏者に学ぶ場合は特に、その先生が17世紀の音楽にも造詣が深いことを確認しておこう。
バロック和声は17世紀中庸にはその基本が成立しており、その後はどんどん例外が増えてくる。
18世紀を主に弾いている奏者は案外17世紀の和声に疎く、
例外だらけを弾いていることに自分で気づいていない場合が多い。
コレッリの曲中の7度の和音を弾いてもらって、自動的に5度を入れている先生は避けた方が良いかも。
リュート奏者に学ぶ場合はテオルボを得意とする先生が良い。
バロック時代に書かれたリュート系通奏低音教本の大多数はテオルボの為だ。
テオルボをよく使っている奏者は歴史的な資料にも精通している場合が多い(たぶん)。
通奏低音を勉強する際、「ステージ上の効果」と「正しい和声の連結」はとりあえず切り離して考えておくことを勧める。
言うまでもなく、「正しい和音の連結」がこの段階の課題だ。
コレッリやヴィヴァルディ、少し進んでヘンデルあたりの和声進行がそう問題なく理解できるようになったら、
とりあえず「バロック和声」の基礎が身についたと言って良いだろう。
具体的には
終止の定型(4−3、64−53,53−64−54ー537など)
サスペンション(7−6、5−6など)
シークエンス(7−7−7−7など)
レチタティーヴォの和音(742,642など)
減7の和音
転調
こんなもんかな、とりあえず?(ずいぶん少ないね)
このあたりになると、
調性によるキャラクター、和音の色彩感、
不協和音とその解決によって醸し出される緊張と弛緩、
和声によるロジック、和声的リズム、旋律を作る音の和声的位置、
などが頭と耳で把握できてくるはずだ。
以前の自分とは全く音に関する感性が変わったことに気がつくかも知れない。
「昔は耳が聞こえてないのも同然でした」という人もよく居る。
これで一応の基本的な文法と語彙が学習できたのだ。
対位法や装飾音の扱い、和声や音型によるレトリック、
声楽曲における歌詞の付き方などに関しても
その基本を理解する下地が出来始めていると言える。
そして次には実践!
アンサンブルでのステージ上の効果を考えたり、
通奏低音を基にした前奏曲などの即興演奏を試みる。
また各時代の各国のスタイルを勉強する。
この段階になってくると、文献を漁って独学できる領域も増えてくる。
実際のアンサンブルから得られることも多いだろう。
幸い、通奏低音の歴史的文献は多くのファクシミリ、現代版が入手可能だ。
そんなところかな?
で、最後にもう一つだけ。
通奏低音を学習しようとする人の多くが、ヘルマン・ケラーやクリステンセンの教本を読もうとしますが、
はっきり言ってまず難しすぎます。
悪いことは言いません、まずは楽典と基礎的な機能和声からやりましょう。
急がば回れ、上記の方法だと通奏低音の基礎を勉強するのにせいぜい1年間で済むことは保証します・・・
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2008年10月6日
音楽の勉強について考えるとき、人は「プロ」と「愛好家」に分けて考えがちなようだ。
「自分の楽しみのためにアマチュアはやるのだから・・・」、「プロになるには音大で勉強する」、
「レッスンで食べている人はプロとは呼ばない」などなど、いろんなことを聞く。
僕は思うだが、音楽に関してプロとアマチュアを分けるのはナンセンスだ。
そもそも音楽とはお金や生活のためにやるものではない。
音楽とは人生を豊かにするもの、もっというと生きる目的にもなり得るものだ。
その意味では真摯に音楽をやる人はプロアマ問わずまったく同じ地平に居る。
そのうちで、たまたま結果的に音楽を通じて日々の糧を得る人間がプロと言われるだけだ。
19世紀までのヨーロッパでは、音楽は教養のある人間なら多少なりとも嗜むものだった。
中世、ルネサンス、バロック時代においては音楽は一般の学問のなかでも高い位置を占めてもいた。
現在我々が演奏する古楽とは、そういう時代に教養のある愛好家が演奏するために書かれたものが大部分なのだ。
現代の音楽大学の教育は、職業音楽家になるための「訓練」と「方便」が多くを占める。
本来の古い音楽のありかたとは、どこかが大きく違っている。
勿論、現代において古い音楽を深く掘り下げて勉強するには時間もお金もかかる。
良い環境で良い先生について勉強することは必須だし、音楽以外の教養も必要、
基本的な勉強を済ませた後も、優秀な音楽家たちとの共演など良い経験を積み、
刺激を受けることも非常に有益だ。
そのように勉強し、活動を始めた人間は音楽に関すること以外のことを考えたり行なう時間が結果的に少なくなる。
音楽以外を職業に選ぶことが困難になる。
そしてそのような人がプロと言われるわけだ、たぶん。少なくとも僕はそうだ。
音楽をやる人間として、勉強した内容、得た様々な経験は金銭には換算できない。
従って、プロとしての活動にも本来は値段はつけられないものだ。
1回の謝礼が100万円のコンサートと数万円のコンサート、
ボランティアで無報酬で演奏するコンサートなど、
いろいろあっても演奏する音楽の質を変えるわけでは無論ない。
今日も楽しく演奏して良かった!と思うだけだ。
収入があるのは単にその結果だ。
音楽とはある種の人間にとっては絶対に必要なもの。
そして、それは真摯に近づけば大きなものを返してくれる。
音楽は理解されたがっている。理解してくれた人には優しくて大きな恩返しをしてくれる。
愛好家にも基礎的な勉強をおろそかにしないように勧めるのはそういうことだ。
(続く・・・かも)
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2008年10月4日
リュートやバロックギターの学習者が、ともすれば和声やソルフェージュ、
理論を苦手としがちなのは、楽譜がタブラチュアで書かれていることも関係あるだろう。
タブラチュアは五線譜に馴染んでいる人には違和感がある場合も多いが、
他に楽器を弾いたことの無い初心者には取っつきやすそうに感じられる面もあるようだ。
「楽譜が読めなくとも、タブラチュアでは書かれたポジションを追っていけばいいから大丈夫!」
と入門者を安心?させるリュートの先生もあると聞く。
(僕も似たようなことを言ったことがある)
これはホントはあまり正しくはない。
タブラチュアは素晴らしい記譜法だ。
音高のみならず音楽のニュアンスや息遣いまでを示唆してくれる。
五線譜よりも小さなスペースで記譜が可能だし、読譜も容易。
リュートやバロックギターのような独自の奏法を持つ楽器の場合、
タブラチュアでなくては表記が困難あるいは不可能な事柄も多い。
タブラチュア無くしては、リュートやバロックギターの作品が
あれほどの高みに達することは出来なかったように思われるほどだ。
しかし、これらは学習者にある程度以上の音楽的素養があることが前提となる。
タブラチュアを眺めて、あるいは音を出しながら、
音高、和声、曲の構造が把握できなければ音楽にはなりにくい。
そうでなければ意味も分らずカタカナ英語を喋っているのと同じことだ。
ルネサンス、バロック時代を通じてリュートやバロックギターを弾く人は、
鍵盤楽器を弾いたり歌を歌ったり、それなりの音楽的素養があるのが普通だった。
タブラチュアは五線譜が読める人を対象としており、
五線譜より高度な内容が表記できる特化した記譜法であったのだ
この伝統が崩れたのが18世紀の後半、市民階級に音楽が流行し始めた頃だ。
メルキのギター教則本は五線譜を使用した最初のギター曲集だが、
彼は次のようなことを書いている。
「・・・タブラチュアで上手く弾ける人は音楽的素養のある人に限られる。
そうでなければ単に機械的に音を追うだけになる。
私の教則本では五線譜を使っているので、音楽の初心者にも馴染みやすく容易である・・・」
このことは現代でもそのまま当てはまる。
子供はタブラチュアを使いながらでも音感などが同時に開発されることはあるが、
ある程度年齢が高い場合には、タブラチュアで弾いていてもなかなか音楽的素養は身につかない。
音楽的素養を身につけるには↓で書いたように勉強するしかないが、
タブラチュアで書かれた作品を自分で五線譜に書き直して分析してみるのは良い経験になる筈だ。
(続く)
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2008年10月3日
OAE(Orchestra of the age of
Enlightment:啓蒙時代オーケストラ)とのコンサートに出演する。
ロンドンのキングズクロスに新しくオープンした会場キングズ・プレースのこけら落とし記念コンサートだ。
オーケストラといっても今回はヴァイオリン1、2、ヴィオラ、チェロ、ヴィオローネ各パート1人ずつで、
コンティヌオは僕だけだ。プラス、バロックダンスの編成。

