■ 塗装の補修など
● 一般にギターやマンドリンの量産楽器の多くはラッカー塗料をスプレーガンでサ〜〜〜〜ッと吹き付けて手早く塗装を終えるのでしょうけれど、現在でも手工弦楽器においてセラックにこだわる製作家は少なくありません。私も手間暇はかかりますが塗膜の厚さやツヤ加減を微妙に調整できるので最近はほとんどセラックばかり使っています。対してギブソンなどのスチール弦の楽器は相当早い時期からラッカーが使われていたようで、しかも相当厚い塗膜(古楽器やクラシック系の楽器と比較して)のためにラッカークラックという亀裂が見られることがあります。ラッカークラックは表面板のみならずネックや裏板や側面板、あるいはヘッドにまで生じていることもありますが、愛好家のあいだでは決してこれをトラブルとは考えず、むしろヴィンテージ物の証であるという意見すらあるようです。セラック塗装においてもラッカークラックのような亀裂を見たことがありますが、19世紀以前の楽器では少数派かもしれません。
さて、塗装のリペアといってもピンホールのタッチアップ程度から全面塗装のやりなおし(スチール弦楽器の世界ではリフィニッシュといいます)まで程度も様々です。私が主に相手をするのは100年、あるいは200年も昔の古い楽器がほとんどなので、かなりひどい塗装状態のものも多いのですが以下にいくつかの塗装の対処法を記します。
【1】浅い傷や局所的なタッチアップ箇所が傷んでいる場合
割れや傷やへこみのたぐいで比較的程度の軽いものの場合です。完全に処置してあれば長期間にわたって保持できるのですが演奏者自身による手軽な?「やっつけ仕事」がけっこう多く見られます。またプロの仕上がりに見えても本来のセラック塗装膜の上にラッカー塗料が厚く塗られている例もあります。このような場合、私はまず表面の塗料の種類を調べたうえでそれにみあった有機溶剤(部分的に厚く盛ってある場合はサンディング)によって剥がしていきます。市販の剥離剤もありますが強力なので私はあまり使いません。オリジナルの塗装と思われる層にさしかかったところで剥離作業をやめ、この上に新たな塗装を施します。最終的な表面の状態については数回の塗装とサンディングによって仕上げていきますが、楽器の状態によっては塗装面はごく薄く、光沢もおさえるので見栄えが良くないことも多いです。オリジナルの塗膜がやや薄くなったところで剥離作業はやめますが、その上には新たな塗装をほとんど塗らないこともあります。塗装を厚めにしてポリッシングを上手に行えばピカピカに輝く光沢面も可能ですが近年の楽器でない限りほとんどやりません。
【2】表面板に達するぐらい深い傷を伴う塗装の荒れがある場合。
部分的な打痕はタッチアップ用の透明な樹脂でパテのごとく埋めることも可能ですが傷の状態にもよります。作業の手順は(1)とほぼ同様ですが傷が深い場合は良く似たスプルース片で埋めることもあります。古い楽器では再塗装の際にヨゴレまで封じ込めて塗装され「そこまでやるかぁ.....」というぐらい手早く手抜きで仕上げてしまったものも見られます。プロとアマチュアのリペアでは技術の差が出やすいというのも塗装の世界の難しさなのかもしれません。
【3】その他の方法
たいていは上記の2つの方法で対処できますが、実際には塗膜剥離の途中で古い塗装が変質したり、隠してあった傷が現れたり、あるいは判別しにくい塗料を使っていたりと困難が常に立ちはだかり、そのたびにあれこれ工夫しながら対処せざる得ません。
● さて、実例もいくつか挙げておきましょう。まずはクレーンでは定番?の19世紀ギターで、これはドイツスタイルの楽器です。側面と裏板はいずれもスプルースとハカランダのツキ板です。御覧のとおりものすごい刀傷.....というか百戦錬磨の傷(おそらくベルトのバックルによるものと思われます)が付いています。なんのなんの南野洋子、この程度ならほっといてもべつに楽器としては問題なく使えますし音にも影響ありません。しかしまあ、塗装の表面をよく調べてみたところここに塗られているのは比較的新しい時代(といっても50年以上前でしょうけど)に再塗装されたものです。製作当時のオリジナルの塗装面はこの下に薄く残っているか、ほとんど剥離されているものと考えられます。そこで、この前回の塗装を剥がして全体的に鶴田が塗装をやりなおすことにしました。しかしスゴイ傷です....。
まず塗装の剥離ですが、間違ってもいきなりサンディングしません。部分的に下地が露出しており、運が悪いとハカランダのツキ板をじかに(しかも局所的に)削ることになるからです。ここで使われているツキ板は恐ろしく薄く、0.4mm程度です。
