■ うなだれ糸巻きの修理
なんか最近、街角ではやたらとうつむいて歩く人が多いのです。うなだれて魂を吸い取られたようにも見えます。アナタどったの? え? ポケモンGO? 何それ? スマホぉ? これだけ多くの日本人が一斉に頭を下げてうなだれているのを見たのは終戦の玉音放送以来でしょう。じつに奇怪な今日このごろ ... 。
え? 何の話でしたっけ? 楽器の修理でしたね。はいはい。今回のお題は糸巻きです。1920年頃と思われるナポリのクリストファロ/Cristofaro のマンドリン。ボウルバックでもなく、かといって完全なフラットバックでもなくセミフラットバックというようなマンドリンです。弦長 328mm ペグは4コース機械式。ビンディングにチューリップウッド、突き板のネックとヘッド(ヘッド側面もちゃんと突き板!)。
ラベルを読むと、フランスの商社(大手楽器商)がナポリで製作してヨーロッパで販売していたモデルのひとつだと思います。マンドリンに限らずギターやヴァイオリンや管楽器もそうですが、19世紀の前期にはすでに得意な楽器産地に製作を依頼して自社ブランドのラベルを張ってヨーロッパ各地に手広く販売する手法が行われていました。フラメンコギターといえばスペイン、というような商品イメージ戦略は今も昔も変わりなく「スペイン製」と書いてあればよさげに見えるのが世間というものです。カレーといえばインド、リンゴといえば青森、みたいに「マンドリンといえばナポリ」みたいなアコガレが昔もあったのです。国際的なマンドリンの人気が最高潮に達した19世紀後期ごろからナポリのメーカーでもパリやロンドンに工房(現地生産)を構えるものもありました。
カレーといえばインド、リンゴといえば青森、牛タンといえば仙台、ウナギといえば浜松、ラーメンといえば博多、キビナゴといえば鹿児島、カツオといえば土佐、花咲ガニといえば根室、生ワインといえばシャトレーゼ、サンマといえば目黒? ... 食い物ばっかりですな。
● 状態の調査と対処の検討
さて、工房へ持ち込まれたこのマンドリン。一見すると亀裂も無ければネックも指板も正常。弦高も適正で何ら問題がなさそうに見えます。しかし、よく観察すると(これ大事)、糸巻きの巻軸/ストリングポストが下がってしまっています。正面からの拡大写真では弦の張力によって巻軸の周囲が摩耗して隙間が発生していることがわかります。横から見た写真のほうがわかりやすいかな? はい、それならということで横から見た写真も掲載します。
え?いまひとつわかりにくいって? おしっ! 解説図も用意してみました。
ざっと100年前の楽器ですから強い張力の弦が張られたこともあったのでしょう。依頼主いわく、糸巻きが硬くて重くて調弦しにくいとのこと。まぁ、このテの症状はオールドの楽器では珍しくないので放置するか、現代の糸巻きに交換してオシマイという対処が世間ではほとんどだと思います。新品の糸巻きは時代感がちぐはぐになるし、同時代の中古品を入手するには時間がかかるうえに耐久性も怪しくネジ穴の位置も変更せねばなりません。やっぱり依頼主にこのまま返して「これはこういうものだから我慢して弾いてください。あはははは ... 」というのが無難といえば無難です。
でもねぇ、そこをなんとかならんかと考えるのが工房CRANEなわけですよ。なるべく自然な感じに解決できないものか ... あれこれ考えまする ... 。
それで思いついた方法を今回試してみました(じつはだいぶ昔に一度やったことがあったのですが ... 忘れてました:笑)。
ひとまず弦を外して触診。穴が大きめでも軸がブレていない箇所もあります。製作当初から穴の位置がずれていることもあるからです。同時に、1900年頃のこのタイプの糸巻き(おそらくドイツ製)は現代ほど精度が高くないので個体差も有り、ヘッドの穿孔位置と糸巻の軸間がずれているものも少なくありません。偏心しているものも結構あります。現物をあたった結果、4箇所の補修が必要と判断しました。黄色のテープが補修する巻軸/ストリングポストです。
糸巻を外します。このとき注意すべきは糸巻きの基台裏とヘッドの傷(へこみ痕/えくぼ傷)が一致するかどうかです。今回は左右ともに完全に一致するため、1920年当時に装着されたオリジナルのストックのペグであることがわかります。過去に交換されていないようです。但し、ギアは現代とは逆方向に巻き上げる仕様です。つまり現代の糸巻きと同じようにツマミをまわして巻き上げようとするとゆるむのです(逆巻き/逆向き)。また、高音側だけが現代と同じ巻き上げというちぐはぐな組み合わせもあります(カバー式の糸巻きよりも簡素なプレートの糸巻きに多い)。この時代は量産と輸出が急増し、合理化が進んだ証拠でもあります。工場生産で同じ巻き上げ方向のものだけをひたすらつなげて作り、それらを3個でカットすればギター用になり、4個でカットすればマンドリン用に使えたのです(但し、巻軸の隣り合う間隔はGtとMnでは異なる)。
取り外した糸巻きは位置関係を間違えないように台紙に貼り付けておきます。こうしないと古い楽器の場合はそれぞれの木ネジ(スクリュー:スチール製マイナス)の長さが違うので、あとから面倒なことになりかねないのです。ギターもマンドリンも、ウクレレですらヘッドの厚みは先端に向かって薄くなるのが一般的ですから、長さの違う木ネジで留めるとヘッドプレートから突き出てしまいます。過去にマーチン・シュタウファーの19世紀ギターにおいてインラインペグのマイナススクリューで苦い体験があったので、このあたりは慎重な鶴田であります。