休憩なし1時間ほどの短いコンサートで、オケのメンバーが楽器やバロック音楽への思いを語ったりする肩の凝らない内容。
演目はヘンデルの水上の音楽、王宮の花火の音楽 プラス僕のギターソロでフォリア。
共演ダンサーはニコラおばさま。
ロイヤル・オペラ・スクールでクラシックバレエを教えている先生だが、
バロック・ダンスのワークショップなども行なっている。
彼女とはOAEその他の催しでこれまで何回か共演したことがある。
大変上品な物腰の柔らかい人だ。
以前一度リハーサルにニコラ宅のスタジオに行ったことがあるが、大変な邸宅で驚いた。
いわゆるLadyであるとの噂もある・・・
終演後に楽屋でお茶しながら雑談する。
ニコラはこの日の午前中はコヴェントガーデンで子供クラスをレッスンしてきたそうだ。
「レッスン考」の参考になるかと思って
「How is your teaching? 教えるのはどう?」と聞いてみる。
答えは[Wonderfull! Such a good
Children!
素晴らしいわ! とても良い子たち!]
であった・・・
(あんまり参考にならないね、かえって)

(レッスン考は続く・・・)
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2008年10月2日
ソルフェージュを「歌の練習」と捉え敬遠する人は多い。
リュートやギターなどの学習者は特にそのようだ。
(僕も実はそうだった)
実際には、ソルフェージュは歌の練習ではなく、
読譜力と音楽的なフレージングのトレーニングなのだ。
イギリスではソルフェージュはほとんど全く行なわない。
しかし、読譜力と音楽的なフレージング、ハーモニーの感覚に優れている人は多い。。
アマチュアの合唱団でも、その場で配られたヘンデルなどの楽譜を初見で美しく歌うなんてことはごく普通だ。
オーケストラも初見でまずバッチリと合う。
プロアマ問わずイギリスの音楽家の多くは、幼少の頃から教会の聖歌隊などで
パーセル、モンテヴェルディ、バードなどのア・カペラの作品を歌った経験を持っている。
若い頃からそのような経験を積んだ彼らにとっては
その場にある楽譜を母国語を読むようにすらすらと読めて、
他のパートと音程を合わせ、美しくフレーズを表現することはごく自然なのだ。
そういった伝統を持たない我々が、読譜力と美しいフレージングを身につけるのには
自分の喉を使ったソルフェージュがもっとも有効だ。
たとえ楽器を使って音を出していても、その根幹は自分の体の中にあるのだから。
ソルフェージュを行なうことにより、自然な旋律の方向性や適切な音程感、正しいブレスの位置などを学ぶことができる。
器楽奏者の場合は悪声であってもまた多少音痴であっても構わない。
ソルフェージュは歌の練習ではないのだから。
レッスンでその生徒にソルフェージュの経験があるかどうかは、最初のフレーズを聴くと大体分る。
経験のある生徒の演奏にはたとえ音にミスがあっても、自然な表現と音楽的な内容が聞こえる。
自然なフレーズ感の無い演奏には音楽的な内容が感じられない。
いわばカタカナ英語、もしくは句読点の位置が間違っている言葉のようなものだ・・・
(続く)
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2008年10月1日
生徒が専門家志望か愛好家かを問わず、僕自身が教える際に留意しているのは、
「対症療法的なレッスンをしない」ことである。
生徒がステージに立ったり人前で発表する機会がある場合、
どうしてもその場のパファーマンスを何とかやり遂げることに注意は向き、
勢いレッスンもその方向に向けてのものになりがちな場合が多い。
また専門家志望者は、↓でも書いたような「プロの方便を習いに来る」意識でレッスンに来る場合も少なくない。
しかし、そのようなレッスンを繰り返していても、音楽への真摯な態度、身になる音楽性は身につかない。
専門家志望者はともすればステージの効果だけを考えがちだし、
キャリアの長い愛好家でありながら基礎的な音楽的素養が身についていない人も多い。
思い切って言うと、リュートやバロックギターに限らず古楽器の演奏技法自体は
実はそれほど難しいものではない。
バッハやダウランド、フランチェスコなどの作品に例外的に名人芸が必要とされるものはあるが、
現在に残されているレパートリーのほとんどは当時のアマチュアが楽しんで弾いていたものなのだ。
当時のアマチュアのレベルが非常に高かったのは間違いないのだが、
それはむしろ音楽的素養、教養の面であって、指先の技巧ではない。
生徒がプロ志望者か愛好家を問わず、僕が強く勧めるのは次の勉強だ。
*読譜
「指が動かない」との訴えはよく聞くが、
その大半は「楽譜が読めていない」「(楽譜から)音が聞こえていない」したがって「ポジションがわかっていない」ものだ。
弾けないフレーズがあった場合、その箇所を徹底的に暗譜して弾いてみると大概の場合うまくいく。
*和声
バロック音楽の根幹はハーモニーにある。メロディは2の次だ。
通奏低音が分ると、和声の緊張と弛緩のリズムが理解でき
作品の構造は見通せるようになる。装飾の技法も自然に身につく。
*語学
何語でも良いから外国語は必ず出来た方が良い。
言葉はその文化を理解するのに非常に重要な示唆を与えてくれる。
また、実際問題として外国語が出来ないと勉強に必要な文献を読むことが出来ない。
以上の点はある時期自分の専門(楽器や声楽)のレッスンをストップしてでも勉強した方が良い。
ソルフェージュ、通奏低音、語学を短期間に集中して習得するのだ。
いずれも独学はほぼ不可能で先生を見つける必要はあるが、
おそらく半年から1年もやれば必要充分なレベルにまで身につくだろう。
撥弦楽器を弾く人の場合でも、通奏低音(和声)は鍵盤楽器をつかって習得するのが望ましい。
たとえ鍵盤が全く弾けなくともだ。
音大出身者にも気持ちを新たに勉強しなおすことを勧めたい。
それらを習得した上で自分の専門に戻ると、
音楽への理解が飛躍的に進んでいることに気づく筈だ
