■ 基準ピッチの問題
■ 基準ピッチとはなにか?
一般的には楽器の調弦で基準とする音の高さ(周波数 [Hz] )のことです。絶対音感のある人は別として多くの皆さんは音叉(おんさ)や電子チューナを使うことが多いですよね? その電子チューナにはデフォルトで A=440Hz(a1=440Hz) が設定してあります。つまり弦楽器の調弦はフツ〜に使うのであればピッチはA=440Hzというわけです。
しかしギターやリュートやウクレレは一人で弾くことが多い楽器でもあり、この基準ピッチが必ずしも必要ではありません。しかし合奏やアンサンブルで他の楽器と共に演奏する場合は各楽器が勝手に決めるわけにもいかず基準音が必要です。そしてまた、独奏であっても楽器は構造的に振動筐体ですから「よく鳴る」ピッチが存在するものです。基準ピッチを変えて調弦するということは弦の張りの強さが変わるということでもあり、音の力強さやサスティーンの長さ、あるいは弾きやすさや楽器への負担(破損)にも重要なかかわりがあるといえます。また、19世紀以前のピリオドの楽器をお持ちの方はその楽器が当時使われていたピッチと弦で演奏されることをお薦めします。楽器を破損から保護し、鳴りもまた当時のものを再現できるでしょう。
当サイトの掲示板(世界的な演奏家竹内太郎氏)からの情報によりますと18世紀後半のイギリスではピッチは2種類あって家庭用のピッチは半音から全音以上、演奏会用のピッチより低かったといいます。当時のヴァイオリンの教則本には「通常での練習には音量もさほどいらず、また弾きやすさや楽器のためには低いテンションが良いが、広い演奏会場での演奏には、そのときだけ高いピッチを採用すると、響きやすく効果的である」というようなことが書かれているそうです。そういえばセゴビアもコンサートでは聴衆がウルサイような場合は1音ぐらい高く調弦して弾いたようです.... 。
楽器の構造や弦選びもさることながら、基準ピッチを使い分けて調弦する「演奏する場」も重要なポイントとなってくるんですね。その楽器がどんなシチュエーションで弾かれたのか? 誰に聴かせたのか? 考えていくとじつに奥深いものがあります..... うん、うん。
■ 各種ピッチについて
現代でこそ A=440Hz(正確にはa1=440Hz) がアタリマエとなっていますが、時代や地域によって基準音は意外なほどバラエティに富んでいたといえましょう。楽器の調弦に用いられる音叉(Tuning fork)は18世紀初頭に発明され、その後各地で使われ現存するものも多いといいます。逆にいえば当時の音叉の傾向を見れば当時その地域や楽団や奏者、作曲者がどんな基準ピッチを使っていたかを推測できるわけです。ほかにも、現存する当時のパイプオルガンと楽譜、あるいは当時の管楽器の構造によるピッチ....... こういった資料をもとに世間ではピリオドのピッチについて熱い議論が戦わされることもしばしば......。私が調べたうちの資料でおおむね長期的に見ると下記のとおり........
・ドイツのバロック期にはバッハの時代を含めた17世紀、18世紀において複数のピッチがあり、教会や屋外で用いられたコーアトーンChorton(c.465Hz/c.466Hz/c.440Hz)あるいは、室内で用いられたというカンマートーンKammerton(c.392Hz/c.415Hz)などがありました。カンマートーンは元はフランスのピッチ(迫害されたプロテスタントによってドイツに伝えられたとされる)。
・フランスのヴェルサイユ宮での基準ピッチは392Hzとされている。
・1711年に英国宮廷のジョン・ショア(本来トランペット奏者)氏が自分のリュート調弦のために音叉を発明。世界中に普及。
・1813年にイギリスでは管弦楽においてA=412Hzが利用された(1859年にはA=452Hzに引き上げられている)。
・1839年にドイツのシュツットガルトではA=440Hzを承認。
・1858年にはフランス政府がオペラにおいてA=448Hzとした。
・1859年にパリへヨーロッパ全土の音叉が集められ、また、著名な作曲家たちによってA=435Hzが使われ統一宣言がなされる。
・1887年にイタリア政府がA=435Hzを定める。
・一説によるとA=430Hz前後は19世紀の後半まで一般的だったといいますが、それも20世紀にはいって1939年には440HzがThe New Philharmonic Pitchとして国際標準になり、現在に至り....... いちおうの決着?をみます。しかし、最近のオーケストラはA=442Hz〜446Hzあたりの比較的高いピッチが多いですね。
バッハのオルガン曲やバロックのコンソートでは現代でも当時の基準ピッチで再現するということが行われており、音楽としての響きについて演奏家や研究家のあいだで盛んに議論されていますね。一方ではバロック・ヴァイオリンを構造的に強化してモダンピッチで17〜18世紀の曲を演奏するといったものも見かけます。
■ アンサンブルとピッチ
温度が変わると同じ楽器から出る音の高さ(周波数)が変化することを御存知ですか? 具体例を挙げようとインターネット上を探したところ尺八のサイトなどで実験されているようです。管楽器の世界では深刻な問題として取り上げられることも多いといいます。それによると気温が5度上がる(下がる)と4Hz 上がる(下がる)というのです。現実に演奏会の行われる地域や季節によって幅広い気温差が生じることは当然有り得るわけで、例えば季節や土地柄の気候差を考えてみると、真冬のウィーンで10度前後の室内かと思えば夏のイタリア南部では30度のホールで弾くこともあるでしょう、そう考えただけも20度も差が生じます(計算したところ周波数にして15.4Hzの差!)。冬の演奏において発せられた音は低くなってしまうため楽器を暖め続けるなどといった手段を使わない限り音が上がりにくいということになるわけです(管楽器はたいへんだ)。