さて、対処法です。あれこれ考えたあげく、過去に考案した方法でいくことにしました。名付けて「鶴田式キー溝法」。巻軸/ストリングポストの下側に溝を掘ってそこに木片を埋めて巻軸の角度を矯正するというものです。写真の矢印部分です。拡大写真はこちら。
施工図を描くとこうなります。つまり弦の張力で摩耗した巻軸/ストリングポストの下端部分に木片で巻軸を持ち上げるようにキー溝を掘って黒檀片を埋めるのです。図の青い部分がキーの黒檀木片です。注意点としては付加する黒檀の木片がヘッドプレートの表面に突き出さないようにすることです。垂れ下がった巻軸/ストリングポストを上に起こしてやるわけですな。スマホなんぞいじっとらんでシャキッ!とせんか〜っ!という昭和のガンコ親父のようなものです。突き出さない繊細なところがちょっとナイーブなガンコ親父なのです。
さて、アフリカ産の本黒檀でキーを作ります。話は逸れますが、この部分の修理のキーとキー溝の補修の考え方は18世紀の時計の構造を見て発想を得たものです。旋盤のような工作機械や電動機主軸でも見られる構造ですね。
4箇所のキー溝の打ちかたの違いに御注目。全てが軸穴の真下にキー溝を掘ってあるわけではなく、傾けてあります。つまり、巻軸の摩耗は方向が同じではないのです。
各軸穴の摩耗度合いをみながら慎重に溝を彫ります。ルーターで彫りますが決して貫通してはいけません。ナイーブなガンコ親父を忘れずに。
4箇所すべてのキー溝にキー(黒檀片)を打ち終えたところです(以下の写真)。あとで糸巻きのプレートがここを覆うので作業の痕跡は見えなくなります。
表側から見るとこうなります。キー(黒檀の詰め物)が少しだけ出っ張っています、ほんのちょっとの違いにすぎませんね。でも、これがプロの奏者にいわせると操作上の大きな違いになるのです。
また、弦楽器の修復家からみれば御覧のようにヘッドプレートに全く作業の痕跡が出ていないという点は重要です。
キーを打った時点ではかなりキーが出っ張っていますから、超小型コテノミで高さを調整します。小さめの彫刻刀でも調整できます。何度か装着と切削の調整を繰り返します。
● 補修完了と装着
はい、そんなわけでこの部分の修理は完了。ヘッドプレートに歴々の傷がけっこうありますが今回はいじりません。テレビでの収録に使うというので弦もすべて新品に交換します。フランスのサバレス、明るい音色の良い弦です。急がないと間に合いません。
ひとつの軸穴にひとつのキーを設けていますが、ひとつの軸穴に2つのキーを設けることもあります。1つの場合は弦を交換して最初の巻始めで巻軸が動きやすいのですが、張力がかかると安定します。2つの場合は調整が厄介です。
このキー溝方式はフリクションペグ、つまり俗に言う「木ペグ」でも応用できそうですが、実際には金属や樹脂の巻軸/ストリングポストのための対処法です。木ペグの場合はヴァイオリンやギターでも昔から見られるように、リーマを使って軸穴よりふたまわり大きな穴に拡張して木栓で埋めてしまい(ブッシング)、穴をあけなおすという方法が一般的です。
最後に黒檀指板がやせてフレットの両端が出ており、これらをすべて修正して研磨。ブリッジは後世の修理で下駄を履いていますが機能的には問題無し。ボディを打診しつつ、内部にもミラーやワイヤーカメラを入れて問題は無いかを確認。過去の修理のニカワもまだ効いていますし、パッチ/クリートも浮きは無いようです。試奏してオクターブピッチを確認してサドル位置を決めたら完了です。
ふぅ ... 久しぶりに長文を書いたら疲れますた ...
濃色の木材や暗い部分の作業が多いので部分的に白飛びやカラーバランスの悪い写真が多くなってモウシワケナイ。
● 補足:このマンドリンの構造
面白い構造なので補則説明することにしました。まず復習。表はフツーのマンドリン。裏はボウルバックではなく少し深みのあるフラット系。前述のとおりネックにはヒールがありません。
それで、裏板は素朴で伝統的な平行なバーの配置ですが、表面板はこんな配置と構造になっています。指板高音域の幅広カマボコバーとサウンドホール高音側脇のこれも太い垂直バー。サウンドホールの低音側脇には補強はありません。近代のマンドリンはサドル位置のちょい下に折りが入っていますが、これも折ってあります。表面板の内部を見ると切り込み&ベントの痕跡が見えます。中央にはセンターシーム(幅15mmぐらい)があって折りと垂直に「T」形になっています。ピックアップを内部に後付けするときなど、参考になればと思います。
その表面板の折りの上方(指板側)に2つのバー(1)とバー(2)が並行に配置されますが、内部はこんな形状なんですね(下図)。ベロみたいに高音側に山のピークがあります。カメラを入れて撮影しようとすると、この双璧が邪魔なんです。従ってサウンドホールからテールブロックに向かって撮った内部写真は上部に2つの白飛びした双璧がおおいかぶさるというわけです。撮りづらいのよ、ホント。
内部の造り全体が高音側を重くしてあることがわかります。1900年頃にはすでにこういった様々な試みがあったわけですなぁ。他のマンドリンメーカーやギターメーカでも様々な試行錯誤の工夫を見ることができます。一見するとフツーの楽器も中を覗けば「ふぅ〜〜ん、そうなのかぁ ...。」それが楽器職人の楽しみでもあります。ヘンテコな楽器も結構ありまする ... 。