今までどうしても出来なかったことが簡単に解決したりもするだろう。
本来は、演奏技巧と音楽の素養、語学などの教養は自然に並行して発達するのが理想なのだが、
日本で古楽を学ぶ場合、それらがアンバランスになりがちだ。
アンバランスなままで練習を続けるのは当に砂上の楼閣。
いずれはどこかで是正しなければ崩れ落ちる・・・
(続く)
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2008年9月29日
日本在住のリュート奏者A氏(頭文字ではありません)は、尊敬する大先輩である。
彼はほとんど全く弟子はとっていない。
パフォーマンスとマスタークラスで全国を飛び回っているので、時間がないというのも大きな理由だが、
もともと(定期的に)教えることはあまり性に合わないそうだ。
過去に、どうしてもと懇願されてとった専門家志望の弟子は何人かいるが、
その場合でも2年間ほど教えたら「レッスンにはもう来なくて良いと思う」旨を伝えるそうだ。
「1人の先生について勉強して2年経っても、どこか他に行かないヤツはどうせ見所がないから・・・」とのことだ。
僕も1人の先生に2年間以上続けて習ったことがないので、なんとなく分る気がする。
2年も経つとその先生がレッスンでどのようなことを言うかは大体分るようになるし、
先生と自分の違いもよく見えてくる。
違った方面での勉強を掘り下げたくなるのは音楽家として当然だ。
1人の先生にずっと習っていると、ともすると生徒の方に不思議な依頼心が芽生えてしまう。
音楽は結局は1人で独立してやるものなのに、先生のコピーと化すことに喜びを感じたり、
先生の意見なしでは何もできなくなったり、挙げ句には「仕事を回してもらう」ことを期待したりする・・・
その意味で「2年経ったらもう来るなと言う」のは本当に弟子思いの良い先生だという気がする。
生徒の人格を尊重し、未来を見てくれているからこその発言なわけだ。
世界には素晴らしいリュート奏者、むちゃくちゃ上手いヤツはいっぱい居る。
良い弟子に広い世界を体験させたいというのは良い先生の親心なのだ。
(続く)
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2008年9月28日
学習者が尊敬する先生をコピーするのは基本的に良いことだと思う。
とりあえず模倣してみることで得られることも多い。
しかし、↓で書いたガット弦に関して言うと、
「プロ奏者がコンサートでガット弦を使わない」のは、やむなくの処置、いわば方便なのだ。
24弦を持つ13コース・バロックリュートにガットを使うのは、なかなか大変だ。
コンサートでは、ガットで調弦にストレスを感じながら演奏するよりも、
ナイロンの方が結果的に良いパフォーマンスにつながると言うことはあるだろう。
しかし、だからと言ってナイロンに音楽的な優位性があるわけでなはい。
本来、リュートはガット弦を張る様に作られているのだ。ナイロンは代替品に過ぎない。
僕は思うのだが、先生は自分がやむなく行なっていることを生徒に推奨することは避けるべきで、
生徒は師匠の選択を尊重しながらも、(ルネサンス・バロック時代の)本来のあり方を探求する方が良い。
そしてその上で、どのような選択をするかは生徒自身の問題だ。
同じようなこと・・・プロのやむを得ない選択が、アマチュアや学習者の悪い常識につながっていることはよく見聞する。
いくつか例を挙げる。
*弦長の短いショートネックのテオルボやアーチリュート
これらの楽器は、「持ち運びを容易にするために」、「歴史的にはなかった巻き弦を使い」、
現代においていわば創作されたものだ。
通奏低音楽器としての性能は、明らかに弦長の長い楽器に優位性があるのだから
真摯な学習者はロングネックの楽器をまず考えましょう。
*有節歌曲の節を省く
たとえばダウランドのCome againの歌詞を1番,2番,(中抜きで)6番と歌うようなことだ。
全ての歌詞を演奏して初めてストーリーやレトリックが浮かび上がる作品なのに、非常に不思議に思う。
歌詞を省くと内容の整合性がとれないし、まるで具を抜いたサンドイッチのようでもある。
(全てを知り尽くした)プロが演奏会のアンコールなどで歌う際に、
演奏時間の関係から節を省くのは、まあ「やむをえない」処置かも知れない。
しかし、学習者は全ての歌詞を勉強しましょう。
同様のことは他にもいくつもありそうだ。
(続く)
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2008年9月26日
オーストラリアのリュート奏者S嬢と話す。
彼女はシドニーで学んだバロックリュート奏者。
それなりの年齢でキャリアも長い。
しばらく前からヨーロッパに留学していて、
僕のところにもバロックギターとテオルボを使った通奏低音のレッスンに来た。
しかし、「もともとあまり器用ではない」そうで、結局はバロックリュート1本に絞ることにしたようだ。
1年間の予定の遊学で、様々なリュート奏者のレッスンを受け続けている。
この半年間にリンドベルイ、アントニーニ、ホピーに2,3ヶ月づつ習い、
この先アメリカに渡りナイジェル・ノースに3ヶ月、来年はスコットランドに渡り
ロブ・マキロップにスコットランドのバロックリュート音楽のレッスンを受けるそうだ。
一流の専門家を狙い打ち?にしているレッスンの受け方で、見ていてもある意味で気持ちが良い。
しかし・・・
彼女の場合、各マエストロへの尊敬の念があまりに強いのか、
しばしば盲従している様に見えないこともない。
たとえば、彼女はしばらく前まではリュートを総ガット弦で張ることに執着し、各社のガットを買い集めていたが、
「マエストロたちはコンサートでガットを使っていない」ことに気づき、あわててナイロンに戻し、
今や不要となった全てのガット弦を僕に安く譲ってくれた。
カスタムメイドのオープンワウンドやアクイラの新しいロードガット(Cタイプ)を含む高精度、高価格の弦コレクションだ。