移調する場合は別として、調弦のピッチを変える方法は楽器によって異なりますが、打楽器では革の張りの強さを変えればよく、弦楽器では単純に巻き上げ量を変えるかカポタストを使う方法があります。ただ、管楽器では頭部管(管の長さ)をスライドさせて若干の調整ができるもののオクターブのバランスが崩れるなどの問題が発生するため極端な幅での基準ピッチ調整は困難であるわけです。昔の管楽器にはピッチの様々なものが多く残っており、おそらくは周囲の楽器はそれにならうように基準ピッチを変えて調律したと考えられます。
昔の演奏家たちも楽器の「鳴り」については当然気を遣っていたでしょうから演奏する楽器の構成や会場(室内/屋外)や季節によって基準ピッチを変える必要があり、前項に列挙したように単純にひとつのピッチで固定して万国共通というわけにはいかなかったのでしょう。
弦楽器はおそらくそういった管楽器とのアンサンブルにおいてその演奏会ごとに適切なピッチに変更して調弦していたと考えられます。
■ 指定のピッチで楽器を調弦したい
最近の電子チューナは基準ピッチ:A=438Hz〜445Hzの範囲内で1Hzステップで設定できるようになっているものがほとんどです。ん? それならA=415Hz や A=392Hz はどうやって調弦すればいいのかって? 賢明なCRANEの常連の皆さんは御存知ですね。 そう! 下記のとおり A=415Hzは半音下げればよく、A=392Hz は全音下げればいいのです。ちなみに音程で「オクターブ上(8va)」というと周波数はちょうど2倍になるわけです。もちろんその逆もしかり(8vb で半分の周波数)。近年、オートのクロマチックチューナ(半音ごとに自動的に検出・表示する)が安価で普及しており、半音をさらにこまかくセント(CENT)でも表示してくれます。ギター用ですと仕様にもよりますが2000円ぐらいからあります。
A =
b1(493.9Hz):440Hz に対して全音高い(+100cent)
a1#(465Hz):440Hz に対して半音高い(+50cent)
a1(440Hz):一般的な現代のピッチ
g1#(415Hz):440Hz に対して半音低い(-50cent)
g1(392.0Hz):440Hz に対して全音低い(-100cent)
f1(349.2Hz)
■ ピッチを変えるとテンションやゲージはどう変わるのか?
定量的に比較してみたくなりまして、さっそく弦計算尺で比較しました。
1挺の弦楽器で良く鳴る張力(いろんな意味での共振周波数)が決まっていると考えたとき、同じ張力を得るためにはピッチが上がると、より細い弦を張らねばなりません。(逆にいえば張力一定でピッチを下げるときは、より太い弦を張らねばなりません)
例えば、仮に18世紀後期にA=392Hzで弾かれていたとして弦長630mmの6単弦ギターの最適なテンションが1弦において5.0kgであったとすると0.60mmのガット弦になります。まあ、単純に6本の合計として計算すると30kgの張力がギター1挺にかかる張力です。
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同じ張力を得るための弦はどんな太さを選べばよいでしょうか?
以下のように単純に計算すると1音高くするには10%細い弦を選ぶことになりますね。
同じ楽器でA=392のピッチの場合は、5.0kgを得るには0.60mmのガット弦。
同じ楽器でA=415にピッチを上げ、同じ5.0kgを得るには0.57mmのガット弦。
同じ楽器でA=430Hzにピッチを上げ、同じ5.0kgを得るには0.55mmのガット弦。
同じ楽器でA=440Hzにピッチを上げ、同じ5.0kgを得るには0.54mmのガット弦。
同じ楽器でA=452Hzにピッチを上げ、同じ5.0kgを得るには0.52mmのガット弦。
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逆に弦の太さを固定してピッチだけを変えると張力はどう変わるでしょう?
例えば1音高くすると張力は1.3kg増します。従ってギター全体6本の弦なら約8kg張力は増します。
同じ楽器でA=392Hzのピッチの場合は、0.60mmのガット弦 では5.0kg。
同じ楽器でA=415Hzにピッチを 下げ、0.60mmのガット弦 では5.6kg。
同じ楽器でA=430Hzにピッチを上げ、0.60mmのガット弦 では6.1kg。
同じ楽器でA=440Hzにピッチを上げ、0.60mmのガット弦 では6.3kg。
同じ楽器でA=452Hzにピッチを上げ、0.60mmのガット弦 では6.9kg。
【重要】
ちなみに....... 同じ楽器に現代のA=440Hzピッチで現代の市販弦オーガスチンリーガルの1弦(ナイロン:0.76mm)を張ってしまった場合はじつに8.6kg(ひぇ〜〜〜!)のテンションがかかることになります。6つの弦のトータルで考えると約22kg増加してギター全体で52kgになります、楽器が壊れないほうがおかしい.....。
● というわけで、弦選びにはピッチが大きくからんでくる..... ということでありますね。自分の楽器をどういった場でどう鳴らしたいか、あるいは現在のピッチが果たして楽器や場にマッチしているのか、そういった見方で今一度弦を選びなおしてみるのもいいでしょう....... 。
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