塗装膜はセラックであることがわかったのでアルコールにて少しづつ剥がしていきます。以下の写真は側面板を剥離しつつあるところです。この作業を裏板にも行いますが塗装面の状態を見ながらの作業でやたら時間がかかります、このギター1本の剥離の作業だけで1週間かかっています。
剥離を終えたら360番〜1000番程度のサンドペーパーでこまかい古い塗装の突起などをならします。そして新たにセラックをタンポで塗布し、乾かしてはさらに塗布....を繰り返します。
塗装膜の厚さはゲージで計ることが可能ですが、塗った回数や色ツヤを見ながら程良いとことでやめます。このギターの場合は最終的にはオリジナル(推測される塗膜の厚さ)よりやや薄目の塗装にしてあります。このあとマイクロメッシュとポリッシュで仕上げますがツヤをおさえ、やや素朴な感じを残すようにしました。作業にとりかかってこれを終えるまで約1ヶ月もかかってしまいました。
● 次は表面板とメイプルの側面板の例を挙げます。やはり19世紀のギターで表面板に大きな割れは無く、オリジナルの塗装の上に塗装された形跡はありませんが、むしろかなりの弾き傷で表面板の木地が広範囲で現れてしまっています(ウエザーチェックなどいちいち気にしては弦楽器は弾けませんが)。そしておびただしいヨゴレ.........。ここは最低限のヨゴレの除去と薄いセラックの塗装にとどめることにしました。
ヨゴレについては側面板もかなり重傷で、たんに雑巾でフキフキしてもキレイにはならず、すでに塗装に同化しており表面もまばらなおうとつが見られます。こういった場合は表面をごくごくゴクゴクゴクゴク.......プハ〜〜〜ッ! やっぱりビ...(バキッ!)............ご、ごくわずかに剥離し、再塗装もわずかな厚さに調整します。次の左の写真が作業前、右の写真が作業後です。じつはこの楽器はネックにかなり厚い塗装がしてあってそちらのほうが重傷なのですが....(今回は割愛)。
結局、裏板(ヴァイオリンのような浅いアーチがついている)も側面板と同様に作業することになりました。おかげでトラ杢の鮮やかな模様がひきたちます。
● スチール弦ギターやウクレレは一部の楽器を除き、多くの場合はラッカー塗料でリペアします。これは1930年(推定)頃のウクレレで、私が長年使っているメインのウクレレMONTANAです(音は最高)。近年になってネックやボディの塗装のクラックが進み、パラパラと剥げてきたのでこのままでは塗装がすべて剥げ落ちてしまうため、やむなくオーバーコートすることにしました。主に使用したのはニトロセルロースのラッカーシーラーで、これを使って丁寧に作業します(じつはこまかいラッカークラックの対処のため作業の段階のなかでわずかにセラックを使ってます)。なお、ここの写真ではハケ塗りしていますが、多くの場合はウクレレであってもタンポで塗りを行います。
ラッカーは薄めたものを2回も塗れば充分です。側面とネックにも同様に作業します。新たなコートのための塗装膜はごくわずかな厚さです。ウクレレはネックのリセットやブリッジの交換など何本もリペアしましたが、それにもかかわらずいまだに塗装作業は神経を使います...難しいなぁ.....。
● まだまだ書きたいことが山ほどありますが、最後にひとつオマケを........。次の写真はドイツタイプのギターで19世紀末から20世紀初頭に作られたと思われるギターです。これは裏板の写真ですが側面も同様........じつはコレ、当クレーンホームページの「19世紀ギターの世界」でも話が出てきた「手書きハカランダ模様」なのです。をををを!....最近入手した楽器で、はじめて見たときは気付かなかったのですが塗装をどうしようかと思ってよく観察するとこの部分に明らかにハケの描跡を確認。いやぁ〜〜〜〜、ウワサには聞いていましたが実物にお目にかかるとは.....。手書きでハカランダに見せかけるぐらいだから材料をケチったのかな? と思いきや表面板には上質なスプルースに丁寧なM.O.Pインレイロゼッタ、そしてネックも状態は良く保たれ、糸巻きはヘッドにプレートを埋め込むスロットタイプのもので、安物には決して見えません。サドルなど各部を調整して表面板のクラックをリペアし、弦(古楽器用)を張ったところ音もすごくイイのです.....。下地の木材の種類ははっきりしませんがわざわざ手書きする手間(内側も塗装されている)を考えれば当時は素直にハカランダをそのまま使ったほうが手っ取り早かったのではないでしょうか? 製作者には何らかのコダワリがあったのでしょうね.......?
謎を残しつつ去る鶴田.........。