こちらにとっては有り難かったが、なんだかどこか間違っている気がするね・・・
(続く)
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2008年9月24日
昨日の日記で
「しばしばアマチュアの人で、レッスン浪人とでも呼ぼうか
決まった師を持たずにあちこちの講習会やレッスンに出没する中級者が居るが、
あまり感心はしない」
と書いた。
ちょっと考えると、
「世の中にはいろいろなタイプの演奏家、先生が居てそれぞれ専門や得意分野が違う。
いろいろな人にレッスンを受けてみて、その中から自分の判断で有益なものを取捨選択する」
というのは悪くない様に思う。
実際それが可能な人もいるだろう。
しかし、音楽は奥が深いものだ。
1回や2回レッスンを受けても、大抵の場合はその先生の意図するところは伝わらないと言って良い。
ましてや最初から生徒側に「取捨選択する」という考えがある場合、
「自分の知らないことは受け入れられない」方にベクトルが働きがちだろう。
「先生の専門や得意分野は違う」のは確かだ。
しかし音楽のレッスンで大切なのは、個々のテクニックはもちろんだが、
「自分とまったく違ったレベルでの演奏や音楽への態度」に間近に接することにあると僕は思う。
音色ひとつとっても、専門家の音色は愛好家のそれよりも遙かに充実して美しい(筈だ)。
人間は1人1人好みが違うし楽器も異なるのだから、
生徒は先生と全く同じ音色を出せるわけではないし、またその必要もない。
ただ、「自分の考えていたレベルを遙かに超えて追求された音」が、この世にあることを体感するのが大切なのだ。
そして、そのような経験はCDやコンサート、ましてや文字からは得ることが出来ないのだ。
専門家の音を目の前で聞くことが出来、本人から示唆を受ける機会は、レッスン以外ない。
そして、おそらくはその音色や内容が高次元で修辞的であればあるほど、
理解できるようになるには時間がかかるのが普通だ・・・
と考えると、(なんだか矛盾するようだが)やはり自分が尊敬できる奏者を見つけて
定期的にレッスンを受けるのが最上だ。
かかる費用や時間の問題はなんとか解決していくしかない。
「尊敬できる先生を見つけること」が出来るかどうかは・・・
これはすでに「才能」、プロアマ問わず音楽家に最も必要な資質の一つだという気がする。
(続く)
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2008年9月23日
趣味のトラヴェルソは相変わらず楽しい。
・・・が、実は最近なんだかパッとしない。
上達のスピードが落ちている・・・というかこのところ全然上手くなっていない。
アンブシュアもいまいち安定しないし、ブレスも長くは続かない。
思い起こすと、7月にトラヴェルソのマエストロ、スティーヴン・プレストンのレッスンを受けた後、
夏の間は日本やロンドンでフルートを吹きまくっていた。
またあちこちでいろんなフルートを試したりもしている。
それはそれで楽しかったのだが、まだ音出しの基礎が固まっていないうちから、
曲を吹きすぎ、また異なったアンブシュアの楽器を試しているため、
体も脳も混乱しているのではないかとも思われた。
ので・・・今日はスティーヴン・プレストンのレッスンを再び受けに行った。
彼はロンドンから3時間ほどかかる遠いところに住んでいる。
レッスン・フィーも破格に高額だ。
僕の様な初心者の場合、近くに住んでいる中堅奏者のレッスンで充分!
という風にも考えられるのだが、僕はあまりそうは思わない。
趣味か専門かは問わず音楽は大切なものだから、常にベストを求めていきたいし、
何よりも尊敬する人の教えはこちらにとっての説得力がまるで違うのだ。
しばしばアマチュアの人で、レッスン浪人とでも呼ぼうか
決まった師を持たずにあちこちの講習会やレッスンに出没する中級者が居るが、
あまり感心はしない。
スティーヴンに2ヶ月ぶりに会い、こちらの状況を説明し基礎のレッスンを乞う。
頭部管だけ使ったアンブシュアの練習から始めて、
トンホールを押さえないC♯だけのアンブシュア、
左手だけの半音階と進み、
併せて呼吸法の基本のレッスンを受ける
効果は驚くべきもので、レッスンが始まって15分もしないうちに、
自分がこの二月間忘れていた「良い音」が甦ってきた。
お願いして、彼には「毎日の練習」を五線に書いてもらう。
単純なものなので、自分で書くことも出来るし、また楽譜なしでも出来るのだが、
尊敬する先生に書いてもらうと、自分の取り組み方が違うというか、効果が上がりやすいのだ。

当分はこれを毎日の練習の糧としようと思う。
スティーヴンは、
「練習とは、すでに出来ることをより確実に行えるようにするもので、
出来ないことにチャレンジし続けることは避けなければならない」
と言うが、当に至言だと思う。
僕のレッスンを受けた人はほぼ例外なく経験していると思うが、
どんな大曲を持ってきた場合でも、大抵は開放弦での右手のタッチから始める。
音の出し方が安定していないと、どんな曲を弾いても音楽と呼べるレベルには到達しないからだ。
右手のタッチが完全に安定していない場合は、曲もなるべく簡単な曲が良い。
また、練習する曲は自分の音楽的素養に見合っている作品が良い。
「自分で作曲できるくらい良く理解できる」作品が理想だ。
バロックの場合、その曲の形式と和声(数字付き低音)の最低限の理解は出来ている方が良い。
旋律楽器の場合は、その曲の旋律のある音を
「和音はXX、この音はその和音の第X音、そして次にはXXの第X音に進む」といった具合に把握しておきたい。
声楽曲の場合はその歌詞を細部まで理解している必要がある。
自分で喋ることの出来ない言語で歌うのは避けたい。
楽譜上の分析だけでなく、それを耳で聞いて判断できるような音感を持っていることも大切だ。
自分で分析できない曲を練習することは、いわば外国語にカタカナを振って読んでいるようなものだ。
もしくは、意味が分らなくとも唱えるだけで御利益があるというお経の一種・・・?
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2008年9月18日
修復の様子を見に工房に行く。
マーシャルのオリジナルバロックギターは、すでにブリッジの再生も済みネックも取り付けられた。
あとはローズを取り付け、裏板を戻し、各部の細かなセッティングをし、フレットを取り付けて弦を張れば終了!だ。

試みに弦を張って弾いてみると、倍音豊かに工房に響いてくれる。
出来上がりが大変楽しみだ。
このギターのローズは喪われていたので、デザインと径を指定してローズ専門家に作ってもらった。

デザインは同じ時代にパリで製作されたプレヴォストのギターのローズをコピーした。

このギターは僕が始めて触れたオリジナルのバロックギターだ。
典型的な18世紀後半のフレンチ。ローズはオリジナルのままで大変貴重。
このギターには非常に良い印象を持っている。
あるいは↓のリュート(9月6日と8日参照)と同様に刷り込まれてしまっているのかも知れない・・・
ローズには金粉塗りを施す予定だ。

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2008年9月15日
ハンター協会でのリサイタルを行なう。

午後7時半からの演奏だが、その前のレセプションにも招待されているので
6時半に会場入りする。
会場はリージェント公園すぐそばのある邸。イギリスの医師会の持ち物なようだ。
演奏時間まで会員とご歓談・・・会員は学者や医者、歴史家などいろいろ。
7時30分から演奏

まずは楽器の説明を短く行なった後に、プレストンの曲集から2曲。
今回の楽器もプレストン製作のものだが、
プレストンはギターやフルートの製作と楽譜の出版を手広く行なっていたらしい。
次にシュトラウベのラルゴ。

しみじみいい曲だ。
そしてベートーヴェンとハイドンの編曲ものを一つずつ。
どちらも原曲は歌なので、会員に歌詞を朗読してもらってから弾く。
そして最後にJ.C.バッハのソナタ。
やはり大変よく書けている曲で、バランスも良いし弾いていて楽しい。
弾くたびに異なったアプローチを行ないたくなるのはやはりアンサンブルの妙味だろう。
アンコールはこれ!↓

ブレンナー編のイングリッシュギター版「ベガーズ・オペラ」からだ。
終演後にハンター協会の理事であるハンテリアン博物館の館長と話す。
来年には博物館でのコンサートとレコーディングも企画しているそうで、
演奏を依頼される。
楽しみだ。
ベイリーのギターは終演後に博物館の司書に返却。
淋しい気もするが同時にちょっとほっとする。
自宅では自分のギターたちが出番を待っている・・・

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2008年9月14日
明日のリサイタルが終わると、ベイリーのイングリッシュギターはハンター博物館に戻される。
来年以降に何回か演奏する予定はあるが、一旦はお別れだ。
明日のギグに向けて楽器のコンデションを整えると共に、改めてデータを取っておく。
木ペグの楽器は軽く音を出しやすいのだが、調弦はなかなか困難だ。
ペグのほんの少しの回転でも大幅に音程が動く。
ペグを作り直し、ペグ穴を削り直して調整するとほぼ問題なくなるのだが、
博物館所有の楽器ではなかなかそうもいかない・・・
・・・で、今回はヴァイオリン用のアジャスターを取り付けてある。なかなか優れものだ。
木ペグのイングリッシュギターだけでなくシターンにもお勧め。

ブリッジの弦幅は改めて測ると1〜6コース間で48ミリだった。
かなり狭いが、慣れると何の問題もないどころか、
右手の小指の位置を移動させずに全ての弦に軽く指が届くので快適だ。また一つ新しい経験を得た。
自分のギターの弦幅も狭めようかと考える。

大概のプレストンの楽器がそうなのだが、音程(フレッティング)にはやや癖がある。
第1フレットはやや低めで、第3フレットと第5フレットは高め、
第6フレット以上は大概の場合はかなり高めになる。
金属弦は押弦により音程はかなり変わるし、ブリッジの位置と高さも重大な要素の一つなので、
なかなか一筋縄ではいかない・・・きっとそのうち法則を見つけることが出来るだろう。

このベイリーのイングリッシュギターは、木ペグと木製ローズを持っており重量は軽い。
そのせいか自然な響きで楽器全体が軽く鳴る。
プレストンの金属ローズと金属糸巻き、鼈甲指板の楽器と比べてみると、鳴り方ははっきりと違う。
金属や鼈甲を使った楽器は、鳴り方は初めやや重いが、
しばらく弾き込んでいくと、低伸性のある甘い響きとなる。

この鳴り方の違いは、もう奏者の趣味の領域だろう。
同じようなことは同時代の他の楽器にも見ることができる。

装飾されたランベールのギターとシンプルなクジノーのギター。(右上にはオーブが!)
どちらも1770年頃製作された、良質の材料と高いクラフツマンシップによる名器だ。
クジノーは楽器全体が軽く鳴るが、ランベールは重く複雑な響きを持っている。

1790年頃の2本の4キイフルート。
上はグールディングの柘植、象牙マウント付き。下はカウランの総象牙。
どちらもヘッドに金属のチューニングスライドが内蔵されている。
グールディングは楽器全体が振動するが、象牙のカウランは(again)より重い響きだ。
で、いずれの場合にも言えるのは次のようなことか。
軽くてシンプルな楽器は取っつきやすく音を出しやすい。
楽器本体が振動しやすく、音量もあり、現代の演奏会場でも使いやすい。
こちらのコンデションが悪くともなんとかしてくれたりする。
装飾が少なく構造が単純なので、故障も少なくメインテナンスも楽だ。
装飾を施されたり象牙で作られた楽器は、最初はまず鳴らない・・・
鳴らせるポイントを探求しなければならず、かなりの弾き込み、吹き込みも必要だ。
故障も比較的多く、メインテナンスにも手がかかる。
楽器本体が振動しすぎないので、奏者、奏法によって様々な音色を作り出すことが出来る。
構造が複雑な分、複雑な音色で鳴る。
楽器に対して力まないで、リラックスしているとかえって良く応えてくれたりする・・・
僕自身はどちらの特質も愛するのだが、目下は装飾楽器の響きをより追求したいと思っている。
なかなか扱いが難しく、ツンツンされてしまうことも多いのだが、
良いときはこの世のものとも思えぬほどスイートで、先方の特質を知れば知るほどにハマッテしまうのだ。
(ええと、ツンデレって言うんでしたっけ? こーゆーの)
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2008年9月11日
このところずっとジョアンナ・ベイリーのイングリッシュギターにかかり切りになっている。
(↓8月28日の日記参照)
博物館から借りてきたベイリーの楽器を調整しつつ練習したり、プログラムを考えたり、なかなか楽しい。
と・・・気がつくと今日はベイリーの誕生日だ。(なんとまあ!)
さっそく彼女のギターで「ソッソラーソードーシー、ソッソラーソーレードー」と弾いておく・・・
ジョアンナ・ベイリーは1762年9月11日にスコットランドのハミルトンに生まれる。
幼少の頃にロンドンに移り、高度な教育を受けた。
若い頃からその才能を顕わした詩人であり、芝居の脚本も多く書いている。
ハイドンやベートーヴェンとも親交があり、詩を提供した。
1851年に89歳で没。

作品には、人間の感情を豊かに表現したものが多いという。
今回のコンサートでは、ベイリーの詩にベートーヴェンが作曲したSweet
power of songを
イングリッシュギターのソロとして演奏する。
この歌詞も一見穏やかながら大変情熱的なものだ。
Sweet power of song
Sweet power of Song! That canst impart,
To lowland swain or mountaineers,
A gladness thrilling trough the heart,
A joy so tender and so dear:
Sweet Power! That on a foreign strand
Canst the rough soldier's bosom move,
With feelings of his native land,
As gentle as infant's love.
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全部読む?
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2008年9月9日
バロックヴァイオリンとイングリッシュギターのセッションをする。
主な曲目はヨハン・クリスチャン・バッハ(ロンドンのバッハ)のソナタ。
アレグローアンダンテージーグの3楽章からなる立派なソナタだ。

来週、9月15日のハンテリアン協会のミニリサイタルで演奏する。
フィドル奏者はAy嬢。王立音楽院出身の才媛ヴァイオリニストだ。

楽器は1770年にロンドンで製作されたヴァイオリン。
プレストンのイングリッシュギターとは全く同じ時代、地域のものだ。

イングリッシュギターとバロックフィドルとの合わせはほぼ初めてだが、
バランスの良さと音程の取りやすさに驚く。
楽器が音楽的に対等に聞こえるのはやはり楽しい。
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2008年9月8日
9月6日の日記(↓)で書いたリュートについて、いくつか質問もいただいたのでちょっと補足。
この楽器は僕が生まれて初めて触った「上等な舶来のリュート」といって良いでしょう。
もう20年(以上)も前の話です。
思い起こすと・・・
法学部の学生でギターを弾いていた僕は、
大学4年生の秋のある日、思い立ってリュートを買いました。
アリアリュートの8コースでケース付き10万円ナリ。
バイトと奨学金でなんとか生活していた貧乏学生でしたが、
ローンを組んで支払いのめどもつき、
楽器が手元に届いた際は、
「よし!これで就職活動はやめだ!」と心に誓ったものでした。
(支離滅裂ですが、本人的には整合性がとれている)
で・・・勿論すぐにもっと良い楽器が欲しくなり、日本の製作家に注文。
なかなか完成しなかったのですが、その製作家はこちらの催促に辟易したのか、
国産の他のメーカーによるリュートを貸してくれました。
これはなかなか美しい良い楽器で、これを使って日本で活動していました。まだ留学前の話ね。
大学出てから2年ほどは、あちこち(主に学校や喫茶店)などで弾いたり、
音楽教室で教えたりしていたわけですね。
リュートはレッスンは受けておらず、ごくたまに講習会などに参加する程度でした。
そんな頃、イギリスからよく知られた古楽系歌手とリュート奏者が来日してマスタークラスを行なうことになり、
歌手の伴奏者としてその講習会に参加しました。
そして、このリュートはそのイギリス人奏者が使っていた楽器だったのですね。
このリュートにはシビレました。
やや張りの強い感じで良く鳴り、
ユニゾンの低音からはなんとも言えない深い音色がします。
小指を表面板につけない(!)サムアウトサイド奏法からは、
均一で、なおかつカラフルな響きが引き出されます。
講習会は合宿状態で3日間ほど続きましたが、
(その頃は)シャイだった僕は、「弾かせてください」とお願いする勇気がありませんでした。
しかし、持ち主の先生が席を外した際にはそっと手を伸ばして、
間近で観察し、やさしく弾いてみた(ホントはさわりまくった?)のは言うまでもありません。
金のロゼッタ、びしっと木目の通ったリブ、松ヤニ系の美しいニス、ネック裏のストライプなど
いずれも初めて見るモノで「目がつぶれる!」って思いましたね・・・
「ああ、こういった楽器が欲しい!」って思ったのは勿論です。
「これがあれば何でも自由になる、どんな夢もかなう!」みたいな・・・ほとんど新興宗教の壺?
で、この製作家の名と、楽器のタイプ、そしてとりわけ金のローズは自分の心の中に深く刻まれたわけですね。(トラウマ?)
その後、留学して勉強してプロになり、楽器もオリジナルを含む良いものを所有して、
オーセンティックな楽器とその奏法に関してはそれなりに一家言を持つようになってきたのですが・・・
この楽器のことは今でも心の中に「最高のリュート」としてあります。
実は、この製作家には楽器を注文してあるのです。
非常に人気のある作家でしかも寡作なため、注文時ですでに待ち期間は「10年」といわれ、
現時点で14年ほど待っています。
仕事に使う楽器はとりあえず一通り(以上)は持っているし、
特に急ぐこともないので、こちらものんびり構えています。
どんなタイプにするかもまだ決めておらず、あれこれ考えて迷うのも楽しみです。
10コース?バロック?アーチリュート?テオルボ?
・・・でもきっと、金のローズの7コースにしちゃうんだろうなぁ、松ヤニ系のニスでネック裏にストライプのある・・・
で、先日図らずもこの憧れの楽器に遭遇したわけですが、
今更ながら思ったのは、そのスペックのOut
of
date なことで・・・
薄めの表面板、高めの弦高、ナイロン弦、低音の巻き弦ユニゾンなど、
いつもの僕なら嫌いな特徴ばかりです。
調整を担当していた製作家もあまり良い意見は持っていませんでした。
しかし、それでも「ああ、この楽器好き!、好き好きっ」って思ってしまうのは、
(幼少時の)経験、トラウマ、刷り込みによるのでしょうか・・・・
(いや、やはり良い楽器だと思う!うん)
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2008年9月6日
修復工房にマーシャル作のバロック/ロココギターの修理の様子を見に行く。
これは昨年の11月に入手したもので、工房に預けてからすでに10か月になる。
状態は特に悪いわけではなかったのだが、将来安心して使えることを考えて、
一旦ばらばらにしてのオーバーホールを行っている。
ようやく、修復も最終段階にさしかかり、目下はネックの取り付け角度の検討を行っている。
ネックの角度と弦高は、撥弦楽器のセッティングのもっとも微妙で重要なポイントである。
指板が黒檀などの場合は、ネックを取り付けた後にも指板を削ることで弦高の調整はできるのだが、
このギターの様に装飾されている場合は不可能なので、ネックの取り付けには大きな神経を使うのだ・・・
いずれにしても今月中には一段落する予定だ。楽しみ。

工房には見覚えのあるリュートが調整のために預けられていた。
イギリスのよく知られたリュート奏者の楽器で、僕もずいぶん前に弾いたことがある。
リュートを始めて間もない頃だったが、この楽器にはずいぶん憧れた。
懐かしくて早速弾いてみる。やはり良い楽器であった・・・
 
ゴールドのローズが素敵! 誰のだかわかる人いるかな?
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2008年9月3日
9月15日のハンテリアン協会の演奏(↓の8月28日参照)のためのレパートリー探しをしている。
シュトラウベやJ.C.バッハなどのスタンダート・ピースはもちろん弾くとして、
ジョアンナ・ベイリーとアン・ハンター、二人の女流詩人に関わりのある作品もやっぱり弾きたい。
彼女らの詞はハイドンやベートーヴェンが曲をつけている。
それらのうちでイングリッシュギターのために出版されている作品があればベストだが、
当時の習慣にしたがって自分でアレンジしてしまうのももちろんアリだ。
ハンター家と関わりの深かったハイドンの作品などは、たとえアンやベイリーの作詞でなくとも
弾く意味はあるだろう。
で、図書館と自宅の書庫に入りびたって検索する。
イングリッシュギターのための作品は当時膨大な数が出版されているが、
ほとんどの場合、作曲家や作詞家についての言及はなく、検索はそれほど容易ではない。
それでもハイドンの作品は少なくない数が見つかった。
そのうちの幾つかはハイドン全集の目録にも収められていないものだ。
「もしかするとこれって大発見?・・・ちゃんと調べてアーリーミュージックに論文載せて博士号とって・・・ウハウハ」
との(妄)想念が頭をよぎるが、さしあたっては9月のコンサートが大事なので、先に進む。

ハイドンの曲としては、こんなのもあった。面白いから弾こうかな?

ハンター作詞、ハイドン作曲の作品は多いが、特に民謡を題材にしているものは
イングリッシュギターにも向いているように思う。

ベイリー作詞、ベートーヴェン作曲の作品に「スコットランド民謡集」がある。
声楽、ピアノ、ヴァイオリン、チェロの編成でなかなか興味深い曲。

ベイリーのイングリッシュギターでこれらの曲を楽しく弾いていてふと思う。
・・・もしかしたらジョアンナ・ベイリーも同じ曲を弾いていたのかもねぇ・・・
もしかしたらハイドンがこの楽器に触れたり、このギターといっしょに歌ったりピアノを弾いたりしたのかも?

(ゆ、ゆうれい出そう?)
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2008年8月30日
ハンテリアン博物館から借りてきたイングリッシュギター(↓の8月28日の記事参照)を試す。
綺麗に修復されていて、張られている弦も適正なものだ。
まずはA-390ヘルツ程度に調弦してみる。木製ローズ、木ペグの楽器らしく軽く鳴る。
例によってブリッジの弦幅が狭めだ。1〜6コースの外側で49ミリほどだ。

イングリッシュギターのオリジナル・ブリッジを検分すると、1〜6コースの弦幅は52ミリ−58ミリ程度。
弦幅が狭めなのは、イングリッシュギターが親指外側奏法で弾かれていたことと大きく関係している。
案外知られていないことだが、17世紀以降の撥弦楽器のブリッジ上の弦幅は、ほぼ例外なく狭い。
次に例を挙げる。1〜6コースの外側の弦幅である。
ティッフェンブルッカーのキタローネ:56ミリ
セラスのアーチリュート(アッティオルバート):56ミリ
シェレのバロックリュート:57ミリ
他に残っている楽器もほぼ同様の弦幅を持っている。加えて言うとスペインの6コースギターもほぼこの値だ。
また、コース内の弦間も狭く、大概3ミリ程度だ。
10コース以上のリュートを持っている人は、自分の楽器を測ってみて欲しい。
いかがでしょうか?ブリッジ上の1〜6コース間は70ミリ前後、コース内の弦間は4ミリ以上あるのではありませんか?
そう・・・現代のリュートは大抵の場合、ブリッジ上の弦幅をオリジナルよりも広げて作られているのだ。
オリジナル・リュートのネックの幅、ナット上の弦幅もかなり狭い。
ゲルレの6コース、ヴェネーレの7コース、ヒーヴァーの7コースなどのナット上の1−6弦間は37ミリほどだ。
現代、上記のようなスペックを採用しているリュート製作家はまれだ、というかまずいない。
いわゆる[Workshop drawing]など図面もオリジナルを修正したものが出回っているのが実情だ。
これは、現代においてサムインサイド/親指内側奏法が広く採用されていることと関係している。
親指内側奏法においては手首や腕を振るように弾弦する場合が多く、
また指先の広いエリアが弦に当たるため、弦幅が狭いと確実なタッチは難しくなる
しかし、「右手のタッチ」でも書いたように、歴史的には親指内側奏法は1600年あたりには廃れ、
17,18世紀にはブリッジに近い位置でのサムアウト/親指外側奏法が使われていた。
サムアウト奏法においては右手はほぼ固定され、指先の小さな動きでの弾弦が可能で、
また指先の狭い範囲が弦に当たるので、弦幅は狭い方が好まれたのだ。
これはヴィウエラ、後期のルネサンスリュート、バロックリュート、アーチリュート、テオルボ、
バロックギターそしてイングリッシュギター全てに共通する奏法および楽器のセッティングだ。
(註:弦の少ないバロックギターはやや広めにセッティングされているものもある)
しかし、サムインサイドを(意図的にしろ、無知のためであれ)使用している奏者がプロアマ問わずに多い現在、
オリジナルを良く研究している良心的な製作家ですら、オリジナル通りのスペックでのコピーは行っていない。
理由は「オリジナル通りに作っても楽器が売れないから」である。
(それ以前に、知識を持たない製作家も多いのだが)
奏法の違いは、弦幅のみならず楽器の発音と構造にも影響するので、
現代作られているリュートには、力木の配列や大きさ、板厚などにも修正が加えられている。
つまり、今作られている「コピー」古楽器は、オリジナルとはコンセプトも寸法も構造も異なっているのだ。
当然ながら、そのような「非」コピー楽器においては、オーセンティックである親指外側奏法はいまいち快適ではなく、
本格的にスイッチする奏者はやっぱり増えないというわけだ・・・悪循環である。
「親指外側奏法がうまくできない。どうしたらよいでしょう?」との質問は良く受けるが、
正しいコンセプトにより練習することは勿論、適正にセッティングされた歴史的な楽器とガット弦を使うことが大切だ。
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2008年8月29日
↓の8月27日の日記で、「象牙のフルートは柘植の楽器に比べて本体が振動しにくい・・」と書いた。
その後、思いついて、象牙のカウランのジョイント部の糸を少しきつめに巻いてみた。
「テノンの糸は巻きすぎずにジョイントはむしろ緩めに調整しておく。
しばらく演奏していると木部が湿気により膨張してちょうどよくフィットする」
とマーティン・ヴェンナーから習ったことがあり、僕のフルートは全てそのように調整してある。
しかし、象牙は柘植にくらべると湿気を吸う割合は低いと思われ、
ジョイント部が緊密ではなく吹奏時の一体感の無さにつながるのでは・・・と考えたのだ。
また緩いジョイント部からエア漏れしている可能性もあるだろう・・・
結果は見事な成功で、いきなり別の楽器の様に鳴りだした。
これまでは音色は良かったものの、ブレスの音が目立ちがちで、また最低音を出すのが難しかったのだが、
音色はよりピュアになり、全音域に渡ってバランス良く音がでるようになった。
これでまたフルートを吹くのが楽しくなってしまった・・・

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2008年8月28日
ロンドン中心部にある王立外科大学に行く。
ここにはジョン・ハンターの蒐集物を中心に展示するハンテリアン博物館がある。
ジョン・ハンターは18世紀後半にロンドンで活動していた医者/科学者だ。
現代医学、外科の基礎を築いた偉人だが、人間や動物の解剖や標本製作を非常に積極的に行なっていたため、
当時は奇人扱いされた。
「ジキル博士とハイド氏」や「ドリトル先生」のモデルにもなった人物だ。

ハンターの妻は詩人のアン・ハンター。社交家であり音楽愛好家でもあった。
ハイドンの友人であり、ハイドンはアンの詩に作曲している。
チャリングクロスにあったハンター邸には、音楽室や社交室とともに大きな博物館、手術室、講義室もしつらえられていた。
ここハンテリアン博物館には非常に多くの標本が展示されている。
人間と動物の各部位のホルマリン漬けのものが多いが、いまでいうプレスティネーションのような処理をされているものもある。
いわゆる奇形の標本も多く、非常に興味深い。
身長260センチの巨人として知られたジョン・バーンズの骨格標本もここにある。
標本の点数は非常に多く、ジョン・ハンターはまさにこの分野にdedicateされた人物であることがわかる。

(次のリンクで博物館のヴァーチャルツアーが出来ます!面白いよ!
http://www.rcseng.ac.uk/about/virtual_tours/index.html#museums)
さて、今回どうしてこの博物館に来たかというと・・・
音楽を愛好していたハンター家に伝わるイングリッシュギターを検分するためだ。
これはハンターの姪であった詩人ジョアンナ・ベイルが弾いていた楽器だ。
現在、ハンテリアン協会の所有となっており、現在はこの博物館に展示されている。
ベイルの詩にもベートーヴェンやハイドンにより曲がつけられている。
この楽器は、ごく最近、ロジャー・ローズにより修復が完了し、
来たる9月15日にはこの楽器をつかった演奏会が開かれる。
僕はその演奏者として招かれたというわけだ。
キュウレイターによると、修復前のコンデションはかなりひどかったと言うが、
現状では非常に美しく修復されている。
プレストンのブランドマークを持つギターで、木製ペグと木製ローズを持っている。
オリジナルの美しいケースも良い状態で保存されている。
また持ち運び用にキングハムのケースもカスタムメイドされている。

楽器は今回借り受けた。
これから2週間ほど一緒に暮らすのだ。
9月15日のコンサートでは、シュトラウベやJ.C.バッハの作品とともに、
ハンター家に関わりのあるハイドンの作品などを弾くつもりだ。
それにしても・・・18世紀ロンドンの猟奇医者?ジョン・ハンターとイングリッシュギター。
まさに僕の趣味(と実益)ぴったりの仕事だ。
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2008年8月27日
この夏の日本帰国時、趣味のトラヴェルソは2本持参していた。
カヒューザックとグールディング。どちらも木製の笛だ。
約一月この二本ばかり吹いていたら、やはり馴染んでくると言うか、音はずいぶん出しやすくなってきて快適だ。
日本でのレッスンやセッションでもさんざんこの笛は吹かしてもらった。

・・・でも、そうなったらなったで、ロンドンに置いてきた象牙の笛が懐かしい・・・
今吹くとどんな感じかな?
で、帰宅して早速象牙のフルートを試す。
↑の木製フルートとよく似たスペックのカヒューザックとカウランだ。

なるほどなるほど・・・柘植の楽器に比べて本体があまり振動しない気がする。
その分、アンブシュアを効率よく行なう必要があるが、ポイントに当たった時の音色は格別だ。
ちょっと思いついて↓のようなこともやってみる・・・これはこれでなかなか良い感じで鳴る。
不思議だが本当だ。

先日、あるところでトラヴェルソの名器2本を吹く機会があった。
一つはオリジナルのステンズビーJr.の総象牙。
アンブシュアは難しかったが、その透明な響きにうたれる。

もうひとつはローランのクリスタルの笛。

これは・・・非常に吹きやすくしかも大変美しい音色だ!
生きてて良かったなぁ・・・・
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2008年8月26日
久しぶりにロンドンの自宅に戻ると、前庭に薔薇が咲いている。
6月から9月はイギリスの薔薇の季節。
これは毎年一輪だけ花をつける黄色の薔薇だ。
花言葉は・・・友情?

気がつくと、その隣にピンクに白い班のある薔薇がやはり一輪だけひっそりと咲いている。
昨年までは咲いてなかった薔薇だ。
イングリッシュローズ?
花言葉は・・・気品?

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2008年8月24日
サフォーク古楽フェスティヴァルの仕事を終えてロンドンに戻る。
エッセクス州のコルチェスターに滞在して、パーセルのオペラ「ダイドーとエネアス」のリハと本番、
その他、ワークショップとレクチャーを行なった。
サフォーク一帯は緑と丘陵に囲まれた、イギリスでも非常に美しい地域だ。
ロンドンやケンブリッジ、ノーフォークからもそう遠くはない。
このフェスティヴァルはイギリス・バロック音楽の泰斗として知られるピーター・ホーマンが音楽監督。
ピーターの邸宅もこのサフォークにある。
今回の公演のプログラムは前半にマシュー・ロックやハンフリーなどによるマスクなど、
後半が「ダイドー」だ。
コンサート形式の上演だと聞いていたが、リハに赴いてみると実際には振り付きのセミ・オペラ形式。
リハーサルに2日間もかけるわけがこれでわかった。
演出はシェイクスピア俳優でもあり、また王政復古期の演劇の専門家であるジャック・エドワーズ。
ピーターとジャックはイギリスの17−8世紀のオペラを専門に上演するオペラカンパニー Opera restoredの
監督であり、僕もこのカンパニーにはコンティヌオ奏者として属している。
リハーサル会場は村の真ん中の広場にあるタウンホール・・・日本で言う公民館だ。
 
コンサート会場は聖メアリー教会。
14世紀に建てられた非常に美しい教会だ。

 
出演者は以下の通り。

前半のプログラムは「テンペスト」にまつわるマスクおよび器楽曲。
マスクはイギリス独自の劇音楽の形式で、現在でもイギリス国内以外では上演される機会はほとんどないであろう。
マスクにおける歌詞と音楽の結合は、他のどんなジャンルの声楽作品よりもある意味で強いといえる。
レチタティーヴォともアリアともつかぬ声楽のパートは、拍節によらず、また旋律的でもない。
それは作曲家が歌詞による表出力をもっとも上位に置いてあるからで、
言葉とスタイルを理解した優秀な歌手にかかると非常なリアリティをもって迫ってくる。


今回のメイン歌手はソプラノのフィリパ・ハイドとバリトンのスティーヴン・バルコー。
どちらも非常に優れた歌い手たちで、一緒に演奏していて大変幸福であった。
このような音楽は、聴衆がその場でリアルタイムで歌詞の内容を理解できないと
その良さや面白さは伝わらない・・・
このことはマスクにおいて顕著だが、実際にはあらゆる歌詞を持つ音楽、
ひいては器楽を含む全てのバロック音楽にも言えることなのだ。
バロック音楽においてはサウンドは重要ではない、最も大切なのはその内容、修辞性なのだ。
その意味で本来のバロック音楽とは「癒し」とはまったく対極にあるものだと言える。
これは、日本でバロック音楽の活動を行なう際に常に痛感させられることであり、
また、僕がヨーロッパに住んでいるもっとも大きな理由の一つだ・・・
「ダイドー」はパーセルが残した唯一のオペラだが、オリジナルのスコアは残されておらず、
プロローグ、第2幕のグローヴの場面、最終のアモーレのダンスなどは再構築する必要がある。
今回の版はピーターによるもので、大変説得力のあるものだった。

2幕の最後に挿入された「フルスタンベルグ」
プロローグの前口上ではシェイクスピア俳優でもあるジャックが舞台に上がった。

ジャックと休憩中に記念撮影
前半のハンフリーなどの作品と比べると、パーセルはイタリア風の旋律美とフランス風の様式美を大いに取り入れて
作曲していることがよくわかる。
そしてその分、音楽は理解しやすくグローバルになっている。ネイティヴでない人間にもわかりやすい。
・・・しかし実際には、パーセルはロックヤハンフリーのような英語ならではの音楽の作り方を熟知したうえで、
よりユニヴァーサルな形で作品を書いているのだ。
つまり、「マシュー・ロックは理解できないがパーセルは好きだ」という人は
パーセルの聞きやすいところだけを聞いているというか、まあいわば一種の誤解に基づいているわけだ。
オペラ公演の翌日、レオンハルトのリサイタルを聴きに行く。
プログラムはバードからパーセルまでのイギリス鍵盤音楽ばかり。淡々としていながらも大変美しい演奏だった。
使用楽器は英国の16世紀の楽器のコピー、製作はマルコム・ローズだった。

その後、フェスティヴァルの一環である楽器展示会を覗く。
リュート製作家としてはマーティン・バワーズのスタンドがあった。

今回も楽しいツアーだった。
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2008年8月16日
来週の「ダイドーとエネアス」のスケジュールとプログラムが届く。
ピーター・ホーマンのParley of
instrumentsの公演で22日@イギリスのサフォーク、だ。
演目は、前半にマシュー・ロックやジョン・ブロウなどの器楽曲とマスク、後半が「ダイドー」。
コンサートの2日前からリハーサルが始まるゼイタク?なスケジュールだ。
出演者とプログラムと次の通り。
パーレイはパーセルなどイギリス・バロック音楽においてはもっとも優れたグループの一つ。
楽しみだ。
Purcell: Dido & Aeneas and Restoration
theatre music
Philippa Hyde, Claire Tomlin
& Emma Bishton
soprano
Patrick McCarthy tenor
Marcus Farnsworth baritone
Stephen Varcoe bass
The Parley of Instruments
Judy Tarling & Oliver Webber
violin
Jane Rogers viola
Mark Caudle bass violin
Taro Takeuchi Baroque guitar
and theorbo
Peter Holman harpsichord
1. Matthew Locke: Curtain Tune in C major
2. Matthew Locke: The Masque
of Orpheus from
The Empress of Morocco (1673)
3. John Blow: Chaconne in G major
4. John Blow: ‘Lovely Selina, innocent and
free’ from The Princess of Cleve (1680-2)
5. Matthew Locke: Curtain Tune from The Tempest (1674)
6. John Banister: ‘Go thy way, why should’st
thou stay?’ from The Tempest
7. Pelham Humfrey: Masque of Neptune and
Amphitrite from The Tempest
8. G.B. Draghi: ‘Where art thou, God of
Dreams’ from Romulus and Hersilia (1686)
INTERVAL
9. Henry Purcell: Dido and Aeneas Z626 (?1688)
詳細は
http://www.suffolkvillagesfestival.com/concertlist.htm#Dido%20&%20Aeneas
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